1184:再来訪。
お引越しの前に少し、やらなければならないことがある。
テラさまから声掛けがあったので聖王国からフィーネさまをお招きして、前の世界でのご家族の方やご友人について語る日がきたのだった。テラさまは数日前からグイーさまの世界にきており、神さまの島で夫婦の一時を過ごしているとのこと。
都合が合えばミナーヴァ子爵邸に行くからね、と凄く気楽に仰ってくださった。フィーネさまに連絡を入れると予定は全てキャンセルして直ぐに赴くことができるとのことだった。それならばと、今日と言う日を選びフィーネさまとテラさまに打診をしたわけである。
子爵邸の地下室にある転移陣のある部屋で件の人物がくるのを待っていると魔術陣が淡く光る。フィーネさまが直接陣に魔力を流し込んでいるようで、淡く白い魔力光が暗い部屋を照らしていた。
私も魔力を練れば青白い魔力光が足下に浮かび、淡く白い魔力光と混ざり合う。向こうと繋がった感覚を受けて更に魔力を流し込めば、ぶわりと吹いた風が私の髪を揺らした。風は直ぐに収まり目の前には聖王国の大聖女さまの衣装を纏ったフィーネさまの姿があり、彼女の隣にはエーリヒさまの姿と護衛の皆さまも一緒である。
「ナイさま、お手間を取らせてしまい申し訳ありません。本当にありがとうございます」
フィーネさまが私の姿を認めるなり直ぐに頭を下げる。私は彼女の下へと移動して顔を上げて下さいと先に告げ更に言葉を紡ぐ。
「いえ。残してきた方が気になるのは当然のことです。テラさまが調べてくださったので私は場を提供しているだけですし、あまり気になさらないでください。エーリヒさまもお久しぶりです」
私は頭を上げてくれたフィーネさまに安堵して、隣に立つエーリヒさまへと視線を向けた。彼もまた彼女と同様に妙な表情を浮かべており、なにか言いたそうである。
「無理を言って参加させて頂くことになりました。本当にすみません」
「さっきも言いましたが、気になさらないでください。私もフィーネさまのご家族のことが気になるので、子爵邸で話ができるなら都合が良いですからね」
家族や仲の良い人が悩んでいれば助けたくなるし気になるのは理解できる。迷惑なんて思っちゃいないし、調べたのはテラさまなので私は苦労を背負っていない。気にし過ぎだと笑い、上階へ行こうと誘って階段を昇る。
上った先で、凄い形相をした侍女の方が凄い速い歩き方で私の目の前に立つ。私がどうしたのかと目の前の侍女の方に話を促せば、もごもごしていた口がようやく開いた。
「ご、ご当主さま。東屋に、め、女神さま方が唐突に現れて、冷えるため早く屋敷の中に入れて欲しい、と……!」
どうやら東屋にテラさまとジルケさまと北と東の女神さまがご降臨されたようである。ヴァルトルーデさまは日々を子爵邸で過ごしているので屋敷内のどこかにいるはず。
彼女はサンルームや図書室で一日を過ごしていたり、アリアさまとロザリンデさまがいる別館でお喋りをしていたり、託児所の子供たちと遊んでサフィールが恐縮しっぱなしだったり、庭師の小父さまに花の植え方を習ったりと本当に気ままに子爵邸で過ごしている。
いろいろな方の胃に負担を掛けているようだが、ヴァルトルーデさまの滞在日数が増えるにつれて、子爵邸の皆さまは慣れているようだった。
そんな中でテラさまと三女神さまが唐突にいらっしゃっても――今日女神さま方くることを屋敷の皆さまは知っていたが、場所も時間も女神さま次第だった――どうにか対応できていた。私はどこで話をしようかと少し迷って、とある場所を指定する。
「では、サンルームにご案内を。あとお茶の用意もお願い致します」
「承知致しました。ヨウカンを必ず、ですね!」
