1188:【②】招待を受けた皆さま。
――明日はミナーヴァ子爵領新領主邸完成披露パーティーだ。
新屋敷で開かれるパーティーのために私たちアストライアー侯爵家の面々は新領主邸に前乗りしていた。子爵位規模の領地ながらアルバトロス王家とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家の資金が投入されているため、お屋敷の規模は伯爵位の方々と同じなのだとか。
広いお屋敷は勘弁して欲しいのだが侯爵領の領主邸も所持しているため、むこうのお屋敷よりもこっちのお屋敷の方が狭いと感じてしまっている。慣れは怖いなあと明日の準備に取り掛かっている所だ。
まあ、当主として執務部屋で指示を出しているだけであるが。
今は警備関係の皆さまと挨拶をしている最中である。流石に他国の方々を迎え入れるために――しかも王族の方々が多い――アストライアー侯爵家の護衛の皆さまだけでは数が足りないのだ。だから王家にお願いしてみると、直ぐに『構わない』という返事が戻ってきた。有難いと私は安堵の息を吐いているのだが、意外な方が執務机の前に立っている。
定型の挨拶を終えてお互いにひとつ息を吐けば、苦笑が勝手に漏れてきた。とはいえ立場的に私が先に口を開かねば、相手の方は部屋を去るしかなくなる。
「お久しぶりです。隊長さん」
「……お嬢ちゃん、で良いか?」
私が彼、軍の隊長さんに声を掛けると少し気まずそうな顔を浮かべて確認を取る。部屋にはジークとリンと家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに、クロとアズとネルとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに毛玉ちゃんたち――フソウの面々は前乗りしているので松風と早風が一緒にいる――がいるため、隊長さんは生粋のお貴族さまと幻獣の皆さまが揃っている部屋に驚いているのか視線をきょろきょろとさせていた。
誰も隊長さんを脅かすことはないし肩の力も抜いて欲しいけれど、無理からぬ状況らしいとなんとなく分かる。でも、隊長さんも隊長さんだ。今の状況で『お嬢ちゃん』呼びで良いのか確認するとは。私は構わないけれど、真面目なソフィーアさまが少しだけ肩に力を入れているのだから。
「構いません。畏まって呼ばれるのは公式な場だけで大丈夫です。出世なされたのですね」
「お嬢ちゃんもな。聖女として出世するんだろうなと考えてはいたが、貴族でしかも侯爵位まで昇り詰めるとはなあ。本当に驚きだ」
私と隊長さんは片眉を上げながら笑う。隊長ということには変わりないのだが、大隊長になって多くの部下を率いているとのこと。貧民街で過ごしていた時に教会の命を受けて私を捕らえにきたことで知り合いとなったけれど、思えば彼が一番古い大人の友人なのかもしれない。
ふいにクロが私の肩から降りて執務机の天板に乗った。脚を動かせば爪の音がかちゃりと鳴るのだが天板に傷は付いていない。器用だなと感心していると机の端に立ったクロが隊長さんの顔を見上げる。
『アガレスの飛空艇が王都の麦畑を駄目にしちゃって、みんなで直していた時の子だねえ。本当に久しぶりだ~小さい竜の仔たちから君の話を聞いてるよ。優しい人だって』
「うえ? え、えっと、その、あ、亜人連合国の竜の方々が力仕事の際に俺を頼ってくれたことで出世できました。本当にありがとうございます」
クロに隊長さんが深々と頭を下げる。セレスティアさまがクロの言葉に『なんだと!?』と言いたげな顔をしてマジマジと隊長さんの方を見ていた。
どうやら小型の竜の方々に隊長さんのことが気に入られていると知って、ショックを受けているようである。彼女はむっとした表情を浮かべると鉄扇をバシンと開いて口元を隠しながら目を細めていた。妙な所でライバル心を抱かなくても良いのに、某辺境伯令嬢さまは悔しいようである。
『小さい仔たちはね、強いと言っても人間の集団には敵わないから。悪意がある人に敏感だし懐くことはないよ~君の心の優しさが現れているんじゃないかなあ』
