1168:森の中の捜索。
雪さんと夜さんと華さんは地を治める藩主とドエの都にいる帝さまたちに悪鬼羅刹が出たと知らせに向かってくれている。
せめて帝さまたちに話が届く頃には解決してくれれば良いのだが。大巫女さまと九条さまと同心の方々は神主さんから手書きの森の地図を頂いて、森の入り口で地図を地面に置きなにかの儀式を始めようとしている。
私たちはなにをしているのかさっぱりなのだが、九条さまが詳しいようで説明してくれた。大巫女さまが広げた地図の前に座り、巫力――魔力と同義――を施した石ころを転がして、悪鬼羅刹の居場所を突き止めてくれているそうだ。ざっくりとしたものではあるが、高い確率で見つけることができる。悪い妖怪や人間を食べて味を占めた熊を退治する時に使われている儀式なのだとか。
大巫女さまの邪魔をしてはならないと、私たちは少し離れた場所で彼女を見守っている。薄暗い森は広大な広さを誇っており、近くの村の方々の狩場にもなっているそうだから悪鬼羅刹を倒すことは幕府や朝廷の急務となるそうである。アルバトロス王国でも魔物や魔獣が暴れれば討伐部隊が組まれるから、フソウも同じ態勢を取っているようだった。
「面白いね。アルバトロス王国の聖女もああいうことできるの?」
ヴァルトルーデさまが大巫女さまの小柄な背を眺めながら呟いた。確かに面白いけれど、習って同じことができるかどうかは微妙な所である。自然信仰に根付いていそうだし、自然とは遠いところで暮らしている私には無理そうだ。
とはいえ、一応聖女を務めている身なので似たようなことを致したことがある。私はヴァルトルーデさまの顔を見上げて口を開く。
「似たようなことであれば。地図の上に振り子を翳して反応した場所に目的の場所がある……というものがありますね」
三年前の大規模討伐遠征でヴァイセンベルク辺境伯領の領主邸で遠征に参加していた聖女全員が試したことがある。示された場所がいくつかあり部隊編成を割ることになったので、個人差があるようである。
大巫女さまの儀式が悪鬼羅刹の居場所を突き止められますようにと願うしかない。ヴァルトルーデさまとジルケさまからどんな機会に使うのかと問われたため三年前の事情を語る。クロが少々恥ずかしそうにしているけれど、大規模討伐遠征が組まれなければクロには出会えなかったのだ。恥ずかしいのは我慢して欲しい。
「ナイもできるんだ」
「できるというよりは、なにも知らないまま『やれ』と命じられただけですけれど」
ヴァルトルーデさまが目を細めて『面白そう』と感心していた。私は指揮官の皆さまから有無を言わさずやれと命じられたので、強制参加という表現の方が正しいだろう。でももう終わったことだから気にしても仕方ないと前を向けば、一緒に話を聞いていたジルケさまもふーんという感じで口を開いた。
「そんなことがあったんだな」
本当に学院生時代はトラブル塗れだった。今もいろいろと起こったり、巻き込まれていたりするけれど学院生時代より落ち着いている気がする。でも落ち着いてはいるものの、話の内容が壮大なものになっていないかと首を捻ってしまった。
南大陸の女神であるジルケさまと出会い、神さまの島にお邪魔して、西大陸の女神さまであるヴァルトルーデさまの引き籠もり問題を解決したのだから。今思い出しても良く成功したなと不思議だし、女神さま方が屋敷に遊びにきているのも凄いことではなかろうか。
あまりにも二柱さまが子爵邸に馴染んでいるので、どんどん二柱さまが女神さまであるという意識が薄れているような気もしなくはないが。
「終わった?」
「みたいだな。クジョーが話を聞きに行ってるし」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが大巫女さまの儀式が終わり息を吐く。儀式を執り行っている間は空気が停滞しているような感じがして、重々しい雰囲気となっていた。女神さま方でも緊張するんだなあと妙なことを考えていると、大巫女さまから話を聞き終えた九条さまがこちらへ戻ってくる。
「反応があった場所があるそうです。しかし一ヶ所に留まることは珍しいので外れる可能性が高いと……――」
