1144:新たな卵さん。
西の女神さまにそれとなく聖王国行きを打診してみると微妙な反応を頂いてしまった。彼の国は女神さまを勝手に祀り上げているので、ご本人さま……ご本神さまは微妙な心境のようである。
フィーネさまに西の女神さまの件をそれとなく手紙に記して送っておいたが、彼女からどんな反応が返ってくるのか。まあ、フィーネさまとウルスラさまは西の女神さまとご対面しているし、アリサさまとの対面は時間の問題のはず。きっと大丈夫、どうにかなるさと自分に言い聞かせて、私室のテーブルに腰を掛け、辺境伯領の大木の下で預かった竜の卵さん二個を眺めている。
「元気に産まれてきてくれるかな」
鶏の卵さんサイズの大きさで、侍女の方が作ってくれた座布団擬きの上に並べている。ジャドさんにお願いされたように私が首から下げることはないので、卵さん一つから二頭孵ることはないと信じたい。
あとは、元気に孵ってくれれば良いのだが果たしてどうなるのやら。ディアンさまに卵を預かったことを報告すると、仲間が私に迷惑を掛けて済まないと仰ってくれた。迷惑は掛かっていないけれど、私の下で育って大丈夫なのか少々心配である。きっと竜の方なりのしきたりとかルールがあるだろうに、仔が親に教えられない不幸は大きく育ってから困ってしまうのではなかろうか。
『大丈夫だよ。子爵邸は魔素量が高いから心配いらないよ~』
クロは私の肩の上で呑気な声を上げる。クロとアズとネルがいるから、卵さんが孵ったらルールや掟を教えてくれるだろうか。少し怪しいなとクロに視線を向ける途中で、特徴的な御髪の方の姿が私の目に映り込む。
「元気に孵って貰わなければ困りますわ、ナイ」
セレスティアさまが鉄扇をばさりと広げて、私に不吉なことを言うなという視線を向けている。ジークとリンは訓練場に赴いて鍛錬をしている最中で私の部屋にはいない。
確かに不安を口にするのは宜しくないが、西の女神さまが屋敷にいる状況なので不安要素は少なくなっているような。南の女神さまは治癒系の神力を使うのが不得意らしいので、竜の卵さんになにかあった場合は西の女神さまに相談しようと決めている。とにかく、机の上に鎮座している卵さん二個が無事に孵るようにと祈るしかない。
「ところでセレスティアさま」
「どういたしました?」
「何故、私の部屋に……」
いるのですか、という声は出さなかった。竜の卵さんを預かってから、彼女は私の部屋へと頻繁に顔を出している。竜や幻獣が好きなのは知っているし、私の部屋にくるのは構わないが、アズとネルの卵を預かった時より訪ねる頻度が増しているのだ。
「ヴァイセンベルク辺境伯領で過ごしている竜の方がナイの下に卵を預けられたのです。辺境伯領の娘として領主である父に報告を行う義務がありましょう。そのためにわたくしはナイの部屋に足繁く通っているのですわ!」
確かにヴァイセンベルク辺境伯領の大木の下で生活している竜の方から卵を預かったから、ヴァイセンベルク家が関わることは不思議ではないけれど……彼女の場合、単に竜の卵が愛おし過ぎるからではなかろうか。
まさか、と否定できないのがなんともセレスティアさまらしいのだが、動かない卵さんを見てなにが楽しいのだろうか。それならクロと話していた方が楽しいし、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭を撫で繰り回している方が癒しを得られるのだが。
「よく飽きないですね」
本当に。私はお茶とお菓子を食べながら卵さんを見守っているのだが、彼女はお茶とお菓子に見向きもせず卵さんをずっと眺めている。副団長さまにも卵さんを見せて欲しいとお願いされるのだが、私室ではなくサンルームに移動して見学して貰っていた。
副団長さま的にはポポカさんとグリフォンさんであるジャドさんとアシュとアスターとイルとイヴが一緒に過ごしているので、面倒がないとサンルームでの見学を喜んでくれていた。
それならセレスティアさまもサンルームの方が良いのではと聞いてみたことがあるのだが、彼女的に許容量を超えてしまうらしくご容赦くださいと返事を頂いている。ようするに、天国過ぎる状況だから魔獣や幻獣が沢山いる状況は勘弁して欲しいと言いたいらしい。
「飽きることなどありませんわ。今この時、卵が殻を割って出てくる可能性があるのです。一部始終を見届けられたのなら、不肖セレスティア……死んでも構いませんわ!」
セレスティアさまが言い切るのだが、死んでしまうのは大袈裟である。ならば私は何度死ななければならないのだろうと目を細めていると、ヴァナルが耳を片方倒して床からがばりと立ち上がる。
『セレスティア、死ぬの駄目』
ヴァナルはセレスティアさまが座っている側にちょこんとお尻を付けて、尻尾を床に力強く叩きつける。そうしてセレスティアさまの膝の上に大きな片脚を上げた。
「ヴァ、ヴァナルさん?」
『セレスティア、死ぬ。ヴァナル、悲しい。みんなも悲しい』
セレスティアさまがヴァナルの行動に困惑しているのだが、ヴァナルは真剣な様子である。どうやら彼女の冗談はヴァナルに通じなかったようで、雪さんと夜さんと華さんは『流石番さま』『お優しい』『別れは辛いものですからね』と言いながら彼と彼女を見守っている。
