1159:仮名を再び。
――北と東の女神さまが子爵邸に二、三日滞在することになった。
アルバトロス上層部に報告に上げれば『心配は必要ないだろうが、粗相のないように』と返事が直ぐに戻ってきた。公爵さま曰く、陛下は私のやらかしを悩んでいると教えてくれたのだが、果たして本当なのだろうか。
謁見場ではいつも泰然とした態度でいらっしゃるし、公爵さまの血族なのだから、困っている所や悩んでいる所があまり想像できない。確かに西の女神さまを陛下方に紹介した時は緊張していたようだけれど、普通に女神さまと接していた。とはいえ公爵さまが嘘を吐くことはないので、陛下が頭を悩ませていることは私的に事実かどうかは微妙な所である。右手を鳩尾辺りに置いている姿を見るけれど、たまたまかもしれないし。
幼馴染組とお泊りをしていたメンバーと四女神さまとで朝食を済ませたあとは、各自好きに過ごして貰っていた。
西の女神さまと南の女神さまは北と東の女神さまが子爵邸内でなにを仕出かすか分からないと言って、二柱さまの後ろを付いて回っている。四女神さまが揃えば凄い雰囲気があるのが、屋敷で働く皆さまには女神さま方がウロウロしますと伝えているので大丈夫なはずである。
倒れてしまえば失礼に当たるし、今日のお仕事はほどほどにとも伝えてある。託児所の子供たちは順応性が凄く高いため、西と南の女神さまには慣れているから北と東の女神さまにも直ぐに慣れる可能性があった。
子供の対応力は凄く、敵意がなければ問題ないようであった。エル一家とジャドさん一家とポポカさんたちも女神さまに対して特に問題はないから心配していない。自然と会話をして、交流を深めていることだろう。
私は自室でお客人のお相手を務めている所だ。メンバーはフィーネさまとアリサさまとウルスラさまなので気を張る必要はなく、聖王国の妙な方たちが子爵邸を訪れて女神さまと直接会いたいと言い出した場合の対処やらを相談している所である。
女神さまに来客がいると問うて会うか会わないかを判断して頂き、拒否されれば問答無用で追い返すだけである。仮に女神さまの許可が出て会うことになれば私も同席させて貰うので、妙な展開にはならないはず。あとはアルバトロス王と聖王国の教皇猊下に報告を上げるのみ。私が手を出せることではないので伝書鳩役が精々だ。
「ど、どうしてナイさまは平気な顔でいられるのですか?」
「慣れました。不本意ですけれど」
ウルスラさまが困り顔で私に問い、フィーネさまとアリサさまは苦笑いを浮かべていた。ソフィーアさまとセレスティアさまとジークとリンが部屋の隅で控えてくれているのだが、彼らも苦笑いになっている。
転生してからというもの貧民街では生きるか死ぬかの毎日だったし、教会に拾われてからも討伐遠征とかで修羅場は潜っている。王立学院に入学してからもトラブル塗れだったので、みんながいればどうにかなるという気持ちもあるので平穏でいられるのだ。
もし誰か欠けていたら私はこんなにも落ち着いていなかった。いつも私の側にはジークとリンにクロとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭がいて、エル一家とジャドさんたちがいる。ソフィーアさまとセレスティアさまに家宰さまたち子爵邸で働いている皆さまも、お貴族さま関係のことならば頼りになる。他にも頼れる方たちが沢山いるので特に困ることはなかった。
まあ、神さま方と縁を持てるなんて考えてもいなかったけれど。
「わ、私は全く慣れそうにないです……どうすればナイさまのように女神さま方とお話ができるのでしょうか……?」
真面目なウルスラさまの目下の悩みは、憧れが強すぎる女神さま方と普通に会話をすることらしい。グイーさまに頼んで神さまの島に数日滞在すれば良いのではという言葉が喉まで出かける。でも真面目なウルスラさまには荒療治過ぎて効果が天元突破しそうである。駄目だ、駄目だと頭を振ってきちんと彼女の問いに答えないとと、私は真面目な表情を顔に張り付ける。
「女神さま方であれば話しかければきちんと答えてくれるので、話題を持ちかけてみては如何でしょう」
「で、できる自信がありません」
ウルスラさまが話しかけるところを想像したのか顔を青くしている。でも彼女は大事な場面ではきっちり女神さまと言葉を交わしていた気がする。だから気にする必要はなさそうなものなのにと、フィーネさまとアリサさまに視線を向ければ小さく肩を竦めていた。
どうやらお二人もウルスラさまの悩みを解決できないようだ。まあ、夜までフィーネさま方三名は子爵邸に滞在予定だから、女神さまと話す機会はいくらかあるだろう。
昼食の時間も一緒に食べることになっているのだから、私が橋渡し役を担えば良いのだ。できるかどうかは謎だけれど。そういえばウルスラさまはアルバトロス王国の王立学院に留学するかもと聞いていたのだが、結局どうなったのだろうかと私はもう一度彼女と視線を合わせて聞いてみた。急に話が変わったことに驚いているものの、ウルスラさまは丁度良いと判断したようである。フィーネさまとアリサさまも問題はないようで、静かに聞き耳を立てている。
「贅沢な悩みです。勉強を頑張りたいと考えていますが、大聖女の活動もきちんとしたいです」
ウルスラさまはフィーネさまとアリサさまや家庭教師を付けて貰って勉強に励んでいるそうだ。貧民街出身なので聖王国の同年代の貴族女性の知識と比べるとどうしても劣ってしまう。