九条さまが言葉を続ける。でもなにかしらの痕跡が残っているはずだから、反応を示した場所に行ってみるとのこと。彼が説明を終えると、一緒にきていたヴァナルが私の服の袖を軽く食む。
「どうしたの、ヴァナル」
私がヴァナルに振り向くと側には松風と早風がちょこんと座って目を輝かせていた。
『臭い、追う。覚えてるって』
ヴァナルの話を聞くと、松風と早風は悪鬼羅刹の臭いを覚えているから自慢の鼻を使って辿ってみるそうだ。松風と早風が進みたい方向は、大巫女さまが執り行った儀式で反応があった場所と一致している。
「なんと!」
九条さまが驚きの声を上げて少し嬉しそうな顔で大巫女さま方に話を通していた。大巫女さまも松風と早風の進みたい場所が一致したことに安堵の息を吐いている。
「皆さま、準備は宜しいでしょうか?」
大巫女さまの張った声が辺りに響けば、同行者全員が確りと頷く。私もよしと気合を入れてジークとリンとグータッチをすれば、ヴァナルが鼻先を突き出し、毛玉ちゃんたち五頭も鼻先を突き出す。
はいはいと苦笑いを浮かべながらヴァナルたちとグータッチを終えると、ヴァルトルーデさまがしれっと右腕を伸ばして私に向けた。ジルケさまは少し呆れているようで『悪いな……』と言いたげだった。私がヴァルトルーデさまの前に右腕を突き出して言葉を紡ぐ。
「無事に終わることを願って」
女神さまに伝えておけばなにかしら御利益があるかもしれないと願いを込めておく。私の後ろでソフィーアさまとセレスティアさまが『良いのか、アレ?』『まあ、ナイですもの。深い意味はないのでしょう』と小声で話している。
「うん。みんな怪我なく終われば良い』
ヴァルトルーデさまは私の言葉に答えてくれる。一応、見ているだけで手を出す気はないが、皆さまに身の危険が迫ったならば助けるとお言葉を頂いていた。事が酷くなるようなら、北の女神さまを召んでくれるとも。
フソウの面々で解決しないなら私たちが助力に入り、更に私たちの加勢でも無理ならば女神さま方が介入するのだ。権太くんが仔狐を守ろうとしたことで介入を決めたらしい。
良かったねえ権太くんと彼に視線を向けると、ふいと顔を逸らされた。権太くんも悪鬼羅刹がどうなるのか気になるそうで、大巫女さまたちに助力をするとのこと。彼が守るべき仔狐二頭は社で過ごすことになったから、今度は遠慮なく力を振るわせてもらうと権太くんは豪語していた。少し彼の力はどんなものだろうかと気になる所である。
「参りましょう!」
大巫女さまは社の神主さまから薙刀を借りていた。身を守る術として、巫女さま方は術の他に薙刀術を習うそうだ。柄が長いためリーチを稼ぐことができ、刀を持つ武士の方より勝ることもあるのだとか。
あとで薙刀術を教えて貰おうかなと考えながら歩を進めていると、ジークとリンが私の左右に並び、クロが私の顔を覗き込んで、ソフィーアさまとセレスティアさまとヴァナルも近づいてきた。松風と早風は大巫女さまの前に進み地面をスンスン嗅ぎながら器用に歩いている。
「ナイ、無茶なことを考えていないか?」
「私と兄さんがナイを守るよ」
『ナイに刃物は危なっかしいよねえ』
「ジークフリードとジークリンデに私たちもいるからな。問題ないだろう」
「ええ。ナイに近づく前に排除してみせますわ」
『守る。心配ない』
みなさま過保護過ぎやしませんか、という言葉は飲み込んだ。頼もしい限りですと言いたいが、ちょっと薙刀というか長物の武器を振り回してみたい気持ちがあるのだ。
陛下から下賜された錫杖さんを振り回すわけにはいかないし、レダとカストルを借りれば、二振りは気を使ってくれて重量を軽くしてくれたり刀身を私の背丈に合わせてくれるだろう。
だから、ちょっと普通の武器を扱ってみたいという気持ちがあったのだけれども、扱う未来は望み薄のようである。二柱さまは私たちのやり取りを見て面白そうな顔になっているし、この話はしない方が良いと私は大巫女さまの前を行く二頭に視線を向けた。
「松風と早風は迷いなく進んでいるね」
私はジークとリンに話をしたつもりが、何故か二柱さまが私の顔を覗き込んでいた。いつの間にと驚くものの、まあヴァルトルーデさまとジルケさまである。こういうこともあるのだろう。
