1164:帰宅。
――リヒター侯爵領から王都の子爵邸へと戻っている。
リヒター侯爵領の視察はトラブルなく終了した。少し残念だったことはエル一家とジャドさん一家が同族を探してくると領内を見学させて――事前に領地の皆さまには知らせている――頂いていたのだが、結局見つからなかったことくらいだろうか。
ルカとジアのお嫁さんとお婿さんを見つけたいし、グリフォンさんも生息数が少ないので見つけられれば良かったけれど物事は簡単に進まなかった。エルたちとジャドさんたちは残念だと呟いていたものの、アストライアー侯爵家の家紋を掲げていれば領地内の方々に好意的に受け入れられたので人間と交流できたことは良かったらしい。
基本、天馬さまたちは温和だし、グリフォンさんも個体によるが探せば懐っこい雌もいるだろうとのこと。機会を設けて大陸中を探してみるのも良いかもしれないし、冒険者ギルドに天馬さまとグリフォンさんの情報求むと依頼を出しても良さそうである。
冒険者ギルドに依頼を出すのは直ぐに出来ることなので、副団長さま経由でお願いしてみようとなった。アルバトロス王国の冒険者ギルドの営業所は一店舗だけだったし、銀髪くんのやらかしによって辺鄙な場所に移転している。少々不便ではあるが、王都にあっても利用者は少ないので致し方ない処置である。
リヒター侯爵領の特産品は意外なことに工業製品だった。とはいえ魔法や魔術が存在している世界なので、魔力を動力源とした製品を作っているのは面白かったけれど。
魔術師の方に動力を作って頂き、残りは職人さんが鍛え上げるそうだ。けれど見学させて頂いた懐中時計店は魔力に頼らない、全て機械仕掛けの品である。職人さんが凄く細かいネジや歯車をピンセットで丁寧に組み合わせており、息をするのも憚られるような作業だった。魔力も凄いけれど、人間が考えた動力を見るのは楽しかった。一緒に見学していたヴァルトルーデさまと南の女神さまも面白かったようで、懐中時計に興味を持ったようである。
カラッとした寒空が広がっている子爵邸で、私がお昼前に執務を終えて私室に戻ればヴァルトルーデさまと南の女神さまが堂々とくつろいでいた。侍女の方によれば、二柱さまは少し前に図書室とサンルームから戻ってきたとのこと。
一緒に部屋に戻ってきたジークとリンの顔を私が見上げれば、そっくり兄妹は少し今の状況が飲み込めていないようだ。確かに女神さま方が私の部屋に勝手に入っているのは珍しい。どうしたのかと一先ず扉の前から部屋の中へと足を進めれば、ヴァルトルーデさまが『おつかれさま』と言い、南の女神さまが『よお』と軽い調子で声を上げた。
「何故、私の部屋に?」
私は二柱さまの側に立ちストレートに疑問を投げてみた。ヴァルトルーデさまはソファーに腰を下ろし、南の女神さまはソファーに寝転がってくつろいでいた。ジークとリンは私たちの邪魔をしてはいけないと見守りに徹するようで、クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんはこてんと首を傾げている。
「そろそろお昼だ」
「飯の時間が近いな」
ヴァルトルーデさまが声を上げながら私とジークとリンに座ろうとソファーを指を指し、南の女神さまが身体を起こして私に向き直る。
「それは理解していますよ。でも何故、ヴァルトルーデさまと南の女神さまは私の部屋に?」
私は再度同じ疑問を投げながらソファーに腰を下ろし、ジークとリンは二柱さまに失礼にならないようにと静かに腰を下ろす。リンが私の隣に腰かけたのだが、距離がいつもより近いような気がする。時折あることなので特に問題はないだろうと私は女神さまとの会話を続ける。
「んと、それぞれ呼びに行くのは非効率」
「コレのお陰で時間が分かるようになったからな。一緒にいた方が手間がねえだろ」
ヴァルトルーデさまがドヤ顔になり、南の女神さまがリヒター侯爵領のお店で買った懐中時計を前に差し出す。鎖が付いているので、振り子のように懐中時計が揺れていた。
