1134:無事の帰還。
ハイゼンベルグ公爵領から王都のミナーヴァ子爵邸へと戻ってきた。
ロゼさんの転移で一気に戻ることも考えていたが、流石に護衛の皆さまや馬車と一緒に戻ることは難しく、もう一度五日間掛けて同じ道を戻ったのだ。道中、盗賊に襲われることもなく変なお貴族さまの家と関わることもなかったので、本当に運が良かった。
もしかして西の女神さまのお陰かなと視線を向ければ、ご本人……ご本神さまは不思議そうな顔を浮かべながらとある領地で買った屋台の串を食べている。平和なのは良いことだと私が笑えば、更に不思議そうな顔になっていたけれど。
特に問題なく視察も終えて一安心である。
子爵邸に戻っておかえりなさいと口を揃える働き手の皆さまと挨拶を交わして、十日間以上会っていないユーリの部屋へと訪れる。乳母さんと挨拶を交わせば、どうやらお昼寝タイムだったご様子だ。ベビーベッドの中で眠るユーリに公爵領で買ってきたお土産を渡して、目が覚めたら教えて欲しいと乳母さんに言い残し部屋を出るのだった。
「タイミングが合わなかった」
『残念だねえ。でも、直ぐ会えるから』
私はユーリの部屋を出て直ぐ小さく息を吐きながら声を上げると、クロが落ち込む必要はないと顔をすりすりする。
「そのうち起きるさ」
「だね、兄さん」
ジークとリンも私を励ましてくれるのだが、ユーリが寝ていたのは仕方ないことだからあっさりしたものだ。ま、ジークの言う通りユーリはそのうち起きるだろうと廊下を進み執務室へ入る。
ソフィーアさまとセレスティアさまは王都のタウンハウスにそれぞれ戻っているので不在だが、家宰さまはいらっしゃるので溜まっている書類仕事を捌こうと相談していた。部屋に入るなり、それなりに山積みになった紙の束に視線が行き私は自分の席へと腰を下ろした。
「ご当主さましか決裁できない書類から捌いて欲しいのですが、よろしいでしょうか?」
家宰さまがにこりと笑って告げた。長い期間、当主である私が留守になれば、どうしても家宰さまで決裁できない書類が溜まってしまう。とはいえ、全ての書類は家宰さまが目を通してくれており、本当に可否を判断してサインを入れる状態になっている。
家宰さまがいなければ私はお貴族さま業を満足に行えないし、領地の発展に、邸の運営も難儀していたことだろう。溜まった書類に嫌な顔をしないで素直に頷こうと私は口を開く。
「承知しました」
「感謝致します。では、こちらから」
言葉を言い終えるなり家宰さまは書類の束を私の前へと差し出す。一番上の紙を手に取って目を通していくのだが、内容は子爵領で新規店舗を開きたいというお伺い状だった。
家宰さまの話では事業計画もマトモなもので、店舗の目星も付いているそうだ。開店資金も十分あるし私に納める税金も十分あること。ならば反対する理由はないと、開店許可証に私のサインを入れ、経営が上手く行きますようにと願いを込めながらミナーヴァ子爵領領主の蝋印をぎゅっと押し込んだ。
子爵領はとうもろこしさんの生産地ということもあって、生活に根付いた店舗が多く昔ながらの老舗がほとんどである。無理のない範囲で価格競争が起きれば、領民の方たちも喜んでくれるだろうと、次の書類に手を伸ばす。
「む」
「ご当主さまには悩ましいことかもしれませんが、これも領主の仕事ですから」
私が二枚目の書類に目を通すとどうすれば良いのか返答に困るものだった。家宰さまも理解しているのか苦笑いを浮かべながら、私の仕事であると諭してくれる。子爵領には領都以外にも村が数ヶ所ある。
そのうちの一つである、名主の方から村の若者の嫁を紹介して欲しいというお願いだった。かなり大袈裟だが人口減少で限界集落となり廃村となれば子爵領の税収入が減る。あと名主の方の紹介先では同じ血が入りやすいため、今回は違う所から女性を村に迎え入れたいとのこと。頼れる先もなくなり最終手段である私に女性の紹介をお願いしたとのことだ。
「無理矢理、どこそこの家に嫁げとか嫁を取れとか言えませんよね」
私が家宰さまへと疑問を飛ばせば、彼はなにを言っているのですかというような顔になる。
「いえ、ご当主さまが命じれば問題はありませんよ。名主が嘆願していることですからね」
家宰さまがきっぱりと言い切るのだが、むりやりカップル成立させるのはなんだか心苦しい。問題の村の年頃の男性陣が女性を数名求めているので、全員くっつけないと文句が出てきそうだし難しい問題だと頭を捻る。王都に赴いて未来の奥さんを探せとなれば、そのまま王都に住み着きそうだし人口流出は避けたい。そもそも名主の方も望んではいないだろう。
「私は紹介できる女性なんて知りませんよ。できることとなれば領都に未婚の年若い方を集めて夜会擬きのパーティーを開くくらいしか……思いつきません」
知り合いとなればお貴族さまの女性となるので、村の男性とは釣り合わない。高い確率で生活が破綻するだけである。それなら生活レベルが同じ女性を紹介しなくてはいけないのだが、私には孤児院で過ごしている年齢が高い女の子くらいしか伝手がないのである。
