1171:結果は少し先だけれど。
権太くんのお母さまを祀る社から朝廷に戻ってきた。
二頭の仔狐も権太くんと一緒に朝廷まできており、彼の側から離れようとしない。雪さんと夜さんと華さん曰く、仔狐は女の仔だから守ってくれた権太くんのことを気に入っているのだろうと教えてくれた。まだ小さくて仔狐は可愛い見目をしている。ちょこちょこと権太くんの回りを歩いて気を引こうとしている姿は微笑ましいが、権太くんは好意を寄せられることに慣れていない。
「ナイが赴いている時に騒ぎが起こるとは。女神さま方にもご迷惑をお掛け致しました」
帝さまが私たち一行を出迎えてくれ開口一番に告げた台詞だった。私とヴァルトルーデさまとジルケさまは気にしていないから、帝さまもナガノブさまも事を大きく捉えないで欲しいと伝えておく。一先ず、悪鬼羅刹の封印を終えたこと、権太くんの怪我は私が治したことやらを大巫女さまが報告している。ナガノブさまたち精鋭部隊はロゼさんの転移で、私たちと一緒にドエの都に戻っている。
ロゼさん曰く彼らは魔力量が少ないため問題なく転移できるとのことだった。今回の十倍くらい平気と豪語していたが、魔力や魔素が少ない荷物ならばロゼさんは大量に運べそうである。
そんな理由なのか、ヴァルトルーデさまとジルケさまはヴァナルと雪さんたちの背に乗って戻っていた。セレスティアさまがヴァナルたちの背に乗れないことを凄く残念そうにしていたのは通常運転だろうか。帝さまへの報告を大巫女さまの横で大人しく聞いていれば、一度着替えると言い残して消えたナガノブさまが朝廷の大広間に戻ってきた。
「陛下、お待たせを」
「ナガノブ、大儀であった」
帝さまの前でナガノブさまが畳に腰を下ろして頭を下げた。悪鬼羅刹は元は人間といえどかなり厄介な部類に入るそうである。
「松風と早風も我々への連絡と権太の護衛、お疲れさまです」
帝さまが微笑んで松風と早風を見れば、二頭は軽く喉を鳴らして自慢気な顔になっている。彼らの横にいる椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんは少しつまらなそうだった。
「権太も無事でなによりでした。怪我は大丈夫なのですか?」
『ナイに治してもろてん。平気やで』
権太くんはへへへと笑えば二頭の仔狐が彼の身体に顔をすりすりと擦り付けてから、私の方へとやってきた。どうしたのだろうと私が頭を傾げると、二頭は片脚を上げてなにかを訴えている。
私はそんな二頭の仔狐の脚の前に手を差し伸べれば、ちょこんと脚を乗せて大きな太い尻尾をゆらゆらと揺らしてから権太くんの下へと戻る。お礼でも言っていたのかなと権太くんに通訳をと無言で訴えてみるが、ふいと視線を逸らされてしまった。解せぬ。
そんなこんなで帝さまの労いの声掛けも終わり、悪鬼羅刹が現れる兆候があると報告を怠っていた方たちの取り調べが始まる。
ナガノブさま直々に執り行うと言って彼が大広間を出ていったのだが、フソウの方々が青い顔をしていた。もしかしてナガノブさまの取り調べは厳しいものなのかもしれない。年若い藩主さま、名護さまもナガノブさまと一緒に出て行ったので、今回の経緯を下手人の方から聞き出すのだろう。
ナガノブさまの取り調べは怖そうだなと苦笑いをしながら、今回フソウに赴いた用事を済ませるため次は朝廷から出島へと移動する。
今回の件の報酬をフソウから頂けるそうなのだが、出島での買い付け許可で十分だと伝えれば『そういうわけにはいきません』と帝さまから言われてしまった。
とはいえ欲しい品もなく困っていれば、高級化粧品や凄く刺繍を凝っている着物やらを頂くことになってしまう。着物は成人式の日に着られなかったので着てみたい興味はあるのだが……着付けをできる方がいないような。まあ帝さまかナガノブさまに教えて欲しいと伝えれば良いし、着物を飾っておくだけでもインテリアとして使えるし、珍しいから他のお貴族さまの話題になりそうだった。
