1138:幸せな光景。
辺境伯領の大木の下では竜の方による徒競走が開催されていた。最初は仔竜さんたちや小型の竜の方たちが競争していたのに、いつの間にか毛玉ちゃんたち三頭も参加してわちゃわちゃしていた。
時折、アルティアさまとセレスティアさまも竜のお方の背に乗って競争に参加している。気さくな竜のお方が多いので、羨ましそうな視線を彼女たちが向けていると乗ってと誘われていたのだ。
クロは走りでは負けてしまうので、空で飛行の速さを竜の方たちと競っている。アズとネルも参加しているから、他の竜の方と打ち解けているようでジークとリンと私は少し安堵していた。楽しそうでなによりとレジャーシートの代わりの厚手の布の上で私たちは竜のお方が遊んでいるところをまったりと眺めている。サンドイッチはほとんど食べ終えてお腹は満たされていた。
『ボクが早いー!』
『……負けた~』
一番を勝ち取って喜ぶ仔に負けて不貞寝を始めた仔もいれば、最初から脚が遅いからと参加していない仔もいる。毛玉ちゃんたちは勝ったり負けたりを繰り返しながら、勝てばえへんと胸を張って竜の仔たちに『脚速いねー』と感心されていた。
西の女神さまはそんな彼らを愛おしそうに見つつ、サンドイッチに手を伸ばしているのだが……私が少々食べ過ぎてしまった所為で選べるものが少なくなっていた。
「妹とナイは狡い」
「仕方ねえだろ。姉御は竜たちと遊んでいたんだからよ。呼んだら戻ってきていたのか?」
西の女神さまがサンドイッチを頬張りながら南の女神さまと私へ妬ましそうな視線を向けた。南の女神さまが仰る通り西の女神さまは竜の方たちと楽しそうに交流していたから邪魔をしちゃ悪いと考えていたのだが、どうやら食い気も十分にあるご様子。
食べ物の恨みは怖いので次からは声を掛けてから食べ始めようと私は誓う。無言でもごもごと咀嚼している西の女神さまは、タマゴサンドの一口目をごくりと嚥下してから口を開く。
「美味しい」
「良かったな、姉御」
西の女神さまに南の女神さまが単純だなと言いたげに口の端を伸ばしている。食べていれば西の女神さまの機嫌は直るかなと、竜の方たちから預かっている卵さんを懐から取り出した。アズとネルの時のような鶏の卵サイズの大きさで、片方の手の平の上に二個ちょこんと乗せられるくらいの大きさだ。リンの手なら四個くらい乗りそうだけれど、私の手だと二個が限界である。
「ナイ、どうした?」
「卵、気になるの?」
ジークとリンが私が卵さんを取り出したことを不思議に感じたのか背を屈めて聞いてくる。
「ううん。なんとなく出してみただけ。副団長さまがまた観察できるって喜びそうだね」
私は座ったままそっくり兄妹の顔を見上げて声を上げると、彼らは苦笑いを浮かべている。そういえばディアンさまは知らないようだから、卵さんを二個預かったことを伝えておかなければいけない。彼が爆撃禁止令を出していなければ、王都の子爵邸にはいくつ卵さんを投げ入れられていたのだろう。おそらく二個では済まないだろうし、アルバトロス城で暮らしているワイバーンさんも狙いそうである。
あまり深く考えないでおこうと手の平の上にある卵さんを指先でつんつんしてみる。多分、普通の竜の卵さんである。クロの時のように魔石と勘違いするような要素はない。かなり強い個体であれば魔石のような卵さんになるようだ。
「不思議だねえ……」
『どうしました、ナイさん』
「ナイ、どうした?」
私が小さく声を上げると大木の精霊さんとソフィーアさまの声が重なった。お二人の耳に私のぼやきが届いて気になったようである。声が重なったことにより、お互いに彼女たちは視線を合わせていた。
「申し訳ございません。私はあとで構わないので」
