1143:聖王国の立場は。
西の女神さまはアリアさまのご実家であるフライハイト男爵領の視察に向かいミナーヴァ子爵邸にはいない。私が女神さまに同行しておらず子爵邸でまったりと過ごしている。アリアさまなら問題なく西の女神さまの接待を成し遂げられると判断しているし、彼女自身も私が同行しなくても問題ないと言い切ってくれた。
いつまでも一緒に西の女神さまと行動を共にするわけにはいかないし、私はアリアさまに任せようと決断をくだした。アリアさまは子爵邸で西の女神さまとお喋りしているから特に心配することはないのだが、フライハイト男爵さまとご家族の皆さまがぶっ倒れてしまわないか心配なだけである。
寒さが一段と厳しくなっているので、お昼の自由時間は部屋でお茶を飲んでいた。暇をしていたクレイグも誘っているのだけれど、アリアさまの話題になると彼は渋い顔をしている。
「大丈夫なのかぁ?」
クレイグがティーカップをソーサーの上に置いて怪訝な表情で声を上げた。クレイグが優雅に紅茶をしばいている姿に吹きそうになるが、どうにも本気でアリアさまのご実家を心配しているようだった。
私は笑っては駄目だと自分の心に言い聞かせ、彼と同じようにティーカップをソーサーの上に置きお茶菓子を手に取る。ジークとリンも私室にいるのだが、会話に加わる気はないようで紅茶の味を楽しんでいた。
クロとアズとネルもお茶と一緒に出して貰った果物に集中していて、クレイグの声は全く聞こえていないようだった。床の上でまったりしているヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭はあくびをしたり、後ろ脚を器用に動かして顔を掻いている。
「心配しなくても大丈夫だよ。アリアさまだし。その辺りはちゃんと判断してるつもりだよ。あと南の女神さまが同行してくれているから、大概のことは対応できるはず」
私はクレイグと視線を合わせてアリアさまなら大丈夫と伝えて、手に持っていたお茶菓子を口に放り込む。料理長さんたちが丹精込めて焼いてくれたスコーンは美味しい。ジャムを乗せるとさらに美味しい。ちなみにジャムは子爵領で採れた果物で作って貰っている。
咀嚼している私をクレイグは呆れた視線を寄越しつつ、はあと溜息を吐く。一体どうして彼はアリアさまかフライハイト男爵領を気にしているのだろうか。いつもであれば『ま、なんとかなるだろ』と割とあっさりとした言葉を口にするはずなのに。むうとクレイグの顔を見ながら私が悩んでいることに、本人が気付いてまた溜息を吐いて口を開いた。
「ナイ。普通、女神さまが領地の視察に赴くことなんてねえからな!」
「でも東の女神さまもアガレス帝国をウロウロしているみたいだよ。ウーノさまから手紙が届いてる」
確かに神さまが地上を物見遊山しているなんて珍しいのだろう。でも西の女神さまは随分と昔は人間を導くために各地を回っていたと聞く。東と北の女神さまは知らないが、南の女神さまは地上に干渉していたようだから、気になることがあれば南大陸に降臨したはずである。
そして今、東の女神さまは東大陸のアガレス帝国のどこかで街や村を見て回っているのだとか。騒ぎになるのは嫌らしくかなり力を抑えており、東の女神さまに同行している方から定時連絡がアガレス帝国の皇宮に入っているそうである。
テラさまは日本の文化好きが高じてアパートに住んでゲーム三昧しているようだし、割と地上で好き勝手しているような。でも文化が成熟して放置しても大丈夫と判断したから女神さま方は神さまの島で過ごしていた。数百年単位で見れば珍しいことかもしれないのか……と私が頭を悩ませているとクレイグがまた口を開く。
「それは例外だ。男爵家の領地に女神さまが訪れたなら大騒ぎになるし、あとが大変だぞ?」
確かに女神さまを接待しなければならないから、いろいろと大変だろう。でも西の女神さまは不器用な態度でも、相手に下心とかない限り特に気にしない方である。
ご自身が女神という存在で人間からは畏まられていると学んだようで、大陸の魔素が濃くならないかと最近は考えているようだった。しかしあとが大変ってなんだろう。クレイグに聞いてみた方が早いと私は彼ときちんと視線を合わせた。
