1127:寄り道をくう。
馬車の中は少し狭いけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまによるアルバトロス王国各領地解説は面白い。さまざまな産業を担っているところもあれば、一つの産業に特化している領地もある。
それでいえばアストライアー侯爵領も小麦生産を生業としている領地だから、人様の領地を馬鹿にはできない。なにか小麦の生産以外にも良い副業的なものがあれば良いのだが、ワイン用のブドウの生産とかは流石に手間が掛かりそうだ。
「ナイが興味を向けるのは食べ物だけ」
「そ、そんなことは……」
「物を作ってる領地はあんま興味なさそうだったがな」
西の女神さまの言葉を私が力なく否定すれば南の女神さまがすかさず突っ込んでくれる。容赦がないと言いたいが、二柱さまの言う通り私がソフィーアさまとセレスティアさまの説明を真面目に聞いているのは一次産業についてだった。
二次産業も当然存在している――とはいっても文化の発展レベルに影響して少ない――ので、二次産業にも手を出せる環境にあるのだが、鉄や銅が採れる鉱山や場所を有している領地がどうしても強くなる。
三次産業はサービス業なのだが、小さいお店が主流であり、デパートのようなお店が誕生するのはいつになるのか。王都でデパートのような総合店を開けば凄く儲かりそうだけれど、お貴族さま向けだし、他店からの批判が少々怖い。自領地でやっても良いけれど、お店が出揃わない可能性がありそうである。できることと言えばアガレス帝国の中央広場で行われていた、出店のような規模の大きい催しくらいであろう。
「ナイですから」
「仕方ないのでしょうね」
ソフィーアさまとセレスティアさまが女神さまに対してフォローを入れてくれているのに、フォローになっていない気がする。それに二柱さまも彼女たちの声に『確かに』『それもそうだな』と声を上げている。
私の立つ瀬がないし、一応ご当主さまなので一番偉いはずなのにとぼやきたくなった。まあ、偉そうに振舞うのは苦手なので、今のように冗談で吹き飛ばしてくれても構わない。締めるべき時に当主として締まっていれば良いのだから。
「ワインの作り方を聞いていると楽しそうだね」
西の女神さまが目を細めて先程聞いたことを口にした。確かに原始的な作り方をしている所は搾り機には入れず、足で踏みつぶしている所があるそうだ。それは女性の仕事となるのだが、面白おかしく唄を歌ったり、旦那さまの悪口を言ったり、自分の子供の婚姻先を探したりと重要な役を担っているのだとか。
確かに面白そうだし、結構大変な作業を笑って楽しむ工夫がされているのは本当に凄いことだ。日本は各家庭でお酒を造ることを禁止していたけれど、アルバトロス王国は家で消費する分は認められているそうだ。大量に生産となればお貴族さまの出番となり、計画的な生産と販路の開拓に勤しむ。
「姉御の興味はなんでもあるのな」
「そうかな? 未知のことを学ぶのは楽しい」
「ま、姉御が楽しんでいるなら良いか」
西の女神さまの言葉に南の女神さまが肩を竦めていた。どちらが姉なのか分からなくなりそうだ。そんなこんなで移動一日目を終え、とある領地の高級宿に泊まることになったと言いたかったのだが……。
女神さまも一緒のため、私の名義で予約を入れたため高級宿から領主さまへと伝わったようである。数日前、事情を話してくれた家宰さまは『困ったものです』と言っていた。
お貴族さまは顔の広さが求められる。いつでも、どんな時でも虎視眈々と人脈を広げる努力をするものだとか。だから私が今夜の宿に泊まると知ったご領主さまは、宿ではなく領主邸に泊らないかとお誘いを受けた。
「私が粗相をしなければ良いのですが……」
宿泊先は子爵家なのだが、マナーとか付け焼刃なので生粋のお貴族さまと一緒に食事を摂るのは少々心配だった。
「今更じゃないか、ナイ」
「アガレス帝国の皇宮にミズガルズ神聖大帝国の帝宮に泊ったナイが言う台詞ではありませんわね」
