1140:増やしてみよう。
辺境伯家の晩餐は肉料理が多めとなっており、味も濃い目でスタミナが付きそうな具合だった。美味しいことには変わりないし、騎士の方や肉体労働を務める方に丁度良さそうである。またしても辺境伯家の料理人の方からレシピを頂き、アストライアー侯爵家というかミナーヴァ子爵邸の料理長さんにお願いして子爵家のレシピも辺境伯家に渡ることになった。
なにか美味しい料理が生まれると良いのだが、美味しい料理が生まれた場合私の口に入る日はくるのだろうか。とりあえず二泊三日のヴァイセンベルク辺境伯領視察を無事に終えて王都の子爵邸に戻ってきている。自室でまったり過ごしており、西の女神さまは図書室で過ごし、南の女神さまは一旦島に戻ると言って消えてしまっている。
部屋にいるのはジークとリンと私にクロとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに毛玉ちゃんたち三頭とアズとネルだけである。
料理長さまから食べたい品や使って欲しい食材はあるかと問われているので、私は今食べたい品を必死に考えている最中である。季節柄、鍋を食べたいけれど流石にアルバトロス王国では馴染みのない文化である。
次にフソウに赴いて土鍋と昆布とポン酢を買ってこようと誓い、紙にはチーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン……と洋菓子系をリクエストしてみる。最近、料理長さま方はデザートにも力を入れてくれているので有難い。
お茶の時間の焼き菓子もスコーンにクッキーにといろいろと用意してくれるので、執務の合間にあるお茶の時間を楽しみにしている。メインの料理もリクエストしないとなあと考えて、リゾット、パエリア……全然お貴族さまらしくないなと書いている文字を止めた。ふいにリンが紙を覗き込みながら、私の側で口を開いた。
「次もまたどこかに行くの?」
「年が明けるまで引き籠もりだよ」
どうやら彼女は予定が入っているのか気になったようだ。冬の寒さも厳しくなりもう直ぐ十二月に入る。一ケ月間は緊急事態が起こらない限り、王都の子爵邸で過ごしつつアストライアー侯爵邸へ引っ越し準備に、侯爵領領主邸への引っ越しも同時に進めなければならない。
春になればミナーヴァ子爵領の新お屋敷で落成式を執り行うため、お客さんを呼んで私の社交界デビューとなる。結構な面々を呼ぶことになるのだが、家宰さまが陛下にまで招待状を送ると告げたのには驚きだった。
まあ、名代の方が参加してくれるか、お祝い状をくださるかのどちらかだろう。で、ハイゼンベルグ公爵さまとヴァイセンベルク辺境伯さまにラウ男爵さま、フェルカー伯爵さま、エーリヒさまは確実に呼ぶ予定である。
ギド殿下もだし、マルクスさまにも招待状を送る。あとはフィーネさまも遠距離だけれど、転移陣を使わせて頂ければアルバトロス城まではなんとかなるし、参加してくれると良いのだが。そうなるとアリサさまとウルスラさまもだなあと遠い目になり、ならばアリアさまとロザリンデさまにカルヴァイン枢機卿さまも……となるわけで。不思議なもので、どんどん招きたい方が増えていく。
「ゆっくり過ごせると良いな」
話を側で聞いていたジークが優しい顔を浮かべて告げる。本当にゆっくり過ごせると良いのだけれど。
「そうだね。子爵邸のことがおろそかになっていたし、年明けまではお屋敷で過ごして改善しなきゃいけないところを見つけないと。年明けに楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんがフソウにお泊りに行くから、お出掛けはその時くらいかな」
私の一ケ月間はゆっくりしつつ子爵邸の皆さまの状況を見て、いろいろと采配していかないと。侯爵邸への移動の件で不平不満が出ていないか凄く気になる。
せっかくやる気のある方の労働意欲を落とすわけにはいかないし、当主としてきちんと管理しておくべきだろう。とはいえ私の前で子爵邸で働く方々は不満を言わないので難しい。なにか良い方法があれば実践するけれど、簡単に見つかるなら苦労はしない。
私に名前を呼ばれた毛玉ちゃんたちはぱっと顔を上げてどうしたのと言いたげに、尻尾を絨毯の床にぺしぺし叩いていた。なんでもないよと私が首を小さくすれば、なんだと床に伏せ直す。ヴァナルは片目だけを開いて毛玉ちゃんたちの様子を見守り、雪さんたちは面白いと小さく笑っていた。
「ゆっくりとは言い難い気がするぞ」
「ナイは頑張り過ぎ。ゆっくりしよう?」
片眉を上げたジークは苦笑いになり、リンは少し拗ねた雰囲気で私が書いた紙を覗き込んでいる。
『ナイはじっとしているのが苦手だよねえ。ユーリの相手、たくさんしなくて良いの~?』
「ユーリの相手もちゃんと務めるよ。乳母さんたちに負けられない」
クロが私の肩の上で顔をすりすりしながら怖いことを告げる。出掛けるとどうしてもユーリとの時間を捻出できないので、ユーリとたくさん遊ぶことも一ケ月の予定に入れておかないと。
畑の妖精さんも私が子爵邸から侯爵邸に移り住めば、どうなるか分からない。流石に魔素の枯渇で妖精さんたちが消えるのは忍びないので定期的に子爵邸にも訪れる。この辺りは副団長さまが興味を示していたから心配は要らないかもしれない。
「赤子のおしめを替える当主は前代未聞だろうな」
「聞いたことないよね」
くつくつ笑うジークとリンに私は口を開く。
「おしめを替えている教会護衛騎士も聞いたことないけれどね」
