1161:リヒター侯爵家からのお返事。
やはりリヒター侯爵家では西の女神さま……ヴァルトルーデさまを迎え入れるためにかなり気合を入れているようである。この事実は期待値が上がっても駄目だから、ヴァルトルーデさまには言わない方が良いだろうと南の女神さまと相談済みだ。
ロザリンデさまとリヒター侯爵閣下にも気負わずに、お偉いさん方が視察にきたくらいの気持ちで構わないと改めて伝えた。リヒター侯爵家の皆さまが私の言葉をどう受け止めてくれるか分からないけれど、視察が長引けば長引くほど大変な事態になりそうである。
ミナーヴァ子爵邸の私室で外を見ているのだが、いつも側で『構え!』『遊んで!』『何かしよう』と毎度訴えてきてくれる毛玉ちゃんたち三頭がフソウに滞在しているためなんだか変な感じだ。
ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは部屋の中でまったりと彼らの時間を過ごしている。ジークとリンは訓練場に赴いているし、私の話相手はクロたちだ。女神さま二柱は図書室とサンルームでゴソゴソしているはず。
「静かだねえ」
『一番賑やかな仔たちがフソウに行ったから。静かだよねえ』
私が声を上げるとクロが答えてくれた。毛玉ちゃんたちがいれば私が構わなくとも彼らでワンプロを始めわちゃわちゃしているのだが、どったんばったんという音がないので部屋の中は凄く静かである。
疲れ果てれば蒸気機関車のような息使いを五頭みんなで上げているし、尻尾をぶんぶんに振って床を叩いている音も聞こえない。やはり少し寂しいなと私が苦笑いを浮かべると、ヴァナルが床からむくりと身体を起こし、雪さんたちもこちらを見た。
『きっと今頃、ゴンタと遊んでる』
『騒がしいのでしょうねえ』
『桜が一番、お転婆ですから』
『権太を尻に敷かなければ良いのですが』
ヴァナルと雪さんたちが毛玉ちゃんたちと権太くんを思いながら目を細めていた。毛玉ちゃんたちと権太くんはフソウでいろいろと冒険を楽しんでみたり、遊んだりして満喫しているのだろう。
迷惑を掛けるようなことをしてないか少々心配であるが、帝さまとナガノブさまがいらっしゃるから大抵のことはなんとかなる。屋敷には毛玉ちゃんたち以外にもアシュとアスターとイルとイヴもいるのだが、基本外で生活しているから少し距離がある。毛玉ちゃんたちが留守の間、彼らと仲を深めるのも良いかもしれない。ポポカさんたちの帰島もあるのだから、いろいろと手配を始めたい所だし。
『春がくればガラリと環境が変わるねえ』
「私に付き合わせてごめんね」
クロが王都のアストライアー侯爵家がある方向を向いてから私を見る。確かにミナーヴァ子爵邸にいる時間は残り少ないし、随分と広い侯爵邸へと移り住むことになる。
環境が変わるのは確実なので、クロたちに負担になっていないか少々心配だった。平気そうにしていても、なにか不調があるかもしれないから引っ越してから暫くは注視しておかないと。屋敷で働く一部の方たちも慣れない場所に移ることになるので、クロたち以外にも気を払っておかないと。私が少し困り顔を浮かべると、クロは機嫌良さそうに顔を擦り付けてきた。
『気にしなくて良いよ。ボクがナイの側にいたいから一緒にいるんだし。放置される方が悲しいかな』
ふふふと笑うクロの声が私の耳元で聞こえ、ヴァナルと雪さんたちが床から立ち上がり私の下へきてちょこんと床にお尻を付けた。
『みんな、一緒』
『新しい屋敷に移り住みますものねえ』
『広くなるので有難いですよ』
『動き易くなりましょう』
こうして問題ないと言ってくれるのだから有難いことである。私が移動するならと、クロとロゼさんとヴァナル一家とジャドさん一家は引っ越しに快諾してくれている。