「例えば?」
「他の領地から信仰の篤い連中がこぞってくるんじゃねえか。聖遺物が残っているかもとか考えそうなことだろ?」
クレイグがいいか良く考えろと前置きしてから教えてくれた。確かに信仰心の篤い方が大勢やってくるかもしれない。アリアさまなら宿代で稼げるとか言い出しそうだけれど、男爵さまに儲けようとする考えはなさそうである。
確かに少々心配であるが、フライハイト男爵領には鉱山開発のためアルバトロス王国から派遣された護衛の方や高官の方が駐在している。男爵領が妙なことに巻き込まれたならば、直ぐにアルバトロス王国上層部と鉱山利権に噛んでいるリヒター侯爵家が睨みを聞かせているので大丈夫なのだ。だから妙な人たちについては対処できるが、聖遺物って大層な物があっただろうか。槍とかならあり得るかもしれないけれど。
「聖遺物ってどんなものが?」
「女神さまが触れた品とかがそうなるだろうよ」
私の言葉にクレイグが一瞬考える仕草を見せるが直ぐに答えをくれた。しかし、それだと。
「ウチの屋敷には沢山あるね…………」
私たちが住んでいる王都のミナーヴァ子爵邸には沢山あるのだが。女神さまが触れただけでも聖遺物認定してくれるものなのか疑問だが、確かに有難がる方には貴重なものである。
女神さま方が使っている部屋に衣服にカトラリーやお皿とかが選ばれるのだろうか。それを言い始めると二柱さまが歩いている廊下だって足が触れている。調度品にも西の女神さまはよく触れているし、図書室の本は全部聖遺物になってしまうのだが。いやいや、あり得ないと頭を振るものの聖王国の聖職者の方であれば泣いて喜びそうだなと、私の顔がだんだん渋くなっていく。
「ナイ……今の今まで気にしてなかったのかよ……」
クレイグが呆れた顔で私を見ていた。流石に日用品が聖遺物というのはあり得ないだろうし、女神さまたちが大事にしている物が聖遺物と言われれば納得できるけれど……今の所、子爵邸で出されるご飯が気に入っている。
あれ、ミナーヴァ子爵邸のご飯は世界文化遺産のようになってしまうのかと首を捻るものの、とりあえず話の軌道を元に戻さなければ。
「なににせよ、アリアさまなら大丈夫。フライハイト男爵さまは心配だけれどね。というか珍しいよね、クレイグが誰かに言及するなんて」
うん。アリアさまなら大丈夫だ。きっと西の女神さまと笑い合いながら会話しながら、フライハイト男爵さまとご家族は青い顔をしつつ彼女と女神さまの後ろを歩いているのだろう。私はそんな光景を思い浮かべながら笑っていると、クレイグが席から勢い良く立ち上がる。
「うっせ。気になっただけだっての! 茶、ごちそうさん! 仕事戻る!」
彼が少し顔を赤らめながら同席していたジークとリンと私に背を向けて部屋を出て行く。私はお茶菓子に手を伸ばしながら、ジークとリンの顔を見る。
「どうしたんだろ……クレイグ。変な物でも食べた?」
私がそっくり兄妹の顔を見れば、ジークが苦笑いを浮かべながら『さあな』と言い、リンがふるふると首を振っている。食事は料理長さんを筆頭とした料理人の方々が徹底管理しているから、変な物は食べていない。
お腹が空いて機嫌が悪いわけでもないだろうし、そもそも何故アリアさまのことをクレイグが心配するのだろうか。そういえば以前クレイグはアリアさまの方を見ていたようなと記憶を掘り返すが、なにかあったのだろうか。クレイグの謎の行動に私が頭を捻っていると、ジークが口を開いた。
「クレイグもなにか考えがあるんじゃないか?」
ジークがクレイグが出て行った扉を見つめながら小さく肩を竦める。
「そうなのかな。ねえ、ジーク」
「ん?」
「クレイグ『も』ってことは、ジークにもなにかあるの?」
「そういう意味の『も』じゃないさ」
私が彼に問えば、ジークは私から気持ち視線を逸らしながら答えてくれる。ジークが話の最中に視線を逸らすのは珍しい。やはりなにかある気がするけれど、突っ込むのは野暮だと考えて、手に持っていたお茶菓子を口に放り込むのだった。
◇
