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1163:リヒター侯爵領内見学。

 わたくし、ロザリンデ・リヒターの実家であるリヒター侯爵領の特産品は工業製品です。たとえば懐中時計に魔力を動力としたランタンや冷蔵庫や冷凍庫なども作っております。もちろん工業製品だけでは領地運営はままならないので他の産業も執り行っておりますが、リヒター侯爵領の特産品はなにかと問われれば、胸を張って答えるでしょう。


 特産品となるように尽力した歴代のご当主さま方には頭があがりません。幸運なこと――幸運というより豪運のような気もしますが――に西の女神さまがリヒター侯爵領にも興味をお持ちになり、今、領都にある職人の工房を見学されておられます。南の女神さまも一緒ですし、二柱さまの隣にはアストライアー侯爵家当主であるナイさまもご一緒で、二柱さまと一人が懐中時計を仕上げている職人の手元を凝視しているのです。


 ルーペを身に着けて細かい作業をしている職人の方は緊張からか微かに手が震えておりますが、二柱さまと一人には気付かれないように努めておりました。他にも私の父であるリヒター侯爵と夫人も同席しているので、職人の気持ちを考えれば逃げ出してもおかしくはないでしょう。

 きっと職人として恥ずべき姿は見せられないと心構えができている剛の者です。このあと特別に仕立てておいた懐中時計をお渡しする予定のため、素晴らしい職人が作る懐中時計は西の女神さまと南の女神さまに気に入って頂けると良いのですが。


 「凄いね」


 「こんな細けえこと、良くやるなあ」


 ヴァルトルーデさまとジルケさま――女神さまと呼ばれるより、ナイさまから頂いた仮名で呼んでくれと二柱さまに請われた――が顔を見合わせて、感心した顔を浮かべております。

 女神さま方から褒められることなどないでしょうし、職人も父もさぞ嬉しいことでしょう。しかしジルケさまの言葉尻から、細かい作業が苦手なのでしょう。確かにミナーヴァ子爵邸で過ごされているジルケさまは少々雑な所があるので、なんとなく職人の細かな作業に感心していることに納得ができます。


 「職人さんですよねえ」


 ナイさまがヴァルトルーデさまとジルケさまの隣でぽつりと声を零されました。ナイさまもアリアさんも女神さま方と普通に会話を繰り広げております。

 アリアさまは女神さまだと敬意を払いながら語っているのですが、ナイさまは女神さま方を慮っているものの、予定が付かない時は無理だとはっきりと仰っていますので本当に凄いお方です。わたくしであれば女神さまからお願いを受ければ、どんな大事な予定もかなぐり捨てて女神さまのお願いを受け入れるものですが。


 二柱さまとナイさまの後ろ姿を眺めていると、父が半歩前に出ました。いつも通りの雰囲気ですので、父も女神さまに対してあまり緊張していないようで本当に頼もしい限りです。


 「職人が作業をするところを女神さま方に見て頂いても良いのか迷っておりましたが、喜ばれておられるなら我々も案内した甲斐があります」


 父は時計職人の作業を見学することに女性が面白いと感じてくれるのか、最後まで懐疑に思っていたようです。一応、母とわたくしが大丈夫だと伝えておいたのですが、確かに全く興味を示さない貴族令嬢の方が多いのかもしれません。

 ですが、案内をする方は女神さまです。いろいろなことに興味を持ち、分からないことがあれば側にいる方に問いかけて、疑問を解消している方なのです。なのでわたくしは時計工場の見学は良いことだと考えておりましたし、母も宝石や貴金属にしか興味を示さないのは極一部と言って父を説得しておりました。少し自慢気な父の顔に最後まで迷っていたのに……と言いたくなりますが、ここはぐっとこらえましょう。


 女神さま方もナイさまも作業見学を楽しんでおられるのです。無粋なことや余計なことはしない方が良いと学んだのですから。


 「面白いところが見れた。ありがとう」


 「まあ、こういう所に入る機会はねーからなあ」


 ヴァルトルーデさまとジルケさまが父に感謝を告げ、父は父で丁寧な礼を執っておりました。父が最敬礼を執るのは本当に珍しいことなので少々新鮮です。気を良くしたのか父はもう一度口を開きます。


