1175:披露会まで一ヶ月。
ミナーヴァ子爵領領都の新領主邸完成披露パーティーまで一ケ月を切っている。
招待した方たちに持ち帰って頂く品の用意や、当日提供する軽食を考えたり、入場順を考えてみたり、陛下の名代であるゲルハルト王太子殿下が座す場所を考えたりと割と頭を使う日々が続いている。
こういう時は激甘な共和国のチョコレートが凄く良い感じに効果があり、作業が二割増しで進んで三十分程度で効果が切れていた。効果が切れそうになると私がチョコレートを口に含もうとするので、ソフィーアさまとジークと家宰さまから止めておけとストップが掛かった。どうやら妙に私の作業が進むので変に思われたようである。化学薬品はない時代だし、天然由来の食品が多いので健康被害はないはずだ。単純に甘過ぎて頭が妙な方向へと飛んで行っただけである。
そんな忙しい日々を過ごしているのだが、他にもやるべきことがあった。
そう。テラさまと通信してみようと計画しているのだ。一応、ヴァルトルーデさまとジルケさまによれば通信し易い時期がそろそろくるそうである。何故、分かるのかと問うてみれば『なんとなく分かるよ』という曖昧な回答だった。
私は地球に未練は殆どないけれど、フィーネさまとエーリヒさまは気になることがあり、テラさまに質問したいことが沢山あるそうだ。ならば二人でと言いたいものの、彼らにテラさまとの面識がない上に通信手段もない。
ヴァルトルーデさまも心残りがあるのならば手伝うよと仰ってくれているし、私もお二人が悩んでいるままの姿は見たくない。ならばと私からテラさまに話を聞いてみませんかとフィーネさまとエーリヒさまに申し出たのが、新領主邸完成披露パーティーの手紙を送った時期と同じ頃だ。
そして新領主邸完成披露パーティー参加の返事が戻ると同時に、知りたいとお二人から手紙も届いている。
今日はお二人がテラさまと会話する下準備の日だ。いきなりテラさまと通信して『答えたくない』と仰られても困るし、期待外れとなるから先に通信して地球について聞きたいことがあるのですがとお伺いをするのだ。
子爵邸の廊下を歩いて庭を目指す。私の後ろにはジークとリンがいて、ソフィーアさまとセレスティアさまは執務室で結果待ちをするとのこと。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭も行く末を見守ってくれるそうだ。外に出ればエルとジョセとルカとジアにジャドさんとアシュとアスターとイルとイヴも顔を出してくれるはず。なににせよワイワイと騒ぎながらテラさまとの通信を試みることになりそうだ。
『テラさまとお喋りできると良いねえ』
「うん。できても断られる可能性もあるから、そうなった時のことも考えておかないと」
クロが私の肩の上でこてんと首を傾げた。大丈夫だと良いねえと言ったクロの長い尻尾が私の背中をぺしぺし叩いている。一応、通信の補助はヴァルトルーデさまが担ってくれるとのこと。
ジルケさまは見守り役で、テラさまと通信をすると知った東の女神さまと北の女神さまも子爵邸の庭に顔を出してくれるとのこと。なんだかアルバトロス王国のミナーヴァ子爵邸は女神さまが姿を現す場所と化しているような。
私たちが引っ越しを済ませれば、侯爵邸の方も女神さまの居場所になってしまうのだろうか。未来のことはさておいて、今やるべきことをしなければと前を向き、私は長い廊下を歩き続ける。
ジークとリンはテラさまとの通信に関して複雑な心境のようであるが口には出さない。リンには向こうに渡る時は一緒に行こうと伝えているのに心配は尽きないようだ。
歩くこと暫く庭に出る扉を開けば、昼下がりの陽の光を浴びながら庭師の小父さまが地面に花の苗を植えている。彼に話を聞けば、まだ寒いけれど春先には成長して可愛らしい花を咲かせてくれるとのこと。
庭師の小父さまにお話ありがとうございますと私が伝えていると、ふいに誰かの気配を感じる。人の気配を感じた方向に顔を向ければ、ヴァルトルーデさまがいつもの顔で私の下を目指して歩いていた。幽霊でなくて良かったと私が軽く息を吐けば、丁度話が出来る距離になった。
「ナイ」
「ヴァルトルーデさま。南のめ……ジルケさまは?」
ヴァルトルーデさまがジルケさまの名前を間違える――正しいけれど――と目を細めて私を見下ろしているので、言い直す羽目になった。あれ、名前を間違えると手刀を入れるというジルケさまの約束はヴァルトルーデさまにも波及しているのか。言い切らなかったためなのか手刀が私の頭に降ろされることはなく、地面にめり込むことはないので一安心である。
