1156:暇な方。
ミナーヴァ子爵邸お泊り会は夜の帳が降り、皆さまそれぞれの寝床で夢の中へと誘われているのだろう。私も私で意識が落ち、陽が昇り始めた薄明かりを感じ取り目覚めた所なのだから。
もぞりと寝返りを打てばリンの顔が私の視界に映り込み、頭の上ではクロとネルが一緒に丸くなって寝ている。床ではヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭とセレスティアさまが寝ているだろうし、他のベッドではソフィーアさまとフィーネさまとアリサさまとウルスラさまに、アリアさまとロザリンデさまに西の女神さまと南の女神さまが寝ているはずである。起床の時間にはまだ早いともう一度目を瞑れば、直ぐに意識が落ちていく。
一時間後。また目が覚めると、リンが覚醒していたようで耳の近くで彼女がおはようと小さな声で囁いた。私も他の方を起こしては不味いと小声で挨拶を返す。
顔を動かしてリンと視線を合わせると彼女の赤い髪が一房ちょこんと跳ねていた。珍しいなと私は手を伸ばしてリンの髪を梳けば、彼女はなされるがままで受け入れてくれている。
私が笑いながら彼女の髪を直して手を離せば、今度はリンの手が私の髪に伸びてくる。特に問題はないし、いつものことだと判断して私も彼女になされるがまま受け入れていると、床の上でもぞりと身体を動かしている気配を感じ取った。
『!』
どうやら桜ちゃんが目を覚まし、私とリンが目を覚ましていることを感知した桜ちゃんはベッドの上に顎を乗せている。尻尾はもちろんぶんぶんと扇風機の様に回っているので朝から元気一杯だった。
寝返りを打って桜ちゃんの方へと向いて布団の中に入ったまま撫でていると、椿ちゃんと楓ちゃんも身体を起こして『撫でて!』と訴えてくる。はいはいと三頭をまんべんなく撫でていれば、リンの腕が私の腹に回ってぎゅっと抱きしめられた。リンはなにも言わないし特に文句はないようだと毛玉ちゃんたち三頭を撫でていれば、今度はヴァナルがベッドの上に顔を置いて片耳を倒しながら撫でてと訴えてきた。
『主、おはよう』
「おはよう、ヴァナル。眠れた?」
ベッドの端に顔を乗せているヴァナルと視線を合わせて挨拶を交わす。彼は一晩中セレスティアさまの側で寝ていたのだが、お腹を枕替わりに提供していたので疲れたのではなかろうか。
大丈夫でないなら魔術を施すけれど、彼はロングコートの長い毛に包まれているので見た目は全く分からない。私が毛玉ちゃんたちの頭からヴァナルの頭に手を移せば、彼は目を細めて受け入れてくれる。ウリウリと気持ち良い所を撫でていると、気持ち良いのか両耳が後ろに倒れ込んでいる。ヴァナルも毛玉ちゃんたち三頭の喜ぶポイントは分かり易いので有難い。
『寝た』
「そっか」
ふふふと笑い合えば、床の上から起き上がった方の姿が視界に映り込む。側で寝ていた雪さんたちは顔を起こしてあらあらまあまあという雰囲気で、起き上がった彼女を見上げている。
「は! ヴァナルさんの貴重な枕が!?」
セレスティアさまの開口一番だった。まだ堪能できていると思っていたけれど、ヴァナルが私の側にきたことによって枕を失ってしまっている。申し訳ないことをしたのかもしれないが、ヴァナルも辛かった可能性があるので仕方ない。
きょろきょろと周りを彼女が見渡してヴァナルの姿を認めればほっと息を吐いていた。ヴァナルも彼女を放置しては駄目だと気付いて、ベッドの側から彼女の下へとゆっくり歩いて行った。
『セレスティア、おはよう。眠れた?』
「ヴァナルさん、おはようございます。はい。とても良く眠れましたし、素敵な夢を見ることができました」
ヴァナルがセレスティアさまと挨拶を交わせば、彼女は幸せそうな顔を浮かべながら答えている。ヴァナルもヴァナルでスキンシップのつもりなのか、セレスティアさまの肩の上に顔を寄せてぐりぐりと好意を示していた。
ぺしんぺしんとヴァナルの尻尾が床を叩いていると、毛玉ちゃんたちがソレを目掛けて一斉に襲いかかった。ヴァナルは三頭の攻撃を物ともせず、セレスティアさまとじゃれ合っている。雪さんたちはセレスティアさまとヴァナルのやり取りが羨ましかったようで、一人と一頭の間に顔を三つ割り込ませるとヴァナルも雪さんたちと鼻先を当てて挨拶をしていた。
「――ふはっ!!?」
ヴァナルと雪さんたちとの挨拶に挟まれているセレスティアさまが妙な息を吐いて、床にゴロンと寝転がる。お行儀が悪いですよと言いたいけれど、お泊り会なので無粋なことを言っても意味はない。
『大丈夫ですか?』
『どういたしました?』
『あら、どういたしましょうか……』
雪さんと夜さんと華さんが床に寝転がったセレスティアさまを覗き込んでいるのだが、彼女は両手で鼻を抑えていた。感動に打ち震えているように見えるけれど、多分鼻血が出てしまったのではなかろうか。
興奮すると人間は鼻血が出てしまうから、ヴァナルと雪さんたちの至近距離のスキンシップを頂けば仕方ないのだろうか。とりあえず鼻血がずっと出ているのは不味いと、私はリンの腕をタップしてベッドから起き上がる。
『セレスティア、起きて』
ヴァナルの声にセレスティアさまがゆっくりと床から身体を起こしているのだが、やはり鼻から手を離すことはない。むっとしているリンに苦笑いを浮かべた私はベッドを降り、ティッシュの入った箱を取ってセレスティアさまに手渡した。申し訳ありませんとくぐもった声でティッシュを受け取ったセレスティアさまに、私は凄く魔力を制御した魔術を施しておく。
