1151:女神さまがおわす子爵邸へ。
――どうしてナイさまは肝心なことを聞いてくれないのか。
ナイさまの下に地球からテラさまがいらっしゃったと聞き、詳しく話をしたいと私が打診して少し時間が経っていた。季節は二月の頭。私の母国である聖王国よりもアルバトロスの方が暖かいけれど、それでも冬という時期は肌寒いし外で過ごすには少々キツイ。
聖王国の転移陣からアルバトロス王国の王城にある転移陣を経て、アルバトロス王国へと足を踏み入れた。同行者はアリサとウルスラに護衛の皆さまである。教皇猊下からアルバトロス王に向けた手紙を預かってきている――私たちがアルバトロス王国にお邪魔することのお礼を記している――ので、アルバトロス王国のお偉いさんにきちんと渡せると良いのだが。
「聖王国、大聖女フィーネさま、大聖女ウルスラさま、聖女アリサさま。ようこそ、アルバトロス王国へ!」
出迎えの近衛騎士さまが転移陣が設置されている部屋で至極真面目な顔で迎え入れてくれた。私たち三人は一斉に彼に頭を下げて、お世話になることの感謝を述べる。アルバトロス城には移動のために使用させて頂いているので、少々気が引けてしまう。
聖王国との政治的な繋がりを強化したいと望んでも、今の状況であればアルバトロス王国に迷惑を掛けるだけ。なにもしない方が良いだろうと判断して、教皇猊下から預かっている手紙を近衛騎士さまに渡して、ミナーヴァ子爵邸の魔術陣へ転移するため少しばかり時間を要する。ナイさまが子爵邸の魔術陣に魔力を注ぎ込めば、お城の転移陣が光る仕組みとなっており、私たちは反応し次第にこちらの魔術陣に魔力を注ぎ込んで転移ができるというわけだ。
「ナイさまとお会いするのも久方ぶりですね」
「そうね。西の女神さまと南の女神さまが子爵邸に滞在なさっているから、緊張してしまうわ」
手持無沙汰になっているためアリサが一番に声を上げた。西の女神さまが引き籠もりから立ち直り神さまの島で過ごしているはずなのに、何故か子爵邸で過ごしているのだ。ナイさまに問い合わせた所、西の女神さまは数千年前から随分と様変わりした西大陸を方々巡りたいとのこと。その足掛かりとしてミナーヴァ子爵邸で暫くの間過ごすのだとか。
言葉の意味はきちんと理解できるけれど、何故女神さまが人間と一緒に生活しているのかが頭が理解することを拒否している。私の言葉に少し困惑した表情をアリサとウルスラが浮かべ、一番信仰心の篤い彼女が胸に片手を当てた。
「えっと……女神さまが地上に御降臨なさっているのは凄く良いことですが、何故南大陸を司っている女神さままでいらっしゃるのでしょうか?」
本当に凄いことである。少し前にはグイーさまの奥方さまであるテラさま、地球を創造した神さまがミナーヴァ子爵邸に御降臨なさったのだから。聖王国としては女神さまにきて欲しい所だけれど、心の弱い大人の方が多い聖王国上層部には劇薬である。
多分きっと、女神さまに頼ることができると嬉々として近づき、天罰を頂きそうなので止めておいた方が良い。しかしながらミナーヴァ子爵邸に神さま方が集まり過ぎのため、少しは加減をしてくださいと言いたくなる。誰にか。
「ナイさまだもの」
「ナイさまだから」
私の声とアリサの声が重なった。そして私たちの答えを聞いたウルスラが神妙な面持ちになる。本当に不思議な言葉だ。ナイさまだから、で納得できてしまうのだから、彼女の回りで引き起った今までのトラブルの内容が凄すぎるのだ。
説明をし始めると長くなるので省くけれど、近々で最大の出来事はやはり神さまの島へと赴いたことだろう。そしてミナーヴァ子爵邸に女神さま二柱が滞在なさっていることだ。
アガレス帝国にも四女神さまとクマのぬいぐるみを媒介してグイーさまが楽しんでいたそうだ。そして東の女神さまが東大陸を闊歩する可能性があると、アガレス帝国内では話が持ちきりらしい。彼の国に赴いている宣教師から手紙が届き、我々の肩身が狭くなってしまったと嘆いている。教皇猊下は彼ら宣教師全員の帰国を指示しようと考えているとのことだ。
「あはは……でも、ナイさまですからね」
暫く神妙な顔を浮かべていたウルスラが苦笑いを浮かべて、先程の私たちと同じ台詞を口にした。本当に『ナイさまだから』という台詞は万能だなと感心していると、魔術陣が淡く光始める。
