1160:西の女神さまのお気持ち。
北と東の女神さまの滞在三日間は嵐のようだった。屋敷内のいろいろな物に興味を示して『あれはなに?』『これはなに?』という質問に追われ、私は間違えたことを教えてはいけないと頭を捏ね繰り回していたため、二柱さまのお相手は割と有意義だったかもしれない。
フィーネさま聖王国組とエーリヒさまは用事は終わったと、北と東の女神さま滞在一日目でさっくりと国と仕事へ戻って行った。薄情者~と言いたいけれど、予定がそうなっていたのだから仕方ない。
北と東の女神さまの滞在でちょっとした変化が起こっているのだが、張本人、ならぬ張本神さまは大丈夫だろうか。何故か西の女神さまが北と東の女神さま滞在の間は不機嫌だった。元々、表情の乏しい西の女神さまであるが、感情がないというわけではない。嬉しければ微かに微笑んでいるし、料理が不味ければ『私の口には合わなかった』とはっきりと教えてくれる。
二柱さま滞在の三日間、何故か北と東の女神さまの後ろで無表情でいることが多かったのだ。特に私が北と東の女神さまに仮名を贈ったときは、凄くむっとしていた気がする。流石に今は北と東の女神さまは神さまの島へと戻って行ったので、怒ってはなさそうである。ただいつも図書室で本を読んだり、エル一家とジャドさん一家の相手を務めていたり、庭の草花を眺めていたりと暇な時間なんて西の女神さまになさそうだった。
が。今はサンルームの椅子の上で肘をつき、暇そうにぼーっとしているのだ。私は南の女神さまと一緒に西の女神さまを遠目から見守っているところである。
「大丈夫なんですか、西の女神さま」
「どうだろうな。なーんか、機嫌が悪いつーか……考え事に耽っているというか。あんな姉御見たことねえ」
私たちはサンルームにいる西の女神さまに気付かれないようにと、少し背の高い草木に隠れて覗き込んでいる。庭師の小父さまが南の女神さまと私を見てぎょっとしているけれど許して欲しい。
南の女神さま曰く、あんな姿の西の女神さまは見たことがないようで懐疑な表情を浮かべてマジマジと彼女を見ている。私も西の女神さまとは短い付き合いだが、黄昏ている姿の彼女を拝むのは初めてである。教会関係者なら『お美しい姿だ』と言い出すのかもしれないが、私的には何故深く考えに耽っているのかと首を傾げてしまう。
「声を掛けても良いでしょうか」
「死にはしねえし、ナイなら大丈夫だろ」
私が疑問を南の女神さまへ投げると、物騒な返事が戻ってきた。西の女神さまの機嫌は悪そうであるが、南の女神さまの仰る通り命までは奪われないはずだと隠れて見ていた茂みから私は立ち上がる。
悩んでいる西の女神さまをずっと見ているよりも、なにか話して解決できるのであれば有意義だろうと私は歩を進めた。私が歩を進めるということは、いつも一緒にいるジークとリンにクロとロゼさんとヴァナル一家も一緒である。
「放っておけば良いだろうに、ナイは面倒見が良いよなあ」
南の女神さまがぼそりと呟いているけれど、私の耳にははっきりと声が届かない。用があるなら呼び止められているだろうと歩みを続けてサンルームの外へと繋がっている扉の前に立つ。中には物憂げな西の女神さまとジャドさんたちが彼女の側で寝息を立てている。ポポカさんたちも晴れた冬の光に温められたサンルーム内で気持ち良さそうに日光浴をしていた。
ミナーヴァ子爵邸だから西の女神さま的に私がどこにいようとも勝手という認識のようだが、彼女に気付いて貰うために透けている扉を二度ノックした。ノックの音に気付いた西の女神さまが肘を付いていた手から顔を離して、こちらを向く。入りますよ、と私はサンルームの中へと指差して扉のノブを捻って中へと入る。
「どうしたの、ナイ。珍しい」
「少し西の女神さまの様子が気になって、お伺いしてみました」
こてんと首を傾げた西の女神さまの真ん前に私は椅子に腰を下ろした。侍女の方がいればお茶を淹れて頂く所だけれど、西の女神さまの要望なのか席を外しているようである。お茶菓子が食べれないのは残念だけれど、私は背筋を伸ばして目の前の方と視線を合わせた。とりあえず無視されなくて良かったと安堵しながら、遠回りはせずストレートに私は疑問を投げた。
「いつもと変わらないと思うけれど」
今度は逆にこてんと西の女神さまが首を傾げると、私の肩の上に乗っているクロもこてんと顔を小さく傾げる。
「なんとなくですが、北と東の女神さまが屋敷を訪ねて以来、西の女神さまの様子が少しだけ変な気がします」
私が『ね』とクロに顔を向けると、こくんとクロは一つ頷いてくれる。毛玉ちゃんたち三頭も西の女神さまの様子が気になるのか、尻尾をぶんぶんに振りつつも今は構ってと言えない状況だと理解していた。
「そう、かな?」
「南の女神さまも不思議そうにしておられますよ」
南の女神さまを巻き込んでしまって申し訳ないけれど、彼女も西の女神さまの様子を気に掛けている一人……一柱である。例え神さまであろうと家族だし、末妹さまが長姉さまの様子に気を揉んていると知っていて欲しい。余計なお節介かもしれないが、やはり心配している方がいると知っているのといないのでは西の女神さまの気持ちも変わってくるはず。
「……よく分からない。でもナイが北と東の妹に仮名を上げた時、どうしてかイラっとした。なんでだろう」