クロの声に隊長さんが少しばかり顔を赤くした。褒められ慣れていないのか、それとも男性に向ける言葉としては少々女々しいものだからだろうか。どちらか分からないけれど、隊長さんがクロの言葉で照れていることだけは分かる。
隊長さんが右へ左へと視線を泳がせながら片方の腕を頭の後ろに伸ばして髪をポリポリ掻いている。話題を変えた方が良さそうだと今度は私が口を開いた。
「仕事を増やして申し訳ないのですが、今日と明日、よろしくお願いします」
「あ、おう。特別手当が付くからな。緊張はするだろうけど、みんな臨時収入が懐に収まると喜んでるんだ。あんま気にすんなよ、お嬢ちゃん。じゃあ、俺は部下の下に戻る」
私に隊長さんがビシッと敬礼をすれば回れ右をして執務室から出て行った。屋敷内でヴァルトルーデさまとジルケさまとエンカウントするかもしれないが、二柱さまは屋敷の人間として振舞うと言っていたので大丈夫だろう。隊長さんの背を見送ったクロが私の方へと顔だけ振り返り、こてんと首を傾げた。
『ボク、変なこと言っちゃった?』
クロが脚を少しだけ屈めて翼を広げて飛び上り私の肩に乗る。どうやら隊長さんが照れた理由が良く分からないようで、尻尾をペシンペシンと忙しなく動かしていた。
「恥ずかしかったみたいだよ。心が優しいなんて滅多に言われないだろうし、男の人だから照れただけじゃないかな」
『人の心は難しいねえ。ナイみたいに単……素直だったら良いのに』
多分クロの言葉のチョイスがストレート過ぎただけだろう。隊長さんも言われて嫌ではないけれど、恥ずかしさが勝ってしまっただけである。しかしクロは今、妙なことを口走ろうとしていなかっただろうか。
「クロさんや。今、単純って言おうとしましたか?」
私は自分の人差し指を伸ばしてクロの鼻先に近づける。なんだろうとクロは私の肩の上で、じっと私の指先を見ていた。
『ふご! 言ってないよ~』
クロの小さな鼻先に私の人差し指を当てて軽く押す。今の光景にセレスティアさまが『なんてことを!?』と目を引ん剝いて驚いているけれど、じゃれ合いの範疇だろう。
「本当かなあ」
『ふう。鼻先が変な感じがする』
私がクロの鼻先から指を外せば、クロは首を脚の方へと回して器用に鼻先を撫でている。隊長さんのあとにも騎士団のお偉いさんに近衛騎士団のお偉いさん方も挨拶にやってくる。
どちらのお偉いさんも凄く緊張した様子で、下手をすれば隊長さんよりも緊張しているのではないだろうか。もしかして私に対して粗相をすれば首が飛ぶ、なんてことを考えているのだろうか。彼らが挨拶を終えて部屋を出て行くのを確認して、私はジークとリンの方へと顔を向ける。
「私、そんなに怖いかな……」
「女性当主が珍しくて緊張しているだけじゃないか? ヴァナルたちもいるから、苦手な者なら怖いだろうしな」
「ナイは怖くないけれど、外にはエルたちとジャドたちがいるからね。驚いているだけ」
ジークとリンがフォローを入れてくれる。確かに床で寝転がっているフェンリルとケルベロスとその仔たち五頭が居れば驚くかもしれない。外の庭にもジャドさん一家がヤーバン王との面会のために、王都の侯爵邸から子爵領へと移動している。
エル一家も一緒なので確かにお貴族さまのお屋敷として異常だけれど、魔獣が住み着いていると噂は流れ切っているのだから今更驚かなくても良いような。他に理由はあるのかなとソフィーアさまとセレスティアさまに私は視線を向けてみる。お二人は肩を軽く竦めて小さく笑う。
「貴族だからな。舐められているより良い状況だろう」
「ですわね。女性と甘く見られても困りますもの」
確かにそうだけれど怖がられているならばマトモな話ができないような。護衛の方々なので話す機会は少ないけれど、緊急時は大丈夫だろうかと不安になってくる。
あれ、でも……私が魔力を使って魔術を放てば問題は解決しそうだ。でも魔術を使えば新屋敷が更地になってしまいそうな不安があるので、やはり皆さまを頼ろう。魔力があれば便利だけれど、あり過ぎるのも困りものだなと目を細めて無事にパーティーが終わることを願うのだった。
◇
――緊張した。
お嬢ちゃん、ナイ・アストライアー侯爵は初めて出会った頃の姿とあまり変わりはないが、立場と地位はぐっと上がっていた。貧民街で彼女を教会へ連れて行っただけの末端の軍人だった俺が、今や軍の警備代表者としてお嬢ちゃんと挨拶を終えた所だ。
