1173:もう一度会うかも。
二月中旬となった。
ミナーヴァ子爵領に新しく建った領主邸の完成祝いパーティーの招待状を送ろうとなった。開催日はまだ二ヶ月先だけれど招待する方には高貴な方がほとんどなので、先方の予定もあるから早めに知らせておこうと家宰さまの計らいだった。
とはいえ主だった方には新築祝いをすると伝えているから話はスムーズに進むはずだ。数日前に直筆で全ての招待状を書き終えて発送を終えている。招待状を届けた方はいかほど参加してくれるのだろう。夜会の蘊蓄が全くない私には家宰さまと侍女頭さまにソフィーアさまとセレスティアさまに任せるしかなく、言われるままに準備を進めているところである。
もう直ぐ日が暮れる少し前、自室にいた私とリンの所に毛玉ちゃんたち三頭が外から戻ってきた。人化にも慣れてきて外でエルとジョセとルカとジアにジャドさんとアシュとアスターにイルとイヴと遊んでいる。
魔獣の大人組の皆さまには遊んでいるというよりも、遊んで頂いているというのが正しいけれど。ルカの背に乗って庭を爆走したり、低空飛行で子爵邸内を一緒に飛んできゃっきゃと喜んでいる姿も見ている。裏庭に出れば唐突に走り出したマンドラゴラもどきを毛玉ちゃんたち三頭が追いかけて、目標に追い付かなくなると人化を解いて狼の姿でマンドラゴラもどきを捕まえていた。
毛玉ちゃんたち三頭がマンドラゴラもどきを奪い合って、葉っぱの部分を椿ちゃんが噛み、根の半分を楓ちゃんが噛み、残った根の半分を桜ちゃんが自慢気に差し出してくれたこともある。
私は生で食べる勇気はなく、エルたちに渡して食べて貰っている。彼らが丈夫な歯でマンドラゴラもどきを噛むたびに上る叫び声は何度聞いても悲惨だ。そんな毛玉ちゃんたちが人化してとことこと歩いている姿は可愛い。三歳児くらいの姿のためか歩様が危なっかしい時もあるけれど、床は絨毯なので倒れても安心である。
部屋の扉から椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんが私とリンの下へと走ってきた。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは床の上で尻尾をバフバフ振りながら、彼女たちを見守っている。クロは毛玉ちゃんたちに手でぎゅっとされることがあるので、ネルと一緒に高い場所へ逃げていた。
『あしょぼー』
『ないー』
『だこー』
私の下に桜ちゃんが両手を上げながら遊ぼうと誘ってくれる。椿ちゃんと楓ちゃんはリンの下に寄って行き両手を伸ばして抱っこをせがんでいた。白銀の長い髪の間から生えている狼耳がピコピコと動いて、毛玉ちゃんたち三頭は私たちの感情を伺っているようだった。
「もう直ぐご飯だから少しだけね」
「外には行けないかな」
私とリンは視線を合わせて苦笑いを浮かべる。最近、毛玉ちゃんたち三頭の中で抱っこがブームとなっているようである。人化した姿で両手を広げながら丸い大きな瞳で見上げられて抱っこを要望されれば、断れる方は少ないのではないだろうか。
毛玉ちゃんたちは私たちにもちろんのこと強請るし、屋敷で働いている方々――暇な方にだけと雪さんたちに伝えて貰っている――にも、ヴァルトルーデさまとジルケさまにも抱っこを強請っている。
「そういえば男の人には抱っこしてって言わないね?」
「あ。良く考えれば。女の人に言っているところしか見たことがないかも」
私が桜ちゃんを抱き、リンが右腕に椿ちゃんを抱き、左腕に楓ちゃんを抱き込んだ。椿ちゃんと楓ちゃんは視線の高さに驚きつつも、きょろきょろと部屋を見回して高いところに逃げているクロとネルに視線を向けた。クロとネルは二頭から視線を逸らして被害を受けないようにと逃げている。竜と毛玉ちゃんたちの勝負なら、竜であるクロとネルが勝ちそうだけれど今は対立するつもりはないようだ。
