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1162:緊張の時。

 ――三日後。


 道すがら、各領地のご領主さまにお呼ばれして無難に対応しながら、リヒター侯爵領領主邸まで辿り着いた。道中は問題なく対応できていたはず。正体を隠しているヴァルトルーデさまと南の女神さまに領主の方が驚いていたり、街や村の人たちも気圧されていたけれど女神さまだとは気付いていない様子であった。

 通信網が発展していないお陰か、女神さまの容姿は下位貴族の方や一般の皆さまには知れ渡っていないようだ。女神さまのご尊顔が露見するのは時間の問題だろうけれど、今暫くは圧の強い凄く美人な女性と小柄で可愛らしい女性で通りそうである。


 「ハイゼンベルグ公爵領に赴いた時より短い時間ですけれど、慣れないと馬車はお尻が痛いですね」


 私は馬車の中でソフィーアさまとセレスティアさまに言葉を向ける。ヴァルトルーデさまと南の女神さまは車窓から流れる景色に意識を取られていた。

 侯爵領というだけあって街の規模が大きいし、大きな商家も点在しているようである。アストライアー侯爵領は小麦の生産が主であるためか、リヒター侯爵領よりも街の規模が小さいので、視察でいろいろと学べる所があると良いのだが。一先ず、ようやく二泊三日の旅に終止符が打てると、私は苦笑いを浮かべた。


 「長距離を転移でき、かつ多い人数となると術を扱える魔術師がかなり限られてくるからな」


 ソフィーアさまが至極真面目な顔で告げた。転移を扱える魔術師はいるけれど、長距離や大人数と荷物を大量に一緒に移動できる魔術師の方はかなり限られる。


 「お師匠さまでも王都からヴァイセンベルク辺境伯領ほどの距離を十名が限界と仰っていましたもの。ナイが転移魔術を十全に使いこなせるようになれば、問題解決しそうですわ」


 セレスティアさまは転移を扱える魔術師の方で一番優れている方を口にした。確かに副団長さまでも十名程度が限界ならば、他に距離や人数を稼げる方は少なそうである。

 確かに私が転移をきちんと覚えれば良い話ではあるが、どうにも視界で見える範囲にしか移動できない。誰かと一緒に転移することも考えてみたけれど、転移し終わったあと相手の方がひき肉になっても困るので試していない。


 『ロゼの仕事! 取らないで!』


 ロゼさんが馬車の床でセレスティアさまに反発した。私にはロゼさんがいるので転移に関して困ることはないし、飛竜便も使うことができるので移動に関しては困っていないのが現状だろう。

 ぷっくりとスライムさんボディーを膨らませて、怒っていますとアピールしているロゼさんを私はひょいと抱き上げて膝の上に置いた。またスライムさんボディーをぽよんと揺らしたロゼさんが声を上げる。


 『ロゼ、この場所、覚えた!』


 どうやらロゼさんはリヒター侯爵領の位置を把握できたようである。なにか特産品や珍しい品があれば買い付けに気軽にいけるようになるが、私がリヒター侯爵閣下に黙って赴いたとなれば少々問題が起こる。

 お貴族さま界隈だと面子やらしきたりやらで、隠密活動をしていたと露見するといろいろ面倒になる。手紙を出して『領都でお買い物しますね』と伝えても、晩餐会や昼食会に誘われてしまう。まあ露見してあとから文句を言われるよりは、お付き合いとしてお誘いを受けた方が良いのだろう。美味しい料理が食べられると割り切れば悪い話ではないはずだ。機嫌が直ったロゼさんのつるつるボディーを私が撫でていると、セレスティアさまがふうと息を吐く。

 

 「確かに頼りになりますが、ロゼはナイの命がなければ動いてくれませんもの」


 セレスティアさまにロゼさんが当然だと言いたげにスライムさんボディーを膨らませた。確かにロゼさんは私の言うことにしか従わず、あとは気の向くまま副団長さまの所で魔術を習ったり、ヴァナルのお腹の所でゆっくりしていたりと気ままに過ごしている。


 もしかしてセレスティアさまはロゼさんに転移をお願いできるなら、辺境伯領にもっと足繁く戻ることができると考えたのだろうか。確かに転移をできる魔術師の方を雇うのはお金が掛かるし、ヴァイセンベルク辺境伯家お抱えの転移魔術師も希望の日にお願いできるとは限らないはず。

 セレスティアさまの言葉にソフィーアさまが『言いたい放題だな』と呆れて小さく息を吐いていると、馬車がカタンと小さく揺れる。どうやらリヒター侯爵領領都の領主邸にある馬車回りに辿り着いたようだ。


 窓の外を見てみると、玄関先にはリヒター侯爵さまとリヒター夫人にご家族の方、そしてロザリンデさまとアリアさまが出迎えてくれている。私が降りようと皆さまに声を掛けると、確りと頷いてくれるのだった。