うん。孤児院で働いている男性であれば赤子のおしめを取り換えることはあるけれど、教会の護衛騎士が赤子のおしめを替えるなんて聞いたことはない。まあお貴族さまの当主も聞いたことないけれど。
三人で視線を合わせて肩を竦める。クレイグとサフィールだって孤児院で幼い子のおしめを替えることもあったから今更だと笑い私は真面目な顔をする。ジークとリンに一つ伝えておかなければならぬことがあった。
「ジーク、リン」
「ん?」
「?」
「私の専属護衛をしている教会騎士から、アストライアー侯爵家の護衛騎士になって頂けませんか?」
私の声にそっくり兄妹が二人で目を見合わせ、数秒後に私へ視線を戻した。何故か最後の方は敬語になってしまったけれど、正式な依頼だし構わないだろう。まあ執務室で伝えろと言われそうだが、なんとなく家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまがいる場では照れ臭い。
ジークとリンの気持ち次第だけれど、教会の許可は得ているしアルバトロス王国にも伝えている。お伺いを立てた皆さまには、打診が遅いくらいだと笑われてしまった。
「もちろんだ」
「反対なんてしないよ」
そっくり兄妹は直ぐに答えをくれる。迷わなくて良いのかと首を傾げるが、迷われてしまえば少々私の心にダメージが入る。良かったと安堵して、私はジークとリンと確りと視線を合わせた。
「これからもよろしくお願いします」
「ああ」
「うん」
私が頭を下げると二人は小さく笑った。これからも当主兼聖女と護衛騎士の関係は続いていきそうである。多分、クレイグとサフィールとの関係も大きく変わらないのだろう。
『良かったねえ、ナイ。昨日、随分悩んでいたから』
「ちょっと、クロ」
クロが私の昨晩の様子を暴露した。確かに大丈夫かと心配していたが、それを二人に言わなくても良いのではなかろうか。ふふふと笑っているクロにジークとリンも笑っていた。むーと私は口を尖らせて椅子から立ち上がる。すると毛玉ちゃんたちが顔を上げて『どこかに行くの?』と言いたげに、床から身体を離して私の下へやってきた。
「庭に行く! 精霊さんから貰った種を畑の妖精さんに渡してみるね」
辺境伯領領主邸から王都の子爵邸へ戻る際、大木の精霊さんから花の種を貰っていた。長老猫さんたちに捧げた花の種とのことで、私が匂いを気に入っていたから種を用意してくれたのだ。この世にない品種らしいのだが、力の強い精霊さんは時折新種の植物を生み出すことがあるとか。大木の精霊さんは力ある精霊さんなのだなと感心しながら私は種を彼女から受け取った次第である。
せっかく頂いたし庭師の小父さまに預けることも考えていたが、増やすという点では畑の妖精さんにお願いするのが一番だろう。少し足早に部屋を出ようとすると毛玉ちゃんたちが私のあとをついてきて、ヴァナルと雪さんたちも立ち上がる。
「ナイ。俺たちを置いて行かなくて良いだろう」
「一緒に行くよ。いつでも、どこまでも」
ジークとリンの声に私は二人に振り返るのだが、恥ずかしくて直ぐに前を向き歩き始める。私の横には毛玉ちゃんたち三頭が並び、後ろにはヴァナルと雪さんたちが続いていた。そっくり兄妹はくつくつと笑いながらヴァナルたちの後ろを歩いているようである。彼らを私の視界に捉えていないけれど、なんとなく雰囲気で分かった。子爵邸の廊下を歩いて行くのだが、すれ違う方たちはジークとリンと私との間に距離があることに首を傾げている。
裏口から裏庭へと出て少しだけ歩けば、畑の妖精さんたちがいる家庭菜園に辿り着いた。リーム王国のギド殿下から頂いたジャガイモさんの芽が茂っているし、エシャロットだったか……大根の小さいやつも元気に育っている。
私たちを確認した畑の妖精さんがこちらにゾロゾロと寄ってきて、間抜けな顔で両手を上げる。
『タネクレ!』
『シゴトクレ!』
妖精さんたちはいつもの如く社畜精神に溢れていた。私が手に持っていた黄色い花の種を見せると、妖精さんたちは上げていた両手をへなりと下げる。
『イラナイ!!』
「どうして……」
いつもなら植物の種ならばなんでも引き取ってくれていた妖精さんが、今回に限って受け入れてくれない。大木の精霊さんが創造した花だから駄目なのかとクロの顔を見てみる。
『ボクも分からないなあ。どうしてだろう……あ、もしかしたら畑に植えたくないのかも?』
クロが迷った末に導き出した答えは、畑の妖精さんたちは黄色い花の種を植えたくないという単純なものだった。でも毒を持っている可能性だってあるし、なんとなく畑の妖精さんは黄色い花の種が畑に悪い物だと感じ取っていそうである。
ケシの種は引き取ってくれたのに変なのと言いたくなるのを我慢して私は一旦家庭菜園から離れて、きょろきょろと顔を動かしながらとある人物を探す。
表側の庭に回って直ぐ目的の人物の姿が見え声を掛ければ、麦わら帽子がトレードマークの庭師の小父さまが脱帽して礼を執った。私は庭師の小父さまの下まで行き、経緯を説明すれば構いませんよと快諾をくれる。ただ、条件があるようでなんだろうと私が首を傾げると、庭師の小父さまが目を細めた。
「ミントのように繁殖力が強いと困るので、最初はプランターで育てても宜しいでしょうか?」
なるほど。確かにそういうことが起きる可能性もある。
「確かに増え過ぎても困りますよね。植生が全く分からない花ですし」
私は園芸に通じていないので庭師の小父さまの言に反対はしない。素直にお願いしますと預けて、また屋敷へと戻るのだった。一週間後、庭から庭師の小父さまの悲鳴が上がるとも知らずに。