「凄い。私も分かるかな?」
「いや、地面を嗅ぎながら進む奴がいたら恐怖だろ」
ヴァルトルーデさまが松風と早風を見ながらとんでもないことを言い出した。匂いで相手を追跡する女神さまなんて見たくはないし、ジルケさまの突っ込みは的確なはず。
「そんなことしないよ!?」
「姉御だからなあ……地面に顔を近づけた方が良く分かる、なんて言われたらどうするんだ?」
「……地面に顔近づける、かも」
二柱さまのやり取りを耳にしながら、大巫女さま一行と私たち一行は森の奥へとどんどん進む。なんとなく空気が変わってきたようなと周りを見渡せば、陽の光が入らず薄暗くなっていた。
昼日中の時間なので、人の手が入っていれば木々の隙間から木漏れ日が入っていたことだろう。狂暴な動物や魔物がいつ現れてもおかしくないなと、少し魔力を練っておく。
そうしてまた三十分ほど森の中を進めば、大巫女さまがとある場所で立ち止まり辺りを見渡す。
「私が儀式で示された場所はこの地ですが……流石にいませんか」
彼女は凄く残念そうな顔をしながら周りを見渡している。どうやら悪鬼羅刹はどこに行ったと確認しているようだ。九条さまと同心の方々も同じように辺りを見渡し、松風と早風も地面をウロウロしながら臭いはどこだと探し当てている。
私たちもなにか痕跡が残っていないかと周りを見渡した。特に変わった所はなく、薄暗い森が広がっているのみ。手掛かりはないかと諦めかけていると、松風と早風が一鳴きしてとある一点を見つめていた。
「木の枝が折れています。まだ新しいですね」
大巫女さまが折れた木の枝を見つめて、いつ頃折れたのか判断を下した。私も確認すれば、折れたばかりだと直ぐに分かった。大巫女さまと私はこの先に悪鬼羅刹がいるのだろうとお互いに頷く。
他の面々も今回の対象がいると判断して、この先にある危険な場所に飛び込む覚悟を決めていた。そうしてまた大巫女さまが『参りましょう』と先程より低い声でみんなを導く。
先頭を歩くのは変わらず松風と早風だ。二頭は地面から鼻を離しているし、ヴァナルも『変な臭いがする』と呟いているので、人間では到底感知できない臭いを彼らははっきと分かっているようだ。
また森の中を歩き進んで行く。
「っ!」
大巫女さまが先を歩むことを躊躇した。そして九条さまと同心の方々も歩みを止めて口元を抑えていた。彼女たちの目線の先には鹿の死骸が転がっており、内臓が溢れ出し脚があらぬ方向へと曲がっていた。私は目を細め直視しない方が良いと視線を逸らす。
食べるために命を奪ったのではないようだ。
普通ならおこぼれに預かろうとする生き物がいてもおかしくないのに、周囲に気配が全くない。クロもヴァナルも変だと首を傾げているし、他の面々も何かおかしいと気付いているようである。
大巫女さまは薙刀の柄を握り直し、九条さまと同心の方々は刀の柄に手を添えていた。ジークとリンもレダとカストルを直ぐ抜けるようにと鞘を握っている。こんなことがあるなら錫杖を持参しておけば良かったが、残念ながら錫杖は子爵邸の自室で鎮座している。
私は仕方ないと諦めて、魔力を更に練りなにが起こっても対応できるようにと準備をした。ソフィーアさまとセレスティアさまもいつでも魔術を発動できるようになっている。
「いた……!」
大巫女さまがぼそりと呟いたはずなのに、やけに彼女の声がはっきりと私の耳に届く。彼女の前には二足歩行でありながら、凄く異形の形をした『ナニカ』が息を吐き、大きく肩を揺らしている。なにをするでもなく、ただ地面に立っているだけなのに凄く嫌な雰囲気をばら撒いていた。
『アイツや……さっきより醜悪になっとるやんけ!』
「もう人間には戻れないでしょうね。お天道さまの下を歩けないならば……黄泉の国へ導きましょう!」
権太くんと大巫女さまが声を上げる。松風と早風は鼻筋に皺を作りながら唸っているし、九条さまと同心の方々も鋭い目つきに変わっていた。
一応、手は出さないと伝えているがもしもの場合は加勢する。悪鬼羅刹がどんな攻撃を我々に放つのか分からないけれど、どんなことが起こっても対応できるようにと私は気を張るのだった。