毛玉ちゃんたち三頭はイマイチ状況を掴めていないようで、頭の上に疑問符を浮かべるものの直ぐに興味がなくなって三頭でワンプロを初めてしまった。確かにヴァナルと雪さんたちは幻獣だから人間より長く生きる。雪さんたちはフソウ国の神獣を務めているから、歴代の帝さまや大樹公の最後を多く見届けてきたのだろう。
先に逝く者、残る者。命はいつか尽きるから、別れの日は必ずくる。もしその時がきたのなら、私は彼らには笑って別れを告げなければ。頭の中でいろいろと考えていれば、セレスティアさまが椅子から離れてヴァナルの前に跪く。
「物の例えでしたが……申し訳ございません、軽率な発言でしたわ」
『ん。みんなで長生き』
床に跪いたセレスティアさまとヴァナルの顔の位置が丁度合ったのか、ヴァナルはセレスティアさまの肩の上に顎を置いて、ぐりぐりと顔を擦り付けている。セレスティアさまはヴァナルの突然の行動に驚きながらも状況を理解して、どんどん顔がだらしなくなっている。
どこまで蕩けた顔になるのかなと私が視線を向けていると、ヴァナルの行動を見た毛玉ちゃんたちがセレスティアさまの膝の上に顔を乗せたり脚を乗せたりしている。彼女の特徴的な御髪がばっと広がって、幸せな状況――セレスティアさま限定――に顔を赤らめていた。
わちゃわちゃになっていることでセレスティアさまの許容量が超えてしまったのか、彼女の目がクルクル回っているような。さて、どうしようかと私が悩み始めると、雪さんたちが毛玉ちゃんたち三頭に声を掛けて離れるようにと声を掛けた。
「……やはりナイの屋敷は危険です。しかし長生きをするとヴァナルさんと約束しましたわ。ナイも皆さまも長生きしてくださいませ」
セレスティアさまが立ち上がり少しフラフラしながら椅子に腰を下ろす。
「簡単に死ぬつもりはありませんよ」
私は面白い方だと小さく笑いながら彼女に返事をした。前世はなにも分からないまま死んでしまったから、今世は確り寿命を全うしたい所である。もし仮に見送ってくれる方がいるならば笑って最後を迎えたい。生きていれば死は必ず訪れるものだから、悲観し過ぎるのは少々違う気もする。
「ええ、よろしくお願い致しますわ。ナイは直ぐに己の命を投げ出しそうな所がありますもの」
セレスティアさまの言葉でヴァナルが私をじっと見ている。そして雪さんたちと毛玉ちゃんたち三頭も私をじっと見ているのだが、クロも私の肩の上でじっと視線を向けていた。
簡単に自分の命を投げ出すつもりはないのに、セレスティアさまはなにを仰っているのだろうか。私は大丈夫だよという視線をみんなに向けると、彼らは首を捻っている。なんだか信用されていないと私は机の上に鎮座している、卵さん二個をつんつんしてみた。
「反応がない」
当然ながら卵さんは無反応である。ヴァナルは話は終わったと理解したのか、毛玉ちゃんたち三頭と一緒に雪さんたちの横に戻って行った。もう一度、竜の卵さんをつんつんしてもなにも起こらない。
「あったら凄いことですわよ、ナイ」
確かに卵さんが大きく動いたら凄いことだけれども。呆れている様子の彼女に苦笑いを浮かべながら、空気の流れを変えようと私は口を開く。
「セレスティアさまは卵さんたちがどんな仔なら嬉しいですか?」
卵さんを二個預かっているし、卵さんたちの将来を考えるのは悪くない。
「元気で孵ってくれることが一番の望みですけれど……赤い竜の仔が産まれてくだされば嬉しいですわね」
セレスティアさまが少し考える素振りを見せたのち、どんな仔が孵れば嬉しいのか教えてくれる。そういえばクロとアズとネルは白系の鱗なので、遠目から見ると見分けがし辛い。これでまた孵った卵さんたちの鱗の色が白系だと余計に分かり辛くなりそうである。確かに白色以外の仔が孵ると嬉しいのだが、セレスティアさまは赤色が好きなようである。
お貴族さまの間では思い人の色を纏うという、なんともまあロマンティックな意思表示があった。そうして、彼女の婚約者のマルクスさまの髪色は赤系だ。王立学院の建国を祝うパーティーでも彼女は赤色のドレスを身に纏っていたから、マルクスさまのことを慮っていたようである。
なんだかんだ言いつつ、相手のことを思いやっているのだなあと感心しているとセレスティアさまが目を細めながら私を見ていた。
「ナイ。なにか妙なことを考えていませんか?」
彼女の言葉に私が横に首を振ると、セレスティアさまは大きな溜息を吐く。
「片方が赤色の仔だったならば、もう一頭の卵さんから青い仔だったら嬉しいですね」
私が声を上げるとセレスティアさまがきょとんとした顔になり口を開いた。
「その心は?」
「色が違ってくれないと見分けが大変です……」
二頭とも赤色だと、産まれたばかりなら見分けが大変である。大きくなれば角の形や目の色で判断できそうだけれど、小さいとあまり特徴が出ていない。毛玉ちゃんたちもグリ坊たちも同じ見た目だったので、見分けるのが大変だった。見慣れてくれば個体の特徴を見つけて判断が付くけれど……だからこそ毛玉ちゃんたちには色違いの毛糸を生まれて直ぐに付けたのだから。
「なににせよ、元気に育って卵の殻を割って欲しいですわねえ」
『そうだねえ。孵るのが楽しみだよ~』
セレスティアさまとクロの声に私は頷く。さて、もう直ぐ年が明けるのだが、今年もあと少しだとまったりとお茶を飲みながら、珍しいお方と共に今日一日を過ごすのだった。平和だなあ。