1158:再度の朝食を。
朝。起きて朝食を摂っている最中だった。ナイさまの侍女の方から『北と東の女神さまが子爵邸の門扉の前までやってきている』と報告が入った。現在、ミナーヴァ子爵邸は上を下への大騒ぎだけれど、ナイさまだものなあで済ませられるのが凄いことである。
一先ず、女神さまに顔合わせとなるから失礼のないようにと、お泊り会に参加していた女性陣は朝食を中断して身形を整えた所である。ナイさまの私室で、いつも落ち着いているソフィーアさまとセレスティアさまは少しソワソワしているようだし、アリアさまとロザリンデさまもきょろきょろと周りを気にしている。
同じ聖王国組であるアリサは緊張しているものの二度目となるのでどっしりと構えている。ウルスラは胸に手を当てて、大きく息を吐いたり吸ったりを繰り返していた。
私も女神さまに会うのだから失礼のない態度で挑まなければならないし、お声掛けを頂いたならば聖王国の大聖女フィーネとして正しい振る舞いをしなければならない。昨日は西と南の女神さまと何度か他愛のないことを話すことができたのだから、北と東の女神さまとも上手くいくはずだと心を落ち着かせた。
「念のために、子爵邸にいる者全員で出迎えをすることになった。少し早い気もするが遅れるのは不味い。そろそろ部屋を出よう」
「参りましょう。西と南の女神さまとナイが一緒ですから、大事にはならないはずですわ」
ふうと小さく息を吐いたソフィーアさまとセレスティアさまが私とウルスラとアリサとアリアさまとロザリンデさまに視線を向ける。本当に彼女たちがゲームのキャラだと信じられないくらい付き合いが長くなっていた。
最初こそ、過度な接触なんて求めていなかったけれど、縁とは不思議なものでナイさまのお陰で取り持つことができていた。住んでいる国は違うけれど、こうしてお泊り会や南の島で会えるのだから、シワシワのお婆ちゃんになるまで仲良くいたいものである。でもまあ、それまでに破天荒なナイさまが沢山面白いことを発見して、私たちも巻き込まれるだろうから暇になることはなさそうである。
ソフィーアさまとセレスティアさまが先陣を切り、ナイさまの部屋の扉を出て行く。私たち聖王国組もみんなで頷いて歩を進め始める。
「フィーネお姉さまは流石ですね」
アリサが片眉を上げながら苦笑いを私に向けていた。彼女は流石、なんて零しているけれど、勘違いをして貰っては困るから状況はきちんと説明しておこう。
「女神さまとお会いすることは凄く緊張しているわよ、アリサ。ただ、ナイさまの側にいれば楽しいことが沢山あるんだろうなって考えていたら自然と笑っていたみたい」
私がアリサに声を返すと、彼女は私の声を咀嚼している。きちんと意味が通じて、私が落ち着いているのはナイさまがいるからだと知っておいて欲しい。ナイさまがいなければ、今頃は凄く右往左往して気が気じゃないと慌てふためいていたのではないだろうか。
「確かにナイさまですからね……私も女神さまくらいで驚いていてはいけないのかもしれません」
アリサ、女神さまが目の前に御降臨されたならば凄く驚いても良いはずよ、とは言えず私は黙って彼女の言葉を聞き届けた。そして私とアリサの話を聞いていたウルスラが深呼吸をしながら口を開いた。
「フィーネさま、アリサさま、どうしてそう余裕なのでしょうか……私は凄く緊張してしまいます」
ウルスラは信仰心が高いから女神さまに向ける尊敬の念が私たちとは段違いである。だから緊張は致し方ないのだろうが、緊張しすぎでお話ができなければ本末転倒だ。とはいえウルスラは強い心の持ち主なので、女神さまに問われたことは正直に嘘もなく答えるのだろう。私はウルスラに大丈夫と声を掛けて、落ち着くようにと彼女の背を撫でた。
何故かアリサの視線が刺さっている気がするのだが、彼女も背を擦って欲しいくらい気分が落ち着かないのだろうかと首を傾げる。でもアリサだからなあという答えが心の中に湧いて出てきて、大丈夫だと一人で納得できた。
「みなさま、タイミングが合って丁度良かったです」
廊下を歩いていると、きっちりとした衣装に着替えたエーリヒさまとクレイグさんとサフィールさんと顔を突き合わせる。彼らも玄関ホールへ移動して、女神さまのお出迎えをするようである。