お猫さまは微妙な反応だったけれど、ジルヴァラさんも移り住むし、みんながいなくなるのは寂しいようで『仕方ないのう』とボヤいていた。ポポカさんたちもジャドさんの通訳で引っ越しに賛成してくれていた。とはいえポポカさんたちは南の島に戻る可能性もあるから、春に侯爵邸にいるのかは未知数である。
クロたちと未来の話や他愛のないことを話していると、西の女神さま、ヴァルトルーデさまが私の部屋にやってきた。どうしたのだろうと私が首を傾げると、彼女は少し嬉しそうな顔を浮かべる。
「やっとロザリンデに誘われた」
へなりと笑いながらヴァルトルーデさまが仰った。どうにもアリアさまのフライハイト男爵家の視察に行ってから間が空いていたので、いつお誘いを受けるのかヴァルトルーデさまはソワソワしていたようである。
リヒター侯爵家も女神さまを受け入れるためにと用意をしていたから仕方ないけれど、少々時間が経ち過ぎていた。ヴァルトルーデさまは平気そうな振る舞いをしていたけれど、心の中ではきちんと招待されるのかと悩んでいたようだ。
まあ、女神さまとの約束を反故にする貴族家なんて存在しないので、無用な心配だけれども。とりあえず、私も気になっていたから話が進んだことに安堵する。
「ようやくですねえ」
私が目を細めると、ヴァルトルーデさまが私の下へと歩を進めた。
「ナイも一緒に行こう。多分、緊張してるから。末妹は置いて行った方が良いのかな?」
元々、私も参加予定だから問題ないのだが、ヴァルトルーデさまは南の女神さまを置いていくつもりなのだろうか。リヒター侯爵家の精神面を考えると、女神さまお一柱の方が気は楽だろう。でも、他家には西と南の女神さまが視察に赴いたのに、リヒター侯爵家にはヴァルトルーデさまだけだったとなれば不味いような気もする。とはいえ南の女神さまの意思もあるのだからと私は口を開く。
「南の女神さまに聞いてみましょう。島に戻っている可能性もありますしね」
「ん」
私が言い終えるとヴァルトルーデさまが手を差し出す。どうやら今から南の女神さまの下へ行くつもりのようで、私も一緒にこいということらしい。
流石に差し伸べられた手を無下にするわけにはいかず、私はヴァルトルーデさまの手に手を重ねて椅子から立ち上がった。クロもご機嫌に『一緒に行けると良いねえ』と呟いたから、南の女神さまの参加は決定したような気がする。
「クロは末妹が一緒の方が良いの?」
『大勢いた方が賑やかで楽しいよ~』
「そっか。そうだね。じゃあ妹には行こうって誘おう」
なんだか南の女神さまも強制的に参加することになったので、私は心の中で南無と手を合わせる。女神さまに仏式で手を合わせるのは変だけれど気持ち的に拝みたい。
強制的に決まったけれど話はしないといけないと、私たちはサンルームに足を向けた。昼下がりの午後の時間、サンルームは陽の光を浴びて随分と暖かい。南の女神さまはジャドさんの背中で寝息を立てていたのだが、ヴァルトルーデさまが南の女神さまの肩を揺らして意識を覚醒させる。
「んあ……姉御、どうしたんだ?」
ジャドさんのふかふかの背の上から身体を起こした南の女神さまがヴァルトルーデさまを見下ろしている。珍しい構図だなあと感心しながら私は二柱さまの後ろで様子を伺う。クロとヴァナルと雪さんたちも目に映っている光景が新鮮な様子であるが、黙って彼女たちを見守っている。
「ロザリンデが領地の視察にきてって。妹も行こう」
ヴァルトルーデさまがようやくお誘いを受けたことにドヤ顔で南の女神さまに告げた。南の女神さまはヴァルトルーデさまの短い誘い文句を受けて、なにか考え込んでいる。
