1128:竜の尻尾を。
――招待するべきではなかったか……。
アルバトロス王国に所属しているそれなりに名を馳せている子爵家の当主を務めているが、目の前の少女の活躍と比べれば私の家など霞んでしまう。アストライアー侯爵がハイゼンベルグ公爵領に視察に赴くと知ったのは本当に偶然だった。
領地の高級宿に泊まると一報が入り、慌てて侯爵に手紙を送ったのだ。飛ぶ鳥を落とす勢いで名を馳せている彼女に手を出すのは如何なものかと考えたが、亜人連合国に東大陸のアガレス帝国と共和国、北大陸のミズガルズ神聖大帝国とも縁を持つ彼女と顔合わせができるならと欲が出てしまった。
アルバトロス王国内の子爵家など相手にしないだろうなと思いきや、ご招待有難うございます、よろしくお願い致しますと凄く綺麗な文字で記された手紙に腰を抜かしたのが三日前である。アストライアー侯爵本人が記した手紙かどうかは分からないが、彼女の可愛らしい顔に似合う文字だ。三日間で侯爵家一行を出迎えるには短い時間であったが、元々我が家の料理人は腕自慢を集めているため特に問題はなかった。
部屋は子爵家規模なので侯爵家と比較すれば広くはないが、歴代の当主が買い集めた自慢の調度品が数々あるし、廊下に飾られている絵も有名な画家が描いたものである。さぞ、驚いてくれるだろうと期待していたのだが……子爵邸の廊下を進む彼女は全く興味を示してくれない。普通の貴族であれば廊下に飾る絵画を見て『良い物ですな』『素敵だな』と口にするものなのに。
そういえば彼女は貧民街からの成り上がりということを、私は綺麗さっぱりと頭の中から抜け落ちていたと肩を下げる。
旅の疲れもあるだろうと一先ず来賓室へと案内して休憩して頂いている。侍女には最高級の茶葉を使えと命じているし、茶請けの菓子も王都で有名な菓子店のものを用意した。絵画は侯爵の興味を引けなかったが、茶と菓子は女性の好物である。
きっと気に入ってくれるはずと私は執務室で侍女からの報告を待っている所だ。他にも調理場の者たちにも気合を入れて調理しろと命じているし、屋敷の他の者たちにも粗相をするなと厳命している。妙な行動を取れば首を斬るとも伝えているので、我が家の者であれば問題を起こすまい。一緒に執務室で陣頭指揮を執っている息子が眉尻を下げながら私を見る。
「父上、晩餐会は大丈夫ですか?」
「もちろん、抜かりはない。最高級の食材を方々に手を回して手に入れ、我が家の料理人の腕が良い。以前、我が家主催の夜会に参加した伯爵殿が出されていた料理を褒めてくれたではないか」
いつもより情けない声の息子に私は腹に力を入れて答えた。確かにアストライアー侯爵は偉大であるが、一人の若い女性に過ぎないだろうに。恐れる必要はないし、夜会でいろいろな者たちと対峙して今まで乗り越えてきているではないか。
我が息子に代を譲るのはそろそろ良いかと考えていたのに、そのような情けない顔で私に縋る姿を見てしまえば代替わりはまだ早いのか。夜会で我が家の料理を褒めてくれた伯爵殿は長く続く家の者であり、料理通と知られている。そんな方が褒めてくれた我が家の料理をアストライアー侯爵が気に入らないはずはない。
「それは、そうですが……アルバトロス城で、アストライアー侯爵は出向いた先の食べ物を良く買い付けていると聞きますし、旅先の料理本を手に入れているとも……」
代を変わるまで城勤めをしている我が息子の言葉は本当なのだろう。聞き及んだ噂ではアストライアー侯爵邸――正しくは子爵邸だが――では、珍しい野菜や果物を使用人たちが家に持って帰っていると聞く。
屋敷の裏に畑があると聞いたのだが、貴族の屋敷で土を耕す者など庭師以外にはいない。大方、買い過ぎた食材を無駄にしないために提供しているだけだ。アルバトロス王国の王都でも珍しい野菜や果物は手に入る。
きっと噂が噂を呼び、いろいろな話が混ざって面白おかしくなっているだけだろう。それにアストライアー侯爵家の料理人がどれほどの腕をしているのか分からない。貧民街出身の成り上がりである。きっと大抵の品は美味いと言って食べるに違いないと、私は息子に視線を向けて口を開く。
「……案ずるな。不味い品を提供するわけではない」
そう、そうだ。不味い料理を提供するわけではないし、毒を盛った品を出すわけは絶対にない。だが、どうしてだろう。胸の中が異様にざわついている。