女の子の気持ちに問題がないなら男性の所に嫁いでも良いけれど……社会を知らない孤児院の女の子を紹介するのは忍びない。やはり子爵領と各村から未婚の男女を集めて、婚活パーティーを開くくらいしか良い考えが浮かばなかった。
「悪くはないのかもしれません。各村との交流は最低限で、婚姻は村内で済ませることが多いですからね」
家宰さまの声にそれは不味いのではと私は考えてしまう。やはり血が濃くなるのを防ぐために婚活パーティーを開いた方が良さそうだ。アストライアー侯爵領からも人を寄越すことができるので、移動の手配ができるなら男女に別れて各領地へと向かうのもアリだ。移動手段が徒歩の方が多いので致し方ないことなのだろう。馬や馬車を用意できるのは本当に余裕のある方だけである。
「アストライアー侯爵領の未婚の方を誘っても良さそうですね」
「爵位を複数持っている強みですね。ここで考えていても仕方ないですし、予算を組んで実行してみますか?」
うーんと唸りながら絵空事を呟いていると、家宰さまが真面目な顔で問いかけてくれる。面倒なことだろうに、こうして助言をくれるのだから有難い。ソフィーアさまとセレスティアさまには申し訳ないが、暫くの間雑務が増えそうであった。できれば辺境伯領の視察が終われば、婚活パーティーを開いてみたいなと家宰さまと相談を続ける。
「お願い致します。先ずは名主の方が希望している村と他の村と領都の異性を呼んでみましょう。人が集まれば良いのですが……」
一先ずは規模の小さいお試し開催となる。家宰さまは名主の方も大きな話となって驚くだろうと笑っていた。名主の方は私が手配した女性と村の男性と引き合わせて、そのまま婚姻と考えているそうだ。
文化が熟成していないし当然のことかもしれないが、冷え切った家庭で生まれた子供は悲惨である。だから、お相手の人となりを知っていれば、多少は避けられるかなと考えた。
「希望者は必ずいますよ。子が欲しいと願っている者もいるでしょうしね。悩むくらいなら、やってみましょう。村の人間を集めるだけなので、予算的にも領地運営を傾けるものではありませんし、時期も冬なので農作業は閑散期ですからね」
なるほど。暖かい時期のミナーヴァ子爵領の皆さまは農作業に従事しているので忙しい。冬の間は作業が少なくなって時間が取れるようである。村の名主の方も時期も考えて手紙を寄越したのだろう。良い方が見つかって婚姻まで漕ぎ付けられれば嬉しい。
「隣の領地にも声掛けできると良いのですが、上手く事が運ぶか分かりませんし、何度か子爵家で開催して良い結果が出るまで我慢ですね」
「ナイ」
私が肩を竦めると、壁際に控えていたジークが珍しく声を上げた。
「どうしたの、ジーク?」
特に問題はないので私も家宰さまも彼に視線を向け首を傾げる。真面目な顔をしたままのジークは半歩前に出て口を開いた。
「近隣領地の一つはラウ男爵家です。私から男爵殿に話を持ち掛けても良いでしょうか?」
ジークに畏まられるのは変な感じだけれど、家宰さまも一緒にいるので丁寧な態度に変えたのだろう。最初に私の名を呼んでしまったのは、いつもの癖が出てしまったのかもしれない。
「有難いけれど、失敗に終わるかもしれないよ」
近親を避けたいなら、ジークの発言は凄く有難い提案である。領地と領地を挟むと移動の手続きが必要となるので、村の方たちが滅多に移動をしない原因がコレだった。けれど、成功するか失敗するか分からない催しにラウ男爵さまを巻き込んでしまっても良いのだろうか。
「珍しい試みなので、催しの正否を出すには時間が掛かること実験的な側面があることは必ず伝えます。その上でラウ男爵には参加の是非を問おうかと」
「なら、大丈夫かな。ジークフリードとラウ男爵の判断にお任せしましょう」
ジークが珍しく領地運営の話に加わったことに違和感を覚えるも、彼なりに考えてくれてのことだろう。ラウ男爵領とミナーヴァ子爵領の交流は当主同士の顔合わせだけだったし、領民の方たちとの交流が始まるなら良いことである。
家宰さまも問題ないと判断してくれたようで、私はいくつかの注意点を彼に伝えておく。あまり片方の領地ばかりに人口が流れれば不平不満も出てくるだろう。なので領地を跨ぐ婚姻は数を制限させて貰うことを条件として提示する。一先ずのルールはこれくらいで、あとは回を重ねて問題点を聞き取って改善していこうという話に収まった。
「無理にラウ男爵に押し付けないでくださいね。迷惑になりましょうし」
「もちろんです、閣下」
なんとなく落ち着かないやりとりに私とジークは片眉を上げながら笑う。彼の隣で静かに控えているリンも微妙な表情を浮かべていた。おそらく私がジークをジークフリードと呼んだこと、ジークは私を閣下と呼んだことに違和感を抱いているのだろう。クロも私の肩の上でなにも言わないけれど、足踏みしながら感じた変化を訴えている。
「面白い試みですし、成功すると良いですね」
家宰さまがにこりと笑い、軽く婚活パーティー(仮)について纏めてくれた紙に視線を落としていた。嘆願書から凄い話に飛躍したけれど、名主の方にも相談を持ち掛けて成功すると良いなと願うばかりである。