1146:権太くん再び。
――お昼は鰻重を提供してくれることになった。
鰻重はフソウで庶民の味として定着しているそうだ。日本だと平賀源内がうんぬんかんぬんで江戸時代に土用の丑の日として広がったそうだが、ドエでは年中食べれる美味しい魚と捉えられているそうだ。
純フソウ産で高級品ではないよと言われてしまうと少し不思議な感覚に陥ってしまう。でもまあ、南の女神さまが言葉にしてくれたお陰で、食べることができるのだから有難いことである。ただ鰻のビジュアルを見てしまうと拒否感が生まれそうだけれど。
相変わらずのドエ城へと入り歓待を受けてから、帝さまがいる朝廷へと向かうことになっている。ナガノブさま以下、ドエ城のお歴々と挨拶を交わすのだが、彼らは西の女神さまと南の女神さまがいることに驚きを隠せないようだった。
私も驚きを隠せないと言いたいが、同じ屋根の下で一ケ月以上暮らしたためなのか、二柱さまに向ける感情は普通になっている。確かに他の方よりも雰囲気があるし、怒りのゲージが上がれば恐怖することがある。でも、それは自分に向けられたものではないとなって、慣れてしまったのだから本当に不思議だ。
「直接、朝廷の方へ迎えられたなら良いが、ドエ城に顔を出して貰って済まないな」
ドエ城の広い庭でナガノブさまが片眉を上げながら困った顔になっている。
「いえ、フソウのしきたりならば従う他ないかと。神獣さまと仔たちのことも皆さま気になるでしょうしね」
一応、ルールで朝廷の帝さまと面会するには、ドエ城にも寄ることになっているらしい。私はフソウの皆さまは雪さんと夜さんと華さんの様子が気になるだろうし、毛玉ちゃんたちも気になるだろうから顔見せも兼ねて丁度良いと考えている。
問題なくミナーヴァ子爵邸で過ごされているというアピールできる場でもある。だから特に問題はないので気にしないで欲しいのだが、ナガノブさまもドエ城のトップとして頭を下げざるを得ないらしい。
「神獣殿と仔たちを見せてくれるのは有難い。皆、元気で過ごしているかと気を揉んでいるようでなあ」
困り顔のナガノブさまがぼやく形で口を開いた。そんな彼に雪さんたちがそっと近づいて腰を下ろすと、毛玉ちゃんたち三頭も一緒に移動している。
『おや。そのような心配は無用ですが』
『フソウの者に心配されるのは悪い気はしませんねえ』
『ナガノブ、雪と夜と華はナイさんの下でのびのびと暮らしております。仔たちも同じですよ』
落ち着いた声色で雪さんたちがナガノブさまに答えると、毛玉ちゃんたち三頭も大丈夫と言いたげに尻尾をばふばふ振っていた。
「それはようございます。皆に伝えておきましょう。さて、そろそろ朝廷に参りましょう」
ドエ城での滞在もそこそこに、松風と早風が過ごしている朝廷に向かうことになる。いつも通り、籠に乗り込んでの移動なのだが、西の女神さまには篭のサイズが小さいようで、乗り込んだ所を横目で見ると少し狭そうに身体を丸めていたのだった。
フソウの男性でも西の女神さまより背が低いのだから致し方ない。ご本人ならぬご本神は面白そうにしているので、窮屈だが些末な問題なのだろう。ただ、フソウの皆さまは恐縮しっぱなしである。そのうち西の女神さま専用の篭が登場するかもしれないなと笑っていると、出発して早々に朝廷へと辿り着く。
「西の女神さま、南の女神さま、アストライアー侯爵。ようこそおいで下さいました」
朝廷へ辿り着くなり、帝さまの出迎えを受ける。いつもであれば謁見場である広間で顔を合わせるのだが、女神さまが二柱帯同しているので帝さまは出ざるを得ないようだ。
「また、よろしく」
「あたしは初めましてか。南大陸の女神を務めている者だ。姉御の付き添いだから、あまり気を使わなくて良いからな」
西の女神さまと南の女神さまは相変わらず神として威張ることもなく、帝さまと普通に接している。帝さまは二柱さまを慮っているけれど過度な対応はしないようだ。二柱さまの声に帝さまが頷けば、今度は私と視線を合わせた。
「帝さま、楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんをよろしくお願い致します」
私が帝さまに頭を下げると、名前を呼ばれた毛玉ちゃんたち三頭がこちらへ寄ってきた。彼女たちも帝さまに『よろしくねー!』とつぶらな瞳を向けながら、尻尾をぐるぐる回しながら振っている。私は毛玉ちゃんたち三頭が楽しそうでなによりと目を細めていると、帝さまが広い庭の端へと視線を向けながら口を開く。
「そろそろ松風と早風がやってくるはずですが……ああ、きましたね」
頬に手を当てて帝さまが悩ましそうな姿を見せていると、なにかに気付いて目を細めながら小さく笑った。私は帝さまの視線の先に顔を向けると、二頭の黒い狼の姿が視界に入る。凄い勢いでこちらに向かって走ってきているけれど違和感が走る。
「あれ?」
『大きくなってる?』
私が首を傾げると肩の上のクロも同じ違和感を抱いていたようで直接言葉にしてくれた。まだ近くにいないので確信ではないけれど、前より彼らの姿が大きい気がする。そして松風と早風の更に後ろに、人化している権太くんが必死に走っている姿が見えた。
『早風~! 松風~! オイラを置いて行くなやーー!!』
権太くんが叫んでいるのだが、松風と早風は勢いを落とさずこちらを目指して走ってくる。そうしてヴァナルと雪さんたちの下でぎゅっと脚を止め、鼻先を伸ばして挨拶を交わしていた。