 「気に入って頂けたなら、お一つ如何でしょうか?」


 父がにこりと笑みを作り女神さま方に懐中時計が並ぶ棚に視線と身体を向けました。


 「タダで貰うのは駄目」


 「細けえ作業しながら苦労して作ってるのに、あたしらがホイホイ貰うのはなあ……」


 ヴァルトルーデさまが目を細め、ジルケさまが職人を見ながら苦笑いを浮かべました。父は女神さまが受け取ってくれなかったことにショックを受けているものの、わたくしとしては嬉しいことでした。

 タダで受け取るのは駄目ならば、お金を出して買うべきということなのでしょう。ヴァルトルーデさまもジルケさまも、職人が作った品を認めてくださっているのではないかと愚考します。


 「ナイ。一つ買って良い? お金はあとでどうにかする」


 「あ、ならあたしも欲しい。時間が分かるなら飯だって呼ばれなくて済むからな」


 ヴァルトルーデさまがナイさまの服の袖を引っ張り、ジルケさまが片眉を上げながらナイさまへと問います。二柱さまは律儀な方のようで、お金の支払いを工面すると仰っておりますが、街に出て働くのでしょうか。

 それとも身に着けている品を売り払えば好事家が天文学的な値段で買い取ってくれそうですが……ヴァルトルーデさまとジルケさまはお金をどう工面するのでしょうか。


 「大丈夫ですよ。手持ちはあるので」


 ナイさまが少々考えながら問うた二柱さまに告げました。もしかして手持ちのお金が足りるかどうか心配をなさっているのでしょうか。ナイさまであれば身元がはっきりとしているので代金の請求先が分かります。

 無用な心配なのですが、この辺りは成り上がりで貴族位をアルバトロス王から賜り、陞爵していった弊害なのでしょう。貴族令嬢の買い付けも『家に請求してくださいませ』という言葉で済ませられますが、ナイさまは現金一括払いを旨としているようです。

 

 「選んで良い?」


 「あたしも」


 二柱さまは父に確認を取りました。


 「ええ、どれでもお好きな品をお持ちください」


 ほっとした様子の父は機嫌良く、商品棚の方へとヴァルトルーデさまとジルケさまを案内します。ナイさまも女神さま方の後ろを歩けば、ジークフリードさんとジークリンデさんが一緒に付いていきました。

 二人は護衛なのでナイさまに付いて行くのは当然ですが、あまりの自然な行動に感心してしまいます。今はジークフリードさんもジークリンデさんも厳しい顔をしておりますが、子爵邸のプライベートな時間でナイさまが側にいると凄く穏やかな顔をしておりました。


 ジークフリードさんはナイさまに気があるようです。でもナイさまは彼の好意に全く気付いておりません。アリアさんと一緒にやきもきしながらお二人の進展を願っているのですが、アルバトロス王国やハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家から婿入りを打診されれば、ナイさまは受けてしまうのか心配です。


 しかし女神さま方とグイーさまも亜人連合国の方もナイさまに無理矢理添い遂げさせようとすれば、烈火の如く抗議しそうです。わたくしにも容易に分かってしまうのですから、ナイさまの後ろ盾である彼らが無茶をやるとは思えません。それならばジークフリードさんとくっ付けてしまった方が早いと考えるのが自然なような気がしますし……なににせよ、わたくしが口を挟んで良いことではないので、そっと後ろから見守るのみ。


 「いろいろとあるんだね」


 「装飾を凄え凝ってるのもあるな」


 「装飾が良いものは貴族や豪商の者が買っておりますな。女性用として一回り小さいサイズもご用意しております」


 ヴァルトルーデさまとジルケさまの声に父が反応しました。にこりと笑っているので商売人を見ているようです。ナイさまは父が案内した高級品――時計自体、高級品ですが――の棚から離れていき、少し手に入れやすい値段の棚を興味深そうに見上げています。

 そんなナイさまに気付いたヴァルトルーデさまとジルケさまが、彼女の隣に並んで棚を覗き込んでおります。二柱さまと一人のはずなのに、並ぶ姿を見ているとまるで姉妹のようです。外見は身長が勝っているヴァルトルーデさまが姉ですが、ジルケさまとナイさまの方が確りとしておられるのです。