「天気が良いから東屋で待っているって。父さんは母さんに会いたいみたいだから、母さんと話ができたなら伝えて貰っても良い?」
「そんな大役を私が担って良いんですか?」
大事な話はヴァルトルーデさまが伝えた方が良いのではと、私は彼女の顔を見上げる。こてんと不思議そうに彼女は首を傾げながら口を開いた。
「今日はナイが母さんと話すからね。私は邪魔をする気はないし、母さんも気にしないから構わない」
気にしてくださいと心の底から言いたいけれどぐっと我慢をする。テラさまはどうやら細かいことを気にしない性格のようだった。でも確かに気にしなさそうだという気持ちが湧いてくるのは、短い邂逅の中で私がテラさまに対して抱いたイメージのお陰なのだろう。
移動の途中、東屋に寄ってジルケさまを迎えに行くと午後の陽射しの気持ち良さに負けたようで寝落ちしていた。彼女の膝上にはちゃっかりとお猫さまが丸くなっており、側には精霊のジルヴァラさんがくすくす笑いながら立っていた。起こそうかどうしようか迷っていると、ヴァルトルーデさまがジルケさまの肩を問答無用で揺らす。
「んぁ……なんだよ、すげえ気持ち良かったのに……誰だ」
肩を揺らされたジルケさまの意識が浮上するが、起こした方の特定まではできなかったようである。起こされたことに対して少し怒気を孕んでことを私はありありと感じてしまうし、ジルケさまの膝の上で寝ていたお猫さまががばりと顔を上げ小さくなっていた。
ジルケさまを起こしたヴァルトルーデさまの背を見守っている私たちには表情を伺い知ることはできない。ジルケさまの表情は見えるけれど、ヴァルトルーデさまは彼女に対してどう感じているのだろう。
「あ? なんだ姉御かよ……って、ああ忘れてないからな! ナイが母上殿と話すんだろ? 行く、行くに決まってる!」
意識が覚醒してきたジルケさまが自身を起こしたのはヴァルトルーデさまであると分かったようである。厳しい表情から目を丸く開いて驚きの表情に代わり、ヴァルトルーデさまを見上げていた。
ヴァルトルーデさまの顔は相変わらずうかがい知れないが、慌てているジルケさまを見てしまい怒っているのかもと彼女の背を見る。特にいつもと変わりはないし、ジルケさまが慌てて椅子から立ち上がればお猫さまが膝上から追い出されていた。
とはいえお猫さまは一応猫なので、上手に地面に着地して間を置かずにジルヴァラさんの腕の中へと逃げ込んでいる。地面の冷たさに耐えられなかったようで、ジルヴァラさんの温かさにお猫さまはほっと息を吐いていた。
「行こう」
「あいよ、姉御。悪いな、ナイ。気持ち良くて寝ちまった」
くるりと踵を返したヴァルトルーデさまと後ろ手で頭を掻くジルケさま。ヴァルトルーデさまはいつも通りだし、ジルケさまも寝てしまって悪かったと謝ってくれる。特に問題はないけれど、私はふるふると顔を横に振って気にしないで欲しいと無言でジルケさまに伝えた。そうして私たちは庭の隅にある、なにもない場所へと足を向ける。
「けどよ、いくら母上殿と話がし易い時期だつっても、ナイにできるのか?」
「やってみないと分からない。ナイの力なら十分に母さんに届くはず」
ジルケさまの言葉は尤もだし、ヴァルトルーデさまの試してみなければ分からないという台詞にも納得できた。一応、通信の補助はヴァルトルーデさまが担ってくれるそうである。
彼女の話によると私の魔力を地球の方へと向けてくれるとか。難しいことは分からないけれど、テラさまに気持ちが届きやすいようにと調整してくれるのだ。有難い限りだが、こういうこともお仕事になるだろうから、あとでヴァルトルーデさまに報酬の話を持ち掛けてみよう。
「ここなら庭に影響はないかと」
辿り着いた先で私は念を押すように口を開く。場所は子爵邸の庭の端っこで、少し開けた空間だった。庭師の小父さまの話だとまだ手を付けられていない場所である。割と建屋が多い子爵邸なので、今の場所があるのは奇跡に近いだろう。
「話の流れ次第では母さんがくる可能性もあるからね」
「母上殿の行動は突飛だからなあ」
ヴァルトルーデさまは微笑み、ジルケさまは呆れ顔になっている。以前は話し合いをということだったけれど、テラさまが娘に会いたいという理由で地球からグイーさまの星に飛んできたものなあ。今回、同じことが起こっても不思議ではない。
「じゃあ、ナイ。始めようか」
「はい。ヴァルトルーデさま、手解きよろしくお願い致します」
