1181:真のお姿。
共和国の研修生たちの卒業式のため王都の教会に訪れている。開始時間までは少しあるのだが、聖堂は準備のために教会の皆さまとアルバトロス上層部の皆さまが忙しなく動いている。
ヴァルトルーデさまとジルケさまがいらっしゃるのでチラチラとこちらに視線を向けているものの、失礼があってはならないと己の仕事に精を出していた。私たち一行は一度教会の裏手に回ろうと聖堂を通っている。信徒席の真ん中を通る通路を歩き祭壇の前でヴァルトルーデさまとジルケさまが立ち止まる。どうしたのかと私たちも立ち止まれば、二柱さまは祭壇の上にあるステンドグラスを見上げていたのだった。
ヴァルトルーデさまとジルケさまが『なにを表現しているの?』『芸術は良く分かんねえや』と声を零したため、私の凄く軽い知識ではなくきちんと説明をできる方を指名させて頂く。私に名を呼ばれた方は肩をびくりと揺らして『私ですか!?』という顔になっているのだが、二柱さまが詳しい説明を聞けると分かり期待の眼差しを彼に向けていた。
「せ、僭越ながら、アウグスト・カルヴァインが説明させて頂きます!」
一瞬にして彼の額から汗が流れ出ているような気がする。大丈夫かなと私は心配するものの、カルヴァイン枢機卿さまは声を上擦らせながら西の女神さまが人々を導き苦難や苦痛から解き放った様子を記していると説明していた。
私たちと一緒に歩いていた教会の方数名は彼の上擦る声を聞きながら、両手を胸の前で組んで祈る姿を見せている。そんな彼らの姿を見たヴァルトルーデさまは『祈ってもなにもでないのに』と困惑し、ジルケさまは『受け取っておけば良いだろ。信じている奴から拒否される方が辛れえだろうしな』と小声で話している。ジルケさまの言葉にヴァルトルーデさまは仕方ないと息を吐いて、もう一度ステンドグラスを見上げて口をへの字に曲げた。
「それより……私に似てない」
ヴァルトルーデさまが微妙な顔で言葉を放つ。彼女の声を聞いた教会関係者の皆さまは確かにとステンドグラスとヴァルトルーデさまを見比べていた。
確かにステンドグラスに描かれている女神さまはヴァルトルーデさまには似ていない。そもそもステンドグラスで細かい表現はできないから顔の判別はあまりつかないが、ステンドグラスの方は体型がぽっちゃりしていた。対してヴァルトルーデさまのお姿はすらりとした高身長であり細身なのだ。確かにヴァルトルーデさまが似ていないと愚痴を零しても仕方ないのではなかろうか。そもそも女性にとって体重の話は重要である。
微妙な心境のヴァルトルーデさまにどうフォローを入れようかと考えていると、ジルケさまが私より先に口を開く。
「姉御……引き籠もっていたんだから、その間に姿を忘れられちまったんじゃねえか?」
ジルケさまはヴァルトルーデさまの顔を見上げながら揶揄うようにくつくつ笑っている。
「……うっ」
数千年間引き籠っていたヴァルトルーデさまは肩を揺らして、手厳しい突っ込みに耐えていた。確かに教会の歴史は千年も経っていないし、西大陸信仰の本山である聖王国の歴史も五百年程度だったはずである。
大陸国家で五百年独立国家として成り立っていることは凄いことだけれど、近年の聖王国の状況を見ていると凄く心配になってくるが、教皇猊下とフィーネさまが頭を抱えてしまいそうな問題が浮上している。似ていないステンドグラスの西の女神さまはヴァルトルーデさまの容姿に寄せることはできるのだろうか。
「は! 赤の他人……他神ということにすれば、私は堂々と西大陸を旅できる?」
はっとした顔でヴァルトルーデさまはジルケさまと私を見下ろした。ジルケさまは無茶を言うなと言いたげな顔をしているだけで、ヴァルトルーデさまと喋る気はないらしい。
「雰囲気があり過ぎますし、西の女神さまのご尊顔はもう知れ渡っているのではないでしょうか……というか神さまの時点で無理では」
私は呆れているジルケさまの代わりにヴァルトルーデさまに答える。ふらふらと西大陸を彼女が闊歩したとして、神力を抑えているとて女神さまの風格までは隠せていない。
誰が見ても、彼女が只者ではないと悟るだろうし、アルバトロス王国のハイゼンベルグ公爵領、ヴァイセンベルク辺境伯領に、リヒター侯爵領、そしてフライハイト男爵領に西の女神さまとして顔を出しているのだから噂好きな方々によって話は漏れているはず。
商魂たくましい方は女神さまの風貌を聞き取り調査して、人物画に書き起こし一商売考えるかもしれない。アルバトロス王家から余計なことをするなと怒られそうだが、今のところ禁止はされていないのである。
「駄目か……あれ、でも私の顔が露見しているなら、騒ぎになるけれど受け入れてくれる?」
ヴァルトルーデさまも私も微妙な表情になってしまって暫く、彼女がはっとした顔になる。
「騒ぎになっても良いなら、何処の国も西の女神さまを受け入れてくれるかと」
ヴァルトルーデさまが自国や領地にきたと知れば、大々的な歓迎を受けることになるはずだ。止めてくれと断ることもできるけれど、ヴァルトルーデさまは断ることができるのか。受けるにせよ断るにせよ、国や領地を統治している方は一喜一憂することには変わりない。
「やっぱりナイと一緒に行動した方が良さそう?」
「どうでしょうか。私がずっと一緒に行けるとも限りませんから」
ヴァルトルーデさまと私のやり取りを聞いていた教会の方が『女神さまになんてことを!』というような顔になっているものの、止めることはできないようだった。
