1169:討伐開始。
悪鬼羅刹はまさしく異形だった。
身の丈を軽く越え、背を丸めていても二メートル近くはあるし、横幅もかなり太く、腕や足も人間のものではない。爪は凄く伸びているし、着ていた着物はボロボロになっていて機能を果たしていない。
地面に立ち尽くす、場にそぐわないナニカはぼーっと一点だけを見つめていた。大巫女さま曰く動かない時間が一定あると言われているので、まさに今がその時ではないだろうかとのこと。彼女たちフソウの面々は絶好の機会だと判断しているようで、九条さまが先陣を切り頭を落とし、大巫女さまが封印の術を最後の仕上げとして使うとのこと。
私たちはフソウの面々を見守りヤバい状況に陥れば加勢する、バックアップ部隊だ。九条さまの一撃が決まれば、ほぼ悪鬼羅刹の討伐は成功と言って良いそうである。
「では。一の太刀、務めさせて頂きまする!」
そう言い残した九条さまが、刀の柄に右手を掛けたまま勢い良く駆けて悪鬼羅刹の下を目指す。途中、するりと鞘から刀身を抜き右下の位置に固定した。そうして悪鬼羅刹の下へと近づけば、ぴょんと跳躍して刀を右斜め上に構え、下がり始めた高度と合わせて悪鬼羅刹の首元を目掛けて振り下ろす。
『……つああ!』
悪鬼羅刹は九条さまの存在に気付いて左腕を振り上げた。九条さまが振り下ろした刀が悪鬼羅刹の左腕に食い込むが表情一つ変えない。逆にフソウの面々が不味いと少し慌て始め、九条さまをフォローするように同心の方が一気に悪鬼羅刹へと近づき各々刀を振り下ろす。
九条さまは悪鬼羅刹の腕に食い込んだ刀を無理矢理抜こうとすれば、ぱきんと刀身が半分折れて目を丸くする。彼は下がるべきと判断したのか、悪鬼羅刹に身体を向けたまま足を動かして後ろに下がる。
同心の方々の刀は悪鬼羅刹の右手に捕まれたり、身体に食い込んだままになったりと様々だった。大巫女さまが大慌てで『下がりなさい!』と叫ぶが、少しばかり判断が遅かったようである。
「ぐあ!」
「ぬぅ!」
「無念!」
同心の方々の苦悶の声が上がり、悪鬼羅刹の異常に太い左右の腕が意味もなく動く。掴まれた刀もそのままで動かしたため、同心の一人の方はぱっと刀から手を離し、身体に食い込んだままの刀の持ち主も仕方なく手を離す。一人だけ折れた刀を持ったまま、大巫女さまの下へと戻ってくる。九条さまも大巫女さまの下まで戻っていた。
『おおおおおおおおおおおおおおおお!』
悪鬼羅刹が低く大きな声で唸れば、森の中にいた鳥たちが驚いて空へと飛び立っていく。そうして身体に刺さったフソウ刀を悪鬼羅刹は自ら抜き左手に握り直し、右手で掴んでいた刀も握り直して身体を大巫女さま方の方へと向けた。
「笑った……?」
私は悪鬼羅刹が大巫女さま方を捕えた瞬間、口元が伸びたように感じてポツリと声を零してしまう。側にいたジークとリンの耳に私の声が届いていたようだ。
「良いものではないな」
「ね。変な臭いもし始めた」
そっくり兄妹は私に視線を向けることはなく、悪鬼羅刹の動きを注視している。話しかけてくれたのは私の気を紛らわせるためなのだろう。有難いと二人の顔を見ればいつも通りの表情で目標を見定めている。
『元は人間って聞いても信じられないなあ』
クロが私の肩の上で呟いた。ぺしぺしと私の背を長い尻尾で叩いているけれど、いつもより叩く速度がゆっくりだ。クロの言う通り悪鬼羅刹は元は人間だったと聞いていても信じられないし、悪魔や妖怪だと言ってくれた方が信じていた。
堕ちてしまった人間の成れの果てらしいけれど、あんなに醜悪になれるものなのだなと逆に感心してしまいそうである。しかし刀を二本奪われてしまったフソウの面々に残された攻撃手段は少ない。