私は部屋から持ち出していた錫杖を握り込む。
「ん」
ヴァルトルーデさまに私が頭を下げると短く返事が戻ってきた。最初は自身の魔力を細く長く空に向かって伸ばしていき、大気圏を抜けて宇宙を走りテラさまの星の気配を探るそうである。
なんて壮大なと気が遠くなりそうになるけれど、テラさまと話をしてみたいのだからヴァルトルーデさまとジルケさまに試みて貰うのではなく私がすべきことである。有難いことに魔力量は多い方だから、もしかすればテラさまと繋がれる可能性があるようだし。
私はふうと息を吐き気持ちを無にして、錫杖を持つ右手を空へと伸ばした。すると私の肩の上からクロがヴァルトルーデさまの肩へと移動する。ヴァルトルーデさまの機嫌が凄く良くなった気がするが、集中集中と細く長く練った魔力を空の上へと放つ。
一瞬にして私の魔力は空へと駆けあがり、雲を貫いて行く。魔力は目に捉え辛いので王都の街の方々は気付くまい。ならば遠慮は必要ないと『テラさまに届け!』と魔力に強い意思を込め、宇宙に魔力が届くようにと更に魔力を放った。
「すごいね」
「すごいな、ナイは。気絶しそうにねえのが、またなあ……」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが私になにか言及しているようだが、気を張っているため内容は聞き取れない。なんとなく私の魔力が宇宙に届いたと分かり、地球はどこだろうと触覚のように魔力を移動させてみる。
できているのか分からないし、テラさまと繋がれるのかも定かではない。広大な宇宙でちっぽけな私の魔力ができることなんてなにもない気がするけれど。でも、やるしかない。
――テラさま!
と心の中で叫んでも変化はなかった。不意に私の腰に腕が回る。
「少しは届きやすくなるかな。私の力を感じてみて」
その声と共に私の視線の位置が高くなる。どうやらヴァルトルーデさまが私を抱え上げて一緒に空を見上げる形となっているらしい。なんとなく彼女の力が私の中へと流れ込んできて、私の視界に映っていた空の光景が真っ暗な闇へと変わった。
驚く暇もないまま宇宙空間が目に見えていると分かり、きょろきょろと青い星はないかと探してみた。えっと地球は銀河系にあるというけれど、今いる場所は果たしてどこだろうか。ヴァルトルーデさまの力を借りているのに地球の場所が分からず仕舞となれば情けないことこの上ない。暗い宇宙空間を見つめて上下左右右左と私は余すことなく宇宙空間を見つめる。
「あれ?」
ふいに以前感じたテラさまの気配を悟る。
「掴んだかな。そのまま感じたものを意識してみて」
「こう、ぐわーっとな」
ヴァルトルーデさまとジルケさまの助言が聞こえ指示に従う。少し抽象的だけれどイメージはなんとなくできた。そうして。
『あら、誰かが私を呼んだと思いきや。ナイじゃない。どったのー?』
調子の軽い声が子爵邸の庭の隅っこで聞こえた。ヴァルトルーデさまとジルケさまが『良かったね』『本当に母上殿と繋がった』という声も私の耳に届いた。ジークとリンも驚いているようで、クロも『凄いなあ』と感心している。
私は驚きつつも失礼がないように挨拶をしなければと、ヴァルトルーデさまに抱き抱えられたまま頭を下げた。テラさまに見えているか分からないけれど。
「以前、お話をさせて頂きましたが、テラさまにお聞きしたいことが沢山出てきまして。我々の力が足りぬため、地球に赴くことはできません。お時間があれば話しをさせて頂けないかと連絡を入れました」
『んー……」
テラさまが考え込んでいる。もしかして難しいのかなと、諦めようとしたその時だった。
『今ね、新作の乙女ゲームをプレイしているのよ。凄くカッコいいヒーローなの!』
テラさまがきゃっと声を上げると、ジルケさまがドン引きし、ヴァルトルーデさまが楽しんでいるようでなによりと耳を傾けていた。
「えーっと、では?」
『ゲームをコンプできるまで待って頂戴な。それからなら良いわよ~って。また私と接触を試みるのは大変でしょうし、私がそっちに行くわね。総プレイ時間が六十時間って言われているから、そう掛からないはずよ』
ヴァルトルーデさまとジルケさまがなんのこっちゃと首を傾げていた。なんとなく話が分かってしまうことに乾いた笑いが私の口から漏れて、流石に急にこられると大騒ぎになると伝えれば、それならグイーさまの島に赴いてそこから連絡を入れると返事が戻ってくる。
本当にテラさまはフットワークが軽いなあと今いる場所で今いる面子と顔を合わせて苦笑いを浮かべるのだった。