――で。久しぶりに出島へ赴いた気がする。
帝さまと権太くんと二頭の仔狐と早風と松風と大巫女さまたちに『またきます』と伝えてからドエの都を出て、竜のお方の背に乗って出島に辿り着いた。
帝さまとナガノブさまのお陰で、欲しい品があれば事前に伝えて用意して頂いているが、今回はどうしても自分の足で買い付けをしたかったため出島に直接赴くことにしたのだ。出島の各店舗は海外向けの商品を多く取り扱っているが、越後屋さんはアストライアー侯爵家向けに日用品から食料品まで取り扱ってくれている。
以前より立派になっている越後屋さんの看板を私たち一行が見上げて中に入ろうとすれば、店の主人である越後屋さんが急ぎ足で外へと出てきた。
そういえば大黒屋さんは潰れたと聞いているが、彼の店のあとに新しい店舗になっているのだろうか。ちょっと気になるけれど越後屋さんにはお世話になっているし、別のお店で買い付けする気はない。越後屋さんで手に入れられない品があればお店を探すけれど、問い合わせをすれば越後屋さんは必ず目的の商品を用意してくれていた。
「お久しぶりです。また我が儘を申して申し訳ありません」
「いえいえ、アストライアー侯爵閣下。遠いところからおいで頂き感謝致します。ささ、本日も冷えます故に中へお入りください。熱い茶を用意させましょう」
私が越後屋さんに頭を下げると彼の瞳がキラリと光った気がする。そういえばヴァルトルーデさまとジルケさまは初めて出島にきたし、越後屋さんとは初対面である。
もしかして彼は新たな商売の匂いでも嗅ぎ取ったのだろうか。確かに女神さま二柱に気に入って頂けた商品があるならば、私と取引するよりも凄く利が出そうだ。でも今回、二柱さまは私の従者に徹するので越後屋さんにとっては残念な状況なのかもしれない。
来賓室に案内されて席に着けば、お女中さんがお茶と茶請けを出してくれた。濃い緑茶に甘そうな生菓子は相性が凄く良い。炭酸飲料で飲みたい気持ちもあるけれど、思い出すと飲みたくなってくるので我慢である。クロとアズとネルにも果物を用意してくれたので有難く頂く。クロたちには梨を用意してくれていた。
生菓子は白い兎を模っており、楕円形の身体に長い耳が確りと施されている。赤い目はなにで作っているのだろうとマジマジと眺めていれば、越後屋さんが苦笑いになっている。私は慌てて生菓子から視線を外して前を向く。
「可愛いですね。少し食べるのが勿体ないです」
「冬ですからなあ。狩りが行われます故に季節のものとなっておりますねえ」
越後屋さん曰く、兎は年中野山にいるけれどフソウでは冬場に狩りが行われるそうだ。食肉の他に毛皮にも使用され重宝されているのだとか。
冬には保護色で白色に毛が生え変わるため冬場に狩りが執り行われる理由らしい。雪深い森の中で兎を狩るのか罠で捕まえるのか分からないけれど、どちらにしても大変だというのは分かる。
「さて、侯爵さまのご要望を叶えるために最高の品を用意させて頂きました。味見をなさいますかな?」
「味見できるのですか?」
越後屋さんがにこりと笑って私に問いかける。用意して頂いた品の味見が可能のようで、私のテンションが上がっていくのが分かった。後ろに控えてくれているジークとリンは『良かったな』『ね』と言いたげだし、ソフィーアさまとセレスティアさまは『食べ過ぎるなよ』『つまみ食いは良くありませんしねえ』と言いたげである。
ヴァルトルーデさまとジルケさまは侍従役をするんじゃなかったと後悔しているようだった。今回、私が越後屋さんにお願いした品は鰻である。以前に鰻重を頂いたと私がエーリヒさまとフィーネさまに話した際に、尋常じゃない程羨ましがられたので今回買い付けにきたというわけだ。
帝さまとナガノブさまにお願いしなかったのは、西側に位置する出島と東側に位置するドエの都で味付けが違うかもと考えたからである。私だけが食べ比べをしている状況なので、次こそエーリヒさまとフィーネさまをフソウにお誘いしなければ。