大巫女さまは薙刀という得物を持っているものの、悪鬼羅刹を封印するという重大な役割を背負っていた。ジークとリンに状況打破をお願いするかと、私がそっくり兄妹の顔を見上げると軽く頷いてくれる。
大巫女さまに提案してみるかと彼女を見れば、ぎゅっと薙刀の柄を握り込んで少し顔を青くしていた。
「仕方ありません……私が行きます!」
「大巫女さま、お待ちを!」
「へあ?」
走り出そうとした大巫女さまの足が止まり間抜けな声が聞こえた。ヴァルトルーデさまとジルケさまが声を掛けるタイミングを考えろと言いたそうだが、大巫女さまと私の息が合わなかったのだから仕方ない。
悪鬼羅刹は刀を二本握ってこちらを見つめているままだ。早く問題を解決するなら、アストライアー侯爵家の面々も助勢した方が良いだろう。手を出さない約束だが、前衛を任された皆さまの武器を失っている。
「助太刀します。ジーク、リン!」
私の声に大巫女さまは目を丸くして、九条さまと同心の方も同じ顔になっていた。二柱さまはなにが始まるのかと期待の表情を見せ、ソフィーアさまとセレスティアさまはやり過ぎるなよと言いたげだった。
ヴァナルは私たちを信頼してくれているのか手を出すつもりはないようで、権太くんと松風と早風と椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんも状況を見守るようである。
「ああ!」
「うん!」
ジークとリンの声を置き去りにして、二人が悪鬼羅刹の下へと駆ける。私は右手を伸ばして魔力を練り上げた。
「――"吹け""曲がらず、折れず"」
なにが起こるか分からないので強化魔術はケチらないし、ジークとリンなら急に術を施しても問題なく対応してくれるという自信がある。そうしてそっくり兄妹は腰に佩いているレダとカストルをすっと抜いた。
『ああ、マスターの魔力が!! 滾りますわ!』
『お嬢ちゃんの強化術、ヒャッハー!』
ウッキウキの声をレダとカストルが上げて悪鬼羅刹へと振り下ろされる。相手もむざむざやられまいと握った二本の刀を構えて、レダとカストルを受け止めようと太い腕を動かした。金属と金属がぶつかる声高い音が森の中に響くと同時に二柱さまの声も上がる。
「賑やかだね」
「うるせえ剣と言いてえが、喋んのかよ……」
ヴァルトルーデさまが面白そうな顔を浮かべ、ジルケさまが微妙な空気を醸し出していた。そういえば二振りが喋る所を二柱さまが見たのは初めてかもしれない。
「力を持てば可能でしょ」
「そうだがなあ……すげー珍しいことだろ。あ……」
ドヤとヴァルトルーデさまが声を上げ、ジルケさまが呆れ声を上げると状況が一転する。ジークとリンは力で押し切り、二振りのフソウ刀を折ってそのまま悪鬼羅刹の首を狙う。
悪鬼羅刹も首を落とされまいと折れた刀を離して、ジークとリンに太い腕を打ち込もうと狙いを定めた。そうしてジークのレダが悪鬼羅刹の右腕を斬り落とし、リンのカストルが悪鬼羅刹の短い首を目掛けて放たれる。カストルが悪鬼羅刹の左腕に食い込んだ。そのまま途中で止まるのかと思いきや、リンは力任せでカストルを押し込んでいる。
『そのままくたばりやがれぇええ!』
カストルの少々汚い言葉が森の中に響く。倒せるならば良いことだろうと、私は右腕を差し出したまま状況を見守る。リンはカストルを力任せに押し進めて悪鬼羅刹の左腕を切り落とし、首へと食い込ませた。でも首は腕より硬いのか、上手くカストルが食い込んでいかない。流石に無理があるようだと、私は勢いをつけるために術を追加しようと口を開いた。
「リン! ――"吹け、吹け、吹け"」
『どっせぇぇいっ!』
またカストルの威勢の良い声が森の中に響く。レダが『煩いですわ』とぼやきながら、使い手のジークがどうするのかと真面目に務めている。彼は悪鬼羅刹の背後に回り込んで、リンになにかあれば直ぐに加勢できるようにと油断なくレダを構えた。カストルが悪鬼羅刹の首を半分ほど斬り込んだ時、腕より太い足が持ち上がりリンを狙っていた。