二柱さまが選んだ懐中時計は貴族が好んで買っている高級路線ではなく、お金持ちの方が買える価格帯のものだった。それ故か随分とシンプルな品で、外装はロゼさんボディーのようにつるつるの物である。お貴族さま向けとなれば外装は凄く凝ったものになり、凄く細かな彫刻や宝石が飾られていたり、家紋が彫られることもあるのだとか。
「確かに私たちが一ヶ所に集まっていた方が侍女の方々は楽でしょうけれど……」
私はソレで良いのかと妙な顔になる。ジークとリンも微妙な雰囲気を携えているので、女神さま方が私の部屋にいるのが不思議なようだ。ミナーヴァ子爵邸のご飯のタイミングは決まった時間となっている。
その方が料理人の方々の手を取らせないし、私もその方が行動計画を立てやすい。もちろん例外の日もあるけれど、女神さま方が良いなら構わないかと私が苦笑いを浮かべればヴァルトルーデさまが『あ』と声を上げた。
「ナイ。懐中時計のお金、どうしよう?」
「気になさらなくても良いですよ」
ヴァルトルーデさまがこてんと首を傾げて少し困った顔になる。女神さまであれば金や金目の物を作り出せば良さそうだけれど……そうなると絶対に聖遺物に認定されてしまうし、クレイグの突っ込みが私に激しく入るのは目に見えていた。
なので私の答えは気にしなくて良いとなる。お店には私がお金を立て替えておいたので、お金の話はヴァルトルーデさまと私の問題となる。南の女神さまも払ってくれると言っていたものの、どうするつもりなのだろうか。
「お金払うって言ったから、きちんとナイに返さないと」
「でもよ、姉御。あたしらが金を稼ぐのはできねえだろ」
少し困り顔になったヴァルトルーデさまに南の女神さまが事実を言った。できなくはないが、女神さま方が働きに出れば大騒ぎになるのは確実である。
「働けない?」
「大騒ぎになるな」
ヴァルトルーデさまが更に困り顔になり、南の女神さまは微妙な雰囲気を携えてはあと息を吐いた。南の女神さまはヴァルトルーデさまと彼女が働きに出れば、大騒ぎになると理解しているようだ。これで諦めてくれるだろうと南の女神さまに私は心の中で感謝を捧げていれば、ヴァルトルーデさまが口を開いた。
「母さんみたいに正体を隠せば……」
「母上殿は力を完璧に制御して神だって分からないようにしているからな。西の姉御の力の制御はマシになったとはいえ、まだ漏れてるんだし」
どうやらヴァルトルーデさまは諦めていないようだが、力の制御がまだ甘いことを自覚しているようである。真面目な女神さまだなあと目を細めて、なにか子爵邸で働けるようなことはないだろうかと考えてみる。
ジークとリンが私が悩み始めたことを察知しているようだし、クロも『どうしたんだろ』みたいな顔を浮かべて私の顔を覗き込んでいた。侍女の仕事は専門学校を出るか、縁故採用が主だし、そもそも女神さまが誰かに仕えるというのは不味い気がする。
掃除とかお願いできるけれど、下働きの方々が女神さまに教えることになるので腰を抜かしそうだ。料理は女神さま方は食べる専門と豪語しているので作る気はないはず。
託児所の子供の面倒をお願いしてみようかなと浮かんだものの、サフィールが凄く困り顔になっている姿が目に浮かぶし、親御さんたちが凄く恐縮しそうである。庭師の小父さまのお手伝いとも考えたけれど、弟子の方を採用しようと家宰さまと相談中なので勝手はしない方が良い。
「ヴァルトルーデさまはなにかやりたいことはありますか?」
私は頭の中で考えていても仕方ないと、働きたいと言い出した女神さまに問いかけた。なにか得意なことがあれば、関係する仕事を紹介できるかもしれない。
「やりたいこと……大陸を見て回りたいと考えているけれど、他にあまり考えたことない」
「姉御はやらせりゃなんでもできるはずだぞ。できないのは飯を作ることくらいじゃないか?」
