1185:あっちの世界のこと。
子爵邸のサンルームで話をしようとみんなが集まっているのだけれど……女神さま五柱さまに、竜が三頭とフェンリルとケルベロスとその仔供三頭に、グリフォンさん五頭にポポカさんたちが十羽がいて、エーリヒさまとフィーネさまとジークとリンに護衛の皆さまがいる。
外には事情を知っているエル一家が揃っていてこちらを見ている。本当に子爵邸は妙な場所だし、今後、増える可能性もあることに目を細めてしまう。今日は真面目なことを話し合うのだから、きちんとした態度で挑まなければと私は小さく首を振る。
目の前には温かい紅茶が入っているし、ジルケさまの前には緑茶と羊羹が用意されていた。さて、誰が話を切り出すのだろうと待っていれば、皆さまの視線が私に集まっており『ナイが仕切れ』と言いたそうな表情である。空気を読める私は仕方ないと小さく息を吐いて、大きく息を吸い込み背を正した。
「テラさま。地球での調査、ありがとうございます」
「ん。気にしなくて良いよ。君たちの魂を勝手にグイーの世界に送った責任もあるからね」
私の声にテラさまが良い顔をして笑っている。本当に女神さまというよりは近所の気安いお姉さんと言ったイメージが強い。しかも私たちの魂をこちらの世界に送ったことに責任を感じてくれているようで、本当に面倒見が良いというかなんというか。グイーさまが惚れた理由も分からなくはない。
「ではフィーネさまのご家族のことが?」
「もちろん。私を誰だと思っているのかしら。地球のことなら分からないことはない! と言いたいけれど、分からない場合もあるからねえ。本当に今回は見つかって良かった」
続けて私がテラさまと話をしているが、彼女が明るく努めているのはこれから話す内容が暗い方向へと流れていくからだろうか。どうしても最悪のパターンを考えてしまうのは私の悪い癖である。フィーネさまは神妙な顔をしているし、エーリヒさまもごくりと息を呑んでいる。ジークとリンも結果を気にしてくれているようで、護衛を務めつつ意識をこちらへと向けているようだ。
「では……」
「ん。お父さんとお母さんはフィーネの月命日にはお墓参りに行っているし、毎朝、毎晩お線香をあげてるよ。あ、弟くん、結婚して子供ができてた。女の子でフィーネの名前付けてたなあ」
フィーネさまのご両親は月日が流れて習慣のようなものになっているそうだ。そして弟くんは結婚を果たして子供もいるようである。フィーネさまの前世の名前を継いでいるようで、元気に育っているそうだ。
結構な美人さんで可愛かったとのこと。ご両親も弟さんも時間が流れて事故当時の心境も安定し、穏やかに過ごしているらしい。時折、フィーネさまのことを思い出して胸を痛めているけれど、孫もできたし前を向かなければと意識しだしたそうである。
交通事故の啓発講演を執り行っており、エーリヒさまのご家族とは既知なのだとか。なんだか凄いところでも縁が生まれているなと目を細めてしまう。というか……フィーネさまとエーリヒさまの向こうのご両親は年に一度、私のお墓にも花を添えて手を合わせてくれているらしい。もし私に親がいたとして、彼らと出会っていたなら付き合いがあったのだろうか。
テラさまが調べていた途中で分かったことだそうで、エーリヒさまと私にも知らせておいた方が良いだろうと。エーリヒさまのご家族もフィーネさまのご家族同様に月日が経ち心の整理が随分とできているそうだ。
事故を起こした車に乗っていた二人のことも気になるけれど、今は話題に上げない方が良いだろう。だって心底安心した顔でフィーネさまがぽろぽろと涙を流しているのだから。
「フィーネ、ごめんね。私は現場で見た魂に同情してグイーの世界に送ったけれど……元の世界の家族とか友人のことまで考えてなかった」
眉を八の字にしたテラさまが席から立ち上がり、フィーネさまの下へと歩いて行く。そうしてテラさまはフィーネさまを両手でぎゅうぎゅうと抱き締めて、耳元で声を上げている。