『殿方にくっつくといろいろと問題が生じますからねえ』
『獣に妙な感情を抱く方もおりましょう』
『女性の方に抱っこをして貰いなさいと伝えておりますので』
雪さんと夜さんと華さんが毛玉ちゃんたち三頭が女性陣にだけ抱っこを強請る理由を教えてくれた。しかしまあ、それで女神さまにも突撃する毛玉ちゃんたち三頭の胆力は凄い。
とはいえヴァルトルーデさまとジルケさまは嫌な顔一つせず、毛玉ちゃんたち三頭を抱き上げている。ヴァルトルーデさまは小さい仔が苦手なはずなのに、毛玉ちゃんたちには問題なく接しているのが不思議だけれど。
「そういうことか。でも助かるよ。人の姿だと……あ、ほらまた着崩れしてるよ」
私が抱き上げている桜ちゃんに視線を向けるとワンピースの間から胸がチラリと見えている。毛玉ちゃんたち三頭が服を着ていると何故か着崩れることが多い。人間の骨格だから、サイズさえ合っているなら着崩れることなんてないはずなのに。これまた不思議なことも起こるものだと、私は桜ちゃんの乱れたワンピースを軽く手で直した。
『あにゃがとー』
桜ちゃんがお礼を言って私の首に両手を回して身体をぴったりくっつける。ピコピコ動いている彼女の耳が私の髪を揺らして、なんだか変な感じだ。ワンピースの背に空いている穴からは彼女のもふもふの尻尾が左右に激しく揺れている。
楽しいのかなと私が笑っていると、椿ちゃんと楓ちゃんが桜ちゃんの真似をしてリンの首に両手を回してぎゅーとくっついているけれど、二人同時に抱き着けばどちらか一方は我慢しなければならない。
椿ちゃんがリンに抱き着く権利を先に得れば、楓ちゃんがぷーと頬を膨らますと同時に尻尾もぶわっと膨らんでいる。怒っている楓ちゃんに気付いた椿ちゃんはリンに回していた腕を緩めて、楓ちゃんに明け渡した。仲が良いなと感心するものの、椿ちゃんと楓ちゃんが次はどちらが先に抱き着くかを言い争っている。でも『りゃめー!』『あたちにゃの!』と微妙に理解し辛い単語を使用していた。
「キチンと喋るのはまだ難しいか。でも可愛いからなあ……きちんと喋っている所もみたいけれど、小さい間だけなんだろうねえ」
「……そうだね。元気一杯だね」
私が毛玉ちゃんたち三頭がちゃんと喋っている所を想像するも、今のたどたどしい言葉使いも可愛いのでそのままでいて欲しい気持ちもあった。とはいえ小さい子供だから成長は早いのだろう。
リンの顔の前で椿ちゃんと楓ちゃんがポカポカと軽い殴り合いを繰り広げていた。本気でないのは見ていれば分かるので、二頭のやりたいようにして貰っている。
桜ちゃんはご機嫌で私の首に腕を回し顔を肩に埋めているのだが凄く静かだ。どうしたのだろうと私は顔を動かしてみるものの、桜ちゃんの顔は見えない。尻尾もたらんと垂れており大丈夫かと心配になってくると、雪さんたちが寝ているだけと教えてくれた。遊び疲れたようだから暫くはこのままで良いかと私はリンに顔を向ける。
「そうだ。エーリヒさまとフィーネさまたちに送った手紙の内容……驚くよねえ」
「驚くね。テラさまがまたくる?」
私の言葉にリンが椿ちゃんと楓ちゃんを抱いたまま顔を右に小さく傾げる。ヴァルトルーデさまとジルケさまには私たちが転生者であることを伝えたが、テラさまには私以外に転生者がいることを言っていない。
銀髪くんと邂逅しているので、もしかすれば彼が転生者と気付いているかもしれないが、記憶を持ったままの転生者がいるなんて知らないはずである。
エーリヒさまはどうしてこの世界は乙女ゲームが舞台の世界に酷似しているのか知りたいようだし、フィーネさまもご家族や友人と再会できる可能性があると知ったのだ。それについてはテラさまに直接問うしかないので、エーリヒさまとフィーネさまに会うかどうか聞き、もし聞きたいならばテラさまと話そうという手紙を送った次第である。