屋敷内の警備ではなく、子爵領都内に不審人物がいないか今日から明日にかけて巡回を行えとハイゼンベルグ公爵閣下からのお達しだった。屋敷内の警備は騎士団と近衛騎士団の者たちが担っているため、俺たち軍の人間は高貴な方々の護衛を務めないため気楽ではある。
お嬢ちゃんの執務室を出れば、俺の部下が数名廊下で待っていた。有難いことに俺の階級も上がり、今では大勢の部下を抱えることになっている。
街道整備の際に協力してくれる小さな竜たちに懐かれたお陰で、俺は出世の道は凄く早くなった気がする。どうにも小さな竜たちがお嬢ちゃんに俺の話をしたようで、お嬢ちゃんも俺が小さな竜たちにお願いすれば言うことを聞いて欲しいと伝えたようだ。それから俺と小さな竜たちの奇妙な関係が始まり、討伐遠征が組まれない限りは街道整備に勤しんでいた。小さな竜だが竜は竜だ。人間より力は強く彼らの助力は凄く助かった。
「本当にお嬢ちゃんは妙な気を使いやがって」
「隊長?」
俺がぼやいた台詞に後ろを歩いている部下がどうしたのかと声を上げた。俺の前には案内役の下働きの男が歩いている。子爵領の領主の屋敷に初めて入ったことになるのだが、平民の俺が侯爵位の当主に挨拶をするなんて一生あり得ないことだっただろう。
まあ、これもお嬢ちゃんと貧民街で出会ったことで続いている関係なのだなあとしみじみしながら俺の後ろを歩く部下に顔を向ける。
「いや、なんでもない。堅苦しい挨拶は終わったんだ。真面目に仕事に取り掛かろう」
「はっ!」
真面目な部下の声に俺は苦笑いを零して前を見た瞬間だった。廊下の曲がり角から誰かが出てきたことを認めると、相手も俺に気付いたようである。
「あ」
「おっと。申し訳ありま……せん」
短く声を漏らした凄い美人――語彙がなくて目の前の女性の美しさを俺には表現できない――が俺とぶつかる寸での所で立ち止まる。部下たちは、ぶつからなくて良かったという安堵と腰を抜かしてしまいそうなほどの美人に見惚れていた。
そうして凄い美人な方は誰だろうと疑問が湧いてくるのだが、何故か俺に顔を近づけてすんすんと鼻を鳴らしている。どういう状況だと目を回していると、目の前の美女はふっと俺から顔を離して目を細めた。
「……君からナイの匂いがする。ナイが気を許している? なんで?」
お嬢ちゃんの名前を呼び捨てにできる者なんて凄く限られているだろう。もしかして前乗りでやってきている偉い方なのだろうか。それなら納得できるのだが、何故か頭が回らない。
「は、え……?」
「どうして?」
目の前の凄い美人は俺が困惑していると分かっていないようで説明しろと圧を高める。あ、これお嬢ちゃんが本気で怒っている時の感じに似ているなと明後日な方向に思考が飛べば、曲がり角からまた誰かがやってきた。
「おーい、姉御。なにしてんだー? あんまそっちウロウロすんなってナイに言われてただろ。ん?」
曲がり角から現れた人は誰だろうか。軽い調子で俺たちの前に立って首を傾げている。お嬢ちゃんの容姿に凄くそっくりで、黒髪黒目の小柄な少女である。雰囲気は目の前の凄く美人ににているが顔立ちは全く違う。
「悪い、あたしには状況が良く分かんねえんだ。姉御はアンタたちになにを言ったんだ?」
答えない姉御さんの代わりなのか少女は俺に視線を向けた。凄い美人から感じるものより、少女の方が話し易い感じを受ける。俺は少女に頼ってしまうという情けなさを受けつつ、状況を変えるため口を開いた。
「え。俺、あ、いや。私からアストライアー侯爵の匂いがして、侯爵は私に気を許していると仰り、それは何故かと聞かれました」
言葉に詰まりつつも、俺はどうにか目の前の黒髪黒目の少女に告げる。少女ははあと盛大に溜息を吐いて、姉御と呼ぶ方へと視線を向けた。
「確かにおっさんからはナイの匂いがするけどよ。もう少し聞き方っつーもんがあんだろ。姉御」
「……ごめん」
黒髪黒目の少女に凄い美人が背を屈めてしょぼくれていた。なんだこの光景はと訝しむのだが、とりあえず場の空気は軽くなったと俺は安堵の息を吐く。でも『おっさん』とはっきり言われてしまい少々凹みそうだ。
「すまねえな。姉御はナイのことになるとちと神経質になるんだよなあ」