テラさまはご家族と離れて暮らしているためか、家族の繋がりに関心が薄かったようである。大事な存在であるというのは人間の親子と変わりはないが、どうしても長い時間を生きている身だし死にづらい運命の下にいる。凄く簡単に死んでしまう人間に同情していて、事故に巻き込まれたバスの近くでフラフラと浮いていた魂を哀れに感じてグイーさまの世界へ送ってしまったと再度教えてくれた。
「いえ、大丈夫です。家族がどうしているかなんて絶対に分らなかったことですし、知ることができて本当に良かったです。家族は私を愛してくれて大切に育ててくれていました。だから私の所為で自分で終わることを選んでいたらどうしようかと、ずっと気になっていたんです」
ずびっと鼻を啜りながらフィーネさまがテラさまに答えると、抱き締めている一柱さまの腕に力が更に入った。フィーネさまはご家族が非業の死を遂げていないかと気にしていたようだ。
フィーネさまが事故に巻き込まれてしまったことは、ご家族にとって一生消えない傷だけれど前に進むことができているようで安心したようである。エーリヒさまも向こうにいるご家族の話が聞けて少し照れ臭そうな顔になっていた。
「テラさま。わざわざ調べて頂いて本当にありがとうございます」
「いいの、いいの! フィーネも前を向いて歩けそう?」
「はい。大丈夫です。それにエーリヒさまとナイさまという友達がいますから!」
フィーネさまがエーリヒさまと私に視線を向けた。友人とカウントしてくれるのは有難いし、元同じ世界の仲間だから嬉しい限りだと私はフィーネさまに向かって確りと頷く。
「ん!」
テラさまも短い言葉だけれど、フィーネさまが話に納得できたようで安堵しているようだ。話を一緒に聞いていた四女神さまもほっとしているみたいで、話は終わったと言わんばかりに紅茶と緑茶を飲んでいる。
「あ、狡いぞー! 私も飲む! 超高級な紅茶なんてナイの家かグイーの家でしか飲めないし、お菓子も美味しいから食い溜めしておかなきゃ!」
「……母上殿。向こうでどんな生活を送っているんだ……いや、死にはしねえけど心配になるぞ。というか親父殿が嘆くぞ」
テラさまはフィーネさまを抱きしめていた腕を解いて自分の席へと戻って行く。そうして紅茶を飲んでお菓子に手を伸ばしているのだが、明らかに神さまとは言えない台詞を吐いている。たまらず突っ込みを入れたのは南の女神さまであるジルケさまでテラさまにジト目を向けていた。ヴァルトルーデさまと北と東の女神さまは『テラさまだしな、さもありなん』と言いたそうだった。
「お金が尽きるとパンの耳で一日を凌いでいるわね。もやしも安いけれど調理しなきゃいけないでしょ。メンド」
テラさまの台詞は一人暮らしに慣れきった男性が発しそうなことである。女性なのだからお肌の健康にも気を付けてあげてくださいと言いたくなるものの、確かにお金がなくて困っている時はパン屋さんで売っているパンの耳を買い込んで、揚げて食べたり、そのまま食べてもいた。
もやしも安い食材として有名で重宝されているけれど、確かに困窮している時に調理をするのは贅沢に感じてしまう。しかしテラさまなら極貧生活なんて送らなくても、どうにかなってしまいそうだ。もしかして貧乏すら楽しんでいるのかと疑いの目を向けていると、大袈裟に息を吐いたジルケさまは私に視線を寄越していた。
「ナイ。悪いんだが、母上殿にマトモな飯を食わせてやってくれ」
「構いませんよ。女神さま方がくると分かっているので、作る量を増やしておいてくださいと頼んでおきましたから」
微妙な顔でジルケさまは私へ告げる。テラさまがご飯を食べたいと申すこともあるだろうと、料理長さんには多めに用意して欲しいとお願いしておいた。私が苦笑いを浮かべているとテラさまが凄く良い顔で私を見ている。一宿一飯の恩でも感じてくれているのかと私が笑っていると、また彼女は席を立ちあがった。