むーと西の女神さまが困った子供のような顔を浮かべて悩み始めた。私に西の女神さまの心の内は読めないし憶測でしかないのだが、西の女神さまの中で仮名が特別な物になっていたのだろうか。
私も何故だろうといろいろと考えてみるものの、最有力は単純に北と東の女神さまにも仮名が贈られた嫉妬だろう。しかしコレを口にしても良いのだろうか。私もむーと悩んでいると西の女神さまが口を開いた。
「分かるなら教えて欲しい。私は心の機微に疎いって母さんに言われているから。私は私のことを良く分かっていない」
西の女神さまが持つ感情の変化に鈍いとご自身で分かっているのであれば、伝える必要もなさそうだけれども。
「えーっと……一番単純な理由が、西の女神さまの気持ちの中で仮名が特別なものになっていたのではないかな、と」
「確かにナイから名前を貰った時は嬉しかった。でもナイは私の名前を呼んでくれない」
西の女神さまが考えつつ、彼女の心の内を教えてくれる。仮名だからと悩まずに贈ってしまったのだが良かったのだろうか。西の女神さまは続けて他の方たちはちょいちょい『ヴァルトルーデさま』と呼んでくれていたのに、名前を贈った私が一番呼んでくれなかったと口をへの字にした。
いや、流石に必要最低限だと考えて呼ばないようにと私は立ち回っていたのだが、まさか私が名前を呼んだ回数を西の女神さまが数えていらっしゃるとは。ちょっと待って欲しいと私は頭の中で言い訳を捻り出す。
「流石に気軽に呼んでしまうのは不味いかと。仮名を贈ったのは西の女神さまと露見しないための対策でしたし」
そう、そうだ。気軽に名前を呼んで、見ず知らずの方にも名を呼ばれては駄目だろうと最小限に留めていた。それに移動の道中のお貴族さまへ向けた挨拶の時だけ困っていたので仮の名を贈らせて頂いたのだから、今は西の女神さまで問題ないはずである。
「呼んで良いよ。西の女神さまって他人行儀な感じがする」
西の女神さまが私に視線を向けているのだが、一ミリたりとも離していないような。これはもう諦めるしかないのだろうか。なんだかこの先、女神さま方に仮名を贈った者として私の名前が広まっていきそうな予感がする。でもまあ、女神さまにお願いされたことを断わることなんてできないし観念するしかない。私はふうと息を吐き背筋を伸ばした。
「ヴァルトルーデさま」
私が彼女の名を呼ぶと、小さく微笑んで嬉しそうな顔になっていた。そんなに嬉しいものかと不思議な気持ちになるものの、今まで名前が女神さまとしかなかったのだから当然だろうか。毛玉ちゃんたち三頭も女神さまが元に戻ったと判断したようで、じゃれるために彼女の側へと寄っている。
それならグイーさまとテラさまに正式な名前を頂いても良いのではないかと、西の女神さまに問うてみた。
「父さん、センスないから。母さんもイマイチだと思う」
西の女神さま、もといヴァルトルーデさまが毛玉ちゃんたち三頭を嬉しそうに撫でながら私の方を見れば微妙な顔に変わっている。どうやらグイーさまとテラさまのネーミングセンスはイマイチのようだ。
意外だなあと私が苦笑いを浮かべると、何故か豪快なくしゃみと可愛らしいくしゃみが耳に届く。きょろきょろと周りを見渡しても、くしゃみをした人はいない。なんだと私が首を傾げると西の……ヴァルトルーデさまが気の所為だと声にした。私も気にしても仕方ないと気持ちを切り替える。
「全然話が違いますけれど、リヒター侯爵領への視察はどうなされるのです?」
「ロザリンデが私を迎え入れるための用意が整わないと言ってたから、まだ時間が掛かるみたい」
ヴァルトルーデさまのリヒター侯爵家視察はまだ終わっていない。私が口出しすべきことではない――ただリヒター侯爵閣下とロザリンデさまから私の同道を請われている――から、大人しく見守っているのだけれど大丈夫だろうか。
そろそろロザリンデさまに進捗を聞いてみても良いのかもしれないが、急かしているように感じられるかもなと聞けず仕舞いだった。それならばヴァルトルーデさまに聞いて見た方が良いかなと問うてみたのだが、女神さま自身はそんなに気にしていないようだった。あとはリヒター侯爵家側の問題だ。フライハイト男爵さまも乗り切ったのだから、是非とも頑張って欲しいものだが……。
「……時間が掛かれば掛かるほど、プレッシャーになりそうですね」
「そうなの?」
ヴァルトルーデさまが首を傾げた。おそらくリヒター侯爵領ではかなり人が右往左往しているのではなかろうか。それならばさっくりとヴァルトルーデさまの視察を終わらせた方が楽な気もするが、ロザリンデさま同様リヒター侯爵さまも真面目な方なので気を張っている姿が安易に思い浮かべることができる。このまま放置するとリヒター侯爵家の皆さまが大変なことになりそうだと私は苦笑いを浮かべた。
「侯爵家という体面もありますし、ヴァルトルーデさまが気に入らなかったとなれば大問題となってしまいますから」
例えばヴァルトルーデさまが『男爵領の方が面白かった』なんて口にすれば侯爵家の沽券に関わるし、社交界でも噂の的になるだろう。ヴァルトルーデさまであればなんでも楽しい、面白いと言いそうだけれどリヒター侯爵閣下には分からないだろうし、ロザリンデさまも勢いで物事を進める方ではない。
「私が気に入るとか関係ないのに。女神っていう立場は少し邪魔だね」
「それは……仕方ないかと」
妙な顔になっているヴァルトルーデさまに私は肩を竦めて、少しリヒター侯爵家の様子を聞いてみようと決めるのだった。