むーと難しい顔になるヴァルトルーデさまに南の女神さまが肩を竦めた。南の女神さまの物言いは割と酷い気がするが、ヴァルトルーデさまは気にした様子はない。割と仲が良いなと感心していると、侍女の方がお昼ご飯の用意ができたと呼びにきてくれた。
「ご飯」
「難しいことを考え続けても疲れるだけだ。とりあえず飯にしようぜ」
ヴァルトルーデさまと南の女神さまがソファーから立ち上がって、食堂を目指そうと部屋の扉を見つめていた。先程までヴァルトルーデさまは仕事について悩んでいたのに、ご飯の声掛けでどこかに吹き飛んでしまったようである。
私もお腹が空いたし、子爵邸の料理人さんたちが作る食事は楽しみなので文句はない。私もソファーから立ち上がってジークとリンに食堂に行こうと視線で問いかける。
「ああ」
「うん」
ジークとリンも席から立ち上がるのだが、こう身長の違いが如実に出る面子が集まっているなと少々気落ちしてしまった。南の女神さまもヴァルトルーデさまとジークとリンの頭の天辺を見ているようで、自身の身長の低さを嘆いているようだ。
「そういえば、ジークフリードとジークリンデはナイと私たちが話をしていると黙っていることが多い」
「そういや、そうだな。あまり喋る口じゃあなさそうだが会話に入って良いんだぜ。あたしたちに気を使うな」
ヴァルトルーデさまがそっくり兄妹の顔を覗き込みながら顔を小さく傾げている。南の女神さまも彼女の言葉で気付いたようで、もっと普通の態度で構わないと注文を付けた。ジークとリンは二人で顔を見合わせてから二柱さまに向き直る。
「お気遣いありがとうございます」
「ありがとうございます」
丁寧な礼を執った二人に二柱さまは苦笑いを浮かべていた。とりあえずヴァルトルーデさまと南の女神さまは屋敷の方たちと馴染もうと、こうして努力をしてくれている。一緒に日々を送るなら有難い気遣いだ。
二柱さまからの注文はジークとリンにとって少々難しいかもしれないが、いつか普通に語っている日がくれば面白いことになりそうだと私は笑う。クロも良いことだと歓迎してくれているようで、私の背中を尻尾でぺしぺしと叩いている。
「……そんなに丁寧に喋らなくて良い。ナイと話すみたいに私たちと話して」
「確かに。でも難しいなら徐々にで良いからな。あー……飯、一緒に食ってるクレイグとサフィールにも言っとかねえとな」
小さく笑うヴァルトルーデさまと南の女神さまは後ろ手で頭を掻いていた。
「そうだね。二人も私たちには敬語だから」
「な。というか、ナイ!」
うんうんと頷いているヴァルトルーデさまのあとに南の女神さまが私の方へ勢い良く顔を向けた。なにか用があったかと私は首を傾げると、南の女神さまが大きく口を開いた。
「なんで姉御は名前で呼んでいるのに、あたしは名前で呼んでくれねえんだ!!」
南の女神さまがきっと目を細めて私を少し見上げている。そういえば南の女神さまから名前で呼んで欲しいとはお願いされていないので、仮名が必要でない場面では『南の女神さま』と私は呼んでいる。
なにか問題でもあるのかと疑問に感じるが、南の女神さまも仮名で呼んで欲しいのだろうか。一先ず、南の女神さまと呼び続けている理由を伝えなければと私は口を開く。
「……望まれていなかったので」
「はあ!? なんだよソレ! 仮名をくれと言ったのはあたしたちだし、仮名をあたしに付けたのはナイだろう! 名前で呼ばれても文句なんて言わねえーよ!」
ぶわっとなにかブッパしている南の女神さま、もといジルケさまに目を細める。そんなに名前で呼んで欲しかったのかと疑問だが、請われたならば構わないだろう。
「承知しました。では次からジルケさまと」
「おう。間違えたらどうするか……呼び間違えたらナイの頭に手刀入れるかんな。ナイなら届く!」
ジルケさまがにやりと笑って私の頭の天辺を見ていた。確かに私の身長であればジルケさまの手は届くのだが、手刀は痛そうなので間違えないようにきちんと女神さま方の名を呼ぼうと心に決めるのだった。
――あ。お昼ご飯はとても美味しかったです。






