1139:お花さん。
大木の下から辺境伯領領主邸に戻ってきた。晩餐の時間までは各々ゆっくりしておこうということで、自身に宛がわれた客室に身を置いている。なにかやれることはないかなと探してみるものの、庭を見せて貰うくらいしかないなと苦笑いになる。
辺境伯領主邸もハイゼンベルグ公爵領領主邸の庭と遜色ない規模であり、本気で回るなら結構な時間が掛かるはず。そこまでの時間はない気がするのだが、ふと『庭』という単語でふと思いついたことがある。
「長老猫さんたちのお墓参り行っても良いかな?」
ヴァイセンベルク辺境伯領主邸の庭の隅っこには歴代飼っていた猫さんたちの慰霊碑がある。少し前に長老猫さんの葬送を担ったし挨拶に伺っても良いだろう。長老猫さんの顔しか知らないし、セレスティアさまとアルティアさまから聞いた話しか知らないけれど悪いことではない。
『そういえば前に行ったっきりだねえ』
クロが私の肩の上でこてんと顔を傾げながら言葉を紡いだ。大木の下にも花を添えても良かったなと反省するものの、クロと妖精さんというご意見番さまの生まれ変わりがいる。手を合わせるのは失礼な気もするし、まあ……大木の下に白い花を添えるのは次の機会で良いだろう。
私がそう思うと護衛のために一緒の部屋にいるそっくり兄妹に視線を向けると、いつもの顔で二人は口を開く。ちなみに西の女神さまは遊び疲れたそうでベッドで仮眠中で、南の女神さまは図書室を借りて暇潰しをしている。
大木の精霊さんはお屋敷の庭の草花に興味があると言って散策している最中だ。ソフィーアさまとセレスティアさまはアルティアさまとお茶会を開くとのこと。私も誘われたけれど積もる話もあるだろうと丁寧に辞退させて頂いている。
「許可が貰えるなら行ってみるか」
「大木の所で花を摘んでくれば良かったね」
流石に勝手にウロウロするのは不味いのでやはり許可を頂いてから慰霊碑に行こうとなる。リンが言ったように森で咲いている花を拝借しても良かったなと私は苦笑いを浮かべた。
「気持ちの問題だし、手を合わせるだけでも良いかなって」
私の言葉にそっくり兄妹は頷いて、ジークは部屋の外にいる護衛の方に知らせに行き、リンはすすすと私に近寄る。
「リン、どうしたの」
私の後ろにリンが移動すれば脇腹から彼女の腕が伸びてくる。私のお腹をリンの両腕ががっちりとホールドして、背中に少し彼女の体重が掛かった。クロは私の肩から飛び上って、リンの肩の上に移動している。ネルはクロと一緒に並べたことが嬉しいようで甘い声を短く上げていた。
「誰もいないから。ナイを独り占め」
リンが私の頭の上でふふふと笑っているのだが、最近西の女神さまや大木の精霊さんと私の距離が近いのでリンも思う所があるのかもしれない。リンだし問題ないけれど、許可を取りに行ったジークは直ぐに戻ってくるよという視線を私は背後の彼女に向ける。
「兄さんは気にしない」
「それもそうか」
リンがドヤ顔で言い切って、私もジークならいつものことだと気に留めないだろうと笑う。やはりジークとリンとクレイグとサフィールといる時間が一番落ち着けると扉の方を見ると、ジークが戻ってきた。彼は私たち二人を見てなにをやっているのやらという顔をしつつ、庭の慰霊碑に行っても問題ないと許可を得てくれたようである。
「直ぐに行くのか?」
ジークが顔を少し右に傾けて問い私は素直に頷く。私のお腹に回っているリンの手をぺしぺし叩いて離して欲しいと訴えると、彼女は微妙な顔を浮かべるもゆっくりと身体を離してくれた。クロが私の肩に戻って、顔をすりすりと機嫌良く擦り付けると満足したのか今度はてしてしと尻尾で背中を叩くのだった。
案内は辺境伯家の護衛の方が担ってくれるようである。部屋を出て直ぐ『ご案内致します!』とぴしっと敬礼を執った年若い護衛の方に私はお願いしますと告げれば、お屋敷から庭に出て慰霊碑の方へと向かう。
庭は少し肌寒いけれど凍えるほどではない。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭は毛皮を着ているのであったかそうだった。暫く護衛の方の背を眺めながら歩いていると誰かが横道から現れる。
『ナイさん、どちらへ?』
移動の途中に大木の精霊さんと鉢合せをしたので、理由を告げると一緒に行きたいと彼女が申し出る。私はなにも問題はないので、大木の精霊さんも一緒に行こうと歩き始めた。
そして、お茶会中のソフィーアさまとセレスティアさまとアルティアさまとも合流することになるのだが、私が慰霊碑に向かうと知らせが入ったのだろうか。でなければお茶会を中断する理由はないし、三人揃ってやってくるはずはない。とはいえ、一緒に慰霊碑に行くことを拒否なんてしない。みんなで手を合わせようとなって、女性陣ばかりの移動が始まった訳である。
「あの仔も喜びますわ」
「気に掛けてくださり、本当にありがとうございます」
セレスティアさまとアルティアさまが開口一番に感謝を述べた。お二人は長老猫さんが亡くなって時間が経っているものの少し寂しそうである。暇潰しに行こうとなっただけなので、私の胸の中に少々申し訳ない気持ちが湧いてくる。とはいえ馬鹿正直に告げるのは違うだろうし、話題話題と頭の中を探してみる。
「いえ。急に思い至ったので花も用意できず申し訳ありません」