エーリヒさまがソフィーアさまとセレスティアさまに断りを入れて、私たちのあとを付いてくることになった。男性三人は私たち女性陣の後ろについて廊下を歩き始める。
なんとなく、だけれどもミナーヴァ子爵邸……アストライアー侯爵家は女性の方が地位が高い気がするのは気の所為だろうか。こういう場面は男性が先陣を切りそうなものだけれど、エーリヒさまは空気を読んで最後尾に付いている。
やはり女性が当主となると、必然的に女性の地位が向上するのかもしれない。まあアストライアー侯爵家は元々女性の働き手が多かったから、ナイさまの後ろ盾であるアルバトロス王家とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家の気遣いなのかもしれない。
そうこうしている内に玄関ホールに辿り着く。ナイさまと西と南の女神さまは北と東の女神さまを出迎えに向かったためここにはいない。子爵邸で働いている皆さまも集まって、侍女頭さんが並ぶ位置を指定していた。
私たちも玄関扉に一番近い位置を案内されて、ソフィーアさまとセレスティアさまに『ここが妥当だろう』『ええ、女神さまが入ってきて直ぐに視界に入る位置ですもの』と仰った。私とアリサとウルスラは彼女たちの心遣いに感謝しながら、三人で顔を見合わせる。
「最終確認ね」
私はそう言って身嗜みを整えようとアリサとウルスラに声を掛けた。他の方も各々面と向かって、女神さま方に失礼のないようにと確認を取っていた。アリサにもウルスラにも寝癖なんて残っていないし、聖王国の聖女の衣装をきっちりと身に纏っている。
持参してきていて良かったと安堵していると、なんとなく空気の流れが変わったと感じて玄関の扉へと身体と視線を向けた。他の方たちも気配を察知したのか、一斉に口を噤んで玄関扉へと顔を向けているのだった。
――きい、と鳴る玄関扉の蝶番の音が異様に大きく感じた。
朝陽が差し込んで開いた扉から人影が見えるのだが、二人だけ背格好が小さかった。おそらくナイさまと南の女神さまだとアタリを付ければ、目が慣れたのか玄関扉に立つ皆さまの顔をはっきりと見ることができた。
やはり背の低い方はナイさまと南の女神さまで、彼女たちの直ぐ後ろには西の女神さまと北の女神さまと東の女神さまが立っていた。その少し後ろにジークフリードさんとジークリンデさんに、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭がいるのだった。
北と東の女神さまとは三度目の邂逅となるけれど、やはり人ならぬ雰囲気をお持ちの方たちである。もちろん西の女神さまと南の女神さまも同様だが、昨日で少し慣れたようであった。
発せられている雰囲気を身に受けて胃がきゅっと締まりそうになるけれど、大丈夫だと自分に言い聞かせればそれ以上胃が収縮することはない。アリサとウルスラは大丈夫かと横目で確認を取れば、緊張しているものの大丈夫そうな雰囲気だった。
「ようこそおいでくださいました。き、北の女神さま、東の女神さま」
子爵邸の侍女頭さんが緊張した様子で声をどうにか上げた。そうして簡単な挨拶を済ませれば、ナイさまのお腹が鳴ってみんなで朝食を摂ろうとなったのである。――流石、ナイさまだ。
◇
俺は緊張で箸がなかなか進まないのだが、ナイさまは出された朝食をちまちまと丁寧に、そして美味しそうに食している。
どうして四女神さまと共に朝食を摂っているのだろう。謎過ぎて宇宙猫のような顔になりそうになるのを我慢して、再度出された食事を口に放り込む。ミナーヴァ子爵邸の食事は美味いのだが、緊張で味が分からない。
クレイグとサフィールも、俺の隣で落ち着かなさそうに朝食を摂っている。彼らはようやく女神さまと共に食事を摂ることに慣れたと、昨晩苦笑いを浮かべながら教えてくれた所なのに……今日になったら北と東の女神さまが追加されるなんて全く考えていなかっただろう。
俺だって西と南の女神さまと食事を共にするとは全く考えていなかったのだが、ミナーヴァ子爵邸、もといナイさまの側にいると本当に不思議なこと、おかしなことが舞い込んでくる。