「あ、ナイさまの準備が整ったようですね、お姉さま」
「では、行きましょうか。ウルスラも良いですね?」
「は、はい!」
アリサの明るい声に私は答えて、ウルスラにも声を掛ける。ウルスラはミナーヴァ子爵邸に向かうことを凄く緊張しているけれど、女神さま以外にもヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに、最近フソウから戻ってきた楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんに、天馬のエル一家、グリフォンのジャドさん一家が子爵邸で過ごしている。
そういえば幻獣や魔獣が子爵邸で沢山過ごしていることを私は彼女に説明したかなと首を傾げるのだが、煌々と光り始めた魔術陣に早く魔力を注ぎ込まねばと身体の中にあるという魔力器官を意識して練るのだった。
「お久しぶりです。フィーネさま、アリサさま、ウルスラさま」
転移を終えると、ナイさまが開口一番に声を掛けてくれた。先程の近衛騎士さまは役職も付けてくれていたけれど、ナイさまは私たちを友人として迎え入れてくれるようである。
彼女の肩の上にはクロさまがおり、足元にはヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたち三頭も一緒だった。後ろにはジークリンデさんとソフィーアさまとセレスティアさまが控えており視線が合うと軽く会釈をくれたのだが、いつもナイさまと一緒にいるはずジークフリードさんはどこにいるのだろうか。一人欠けているだけでも違和感があるなと苦笑いをして、私たちはナイさまに礼を執る。
「本日はお招き頂きありがとうございます」
「私たちまでご招待頂き、感謝申し上げます」
「不束者ですが、よ、よろしくお願い致します!」
私とアリサが口上は至って普通だったはず。でも最後に告げたウルスラの口上はどこかに嫁に行くのかと突っ込みを入れたくなった。ナイさまはウルスラの言葉に少し驚きつつも、あまりの緊張から出てしまった言葉だと理解してくれているようだ。
頭を下げたことにより少し乱れた髪を右手で耳にかけ直していると、ナイさまはウルスラに指摘せぬまま、地下から上階にある客室に向かおうとナイさまが笑って案内をしてくれる。そうしてみんなで一階の廊下を歩いているのだが、時々ぽわっと明るい珠が浮いてふわふわと廊下を漂っていた。以前訪ねた時よりも妖精さんが増えているような気がする。
「え?」
ウルスラが目を真ん丸にして驚きの声を小さく上げる。私たちより後ろを歩いているソフィーアさまとセレスティアさまが『まあ驚くよな』『妖精が肉眼で捉えられますもの』と小声で話していた。私も最初は驚いたけれど、ナイさまのお屋敷だからと既に状況は呑み込めている。アリサも私と同様で、不思議現象にはある程度慣れてしまっているようだ。
「妖精さんがいるのよ」
「ミナーヴァ子爵邸では普通かも」
私とアリサの声にウルスラが驚き状況を咀嚼しようと、眉間を顰めてなにか考えている。深く考えると子爵邸で起こる不思議を呑み込めないから止めた方が良いのにと言いたくなるけれど、真面目な彼女には難しいことなのだろう。
大丈夫かなと心配しつつ移動を促して、また歩いていると廊下の向こうから小柄な女性が歩いてきた。ナイさまと同じ容姿で黒髪黒目の……って南の女神さま! どうして南の女神さまが子爵邸の廊下に!? と少し頭が混乱を始めるけれど、ナイさまのお屋敷に滞在しているのだった。落ち着け私と言い聞かせて状況がどうなるのかと息を整えていると、南の女神さまが右手を頭の後ろに回してぽりぽりと少し気まずそうにナイさまと視線を合わせた。
「あ、すまん、ナイ。客か?」
「はい。お伝えしていた、聖王国の大聖女フィーネさまと大聖女ウルスラさま、そして聖女アリサさまです」
南の女神さまがナイさまに謝罪をしていた。ナイさまと南の女神さまは本当に姉妹のようである。どちらが姉かとは口にできないけれど。南の女神さまはナイさまの説明にそういえばそうだったなと頭の後ろに回していた手を離して、私たちと相対した。小柄で可愛いなあと目を細めていると、南の女神さまはアリサと視線を合わせる。