少し……なのかは甚だ疑問であるが、空気が軽くなった今なら答えられる。
「い、いえ。その、アストライアー侯爵とは十年程前から懇意にさせて頂いております。それが匂いの原因でしょうか?」
「十年前……フランツと同じ時期……」
凄い美人がハイゼンベルグ公爵閣下のファーストネームを呼び捨てにしている。彼女たちはただ者ではないと察知して俺は更にぴしりと背を伸ばすと、凄い美人が俺に視線を向けている。
「話、聞かせて」
「あーねーごー! こいつらも仕事があんだから強制するな! 姉御に言われたらこいつら断れねえだろ!」
「う……仕事の邪魔できない……じゃあ、いつ話を聞ける?」
なんだろう。目の前の二人のやり取りを見ていると緊張から少しだけ解放される。仲の良い姉妹なのだろうか。それとも友人関係なのだろうか。よく分からないが、流石に仕事に戻らなければ職務放棄で怒られてしまう。
「悪いなあ。暇な時間を教えてくれ」
「その、軍は子爵領領内の警備を任されております。私は指揮を執らねばならぬため、今日と明日の二日間は時間が捻出できそうにありません」
黒髪黒目の少女に問われて俺は素直に答える。これ、警備が終われば凄い美人と再会することになるのだろうか。母ちゃんが話を知ればすげえ勢いで怒られそうだ。
「他に暇な時は?」
「明後日は王都に戻って休暇となりますが……しかし女性と私が会うのは問題があるのでは、と」
「仲の良い人はいないの?」
「私の妻でも宜しいでしょうか? 彼女はアストライアー侯爵閣下の治癒を受けたことがありますので」
凄い美人が食い気味に質問を繰り返す。母ちゃん、ごめん。流石に凄い美人と男だけで会うのは問題だから、母ちゃんと一緒ならば少しはマシになるはずだ。これ、ハイゼンベルグ公爵閣下に直ぐに知らせた方が良さそうだ。閣下であれば目の前の人物を知っているだろうし。
「ナイの治療を受けたの?」
「はい。産後の肥立ちが悪く、その時はお世話になりました」
「その話も聞きたい」
凄い美人が嬉しそうに目を開いた。本当にこの世の人とは思えぬ美しさだが、隣に立つ黒髪黒目の少女ははあと息を吐いている。俺も息を吐きたいけれど失礼になるだろう。
そうして、なんだかんだと話を終えて何故かお嬢ちゃんにも話がいくことになり、軍を司っている公爵閣下にも話を通すそうだ。公爵閣下に伝わるならば、仕事として処理してくれるだろうか。なににせよ、凄いことになりそうだなと目の前の二人と予定を決めていれば、ふいに凄い美人が『あ』と声を上げる。
「私は西大陸を司る女神。西の女神って呼ばれているけれど、ナイに付けて貰ったヴァルトルーデって名前がある」
「あたしは姉御の妹で南の女神を務めてる。あたしもナイから貰った名前を最近名乗ってるな。ジルケって呼んでくれて構わねえ」
「あ、狡い。私もヴァルトルーデって呼んでくれて構わない。じゃあね」
西の女神さまと南の女神さまがお嬢ちゃんの下にいらっしゃるとは聞いていた。しかし王都にいるはずなのに何故、こちらの子爵領にという疑問はすぐさま掻き消えて、そそくさと廊下を歩いて行く二人の女性が女神さまだったことに腰を抜かしそうになった。
部下たちは耐えきれなくなったのか、ぺたんと廊下の床に尻を付けて驚いた顔をして俺を見上げている。大丈夫かと俺は彼らに手を差し伸べて、一先ず子爵領内の拠点となっている宿屋に戻ろうと告げ屋敷をあとにした。
そうして拠点となっている宿屋で以前から俺の部下である青年が機嫌良く俺に話しかけてきた。
「隊長、挨拶終わったんスね。聖女さまは相変わらずっスか?」
「おう。お嬢ちゃんは相変わらずなんだが、一緒に過ごしている幻獣が増えてた。フェンリルとフソウの神獣さまとその仔たちがいるし、庭には天馬とグリフォンが沢山いたなあ。双子の圧も強くなっていた気がする」
本当にお嬢ちゃんは相変わらずだった。でもやはり凄いことになっているようで、俺ももう少しで腰を抜かすところだった。
「女神さまとはお会いできたので?」
「……聞くな」
「もしかして会ったんスか? 隊長も運が良いですよねえ」
「言うな」
目を逸らしたい現実だが今回の任務を終えれば、女神さまとの会合があるんだよなあと宿屋の窓から見える領主邸に視線を向けて目を細めるのだった。