ジャドさんは面白そうですねえと南の女神さまを乗せたまま話を聞いており、アシュとアスターとイルとイヴもポポカさんたちの面倒を見ながら様子を見ていた。ポポカさんたちは女神さまのことを理解しているのかいないのか、呑気にポエポエ声を上げている。私はポポカさんたちを撫でようと、少し立ち位置を変える。
「今回、ナイは行くのか?」
「ナイも行く」
南の女神さまに私ではなくヴァルトルーデさまが間髪入れずに答えた……まあ、いいか。
「なら、あたしは行かなくて良いだ……って、なんで姉御はそんな顔してんだ! 分かった、行く! 行けば良いんだろ! 美味い物食えるかもしれねえし、行く!」
南の女神さまは領地視察にあまり興味はないようで、私がいるならヴァルトルーデさまが暴走しないだろうと判断したようだ。でも言っている途中で慌てたような雰囲気になり、ヴァルトルーデさまの背から凄い圧が漏れていて、南の女神さまは意見を一瞬で逆転させる。
ポポカさんたちを撫でようとした私の手は止まり、南の女神さまが何故か助けを求めているような気がして二柱さまの下へと歩く。
「では、みんなで行きましょう」
「ん」
「しゃあねえな」
へらりと小さく笑うヴァルトルーデさまとぽりぽりと後ろ手で頭を掻いている南の女神さま。視察の参加メンバーはいつも通りになったと、いろいろと予定を調整すれば、視察当日になるのだった。
リヒター侯爵領へは初めて赴くためロゼさんの転移は使えない。次に赴く時に、女神さまが同行する場合は飛竜便を使うことになるだろうけれど。ロゼさんが私の影から出てきて、王都のミナーヴァ子爵邸からリヒター侯爵領まで外を見学するようである。
ぽよんと揺れるロゼさんボディーをヴァルトルーデさまが興味深げにべしべし撫でている。ロゼさんは女神さまに文句をいう気はないようで、大人しく撫でられていた。
南の女神さまは『スライムが喋っていることが、本当に信じられねえ』と顔を引き攣らせているものの、前からロゼさんは人の言葉を理解している。私は南の女神さまにロゼさんは産まれが少々特殊なだけだと伝えてみたものの、懐疑な顔を浮かべたままだ。
『リヒター侯爵領、ロゼ、知らない……』
「知らないけれど、次に行く時はロゼさんに転移をお願いすることになるよ」
私がロゼさんの下にしゃがみ込むと、片方の身体を凹ませてロゼさんが妙な形になっている。ヴァルトルーデさまはロゼさんボディーが気に入ったようでまだ撫でている。
『ロゼに頼って!』
「うん。次はお願いします」
ロゼさんがパンと身体を丸く張ると、ヴァルトルーデさまが『きゃっ』と可愛らしい声を出していた。私と南の女神さまが『あんな声出せるんだ……』と驚いていると、ヴァルトルーデさまが頬を膨らませて『驚くことくらいある』と抗議の声を上げる。
一先ず、いつものメンバー、ようするにソフィーアさまとセレスティアさまとヴァルトルーデさまと南の女神さまと私は馬車に乗り込み、ジークとリンは外で警護に就く。
今回、人手が足りないということで近衛騎士団から数名護衛の方を借り受けたのだが、一人はマルクスさまである。大丈夫かなと心配しながら馬車から窓の外を見てみれば、真面目な顔のマルクスさまが馬に乗っている姿が見えた。そしてエル一家とジャドさん一家に驚いて目を真ん丸にしている所も見えたのだが、まあ移動しているうちに慣れるだろう。
ロザリンデさまはリヒター侯爵領に先に赴いて、私たち一行を迎え入れてくれるそうだ。アリアさまも彼女と一緒に付いて行ったので、ロザリンデさまから一緒にいて欲しいとお願いされたのだろう。仲良きことは美しきかなと窓の外を見ていると、馬車がゆっくりと動き始める。――リヒター侯爵領までの二泊三日の旅が始まった。