そして、いつも泰然としている息子が今日に限って青い顔をしていた。もしかして城内ではアストライアー侯爵の話は市中で聞く噂と違うものというのだろうか。いや、まさかと私が頭を振ると我が息子が執務机に両手を付いて、腰を折り顔を私に近づける。
「提供した食事にほとんど手をつけない可能性だってあるんですよ?」
確かに用心深い者であれば提供された食事に手を付けない可能性もあるし、不味いという意思表示で一口だけで終える可能性もある。だが……。
「…………息子よ。もうここまできているんだ。腹を括れ」
そう。もうアストライアー侯爵は来賓室で晩餐を待っているのだから、私も息子も家族も逃げられない。アストライアー侯爵から手紙の返事を貰った時は凄く嬉しかったのに、土壇場になってこう緊張してしまうのはどうしてだろうか。
二人で悩んでいる所に我が家の侍女がやってくる。アストライアー侯爵に提供した茶は問題なく手を付けてくれ、茶菓子も全て平らげたそうだ。そして提供した侍女には『ありがとう』と声掛けをなさったとか。
三年足らずで成り上がった侯爵という若者が、侍女の者に丁寧に接するのは珍しいように思えた。侍女が執務室から下がれば、私は我が息子に視線を向けて案ずるなと無言で告げる。
私からの無言の言葉を受け取った我が息子は腹に手を当てて、はあと大きく溜息を吐いた。本当にどうしたのだろう。そうしてまた執務室の中にドアをノックする音が響いた。どうやら我が家の家宰が訪れたようだ。
「入れ」
家長として威厳ある声を出せば、ゆっくりと扉が開いて家宰が部屋に入る前に丁寧な礼を執る。そうして彼はこちらに足を向けて、我が息子の隣に立った。
「旦那さま、ご用意が整いましたと料理長から知らせが入りました」
「そうか。では皆を呼んでくれ。我が家の者が全員集まってから、客室の侯爵閣下を呼ぶように」
「承知致しました」
また我が家の家宰が丁寧な礼を執って執務室を出て行く。私は席から立ち上がり我が息子と視線を合わせて確りと頷き、食堂へ赴くために足を動かした。
「父上、尊大な態度を取ってはなりませんよ」
「分かっているさ。社交界で嫌というほど学んでいるからな」
我が息子の声を聞いた私は当然だとばかりに言葉を紡いだ。下位の爵位の者が上位の爵位の者へ不遜な態度や舐めた態度を取れば、その後どうなるかを知っている。自領で行っている生産物を上位の爵位の者が取り扱いを始め、じわじわと税収入に影響を与えられた者がいた。
さあこれからだという時に事業計画を潰された者もいたし、態度や状況次第にもよるが不敬だと言われて殺される場合もある。寄り親と懇意の相手であれば、寄り親から苦言を呈される場合もあるのだ。
今回の場合、アストライアー侯爵の後ろ盾はハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯で、我が家の寄り親は伯爵家なので頼れない。本当に規格外だと小さく息を吐けば、食堂へと辿り着いていた。
扉を開け中に進めば、我が家の者たちが揃っている。そうして私は長机の真ん中に腰を下ろし、右隣には私の妻が、左隣には私の息子が椅子に腰を下ろす。そして息子の子供たち二人も緊張している顔で席に着く。
「皆、アストライアー侯爵に聞きたいこと、尋ねたいことがあるだろうが……仲の良い相手ではないし、私がお誘いした方だ。失礼のないように」
私の声に皆が神妙に頷いた。仲の良い家同士ならば、移動途中に領都があるならば一泊泊まらせて欲しいと願い出たり、逆に要請を受けることもある。今回は違うパターンなので行動には十分に気をつけなければ。
縁を繋いで、我が家の将来に益を齎したいが慌てて行動に起こせば損をするだけである。ふうと息を吐けば扉の向こうが少し騒がしくなった。私が椅子から立ち上がると皆も椅子から立ち上がる。
そうして我が家の家宰がアストライアー侯爵と彼女の側仕えと護衛と一緒に姿を現す。一人はハイゼンベルグ公爵の孫娘であり、もう一人はヴァイセンベルク辺境伯のご令嬢だ。
護衛の二人は竜殺しの英雄と呼ばれる双子の兄妹で腰に佩いている剣は業物だと一目で分かる。そして背が高く長く髪を伸ばした女性とアストライアー侯爵と背丈が同じ黒髪黒目の少女がいるのだが、侯爵の側仕えとも護衛とも聞いたことはない。新たに雇った者だろうかと首を捻るが、先ずは侯爵を迎え入れなければ。