遅れている分を取り返そうと頑張っており、フィーネさまとアリサさま曰くウルスラさまは勉強の吸収が早いとのことだ。もし学院に通うなら普通科を狙っているらしいけれど、ウルスラさまの立場的に特進科ではないだろうか。確かに特進科に入るなら、難しいところもあるので少々心配である。なにか私にできることはないかなと考えてみ
「アルバトロス王立学院の教科書はフィーネさまとアリサさまから借りれば良いとして……一年生の分はご用意できますか?」
私がウルスラさまに問うとゆるゆると小さく顔を横に振った。フィーネさまとアリサさまの留学は二年生からであった。特進科一年生の教科書を用意するのは、他国の方である彼女たちには難しいだろう。
私のお古で良いなら差し上げますよと申し出ると、ウルスラさまは恐縮しつつ譲って欲しいと仰った。良かったと私は安堵しつつ、ウルスラさまがアルバトロス王立学院に通うなら、子爵邸か侯爵邸から通うのもアリだと打診してみる。
「嬉しい申し出ですし凄く有難いですが、まだ留学すると決まった訳ではありませんし……」
「おそらく、王城で下宿が妥当でしょうけれど、ウルスラさまの選択がたくさんあった方が良いかなと。気が向けば、屋敷で下宿できますよくらいの気持ちでいて頂ければ」
ウルスラさまに私は選択肢として覚えていて欲しいと伝える。王都の高級宿に泊まり込むこともできるけれど、警備の問題もあるので難しい。それならお城か貴族のお屋敷に下宿となるのだが、お城だと気を遣うだろうし。まあ、女神さまが屋敷に滞在しているか分からないし、ウルスラさまが留学するかもまだ分からないのだから気が早いけれど。
「学院に留学することになれば教えてくだ――」
良い感じで話がまとまったかなと私が声を上げる途中、部屋の扉がいきなり開いた。ミナーヴァ子爵邸内でこんなことができる方はかなり限られる。
「――お嬢ちゃん!」
「お姉さまとおチビちゃんに名前を付けたって本当!?」
北と東の女神さまが扉の側で少し息を切らしながら声を上げた。二柱さまの後ろには無表情の西の女神さまと呆れた顔になっている南の女神さまがいらっしゃる。いきなりどうしたのかと部屋にいる面子が固まれば、部屋の様子を理解したのか北と東の女神さまが首を小さく傾げた。
「あら、お邪魔だったかしら……」
「ごめんなさいね。わたくしもお嬢ちゃんに名前を貰おうと急いで部屋にきたから」
話はほぼ終わっているし女神さま方を放置するわけにはいくまいと私は席を立ち、北と東の女神さまと視線を合わせた。中へ入って良いのか迷っている女神さま方にどうぞと私は促してから口を開く。
「西と南の女神さまに仮の名を贈らせて頂いたのは事実です。いろいろと見回る際に『女神さま』呼びだと問題があるだろうとなりまして」
私が答えると北と東の女神さまがなるほどと言いたそうな顔で頷いた。一方で、南の女神さまが『あちゃー』という顔になっている。どうやらこうなることを予見して、北と東の女神さまには仮名のことを伝えていなかったようである。
割と覗き見ているのかなと思いきや、二柱さまに知らないことがあるから四六時中こちらを見ていることはないようだ。そのことに少し安堵を覚えるものの、今のパターンだと私が北と東の女神さまに名前を贈らなければならない。
「そういうことだったのね」
「ということはわたくしたちにも仮の名前があっても良いということになりますわ」
二柱さまは納得できたものの、私が名前を贈ることになるのは決定事項なのがあまり納得できない。とはいえ北と東の女神さまは私の目の前でドヤ顔を披露しながら『さあ!』という圧を放っている。
どうしようと、部屋にいる皆さまの顔を見れば視線を逸らされた。やはりかと私は息を吐いて、こういうこともあろうかと西と南の女神さまに名前を贈った際に一緒に考えておいた名を口にする。
「えっと……仮名だということは御承知おきくださいね?」
私が直ぐに北と東の女神さまの名前を決めていることに、ソフィーアさまとセレスティアさまが『ナイが名前を迷っていない……!』『女神さま方に贈る名前を秒で考えていただなんて……』と言いたげに、ジークとリンは『珍しいな』『珍しい』と微妙な表情を浮かべている。
いや、流れ的に北と東の女神さまにも贈りそうだなと予防線を張っていただけであり、地上に降りて必要になった時以外に使わない代物だから気楽に付けられたという理由もあるけれど。
「もちろんよ」
「ええ。西のお姉さまもおチビちゃんも仮の名前だもの」
「北の女神さまがナターリエさま、東の女神さまがエーリカさま、でどうでしょうか?」
ふふん、と北と東の女神さまは不敵に笑っているけれど、考えたのは私なのだけれどなという文句は言えなかった。命名の法則は北の女神さまの『N』からナターリエ、東の女神さまの『E』からエーリカ、という単純なものだった。
私が口にした名を北と東の女神さまは口の中で呟いて、音の響きを楽しんでいるようだ。そうして名前が直ぐに決まったことで南の女神さまが私に向かって『悪いな』という視線を寄越し、西の女神さまがジト目を向けていた。
何故、西の女神さまからジト目を頂かねばならないのかと疑問に感じつつ、お茶でも飲もうとなって四女神さまを席へと私は案内するのだった。
お茶会のあとでフィーネさま方に、女神さま方が参加するなら事前に教えて欲しいと懇願されたけれど。