ほとんど変わらない体格だったのに、楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんより松風と早風は一回り大きくなっている。脚も長くなっているし、凄く狼らしくなっているような。松風と早風はヴァナルと雪さんたちと挨拶を終えると、てってってと駆け寄ってくるくると私を起点にして数周回り『撫でて!』と要求してくる。彼らの頭や首を撫でながら私は口を開いた。
「松風、早風、元気にしてた? 権太くんと仲良くしてたかな?」
私の言葉に松風と早風は一鳴きして、今度は楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんの下に行きワンプロを始めた。相変わらず元気そうで安心していると、西の女神さまがぷーと頬を膨らませている。
どうやら松風と早風が相手にしてくれないので拗ねているようだ。彼女の姿を見た南の女神さまは『落ち着け』と諭しているのだが、相変わらずぷーと頬を膨らませたままである。子供かい! という突っ込みを入れたくなるのだが、おそらく松風と早風の中には序列があって己の本能に従って行動しているのだろう。もう少しすれば松風と早風は女神さまに気付いてくれるはずと見守っていると、ようやく二頭は西の女神さまの下へと挨拶に行った。
『やっと追いついたさかい……』
「権太くん、こんにちは」
息を激しく切らしながら私たちの下に辿り着いた権太くんに挨拶をすると、私に気付いた彼は胸を張り下がっていた尻尾をピンと上に上げて良い顔になった。
『ナイ、久しぶりやな! 相変わらず……ぶわっ! 顔、舐めんでええんや! 尻尾甘噛みせんでええねん! ちょっ……脚舐めるなー!!』
ドヤ顔になっている権太くんに楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんが相手してーと群がっていった。なんだか権太くんは芸人気質だよねと目を細めていると、ヴァナルと雪さんたちが楽しそうだと微笑ましそうに眺めている。
松風と早風は西の女神さまに撫でられて満足したのか、今度は南の女神さまにも挨拶を済ませて撫でて貰っていた。自由だなあと暫く眺めていると、帝さまが中に入ろうと誘ってくれる。
ヴァナルと雪さんたちが立ちあがり松風と早風も立ち上がる。雪さんたちが毛玉ちゃんたち三頭に『行きますよ』と声を掛けるものの、彼女たちは権太くんとの再会が嬉しいのか離れる気配がない。飽きればそのうちくるだろうと帝さまが仰って、私たちは朝廷のお屋敷の中へと足を踏み入れようとした時である。
『オイラを放って行かんといて!』
右手を伸ばして待ってと訴える権太くんに苦笑いを浮かべていると、南の女神さまが立ち止まって彼に救いの手を差し伸べる。
「お前、揶揄われていないか?」
『そ、そうなん?』
南の女神さまは呆れ顔を浮かべながら行くぞと権太くんに声を掛けると、彼は女神さまの言葉に驚いていた。確かに毛玉ちゃんたち三頭は権太くんを玩具にしている気配がある。
でもじゃれ合いの範疇に見えるし権太くんも権太くんで兄貴風を吹かせたいのか、毛玉ちゃんたち三頭に対して態度が大きいような。だからこそ毛玉ちゃんたち三頭も権太くんに遠慮はしていないのだろう。
「ま、良いか。行くぞー狐っ仔」
南の女神さまが権太くんの手を握ったまま、屋敷の中へ入ろうと導いている。毛玉ちゃんたち三頭は遊びの時間は終わりと認識したようで、南の女神さまの顔を見上げながら屋敷の中に入ろうとしている。
『オイラ、狐やけど権太って母ちゃんが付けてくれた名前があんねん! 名前で呼んでーな!』
権太くんが南の女神さまに名前で呼ぶようにと要求しているけれど、彼は彼女を女神さまだと認識しているのだろうか。帝さまと私たち一行は彼らのやり取りが無事に済むかと、様子を見守るために立ち止まっている。
「へいへい。ゴンタ、行くぞー」
『ねーちゃんの名前は?』
南の女神さまを権太くんが見上げながら――南の女神さまの身長は推定一四〇センチ、権太くん推定一二〇センチ――問いかける。
「あたしに名前はねえけど、南の女神って呼称はあるな。ああ、ナイが仮に付けてくれたジルケって呼んでも良いぞ」
南の女神さまが権太くんの手を握っている逆の手で頭を掻きながら正体を告げた。
『め、女神さまなん?』
権太くんが南の女神さまの正体を知ると、三本の尻尾がだらんと垂れさがって涙目になっている。プルプルと身体が震えてだらんと下がった尻尾が彼の脚の間に挟まった。大丈夫かと助け船を出そうとするものの、少し距離があったので私が一頭と一柱さまの話に加わることはできなかった。
「おう。南大陸のだけどな。フソウは北の姉御の管轄だから、ゴンタは北の姉御に会いたいか?」
南の女神さまの言葉は権太くんにとって理解が追いついていないようだった。西の女神さまだけでも驚いていたのに、新たに南の女神さままで一緒になっている状況に付いていけないようである。
目を回し始めた権太くんは『ぽん!』と音を立てて気絶をし狐の姿に戻ってしまった。南の女神さまが驚きながらも彼を抱き留めて、どうするよコレと私たちに視線を向ける。雪さんたちがあらあらと南の女神さまの下へ歩き、権太くんを背中の上に乗せて欲しいと彼女に伝えた。
『坊はまだまだ仔供ですねえ』
『流石に二柱さまがいらっしゃる状況を呑み込めませんか』
『ナイさんと一緒にいたなら、坊は鍛えられるかもしれませんねえ』
雪さんたちは背中に乗せた権太くんに優しい視線を向けながら、朝廷のお屋敷の中へと足を進め私たちも中へと入っていくのだった。