ソフィーアさまがすかさず精霊さんに場を譲る。精霊さんは声が重なってしまったことを気にしている様子はない。
『いえいえ、お気になさらず。貴女もナイさんのことが大好きですよねえ』
「なっ!?」
にこりと笑った精霊さんがソフィーアさまに声を掛けると、彼女はぎょっと目を見開いた。あれ、私のこと嫌いですかと言いたくなるけれど、ソフィーアさまは態々嫌いな人間の側にいるような方ではない。お貴族さまなら益があるなら我慢するだろうが、彼女であれば他の所で益を得て昇りつめていくはず。だからきっと大丈夫である。
『あ、もちろん友人としてですよ』
「それは、その……」
大木の精霊さんはにこにこと笑いながらソフィーアさまに視線を向けている。ソフィーアさまは居心地悪そうに大木の精霊さんと私の間で視線を彷徨わせていた。私の背後で護衛に就いているリンが『ナイと一番の仲良しは私』と言いたげだけれど我慢しているようである。
『そうでした。ナイさんは今夜、辺境伯領の領主邸とやらに泊るのですよね?』
「はい。辺境伯閣下のご厚意で泊めて頂くことになっております」
大木の精霊さんが妙な空気を打ち壊すように話題を無理矢理に変える。ソフィーアさまはほっと息を吐いているので、変なことを言わない方が良いかと私は疑問に素直に答えた。
今夜は辺境伯領の領主邸にお泊りする予定である。一泊だけなのはハイゼンベルグ公爵家への配慮もあるのだろう。女神さまと私が公爵家に泊った日数よりも、辺境伯領に泊った日数が長ければ、いらぬ疑いを持つ方もいるのだから。
お貴族さまって面倒だけれど、これがお貴族さまというものである。なんだか三年前より私もお貴族さまに染まっているなと感じつつ、お天道さまの下を歩けないようなことをしなければ良いかと開き直っていた。
『私もお泊りしても良いでしょうか?』
「私では答えかねますので、辺境伯閣下に問うて頂けると」
『なるほど。では少しの間失礼しますね』
大木の精霊さんは言うや否や、ふっと場から姿を消す。おそらく監視小屋の辺境伯領騎士の方と打ち合わせに行った閣下に直談判をするつもりなのだろう。話を側で聞いていたアルティアさまが『大丈夫かしら、旦那さま』と心配していた。
ソフィーアさまも私もアルティアさまの方へ顔を向ければ『まあ、どうにかなりましょう』と仰って、大木の精霊さんが戻ってくるのを待とうとなる。確かに待つしかないかと顔を前に向けると、南の女神さまがバスケットの中を覗き込んでいた。
「姉御、全部食っちまったのか!?」
南の女神さまが驚きの声を上げている。バスケットの中身は私たちが先に食べていたから随分と減っていたけれど、残り五、六人分は確保できていた。暇になった護衛の方たちに食べて貰おうとしていたのだが、西の女神さまは随分とお腹を空かせていたようである。
胃に入ってしまったものは仕方ないので特に咎める気にはならず、唖然としている南の女神さまに不思議そうな顔をした西の女神さまは私に視線を向けた。
「うん。美味しかった。ナイ、ありがとう」
「あ、いえ。お礼なら子爵邸の料理人さんたちにお願いします」
西の女神さまへ私が伝えると、彼女はまた作って貰って良いかと許可を求めてくる。料理人の皆さまに迷惑を掛けない範囲であればと伝えると、西の女神さまは凄く嬉しそうに笑った。最近、彼女の食べる量が増えていないかと首を傾げたくなる。まあ引き籠って細い身体を晒すより、女神さまらしく肌艶の良い方であって欲しいと願っていると大木の精霊さんが戻ってきた。
『許可を頂くことができました。閣下には感謝せねばなりませんね。夫人、ご迷惑を掛けてしまうかもしれませんがよろしくお願い致します』
「いえ。精霊さまを領主邸に招くことができ誇らしい限りですわ」