「もちろんです。味に不都合があればお教え頂きたく」
越後屋さんがぱんと手を叩くと、お女中さんたちがいくつかのお皿を持って応接室に入ってきた。お皿の上には鰻が乗っていて、白焼きのものとタレを塗った蒲焼がある。
陶器の小瓶には塩や山椒に追いダレが入っているそうだ。越後屋さんは、先ずはなにも付けていない白焼きから味見をして欲しいとのこと。断る理由もないので私は『いただきます』と手を合わせ彼に言われたまま白焼きの鰻一口分を口の中に運び入れる。
私の背中に視線が刺さっているような気がするのだが一体誰のものだろう。なんとなくだがジルケさまの視線が一番強く、二番目にヴァルトルーデさまの視線を強く感じる気がする。女神さまと名乗っていれば、越後屋さんは鰻を沢山用意してくれたはずだ。これは帰りに鰻と生菓子を買って帰らなければ後が怖そうだと、口の中の白焼きの鰻を嚥下する。
「脂が甘くて美味しいです」
「それは良かった。あとは好みの薬味を付けて味見をして頂ければと。朝廷で出された品には及ばないでしょうが、良い食材を用意し腕の良い職人に作らせました。味は保証しますよ」
私が美味しいと伝えれば、越後屋さんは良い顔になって味見をどんどんしてと進めてくれる。鰻の他にも納豆やお米に羊羹も買い付けたいと言い出せば、越後屋さんは直ぐに用意させますと仰ってくれた。
越後屋さんの対応はいつも早くて有難い。他にも越後屋さんのお薦めの品――甘納豆や砂糖菓子に柚子とかかぼす等のフソウ特有の物――を買って、アルバトロス王国に戻ろうと竜のお方の背に乗った。
出島上空を何度か旋回して西大陸を目指していると、ヴァルトルーデさまとジルケさまがむっとした表情を浮かべて腕を組んでいる。ジルケさまは腕を組んでいる所を偶に見るけれど、ヴァルトルーデさまは珍しい。どうしたのかと私が視線を向けると二柱さまは直ぐに気付いて口を開いた。
「ナイだけ美味しい物を食べてた」
「鰻が食えるなら、女神だって名乗ってたのにな」
口を尖らせるヴァルトルーデさまと、惜しいことをしたとジルケさまは両手を頭の後ろへと回した。確かに朝廷で頂いた鰻重を二柱さまは美味しそうに食べていたっけ。
「鰻、気に入っていたのですか?」
私の疑問に二柱さまが凄く深く頷いた。私の肩の上に乗っているクロが二柱さまの姿を見て苦笑いをしている。
「鰻も買い付けしていますし、捌き方や調理法も教えて貰ったので料理長さんに作って貰いましょう。ただタレの再現はできないかなあと」
越後屋さんで買い付けた物の中には、鰻そのものと捌いて貰った鰻を両方買っているし、鰻重も買い付けてロゼさんに収納をお願いしている。
明日には使いの方に預けて聖王国のエーリヒさまとフィーネさまたちに届けて貰う予定だ。同僚の方やご友人の方にもと多めに買い付けているので数は足りるはず。あと本場の鰻重の味を覚えていて欲しいことも伝えておく。次に子爵邸に遊びにきてくだされば、子爵邸の料理人さんたちが作った鰻重を試食して貰って感想を頂きたいのである。
女神さまが私の説明にこてんと首を傾げた。
「どうして?」
「なんでだ?」
「ずっと作り足し作り足しして、味に深みを出しているんです。美味しいタレは何十年も作り足ししている、なんて話を良く聞きますから」
秘伝のタレの再現は難しいだろうから、子爵邸なりの美味しいタレを料理長さま方に作り足しをお願いして味を深めていくしかない。でも新しいタレでも十二分に美味しいだろうし、なににせよ子爵邸で作る鰻重が楽しみだ。
「面白いね。そんなことあるんだ」
「ま、美味けりゃなんでも良いさ」
二柱さまが鰻重を食べられると知って嬉しそうな顔になっている。生菓子や羊羹も買っているのでお茶の時間に出して頂きましょうと私が告げると、ヴァルトルーデさまとジルケさまは更に笑みを深めるのだった。