「ナイ、このパンは美味ですわ」
「ええ。外はパリパリ、中は柔らかく、噛めば噛むほど味が出て美味しいです」
北と東の女神さまが綺麗に笑いながらナイさまの方を見ている。ナイさまは二柱さまに褒められたことが嬉しかったものの、一先ず口に含んでいた物を呑み込んでから口を開いた。
「良かったです。パンを焼いた料理人が喜びましょう」
へなりとナイさまが笑っていると、南の女神さまは溜息を吐き、西の女神さまがむっと顔を顰めた気がする。西の女神さまの表情は乏しいので感情を読み取ることが難しいものの、注視しているとなんとなく分かる。
女神さまから発せられる圧に慣れたということもあるのかもしれないが、この辺りは空気の読める元日本人の感覚が優れていたのかも。ナイさまが嬉しそうに笑いながら焼きたてのパンにバターとジャムを塗っている。彼女を真似るように北と東の女神さまも同じ行動を取り、口の中にまたパンを運び入れた。北と東の女神さまも表情が豊かという方ではないが、西の女神さまよりは感情が分かり易い気がする。
「お嬢ちゃん、このパンの作り方を教えてくださいませんか?」
「島の者に作らせてみましょう」
「料理人の方の許可が得られるなら構いませんよ」
北と東の女神さまの小さな要求にナイさまは一瞬だけ考える様子を見せるものの、料理人の方から許可が出るなら構わないようである。確かに料理人の方が秘匿したいのならば誰彼に教えられない。
でも聞いてきた方が女神さまと知れば、光栄だと言って教えてくれるのではないだろうか。でもまあ、勝手に教えるとはナイさまも言えないから、聞いてみてからだと間を取り持ったのであろう。その辺りナイさまはきちんと線引きされている方なので、教えたくないものを無理矢理公開する心配はない。
「神さまの島にもレシピがあるなら私も知りたいです」
……心配はないけれど、食に対する探究心が消えることはないのか、神さまの島の料理人さんのレシピを聞き出そうとしている。大丈夫かと北と東の女神さまの顔を見てみると、まんざらでもない様子である。
「あら。では交換致しましょう」
「島の味がナイの屋敷でも味わえますし、ナイの屋敷に勤める料理人の味を島でも楽しめるのですね。良いことです」
二柱さまはうんうんと納得しながら頷いているが、西の女神さまは微妙な雰囲気を発していた。どうしたのかと周りの皆さまも心配しているのだが、ナイさまは神さまの島のレシピが手に入ることに意識が持って行かれて空気の流れに気付いていない。南の女神さまが唯一面倒そうな顔をして、ナイさまに視線を向けた。
「ナイ」
「はい?」
ナイさまはパンにジャムを塗っていた手を止めて、南の女神さまをみながらこてんと首を傾げる。そういえばジークフリードも偶に顔を右へ傾げているのだが、彼ら幼馴染組の癖なのだろうか。
一先ず西の女神さまの空気がどうにかならないものかと、南の女神さまとナイさまのやり取りを固唾を飲んで見守ることにした。
「西の姉御が好きだと言ったジャムを用意してねえか?」
「ええ。料理人の方に話をしたら気合を入れて作ってくださいました。沢山ありますし、今日はパン食なので、みんなで賞味した方が楽しいかなと出して貰ったんです」
テーブルに並べられているジャムとバターの種類が数多くあるのだが、やはりジャムは手作りのようだった。スタンダードなイチゴを始め、リンゴやオレンジにブルーベリーなんかもある。変わっているのは柿や桃なんかもあり、味も美味しいし、甘さ控えめも選べるので有難い仕様となっていた。本当に子爵邸の料理人の方の腕は凄いものである。
「良かったな、西の姉御。姉御がナイの屋敷に滞在してなきゃ、作って貰えなかっただろうな」
南の女神さまの声に西の女神さまがこくりと頷いて小さく笑っている。どうやら西の女神さまは、東と北の女神さまにナイさまとの会話の主導権を取られてしまったことが気になっていたようだ。
機嫌の悪さはソレだったかと俺は納得するのだが、もしかして北と東の女神さまがナイさまを構う度に西の女神さまは嫉妬――多分、ご自身で気付いておられない?――の嵐に見舞われるのだろうかと焼き立てのパンを齧るのだった。パン、美味い。