カルヴァインさまもぽかんと口を開けながらヴァルトルーデさまと私のやり取りを聞いていた。そんな彼に気付いたジルケさまは『姉御とナイのやり取りはいつもこんなだぞ?』と伝えている。
教会の皆さま的には、女神さまからお願いされれば『はい、よろこんで!』と快く受けるのが普通だと考えているのだろう。ただ二柱さまと私たちアストライアー侯爵家の面々は短い期間だけれど、同じ屋根の下で暮らしている。
ヴァルトルーデさまとジルケさまも、ナターリエさまとエーリカさまも私たちに対して普通に喋ってくれるし、要望を出されることもあれば、こちらの要望を受け入れてくれることもある。お互いに子供ではないから喧嘩とかはないけれど、納得ができないことがあるならば話をしてお互いに譲り合える線を提示しているのだから。
まあ、教会の皆さまにはアストライアー侯爵家、もといミナーヴァ子爵邸で女神さまがどう過ごされているか分からない。驚きは仕方ないけれど、女神さまも人間と同じように分からないことや、納得できないことや、不満なことがあると知って欲しいものである。
「亜人連合国の竜の方が空を飛べるようになったみたいに、西の女神さまも出歩いていれば、皆さまそのうち慣れてくれるかもしれませんよ」
私が苦笑いを浮かべながらヴァルトルーデさまに告げる。亜人連合国の竜の方が空を飛べば、三年前までは凄く大事になっていたはずである。
「そういえば彼らも引き籠もって、最近空を飛ぶようになったんだよね」
「ですね。ね、クロ」
『うん。なにも気にせず飛べるようになって良かったよ』
クロはそう言っているけれど、竜の方たちが引き籠もっていたのは晩年のご意見番さまが心配だったからではなかろうか。いつ旅立つか分からない状況で他の場所にいて見送りができなかった、なんて悲しいことである。元ご意見番さまであるクロは気付いていないから、竜の方たちも上手く誤魔化していたのだろう。
「自由が一番だ」
「まあな。そう考えれば人間が一番制約があるのかもな」
ヴァルトルーデさまが私の肩の上に乗っているクロに右手を伸ばせば、彼女の手にクロが顔を擦り付けている。ジルケさまは両手を後ろの頭に当てて、少しだけ笑っていた。
ジルケさまが仰る通り、人間が一番制約を課されている気がする。身分やら国家間の移動やらと思い浮かべればキリがない。それでもルールがあるからこその自由だし、感じ方はそれぞれなのだろう。それに社会のルールを守っていれば、社会が守ってくれるのだから悪いことだけではないはず。もちろん社会から零れ落ちて大変な目に合うこともあるのは、貧民街時代で噛みしめている。
「結局、似ていないのはどうされます?」
「そのままで良い。間違って伝わっていたとしても、私が口出しすることじゃないから……………………」
私が問えばヴァルトルーデさまは問題ないと答えてくれたものの、彼女の様子が変な気がする。数千年前のことである。口伝が殆どだろうし、女神さまの姿を絵に残すことも難しかっただろう。少しふくよかなステンドグラスの西の女神さまに一先ず別れを告げて、私たち一行は教会の裏手へと入って行く。裏手も表側と変わりなく、忙しく準備をしている方が右へ左へと移動していた。
「あ。寄りたい所がある。行って良い? というか行きたい」
ヴァルトルーデさまが不意に真剣なトーンで声を上げる。彼女の視線の先には終末院がある場所を見ており、誰も文句を言う方はいないし、私もヴァルトルーデさまの言葉には賛成するだけである。
ジルケさまはあの場所がなにか分からずにカルヴァインさまに問うていた。彼は話すかどうか迷った末に意を決し、最期を待つ方が居る場所だと告げた。ふむ、と少し考える様子を見せたジルケさまは『よし』と声を上げ更に言葉を紡ぐ。
「あたしも行く。姉御だけより良いだろ。驚かれるけどなー」
軽い調子だが、真面目な顔を浮かべてジルケさまは終末院の方へと視線を向けていた。二柱さまとはミナーヴァ子爵邸で一緒に過ごしているけれど、こういう所はきちんと女神さまなのだなと伺い知れる。
私は信仰に興味はないけれど、西大陸信仰の対象がヴァルトルーデさまで良かった。ジルケさまも容姿について言及しなければ良い女神さまなのだろう。
長姉であるヴァルトルーデさまの面倒を甲斐甲斐しく見ているし、こういう時に一緒に赴くと言ってくださるのは本当に有難い。聖女の私は治せない方々をただ見ているだけしかできない。多少の苦痛を和らげることはできるけれど、ただ……それだけだ。だからこそ件の場所にいる方々には女神さまとの逢瀬は幸せな時間となってくれるはずだ。
もしかすればテラさまのように、魂をどこかへ送ってくれるのかもしれない。
直ぐ戻るねと言い残したヴァルトルーデさまとジルケさまの背を見送って、私たちは客室に案内されて時間まで待つことになった。暫くすればいつも通りの顔で二柱さまが戻ってくる。
なにがあったのかとか聞けば良いのかもしれないが、それは女神さまと終末院の方々が共有すれば良いだけのこと。少ししんみりとしている部屋で用意してくれたお茶とお菓子を頂いていれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが渋い顔になっていた。
どうやらヴァルトルーデさまは緑茶をジルケさまは羊羹を食べたい気分だったらしい。屋敷に戻れば侍女の方に出して貰おうと私が笑っていると、教会の方が『卒業式のお時間となりました』と呼び出しが掛かるのだった。