 ◇


 ――凄いことになったものだ。


 アストライアー侯爵と縁を繋げたのは私の娘、ロザリンデのお陰である。だがアストライアー侯爵にとって我が娘ロザリンデの印象は最悪だったのではなかろうか。


 約三年前、ヴァイセンベルク辺境伯家が王家に出した嘆願により、大規模討伐編成が組まれて魔物の異常発生の原因を突き止めるべく、当時平民であったアストライアー侯爵とロザリンデは聖女として遠征に参加した。

 そこで失態を犯したロザリンデの態度は褒められたものではない。軍と騎士団に迷惑を掛けてしまったことは私がいろいろと取り計らい大事にはならなかった。


 それにロザリンデは遠征で失敗したことを確りと反省したようで、あの気の強かった娘が随分としおらしくなったことには驚いたものだ。我が妻も娘の変りように驚いていたが、本人から根気よく話を聞き出せば、どうやらリヒター侯爵家の一員として気を張っていたようである。

 ロザリンデの外見は気の強そうな顔付きなのだが、内面は真面目な性格だった。それ故にリヒター侯爵家の娘として恥ずかしくないようにと無理に振舞っていたようである。振舞い方を間違えていた気もするが、終わったことを掘り返しても意味がない。


 今回の西の女神さまご訪問の話をロザリンデから聞いた時は胃がきゅっと締まったが、貴族として悪い話ではない。むしろ元手がないまま、リヒター侯爵家の名をアルバトロス王国どころか西大陸に馳せることになるのではなかろうか。

 失礼があってはいけないと各方面に細かなことを指示していれば時間が過ぎおり、西の女神さまと南の女神さまとアストライアー侯爵を待たせた形となってしまった。不徳の致すところだが、視察でどうにか挽回したいものである。


 「アストライアー侯爵閣下ご一行が領都の大門を抜けたそうです!」


 執務室で西の女神さま方の到着をまだか、まだかと待っていれば、我が家の騎士が報告にきた。ビシッと敬礼をしているものの緊張しているようで普段の動作より硬い。私は彼にご苦労と告げ、家宰には皆を玄関前に呼べと頼む。

 私は椅子からゆっくりと立ち上がり執務室の扉を目指して歩くのだが、いつもより遠く感じてしまうのは何故だろう。


 ――緊張している。


 緊張するのは当然だ。なにせ大陸を司る西の女神さまと南の女神さまと直接話を交わすことができるのだから。ロザリンデとアリア嬢から話を聞いたところ、西の女神さまは腰が抜けそうなくらい美人であり、耳が蕩けてしまうほどの美声の持ち主で肌も白く手足も長いお方とのこと。

 南の女神さまは小柄であるが黒髪黒目故にアストライアー侯爵に似ていると教えて貰っている。果たして私は腰を抜かさず対応できるのだろうか。みっともない所は高位貴族の当主として見せられないが、娘たちの話を聞いていると驚かずにいられる自信はあまりない。いつもより重いドアノブを握り込み執務室の外に出れば、ロザリンデと女神さまの案内を務めたことがあるアリア嬢が一緒に並んでいる。


 「ロザリンデ、アリア嬢、どうしたね? 早く玄関に出て女神さま方とアストライアー侯爵を迎え入れよう」


 私はいつも通りの鉄面皮を張り付けて務めて平静を装った。幼い頃からリヒター侯爵家の当主を務めるべく教育を受けてきたのだから、娘たちの前で平気な顔を装うのは赤子の手を捻るより簡単なものである。ロザリンデは少々心配そうな顔を浮かべ、アリア嬢はにこにこと笑みを浮かべ彼女の性格をそのまま表していた。


 「はい、参りましょう。ご緊張なされているか心配でしたが、流石お父さまですわ」


 「私の父はずっと緊張しっぱなしでしたので、侯爵家の方は違いますね! 流石です!」


 若い娘たちに褒められれば悪い気はしないのだが、少し先のことを考えると今の平静さが保てるのかと私は心配になってくる。大丈夫だと私は自分に言い聞かせ、歩を進めればロザリンデとアリア嬢が私の後ろをついてくる。その途中で妻と継嗣である長男が姿を現したのだが、難しい顔をありありと浮かべていた。


 「緊張しますわ」


 「母上、私もです……」


 妻と長男の心配そうな声を聞きいていると、アリア嬢が『大丈夫ですよ! アストライアー侯爵閣下も一緒ですから!』と二人に語り掛けている。良い子であるが、肝が据わり過ぎてやしないだろうか。

 とはいえロザリンデもミナーヴァ子爵邸で女神さま方と話す機会があったようで、我々よりも緊張していないように見える。


 玄関ホールに辿り着けば、リヒター侯爵領領主邸で働く者たちと主要な関係者が全員集まっている。私が家宰に頷けば、彼は皆に頷いた。

 皆、一様に緊張している。女神さまと顔合わせるすことが信じられないと申していた者もいるそうだ。私も信じられないが、ロザリンデから話を聞いているし、国王陛下とも女神さまはお会いしている。ハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯も顔合わせをしているので嘘ではなく事実であるが、やはり実際に目にするまで信じ辛いようであった。


 「中で迎え入れるのは失礼にあたる。皆、外に出るぞ」


 私がそう告げて玄関の扉を開き外へと出る。そうして馬車回りの直ぐ側にある屋根の下で待機していた。いつもであれば侍女や下働きの者たちの声が耳に届くのだが、今日は一切聞こえてこない。