「え、いいの!? ナイ~ありがとう。食費が浮いて超助かる!」
「いや、ほんと母上殿は向こうでどんな生活をしてるんだ……?」
テラさまの声とジルケさまの声が聞こえると私の視界が真っ暗になる。革ジャケットの硬い感触と妙に柔らかいアレな感触が顔に伝わった。フィーネさまを抱きしめている時よりもテラさまの腕の力が強い気がする。真っ暗でなにも見えないけれど、どこからか一筋の光が差し込んでいる。
「気にしたら負け。というかナイ、息できてない」
「ちょっと、西の娘! はっ!? ごめん、ナイ! 生きてー!」
落ち着いているヴァルトルーデさまの声と慌てているテラさまの声が私の耳に届けば、新鮮な空気が肺の中へと流れ込む。そうして私の視界には心配そうなテラさまの顔が映っていた。
こちらの世界にきて命を落としかけたことは何度かあるけれど、人には言えない理由で私は空の上へと旅立ちそうになっていた。少しは加減をして欲しいと私がお願いすると、テラさまが平謝りをしている。
「ん。お、やっぱ時間だな」
ジルケさまのお腹の虫の音が聞こえれば、彼女は懐中時計を取り出して時間を確認していた。腹時計と懐中時計の時間が合っているようなので、正確無比な腹時計があるなら懐中時計は必要なさそうである。失礼なことは言えないので黙っておくけれど、北と東の女神さまは私と同じ気持ちのようで、末妹さまが持っている必要があるのかと首を捻っているようだ。
「あれ、そんなの持っていたっけ?」
テラさまがジルケさまが取り出した懐中時計を興味深そうに覗き込んでいた。見せてとテラさまがジルケさまに手を伸ばせば、ほらと懐中時計を渡している。
テラさまは地球住まいというのに懐中時計が珍しいようである。確かに腕時計や携帯電話の時計を利用している方が多いから、昔ながらの懐中時計は逆に珍しい品となってしまうようだ。
「ナイの紹介で見学に行った領地があるんだが」
「そこで買った。凄く緻密で、人間が造り上げたなんて信じられない」
ジルケさまがドヤという顔になり、ヴァルトルーデさまが自身の懐中時計を取り出して蓋を開けて時計盤をしみじみと見ている。テラさまが手に持った懐中時計が気になったのか、北と東の女神さまが覗き込んで私の方へと視線を向ける。どうしたのだろうと私が首を傾げると彼女たちが口を開く。
「ナイ、おチビちゃんとお姉さまが持っている品を用意できますか?」
「姉妹でお揃いの品なんて持っていないですし、良いですわね」
「えー! 私は仲間外れ?」
二柱さまの声に加わってテラさままで声を上げていた。仲間外れは嫌なようでテラさまは怒っているのか、ぷんぷんとした顔になり片手を腰に当てていた。
「では、お母さまの分も」
北の女神さまがテラさまの意思を汲んで懐中時計を所望されたなら、私はこう答えるしかない。
「ならグイーさまの分もですね。リヒター侯爵家に同じ品を四つ用意できないか問い合わせをしてみます」
流石にグイーさま一柱さまに贈らないのは駄目だろうと、勝手にグイーさまの分も追加してリヒター侯爵家に問い合わせをすることになる。
フィーネさまとエーリヒさまは私が五柱さまと普通に会話をしていることが信じられないという顔になっていた。お二人も毎日女神さまと顔を突き合わせていれば、いずれは慣れると私が告げれば首をぶんぶんと横に振る。
「とりあえず、飯にしようぜー」
ジルケさまが声を上げて席から立ち上がり、頭の後ろに両手を回して食堂へすたすたと歩いて行った。彼女のあとにはヴァルトルーデさまが続く。まるで自分の家のようねとテラさまがぼやいて二柱さまのあとを付いて行き、北と東の女神さまが参りましょうと促して席を立ち私たちを導いてくれた。
急に増えた昼食のメンバーにクレイグとサフィールが目を剝いていたのは仕方ないことだろうか。