私の声に侍女の方がジルケさまも一緒だと知り、羊羹を茶請けにしてくれるあたり本当に慣れたなとしみじみしてしまう。私がよろしくお願いしますと告げれば、侍女の方は足早に廊下を歩いて去って行く。女神さまが子爵邸に出入りしている状況に慣れたくはないが、美味いと言って食べている女神さまを見るのは嫌いではない。
ほだされているかと首を傾げているとフィーネさまが『参りましょう……!』と少し緊張した面持ちで私に先を促した。今日の主役はテラさまとフィーネさまだから、私は補佐役に徹するのみだと決めて足を進める。
「やっほー! 待たせてごめんねー!」
相変わらずテラさまは軽い調子で軽い衣装である。ジーンズと白色のロンTに黒の革ジャケットという、着こなしが人により左右される取り合わせだけれど。似合っているので本当に羨ましい限りだ。今日の主役であるフィーネさまにぱちんとウインクをし、エーリヒさまにはニヤニヤと笑っていた。
「母上殿がナイの家の茶が楽しみだってよ」
「テラさま、ジルケさま、ありがとうございます。屋敷の者が喜びますが、緊張も増しますね」
一緒に神さまの島から転移してきたジルケさまは屋敷の皆さまにプレッシャーを掛けているけれど、屋敷で毎日美味しいお茶を淹れて貰っている身としては有難いお言葉である。お茶菓子はいろいろと用意してあるし、侍女の方はジルケさまの大好物である羊羹を用意してくれている。美味しく頂ければ良いけれど、話の内容次第でお通夜状態になる可能性がありそうだった。
「お嬢ちゃんの家の者が淹れるお茶は美味しいわ」
「自信を持って頂戴な、と伝えておいて」
北と東の女神さまもフォローを入れてくれる。私が『北の女神さま、東の女神さまもありがとうございます』と口を開けば妙な顔になっていた。なんだろうと首を傾げながら考えていればジルケさまが声を上げる。
「西の姉御は?」
「屋敷のどこかにいるはずですが……こられませんね」
考えるのは中断して私はジルケさまの疑問に答える。いつもであれば、なにがあったのかとヴァルトルーデさまは興味津々で顔を出すというのに。珍しく彼女がこないのは、なにか別のことに注力しているのだろうか。
「姉御なら呼べばくるか。移動しようぜ」
ジルケさまが寒いしなと言葉を付け足して歩き始めた。勝手知ったる子爵邸と言いたそうな背中を見ながら私たちも彼女の後を追う。サンルームまで歩いていると、テラさまがフィーネさまの隣に立ち歩を進めている。
フィーネさまも背が高い方ではない――百六十センチくらい――ので、テラさま――百八十センチくらい――と並べば身長差が凄かった。男性陣と並べば、頭の天辺はだいたい横一列となるのに。
「フィーネ。ちゃんと寝られているの? そういえばフィーネも乙女ゲーム好きなんだっけ?」
テラさまがフィーネさまの肩に腕を回して少し背を屈めながら問いかけた。フィーネさまは突然の出来事に『きゃっ!』と可愛らしい悲鳴を上げている。
『きゃっ!』という悲鳴はなかなか耳にすることはないし、台詞が似合う方は限られるはずだが彼女に違和感は全くない。テラさまとフィーネさまを隣で見ているエーリヒさまが大丈夫かなと心配そうな顔になっているが、止めろとは言えなさそうだった。
「はい。睡眠はきちんと取っています。乙女ゲームは懐かしいですね。老舗メーカーがシリーズもののタイトルをいくつかと、新興メーカーが立ち上がれば必ずチェックしていました」
フィーネさまがテラさまの顔を見上げて質問に答えている。睡眠はきちんと取れていることは分かる。彼女の眼の下に隈はないし、疲れていそうな様子もない。
もしかすればみんなを心配させないように魔術で誤魔化しているかもしれないが一先ず大丈夫そうだ。乙女ゲームについては私はさっぱりなので部外者感が強い。
とはいえ舞台となっている乙女ゲームのシナリオは破綻しているし、続編が出ているとも聞かないのでこれ以上ゲームに起因する出来事はないはずだ。フィーネさまが訥々と乙女ゲームについて語り出せば止まらなくなったようで、乙女ゲー談議に一柱さまと一人が花を咲かせている。