「アリサはあたしと初めて会うよな?」
「は、はい! 聖王国で聖女を務めております。アリサ・イクスプロードと申します!」
アリサの緊張した様子とは正反対の南の女神さまは苦笑いを浮かべて、彼女に緊張するなと言い放った。無理難題をと言いたくなるけれど、アリサは少し胸を撫で下ろしている。言葉だけでも違うものなのだなと様子を見守っていると、南の女神さまは私とウルスラを見上げた。
「フィーネとウルスラは教会ぶりだ。あたしが言えた義理はねえけど、ゆっくりしていけ」
「お久しぶりです。騒がしくなってしまうかもしれませんが、少しの間お世話になります」
「は、はい! ゆっくりしていきます!」
ウルスラの言葉に南の女神さまはぽりぽりと頭を掻き、子爵邸の皆さまが微笑んでいた。
「ナイ、あたしは姉御を呼んでくる。茶菓子はヨウカンな?」
「承知しました」
南の女神さまが軽く片手を上げて、くるりと私たちに背を向ける。ナイさまが行きましょうと私たちに促すのだけれど、南の女神さまは子爵邸に凄く馴染んでいるように見えた。ナイさまも普通に返事をして、南の女神さまにお願いしている。女神さまを顎で使って良いのか――言い方は悪いかも――なと首を傾げながらも、ナイさまらしいし地上に顔を出している女神さまだから俗っぽいのかもしれないと私は足を進める。
そうして客間に招かれると先客がいた。
「お久しぶりです……大聖女フィーネさま、大聖女ウルスラさま、聖女アリサさま」
エーリヒさまが私たちの姿を見るなり席から立ち上がり頭を下げる。どうやら先に子爵邸に訪れていたようで、彼の後ろにはジークフリードさんが一緒にいた。もしかしたらエーリヒさまを迎えに行っていたのかもしれない。いつも一緒にナイさまといる彼が場を離れるなんて珍しいけれど、お迎えを担っていたのなら納得できた。
「はい。お久しぶりです、エーリヒさま」
私も彼に礼を執る。聖王国で姿はよく見かけていたけれど、彼と話すことは殆どない。手紙だけのやり取りだったので声を聞くのは本当に久しぶりである。
なんだか以前より彼の顔立ちが確りなさっているような気がするし、身長も少しだけ伸びている気がした。イケメン度は申し訳ないけれどジークフリードさんの方が高いのだが、エーリヒさまだって負けていないし私にとって十分イケメンだ。
今回はテラさまの話となるので彼と個人的に話す機会は少ないけれど、側にいられるだけでも幸せである。そうしてアリサとウルスラもエーリヒさまと挨拶を交わし、アリサとウルスラはサンルームへ案内されるようだ。
サンルームにはアリアさまとロザリンデさまがいるので、アルバトロス王国の聖女の活動について話を聞くそうである。実りある会話になると良いなと願っていると、客室に西の女神さまと南の女神さまが顔を出す。
「確か……フィーネとエーリヒだったよね?」
西の女神さまが私たちの顔を見るなり名前を思い出してくれた。私とエーリヒさまは西の女神さまが自分たちの名前を憶えてくれていたことに驚いて顔を合わせ、慌てて女神さまに頭を下げる。
「改めて、よろしくね」
「あたしもよろしくな」
西の女神さまと南の女神さまが軽く声を上げるのだが、本当にフレンドリーな感じである。以前お会いした時より圧を感じないし表情も豊かな気がした。一先ず、私たちがナイさまと同じく転生者であること、今いる世界が乙女ゲームが舞台の世界であることを告げた。
「え?」
「は?」
私たちの話に目を丸く見開いている二柱の女神さまと、ナイさまが『あ、不味い』という顔になっていた。ジークフリードさんは少し渋い顔に、ジークリンデさんは表情を変えず、ソフィーアさまとセレスティアさまは『あ』という顔になっている。
女神さま方にグイーさまの世界が乙女ゲームをベースにした世界だと伝え忘れていたのねと、私とエーリヒさまがナイさまに視線を向ける。凄く気まずそうな顔になったナイさまに、本当に肝心な所で抜けているなあと大きく息を吐いた。
――まあ、ナイさまだしね。
大きな問題に発展しない限りは彼女の魅力的な所だろう。さて、これから女神さま方への説明が大変になるなあ……。