「かもしれない、かな。ジルケさま経由でグイーさまに許可も頂いたから。周期が合う日にヴァルトルーデさまに私の魔力を流し込んで呼び出せば気付いてくれるだろうって。こっちにくるかこないかはテラさま次第みたい」
「ナイは向こうの星に行きたいの?」
私の話を聞いたリンが眉を八の字にして困ったような顔になっている。そんな顔をしなくても良いのにと私が笑っていると、ネルがリンの頭の上に乗って身体を器用に擦り付けた。
肩の上に乗ると椿ちゃんと楓ちゃんからぺちん攻撃をされるために、ネルは頭の上でなにかを主張しているようである。ネルの可愛い行動に感心していると、クロが桜ちゃんの顔が乗っている反対側の方へと乗れば目を細めながらリンとネルのことを見ていた。
「私はフィーネさまほどじゃないよ。誰かに会いたいとかじゃなくて、美味しい食べ物買えないかなって。それに、もし向こうに行くならリンとジークも一緒に行こう。興味があれば、だけれどね」
私に望郷の念は少ない。向こうの世界に残してきたものよりも、今いる世界の方に大事なものが沢山ある。寂しい前世だなと言われるかもしれないが、そう生きてきたのだから仕方ないだろう。
でも後悔している方を見たならば、出来得る限りでなんとかしたいと考えてしまう。力がなくてなにもできなければ諦めているけれど、有難いことに今の私は沢山の方と縁を繋げられて、いろんなことができるようになっているのだから。
全ての人を救いたいと清い心は持っていないが、私の手が届く周りの方たちだけでも幸せでいて欲しい。不幸なんてどこにでも転がっているのだから、全てを救うなんて目標を掲げてしまえば自分が一番に潰れてしまいそうだ。
「うん」
八の字に眉を下げていたリンが綺麗に笑った。どうやら私が向こうの世界に一人で行ってしまうと心配していたようだ。彼女の不安が解消したのなら良かったと笑っていると、寝ぼけているのか桜ちゃんが口を開けて私の首筋を噛んだ。
「痛い……ような、気持ち良いような……?」
私が微妙な声を上げると、桜ちゃんが寝言で『うみゃー』と言っていた。多分、美味しいだと思うのだが、私の肌は美味しいのだろうか。ヴァナルと雪さんたちが立ちあがり私の肩を覗き込んだ。甘噛みしただけで肌に傷は付いていないそうである。リンも私の肩を覗き込んで安堵の息を吐いていた。
「涎が垂れて、ナイの服濡れてるね」
「ご飯の前に着替えかなあ。私は気にしないけれど、侍女の方たちと下働きのみんなが悲鳴を上げそうだから」
リンが私の首筋を覗き込みながら苦笑いを浮かべ、私も着替えのことを考えると苦笑いになってしまった。割と普通の音量で喋っているのだけれど、桜ちゃんは目が覚めそうにない。
野生はどこに行ったのか。それともみんながいるから寝ていても安心だと判断しているのか。どちらかは分からないけれど、小さい仔がすやすやと寝息を立てて規則正しく胸が上下している姿を見るのは良い物である。
『サクラはぐっすり寝てるねえ』
クロが目を細めながら、悪戯されない今なら大丈夫と桜ちゃんの顔の近くに移動して顔を擦り付けた。
『きっと強くなる』
ヴァナルがふんと息を吐き、雪さんと夜さんと華さんもドヤと顔を私とリンに向けた。
『寝る仔は育つと言いますからねえ』
『もちろん、椿と楓も強くなります』
『ナイさんの側にいますもの』
確かに寝る仔は育つというし、毛玉ちゃんたち三頭の中で一番元気な桜ちゃんの将来はどうなるのだろうか。もちろん椿ちゃんと楓ちゃんもだし松風と早風もである。ユーリの将来も気になるけれど、彼らやジャドさんの仔たちにポポカさんに、お猫さまの仔たちもどんな大人になっていくのか。私は陽の沈む空をリンたちと一緒に窓から見上げるのだった。