大木の精霊さんが小さく頭を下げると、アルティアさまも礼を執り顔を上げる。名誉なことではあるけれど、精霊さんが屋敷にくることを全く想像していなかったようでアルティアさまは少々混乱している様子である。
大丈夫かなと心配していると毛玉ちゃんたち三頭とヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが戻ってきた。毛玉ちゃんたち三頭は竜の方たちと遊び過ぎたのか、息が蒸気機関車の機関部のような短く浅い呼吸を繰り返している。
「お水飲もうか」
私の声に毛玉ちゃんたちが目を輝かせているので、喉が渇いていたようだ。ロゼさんに水と容器を出して貰って注ぎ込めば、嬉しそうに毛玉ちゃんたち三頭が顔を突っ込んだ。容器から水が多く零れているような気もするが、彼女たちはいつもコレである。もうすこし年齢を重ねれば雪さんたちのように優雅に飲んでくれるはずと目を細めていると、セレスティアさまも戻ってきた。
ひとしきり竜のお方と遊んだためか、彼女の特徴的なドリル髪が生き生きしている。そうしてクロとアズとネルも戻ってきて、お水を飲みたそうに毛玉ちゃんたち三頭を見ていた。
「クロとアズとネルもお水飲む?」
『ありがとう。沢山遊んだから飲みたい~アズとネルも欲しいって言っているよ』
私が声を掛けるとクロたちも喉が渇いているようである。結構な時間を遊んでいたから仕方ないよねえと、またロゼさんに容器を出してもらった。
「ちょっと待っててね。他の竜の方たちは?」
お出かけする際はロゼさんに大量の食糧と水を格納して貰っている。私はアストライアー侯爵家の当主だから、なにかあった時に同行しているみんなを死なせるわけにはいかない。余計な心配なのかもしれないが、貧民街時代に飢えを経験していることもあって用心してしまう。なので水は多めに確保できているので他の竜の方たちの分も足りるはず。
『良いの?』
「一応、お水は多めに用意しているから大丈夫……なはず。大型の竜の方の分ってなると難しいかな」
こてんと首を傾げるクロに流石に大型の竜の方が飲む分は難しいと伝えると、私の肩からクロが飛び立って遊んでいた仔竜の方たちを呼びに行った。お水を用意しながら待っていると、クロがみんなを引き連れてこちらにやってくる。大型の竜の方も顔だけ伸ばして様子を見るようだった。
『ナイ、みんなきたよー』
『お水! お水!』
『水飲み場まで行かなくて良い!』
『ありがとー!』
クロが一、二メートルくらいの大きさの仔竜さんたちと一緒に戻ってくれば、さっそく声を上げている。どうやら水飲み場までは少し遠いようで、仔竜さんたちは今の場所でお水が飲めることが嬉しいようである。
私がどうぞと容器を地面に置けば、みんなが一斉に顔を突っ込んで争奪戦となっていた。私が慌てなくても良いのにと苦笑いをしていれば、負けて水が飲めない仔たちはショボンとしている。
この辺りはきっちりと強い仔が先に飲めてしまうようで、負けた仔たちは黙って先陣を切った仔を見ているだけだった。私は負けてしまった仔たちにお水は十分にあるからと話すと小さく顔を下げてくれる。そうして最初の仔が飲み終わって、負けた仔たちがまた顔を突っ込んでを繰り返していた。クロとアズとネルは身体が小さいので別の容器で三頭並んで仲良く飲んでいる。
「ああ、幸せですわ」
「とても良いものを見れました」
顔を赤らめているセレスティアさまと嬉しそうに目を細めているアルティアさまの声が聞こえてきた。聞かなかったことにしておこうと視線を逸らせば、監視小屋から辺境伯さまが戻ってきた。そろそろ領主邸に戻ろうという彼の言葉でいそいそと撤収作業に入るのだった。