アリアさまのご実家であるフライハイト男爵領の視察を終えた西の女神さまと南の女神さまが戻ってきた。アリアさまも一緒に戻っていたのだが、以前より彼女たちの距離が縮まっているような気がする。
仲良くなれたならなによりと感心していると、アリアさまはアガレス帝国で買い付けた天然石を天馬さまたちが凄く気に入ってくれたと教えてくれ、西の女神さまは天馬たちが素直で可愛かったと感想をくれた。
南の女神さまはあっちこっち行き来する西の女神さまに振り回されたようで、少々疲れた様子を見せている。大丈夫ですかと南の女神さまに私が問いかけると『あたし一人で姉御を御すのは難しい』と眉間に皺を寄せながら教えてくれた。ならば東と北の女神さまを呼べば良いのではと私が南の女神さまに言葉を返せば、余計に酷くなると言われたのだが、そんなに酷くなるものなのだろうか。
良く晴れている日の午後、子爵邸の東屋でフライハイト男爵領に赴いた話を私は西の女神さまと南の女神さまとアリアさまと次に視察に向かう予定のロザリンデさまたちとお茶を飲みながら話を聞いている所である。
一先ず、問題なくフライハイト男爵領の視察を終えたようである。アリアさまは狭い領地で恐縮ですと仰っているが、魔石鉱山の見学は女神さま的に面白かったとのこと。アガレスの銅鉱山は違う目的があったので、楽しめなかったようである。
アリアさまが次はロザリンデさまの番ですねと笑顔で会話を投げると、当のご本人は引き攣った顔で女神さま二柱によろしくお願いしますと頭を下げている。
アリアさまと私は目配せをして『凄く緊張していらっしゃいます』『真面目な方ですからねえ』と無言で会話を交わしていると、西の女神さまがアリアさまもリヒター侯爵家の視察に同行しないかと誘っている。
問われた本人は女神さまとリヒター侯爵家が問題ないのであれば是非! と力強く伝えると、ロザリンデさまが凄く良い顔になった。どうやらロザリンデさまお一人で女神さまの案内を務めるのは心細かったようで、アリアさまが一緒なら少しマシになるらしい。リヒター侯爵家の視察も私の同行は必要なさそうだなと安堵して――ふと、不味いことを考えてしまった。
最近の西の女神さまは各地を転々としているが、西の女神さまを讃えている聖王国に一度も行っていない。聖王国の不真面目な方はどうでも良いのだが、フィーネさまとアリサさまとウルスラさまは困ってはいないだろうか。
一応手紙でやり取りをしているものの、女神さまの話題はなるべく避けるようにしていた。教皇猊下も困っているかもしれないし、少し西の女神さまの意思を聞いてみようと私は一つ咳払いをする。
「西の女神さま、少し問題が出てきたような気がします」
「急にどうしたのナイ。神妙な顔してる。珍しい」
西の女神さまは私の顔を見て、熱でもあるのと言いたげだった。熱や風邪は生まれ変わってから引いた記憶がない。馬鹿は風邪を引かないというが、魔力量のお陰で免疫が高いのかもしれないなと一人で納得する。
いや、風邪の話はどうでも良くて聖王国のことをきちんと確認を取らなければと西の女神さまと視線を合わせると、何故か南の女神さまが私の顔を覗き込む。
「本当にな。どうしたんだ、ナイ」
珍しいと言いたげな南の女神さまに、アリアさまとロザリンデさまもいきなりどうしたのかと困惑している。護衛として後ろに控えてくれているジークとリンもだし、ソフィーアさまとセレスティアさまも妙な雰囲気を醸し出していた。私のことはどうでも良いから聖王国と気を取り直して背をピシっと伸ばす。
「今更なのですが……というか怖くて聞けなかった側面もありますけれど……聖王国の立場が凄く不味いような?」
「聖王国ってフィーネがいる国だよね」
西の女神さまが私の言葉に疑問符を浮かべているようだった。南の女神さまは私の言いたいことを理解してくれたのか、後ろ手で頭をボリボリ掻き始めた。
「あー……姉御、聖王国に行ってねえだろ」
「うん」
「一応、姉御を祀っている国だからな。行かねえと向こうの立つ瀬がねえんじゃねえか?」
南の女神さまの援護に感謝しつつ私はうんうんと頷いていると、西の女神さまが不思議そうな顔をして『行っても良いけれど、行く意味あるの?』という爆弾発言を放つのだった。