「フィーネとは美味しいお酒が飲めそうだ! って、こっちの世界だとまだ飲めない……あーそっか。あのゲームの設定が流れているから……」
「ほとんどの国が二十歳から飲酒可能ですね。文化レベルを考えると、家でなら飲めそうな時代ですけれど」
テラさまがにかっと笑ってすぐがっくりと肩を落とした。確かに今の世界の文化レベルを考えると割と早くから飲酒ができそうなものである。でもアルバトロス王国が決めた定めでは、飲酒は二十歳を超えてからとなっていた。
西大陸のほとんどの国がアルコールに関しては二十歳からとなっており、二十歳未満で飲める国を聞いたことがない気がする。亜人連合国は妙齢の方が多いし、お酒を飲んでもへっちゃらという竜のお方がいらっしゃるので人間の国と一緒にしては駄目である。
「しまったなあ。あと一年は待たなきゃいけないんだっけ?」
「はい。一年後には飲めますが……私は大聖女を務めているので、大っぴらに飲めば問題になる可能性が」
「えー……つまんなーい! 偶にはパーッと飲んでストレス発散しなきゃ、美人が台無しよ?」
「じゃあ、一年後に皆さまで飲みましょう。こっそり飲んでしまえば分かりませんしね」
テラさまとフィーネさまの会話が弾んでいた。なにやらフィーネさまがうっかりと約束を取り付けているけれど大丈夫だろうか。みんなでと仰っていたので私たちも含まれてしまう気がしてならない。
フィーネさまが悪戯が成功したような子供の顔になると、テラさまがきょとんと一瞬だけ無になって思いっきり口を伸ばした。
「……あはは! 真面目な子かと思いきや。うん、そうしよう!」
テラさまは傑作傑作と言いながら、フィーネさまの肩を抱いたまま歩みを進めている。歩き辛そうだが全く気にしていない。これは一年後はみんなでお酒を持ち寄りそうになりそうだと私が苦笑いを浮かべていると一陣の風が吹く。
――いいなあ。
風に運ばれてきたのかグイーさまの声が聞こえた。きょろきょろと私たちは周りを見渡すけれど彼の姿は見えない。テラさまと三柱さまは空の上を見上げていた。
「グイーも一年後には分身をマスターしてれば良いだけの話よ」
――難しいぞい。
テラさまとグイーさまの会話が成立していることに苦笑いを浮かべそうになる。どうしてグイーさまの声が風に乗って届いたのかは分からないが、こちらの状況を知りたければ彼は知れるようである。
グイーさまは分身術の練習をしているとジルケさまから聞いていたけれど何気に難しいらしい。習得に時間が掛かるならば、私たちが神さまの島に赴いてバーベキューをやりながら飲み食いするしかないのか。
――ナイの優しさが胸に染みる……でも儂、そっちで飲みたい。
グイーさまが私の心の中を勝手に読んでいたようである。もうなんでもアリだなと目を細めていると、グイーさまは地上でお酒を飲みたいようだ。
そうなると大陸は一段と騒ぎになりそうだし、アルバトロス上層部の皆さまも右へ左へと大忙しとなりそうだ。手加減はして欲しいとお願いしつつサンルームに辿り着く。入り口の扉を開いて少し歩けば、ヴァルトルーデさまとジャドさんたちとポポカさんたちが暖かさを感じながら目を細めている。
「ヴァルトルーデさま、こちらにいらっしゃったのですね」
「うん。みんながくるのは知っていたし、なんとなくこの場所で話をするかもって予感がしていたから。ジャドに相手して貰ってた」
私が声を上げるとヴァルトルーデさまがこちらに視線を向ける。彼女はなんとなく皆さまがサンルームに向かう未来を予感していたようだ。筆頭聖女さまの先見の力に似ているなと考えていると、早く座れとヴァルトルーデさまがみんなに席を勧める。そうして各々席へと腰を下ろしてテラさまの話が始まるのだった。