私の声にセレスティアさまとアルティアさまが気にしないで欲しいと笑った。流石に勝手に庭の花を千切るのは大問題になるのでできない。ロゼさんに花を渡しておけば良かったかなと少しだけ後悔し始めた時だった。
『ナイさん、花はなんでもよろしいですか?』
大木の精霊さんが私たちのやり取りを楽しそうに見ながら仰った。特になにが良いとかは決まっていないし、日本の様に仏花の概念はアルバトロス王国の教会ではなかった。
「はい。気持ちの問題でしょうから」
『では、こちらを』
私の声を聞いた大木の精霊さんが右手を前に出すと、彼女の手の平の上が淡く光り始める。周りの皆さまが驚きで目を見開いていると、精霊さんの手の上に可愛らしいオレンジ色の花が五輪現れたのだった。根っこはついていない、きちんとした切り花になっているので大木の精霊さんが気を使ってくれたようである。
「よろしいのですか?」
『ナイさんと、亡くなった猫が喜んでくれるなら構いませんよ』
私が精霊さんを見上げると彼女は柔らかく笑う。木の精霊さんのため魔力で花を咲かすのは得意なのだそうだ。今回は慰霊碑に供えるため切り花の形で用意してくれた。有難いと私は精霊さんの手の平から受け取って、オレンジ色の花の匂いを嗅いでみる。
「優しい、良い匂いがします」
『気に入ってくださったならなによりです。急場だったので私の想像の花で申し訳ないですが……』
精霊さんの言葉に私は目を見開く。オレンジ色の花は本当に本当の世界で一つだけの花のようだ。まさか大木の精霊さんが頭の中で考えた花だとは思わなかったし、匂いまで考えているのだから凄い。
「同じものってできるんですか?」
『ナイさんが気に入ってくださったならいくらでも』
私は精霊さんの声にそうですかと答えれば彼女は微妙な顔になる。どうやら私が欲しいと言わなかったことで精霊さんが少し拗ねているようだった。匂いが再現できるなら調香師の方に頼んで香水かアロマでも作って欲しい所であるが……。
アルバトロス王国に調香師の方は存在しているのだろうか。一先ず、私の記憶頼りだけでは心許ないので、ここは私が一番信頼しているそっくり兄妹へと顔を向ける。
「ジーク、リン、凄く良い匂いだよ」
私が二人に花を差し出せば、意図を理解したジークとリンが背を屈めて花の匂いを嗅ぎ取る。
「本当だ。ナイが好きそう」
「甘いが、あっさりしている匂いだな」
クロも気になるようで身体を伸ばして花へと顔を近づけると『良い匂いだねえ』と感心している。クロの言葉に大木の精霊さんがドヤ顔になっていた。クロの様子を見ていた毛玉ちゃんたち三頭は私の回りを走って匂わせてと訴える。今度は毛玉ちゃんたちの方へと花を差し出せば、彼女たちはすんすんすんと鼻を鳴らしながら匂いを嗅ぎ取っている。
彼らの嗅覚はかなり優れているから大丈夫かなと心配していたのだが、特に問題はないようで『甘い!』『甘!』『甘~!』と三頭とも匂いを嗅いで満足している。ヴァナルと雪さんたちも匂いを嗅がせて欲しいと訴えてきたので、はいと私が差し出せば『甘い……』『良い匂いですけれど』『甘いですね』『少し強いでしょうか』と零している。
ヴァナルと雪さんたちの言葉に、香水は諦めようと私は考えを改める。おそらく匂いはキツいものとなるだろうし、ヴァナルと雪さんたちは匂いに敏感なようだから止めておくべきであろう。いろいろと頭の中で考えていると、辺境伯領主邸の端っこにある猫さんたちの慰霊碑に辿り着いたようである。
護衛の方が立ち止まり私たち一行に先を促した。
以前きた時と変わらず整備されている慰霊碑には花が飾られてある。毎日変えているのか新しいものだと直ぐに分かった。セレスティアさまとアルティアさまにも先を促され私は慰霊碑の前に立つ。私の後ろにジークとリンとソフィーアさまが控え、右隣にはヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたち三頭が並び、左隣には大木の精霊さんが立ち止まる。
今日はただの思い付きで慰霊碑へとやってきた訳であるが、個人として立つか、聖女として立つかまだ迷っていた。でも長老猫さんたちに捧げる祈りはどちらも本心だなと、精霊さんから預かった花を慰霊碑の前に手向けて目を閉じる。
――縁があればどこかで。
声には出さない。長老猫さんたちのことは全く知らないし、葬送儀式を執り行っただけだけれど……きっと、これも縁だから全く違う形でも出会えるならば嬉しいことはない。
気付かないまま一生を終える可能性だってあるけれど、その時はその時である。だから、縁があればどこかでともう一度同じことを祈って私は目を開けた。そうして次に精霊さんが祈りを捧げ、セレスティアさまとアルティアさま、続いてソフィーアさまが。ジークとリンも慰霊碑の前で祈ってくれて、ヴァナルと雪さんたちも祈りを捧げてくれていた。毛玉ちゃんたち三頭は意味が分からないながらもヴァナルと雪さんたちを一生懸命真似ていた。
「世界で一番幸せな猫ですわ」
「ええ、本当に」
セレスティアさまとアルティアさまの声に私は大袈裟なと苦笑いになってしまう。でも、家族として長老猫さんと一緒に生きてきたお二方がそう仰るならば……長老猫さんは幸せ者なのだろう……きっと。