 「ナイ。気に入ったのあった?」


 「こっちの方が飾りも少ねえな。シンプルで良いじゃん」


 二柱さまが棚を見上げているナイさまの顔を覗き込みます。ナイさまはかなりシンプルな懐中時計に視線を向けたまま口を開きました。


 「気に入ったというか、ふと……子爵邸で働いている方々に贈るのもアリかなあと」


 ナイさまがいつもお世話になっているのでと言葉を付け加えました。ナイさま……子爵邸で働いている皆さまは現状でも十分に満足なされているかと。夏と冬に特別給金が出たり、休んでも欠勤にならないという信じられない制度があったり、託児所があったり、裏庭で採れた野菜を持って帰っても良いとあったり、子爵邸の料理人の皆さまにお願いすればお弁当を持ち帰ることもできたりと、本当に子爵邸で働く方々に対しての制度が充実しているのですが。わたくしも子爵邸で働く侍女の方から話を聞いて、父にどうでしょうかと提案したものの受け入れがたい代物のようでした。


 「ソフィーアさま、セレスティアさま、どう考えますか?」


 ナイさまはソフィーアさんとセレスティアさんを頼りにしているようで、側仕えである二人に声を掛けます。ヴァルトルーデさまとジルケさまも『できるかな?』『どうだろうな』と顔を見合わせておりました。


 「ナイがやりたいなら構わない。ただ高級な物は贈るなよ」


 「ですわね。どうしてもというのであれば、長年務め上げた者や功績を挙げた者に限定するなどでしょうか」


 ソフィーアさんとセレスティアさんの声に父が目の色を輝かせ、商売の話が舞い込んでくるかもしれないと期待しているようでした。ナイさまはお二人の言葉を聞いてなにやら考え込んでいるようです。ナイさまの後ろに控えているジークフリードさんとジークリンデさんが真面目な顔から心配そうな顔へと変わり、ヴァルトルーデさまとジルケさまもナイさまの顔を見ながら首を傾げております。


 「あ。外のケースをドワーフさんに作って貰えば……」


 ナイさまが良いこと閃いたと言いたげな顔で問題発言をなさいます。ソフィーアさんが顔を引き攣らせ、セレスティアさまがウキウキの顔を浮かべましたが直ぐに普段の顔色に戻りました。


 「そうなれば、超高級品になるぞ」


 「ナイ。そろそろドワーフの方々が鍛えた品はもの凄く価値のある物だと認識してくださいませ。ケースを竜のお方の鱗で鍛えて貰えば、安く上がるなんて考えておりませんでしょうね? ……わたくしは凄く嬉しいですけれど」


 ソフィーアさんとセレスティアさんの仰る通りです。中の機械は我々侯爵領の職人たちが作った物でも、外のケースがドワーフの方々が鍛えたとなれば凄く価値があるものに跳ね上がります。ナイさまは何故かドワーフの方が鍛えた品やエルフの方々が編んだ反物に対して、我々とは違う価値観を持っているようです。


 一先ず、女神さま方が欲しい懐中時計を選ぼうとなり、ナイさまの話は王都に戻ってから話を詰めることになりました……わたくしは暫くの間、父との手紙のやり取りで忙しくなりそうです。


 「私はこれ」


 「あたしはこれだ」


 ヴァルトルーデさまとジルケさまがお決めになった懐中時計は、高級品の並ぶ棚からではなくナイさまが見上げていた手に入れやすい値段――平民の方にとっては高級品――から選んでくださいました。

 二柱さまともケースはシンプルな物で彫刻もなにもない凄くあっさりとしたデザインの物で、大きさや留め具の形が少しばかり違います。二柱さまはシンプルな物を好むのだなと目を細めていれば、父は『そんな品で大丈夫か』と青い顔を浮かべているのでした。

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― 新着の感想 ―
 物には対価が必要って、ナイさんの教育の賜物ですねぇ。  ただ、献上するという事自体に価値が付随する事も有るということをナイさん含めてお勉強しましょうね。  ソフィーアさま、時計自体が高級なのですが…
2025/01/02 08:33 名無 権兵衛
>二柱さまはシンプルな物を好むのだなと目を細めていれば、父は『そんな品で大丈夫か』と青い顔を浮かべているのでした。  これを言われたら、やはりアレで返さねば。 二柱「「大丈夫だ、問題無い」」
そういや貴族になってそれ程長くないから、まだ長年と言うほど長く仕えてる人はいないんですよね。何年勤続したら渡すとかにしても何年が妥当だろう? 執事や家宰や侍女長とかの上位陣は封建社会だと一生涯どころか…
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