 静まり返ったリヒター侯爵領主邸の前で鳥の囀りだけが響いている。そうして暫く待っていれば、アストライアー侯爵家の家紋を掲げた立派な馬車が見えてきた。ごくりと息を呑んだ音が聞こえたが、一体誰のものだろうか。馬車の後ろには天馬とグリフォンが控えており、警備の者の数も尋常ではない。凄い方を招いてしまったと、口が引き攣りそうになるのを私は我慢する。


 ゆっくりと静かに停まった馬車の扉を赤毛の騎士が丁寧に開けた。最初にヴァイセンベルク辺境伯令嬢が馬車から降り、ハイゼンベルグ公爵令嬢――正しくは孫娘――が降りた。

 そしてアストライアー侯爵が赤毛の男騎士のエスコートを受けながら、足元に注意を払いながら降りる。そうして彼女はくるりと馬車へと向き直り、黒髪黒目の小柄なお方の手を取ってエスコートをしている。


 女性が、それも侯爵家当主が誰かのエスコートを担うなんて信じられないが、お相手は女神さまである。女神さまの身体に触れられることを許されているとは……と信じられない光景を目に焼き付けていると『ありがとな』と少し軽い物言いであるが、綺麗な声が私の耳に届く。

 今の声が南の女神さまのものかと感心していると、次に降りてきた方の手もアストライアー侯爵が取っていた。


 「…………」


 西の女神さまのお姿を認めれば、時間が止まっていた。アストライアー侯爵がエスコートを担いながら、無表情であるがとんでもない雰囲気を携えた西の女神さまが馬車のステップを降りたのだ。

 なんという美しさだ、というのが始めてお姿を拝見した私の感想だった。もっと表現の仕方があるのだろうが言葉にならない美しさに、ただただ女神さまの一挙手一投足を見逃さないようにと目に焼き付ける。


 「ナイ、ありがとう」


 「いえ、お気になさらず」


 西の女神さまの声が南の女神さまに続いて聞こえてきた。本当に声までこの世の物とは思えない音で、どんな高級な楽器でも奏でられない音である。私が女神さま方から目が離せずにいると、背後から気配を感じた。


 「お、お父さま!」


 ロザリンデが声を掛けてくれて、はっと正気に戻る。そうだリヒター侯爵家当主として二柱さまとアストライアー侯爵と挨拶を交わさねばと一歩前に踏み出そうとするのだが……足が出ない。頼むから動いてくれと願えば、どうにか最初の一歩を踏み出せた。あとは勢いで数歩進み、女神さま方とアストライアー侯爵と対面する。


 「リヒター侯爵閣下、視察の話を受け入れてくださり感謝いたします」


 最初に声を上げたのはアストライアー侯爵だった。本来であれば私から遠路はるばるご苦労だったと申し出るべきだが、彼女に気を使わせてしまった。ただ話す切っ掛けを貰えたことは有難い。

 もしかして彼女は私のことを慮ってくれているから、先に声を掛けてくれたのだろうか。まだ十代の少女だというのに本当に確りしていると目を細めて、私は口を開いた。


 「娘のロザリンデからアストライアー侯爵閣下直筆の手紙を受け取った際は驚きましたが、名誉なことです。女神さま方に満足して頂けるかは分かりませんが、精一杯、案内役を務めさせて頂きます」


 そうして私はアストライアー侯爵と西の女神さまと南の女神さまに頭を下げた。アストライアー侯爵は西の女神さまと南の女神さまへと顔を向ける。


 「無理を言ってごめん。でも楽しみ。二日間、よろしくね」


 「あたしはオマケだから、気を張らなくて良い。よろしくな」


 西の女神さまが我々を気遣いながら言葉を掛けてくれることに、至上の喜びを感じてしまった。神さまなのだから命令を下されるのかと思いきや、一個人としてきちんと見てくれているようだ。南の女神さまはオマケだと言っているが、付属として扱える方ではない。とはいえ、彼女も彼女なりに我々を慮ってくれているのだろう。


 緊張が消えることはないが……少しだけ気が楽になったとリヒター侯爵家の面々にも視線を向ける。まだまだ彼らも緊張しているのだが、これから二日間、無事に乗り切れるのだろうかと空を仰ぐのだった。

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― 新着の感想 ―
 リヒター卿って普通にお貴族様なのですねぇ。  ナイさんのことを成り上がりとか軽んじてはいらっしゃらない所はGood!  ただ、女神様方を御招きした事で他家に対してマウントを取れると考えている所は俗物…
2025/01/02 08:01 名無 権兵衛
まあアリアちゃん初対面でナイにお姉さま呼びしようとしてたからなあ・・・今なら出来るのでは!?
〉強いアリア様 いやぁ〜彼女、真ヒロイン様だから仕方が無いっぽいんですよねー。 ゲームだと攻略対象を軒並み堕とす女性らしいですし(苦笑) 其処を侯爵に教えてあげれば天を仰ぐかの様に見上げて現実逃避す…
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