「ジーク、レダ! ――"疾風の如く"」
『マスターの愛が注ぎ込まれましたわ!』
ジークが低く腰を落として悪鬼羅刹の軸足を狙う。レダがなにか言っているが私の耳から右から左へと通り過ぎる。ジルケさまは何故か引いているような気もしなくもないが、ヴァルトルーデさまは面白い仔だと笑っていた。
大巫女さまと九条さまと同心の方たちも、変な二振りに圧倒されている。いや、ジークとリンの実力に見惚れてくださいと言いたくなるけれど、驚くのは仕方ないのだろうか。
『いけえ!』
『わたくしに斬れぬ物なしですわ!』
二振りのご機嫌な声が上がれば、悪鬼羅刹の首と足が地面に落ちた。私は今だと口を開く。
「大巫女さま!」
「は、はい!! ――"八百万の世に現れよ""足りぬと叫ぶ、彼の者を満たせ""満たせ""満たせ"」
大巫女さまが術を唱えれば、首を斬られ地面に倒れ込んだ悪鬼羅刹の下に巫術陣が浮かび上がる。私が術を行使した時に現れる魔術陣とは趣が違い、陰陽道のような模様が多く見られた。
違いが出ていて面白いと感心していると、レダとカストルを鞘に納めたジークとリンが私の下に戻ってきた。お疲れさまとそっくり兄妹に伝えれば、短い返事が戻ってくる。いつものことなので気にせず、大巫女さまの封印術を眺めている。
「西とは少し違う気がする」
「南は魔素が少ねえから、術自体が珍しいんだよなあ」
二柱さまも大巫女さまの封印術を楽しそうに眺めている。どうやらご自身が管轄している大陸と比較しているようだ。北大陸も魔術が存在しているけれど、西より北の方が魔術というより魔法と表現した方が適切かもしれない。
乙女ゲームではなく成人ゲームが舞台なので、その辺りが違いに繋がっているのだろうか。確かに微妙に出ている違いは興味を引くし、覚えてなにか役に立つことはないかと考えてしまう。帝さまにお願いしてフソウの巫術を教えて頂くのもアリかなと、ふいにそっくり兄妹を見上げた。
「あ、あれ……? ジークとリンの髪がちょっと長くなってる……」
今一度、双子の兄妹の顔を見ると綺麗な赤髪が伸びている気がする。ジークは全体的に伸びているのが丸分かりで、リンは髪を纏めているから分かり辛いものの前髪とサイドが伸びていた。
美形と美人だから髪が伸びても顔面偏差値が変わっていないどころか、上がっている気がする。羨ましいと私が口をへの字にしていると、クロが肩の上で声を上げた。
『ナイの増えた魔力の影響かなあ』
こてんと首を傾げるクロもジークとリンの顔を見上げている。特に問題はないはずとクロが教えてくれるのだが本当に大丈夫なのだろうか。副団長さまに話をして聞いてみようとすれば、ヴァルトルーデさまが問題ないよと教えてくれる。
女神さまのお墨付きを頂いたなら大丈夫だと笑みを浮かべるものの、私の魔力制御が甘いという印ではと問えば、ヴァルトルーデさまは私から視線を逸らす。また魔力制御を上手くできるように練習しなければなと考えていると、ジークとリンが自分の伸びた髪を触りながら口を開く。
「そういえば前髪が目に掛かるな」
「私はあまり分からないけれど、確かに横が伸びてる?」
そっくり兄妹が不思議そうな声を上げ、二人が腰に佩いているレダとカストルが『強くなりましたわ!』『有難てえ』と零した。悪鬼羅刹を無事に倒せたから私が気を抜きまくっていることに、ソフィーアさまとセレスティアさまが『儀式が終わった』と教えてくれる。悪鬼羅刹の姿は綺麗に消え去って、森には鳥の囀りが戻っていた。権太くんを傷付けた原因を排除できたことに安堵して、社に戻ろうとみんなで頷くのだった。