「お待たせしました。アストライアー侯爵。席へどうぞ」
「ありがとうございます。今宵が楽しい時間となることを望みます」
私の言葉に侯爵も返事をくれる。少し含みのある侯爵の言葉尻に片眉がぴくりと上る。私や家族が問題を引き起こすことを警戒しているのだろうか。なにもする気はないのだが、確かに彼女は新興貴族の成り上がりだ。
まだ年若い彼女を騙せると企む者がいるかもしれない。私だって下心があるから接触しているのだから。とはいえなにか行動に起こす気はなく、今日は顔合わせをして侯爵が社交界に出れば円滑に話ができるようにと狙っているだけ。
なにも問題はないと侯爵を席に案内した。歓待する者は侯爵一人で良いと聞いていたため、一人分の席しか用意していない。女神さまもご一緒に子爵邸で暮らしていると聞いていたのだが、どうやら女神さまは侯爵と一緒に行動しないようである。
女神さまは気まぐれなのか、侯爵の屋敷を借り屋としているだけなのか分からないが、面通しできないことが少し残念だ。そうしてお互い席に着けば、我が家の料理人たちが手塩にかけた料理が運ばれてくる。
「我が家の料理は好評でしてな。侯爵が満足なさると良いのですが」
私がぱんと手を叩けば、係の者が一斉に食堂に入ってくる。最初は前菜が提供され、メインには肉とスープを用意して最後にデザートが出るコース料理だ。
一品目である前菜が各々の前に置かれれば、ナプキンを膝の上に置きカトラリーを外側から取る。侯爵も我々と同じように振舞っているので、学んで身に着けたのだろう。
丁寧な仕事を受けた前菜料理をナイフで切って、フォークを使い口に運ぶ。新鮮な野菜の味とソースの味が口に広がり、お互いの良い所を主張していた。流石我が家の料理人と目を細めれば、侯爵も一口目を運んで咀嚼している。随分と丁寧に噛んで嚥下している姿に私の隣に座している妻が小さく笑っていた。どこが良いのか分からないが、正面に立つ竜殺しの英雄の片割れの女性も侯爵の背を眺めながら優しい目を向けていた。
竜殺しの英雄の片割れの女性が私の視線に気付き丁度目が合った……――怖い。先程の優しい瞳から一転、目で人を殺せそうな威力の眼光で私を見ていた。
直ぐに視線を逸らしてくれたので漏らすことはなかったが、あと数秒視線を合わせたままであれば私は気絶か失禁していた可能性がある。もう一人の竜殺しの英雄から放たれている気配もただならぬものではなく、侯爵に手を出せば秒で剣を抜くぞと威圧しているようだった。
そしてハイゼンベルグ侯爵の孫娘とヴァイセンベルク辺境伯のご令嬢も同様に、怪しい行動を我々がとればすぐさま制圧させて頂くという気配を放っているような。まだ年若い者たちなのにどのような修羅場を潜れば、凄い雰囲気や眼光を放てるのだろう。そして背の高い女性と背の低い女性も良く見れば、凄い雰囲気を持った人物である。
先に述べた四人のような怖さはないが、なにか未知の者を見ているような感じがした。私が恐れ戦いている間に侯爵は一品目の前菜を綺麗に食べ終えており、ナプキンで口元を拭っている。少しあと侯爵は小さく笑みを携えて口を開いた。
「美味しいですね」
「そ、そうですか。お気に召されたようで良かった。まだ料理は続きます故、ご堪能ください」
私は料理の味を感じることはなく、ただただ侯爵の護衛の者たちの雰囲気に気圧されたまま運ばれてくる食事を食べ進め、時折侯爵が声を上げる言葉に差しさわりのない返事をするので精一杯だった。
あまりの緊張にアストライアー侯爵という人物を家に招いたのは間違いだったのかもしれないと後悔をするのだった。
別作品ですが……投稿している『控えめ令嬢が婚約白紙を受けた次の日に新たな婚約を結んだ話』がコミックブリーゼさんにて配信開始となりました!
↓にリンクを貼っておりますので、公式さんかニコニコ漫画さんだと無料で読めるようになっております。お時間がある方は是非読んでみてください!
作画をご担当下さった笠木あき先生が素敵に仕上げてくださっております。
https://www.comic-brise.com/contents/hikaemereijo/