「止まりました……不思議ですわ」
「血止めの魔術ですからね」
不思議そうな顔をしたセレスティアさまが私の顔を覗き込んでいる。何故そんな顔になっているのかと私が問うてみれば、彼女は治癒魔術を受ける機会は滅多にないことなので新鮮だったとのこと。
流石に私から受けた魔術が無報酬では駄目だと彼女は仰ってくれているが、特に問題はないし、そもそも私の増え過ぎた魔力の影響があるかもしれないから実験台であると告げる。
「ナイの魔術を受けて強くなれるのであれば、問題どころか益しかありませんわよ?」
「不利益だったらどうするんですか……」
セレスティアさまが機嫌良く言い切るが、私は問題が起こった場合を考えてしまう。
「その時はその時です。加減をしてくれているでしょうし」
気にしすぎと言いたげな彼女はベッドの上にいるリンの方に視線をやって『取りやしませんわ』と無言で告げていた。リンもリンでむっとしているものの、最終的に私はリンとジークの下へ行くと知っているのでなにも言わない。一先ず、起きて着替えをしようかとベッドに一度戻れば、他の面子も目が覚めているようだった。
「いただきます!」
今日も今日とて料理長さんたちが心を込めて作ってくれた朝ご飯を頂く時間がやってきた。いつもと違うのは幼馴染組だけではなく、女神さま二柱さまとソフィーアさまとセレスティアさまに、エーリヒさまとフィーネさまとアリサさまとウルスラさまに、アリアさまとロザリンデさまがいることだろう。
女性比率が高めだが、こうして沢山の方と一緒に食べるのは良いことである。食事をしている所を見ていると、それぞれの所作や好きな食べ物が分かるので結構楽しい。
次に遊びにきてくれた時にまた同じ料理を出して貰おうと料理長さまたちに伝えるのが面白いのだ。他にも他愛のない話に耳を傾けていても十分楽しいのである。クロたちにも果物が用意されているし、美味しいねえと楽しんでいるその時だった。
「あれ?」
「ん?」
西の女神さまと南の女神さまの食事の手が止まった。いつもなら綺麗に食べ切ってから二柱さまの手がようやく止まるのに、珍しいこともあるものだと私は彼女たちに視線を向ける。
「どういたしましたか?」
私が声を上げると、二柱さまは不思議そうな顔を浮かべてこてんと首を傾げた。
「なんだろう。多分、気の所為」
「なんか気配を感じたんだが……姉御も気の所為なら勘違いだな」
特に問題がなければ良いかとご飯が残っているお皿に目をやろうとすると、毛玉ちゃんたちが窓の外を見て尻尾を振っている。庭にエルたちかジャドさんたちでもいるのかなと首を傾げていると、廊下がバタバタと音が鳴り騒がしくなってきた。
その音にジークとリンが一言告げて立ち上がり、セレスティアさまも鉄扇を握り直して椅子から立ち上がった。三度のノックが食堂に響き渡るのだが、ノックが三度あったということは緊急事態を示している。
私はジークとリンに視線を向け一つ頷き、他の方たちを守れるようにと扉の前に立てば、ソフィーアさまが私の横に並んだ。そうしてジークが食堂の扉を開き、リンは彼の半歩後ろでぎゅっと拳を握り締める。
「ご当主さま! た、た、たたたた大変でございます!!」
息を切らした騎士爵家出身の侍女の方が慌てた様子で立っていた。ジークが落ち着いてくださいと声を掛けているものの、彼女はそれどころではないようである。彼女以外は誰もいないため、とりあえず使い走りにでもされたのだろうか。
「どういたしましたか?」
一先ず話を聞かねばと私が代表して声を上げた。他の面々は並みならぬ様子に固唾を飲んでいる。いろいろと口を挟まれるよりは良いけれど、みんなの身の安全は確保しないと。ちなみに他の皆さまは、女神さま方以外は目を丸く見開いて驚いていた。
「き、北の女神さまと名乗るお方と東の女神さまを名乗るお方が、門扉の前でご当主さまに遊びにきたと伝えて欲しいと……!」
騎士爵家の侍女の方は慌てたまま教えてくれる。曰く、北と東の女神さまのご本人確認はエルとジョセが行ってくれたようである。そして女神さまが待っている間は彼らが対応してくれているようだ。
門番の方は女神さまとお会いする機会が少ないためか驚いたまま固まっているらしい。屋敷への連絡もジョセが担ってくれたようだし、騒ぎを聞きつけたジャドさんも女神さまと挨拶を交わしていたとのこと。
もしかして先程、西の女神さまと南の女神さまが感じていたナニかは北と東の女神さまが御降臨された気配を察知したからかと納得できてしまった。現にバツの悪そうな顔をしている南の女神さまに朝食を摂り続けている西の女神さまがいる。私は二柱さまに視線を向ければ、西の女神さまはこてんと首を傾げ、南の女神さまは盛大に溜息を吐いた。
「あー……姉御たちの出迎え行ってくる。中に入れても良いよな?」
それは構わないが、当主の私が女神さまを出迎えしないというのも不味い気がしてきた。
「私も行きます。門前払いをしたなんて噂は立って欲しくないですし」
妙な噂が経っても困るし、他の皆さまにココで待っていて欲しいと私は告げて南の女神さまと一緒に玄関の先にある門扉を目指して歩き始めるのだった。