ソフィーアさまとセレスティアさまが仰る通り、私は各国の晩餐会に参加したことがあるけれど少々の粗相は見逃されてきた立場であった。今回はアストライアー侯爵家当主としてお誘いを受けた形となる。まあ、私の方が爵位が高いからカトラリーを落とそうが、食べかすを口に付けていようが、不問だけれど社交界で噂になれば超恥ずかしい。うーんと頭の中で考えていると私の肩の上でクロが首を捻る。
『ナイのことより、ボクは西と南の女神さまが同席する方が心配だねえ。正体を隠すんでしょ?』
大丈夫かなあとクロが心配そうな顔をして、西と南の女神さまを見た。ソフィーアさまとセレスティアさまも大丈夫か心配なようで少々困っている様子だ。
「うん。魔術具で力は抑えられているから、ソフィーアとセレスティアと一緒に従者として振舞うつもり。ジークフリードとジークリンデと一緒に騎士の格好をするのも考えたけれど……教会の騎士しか着れないから諦めた」
「あたしもだ。窮屈に飯をいたくねえしな」
面白くないと少しだけ頬を膨らませた西の女神さまと、ふんと鼻を鳴らした南の女神さまが言い切った。
「あ、お二方を呼ぶときはどうしましょうか……流石に女神さまと呼べない状況なので……」
なにか声を掛けたい時に困るので決めておきたいことである。WEST、SOUTHと安直に呼ぶ訳にもいかないし……二柱さまの中で呼んで欲しい名前があると良いのだが。
「ナイが決めてくれて良いよ。アルバトロス王国の標準的な名前で良いかな」
「だな。あたしらには知識がねえし」
二柱さまの声に私はムムムと悩み始める。そういえばジャドさんたちの名前を付ける時にアルバトロス王国の人名図鑑を必死に見つめていた。多分だけれどアルバトロス王国の人名はドイツがベースっぽい。偶に違う国由来の名前も存在しているけれど、乙女ゲームの世界だし深く考えないようにしている。そうして頭の中にふと浮かんだ名前を口にしてみる。
「西の女神さまはヴァルトルーデさま、南の女神さまはジルケさまはどうでしょうか?」
単純に頭文字が『W』と『S』となる名前を選んだだけであるが、急場凌ぎだから問題ないはず。さま付けは、私がソフィーアさまとセレスティアさまと呼んでいるので今更だ。
「ん。じゃあ暫くの間はそう呼んで。ソフィーアとセレスティアに他のみんなも気軽に呼んでくれて良いから」
「ちと新鮮だな。まあ分かれば良いから、そう呼んでくれ。あたしも西の姉御と同意見だからな」
二柱さまが言い終えると丁度、領主邸の正門に馬車が辿り着く。エルとジョセとルカとジアも一緒だし、子爵家のご当主さまは驚きそうである。でも私の屋敷で天馬さまが暮らしているのはアルバトロス王都の民の皆さまであれば知っている情報だ。
ということは噂に耳聡いお貴族さまが知らないわけはないので、大丈夫だろうと腹を括る。馬車の中に門扉が開く鉄の音が聞こえるとガタンと馬車が揺れた。暫く馬車の中で子爵領領主邸の庭を眺める。
今頃、王都のミナーヴァ子爵邸では庭師の小父さまが花壇を直している最中だろうか。一応、テラさまからも申し訳ないことをしたと詫びを頂いているから、不満は出ていないけれど……庭師の小父さまが退職願を出さないことを祈るばかりだ。
「着いたな」
「わたくしたちが先に降りますわ」
「ナイは当主だから、私も先に降りるね」
「だな。ナイが先に降りれば私たちの正体が露見しそうだ」
お二人と二柱さまが扉の開いた先にあるステップに足を掛けて、ひょいひょいと降りていく。ソフィーアさまのエスコートはギド殿下が担い、セレスティアさまは辺境伯家の息が掛かっている護衛の方のエスコートを、西と南の……いや、ヴァルトルーデさまは侯爵家の護衛の方が、ジルケさまはリンが担っていた。
私はジークのエスコートを受けて子爵領領主邸の馬車回りに足を下ろした。背伸びをしたいけれど人目があるので我慢をしていれば、子爵家のご当主さまと奥方さまにお子さん方――と言っても三十代くらい――が私たち一行を出迎えてくれる。
ソフィーアさまとセレスティアさまが私の後ろに控えれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまも一緒に後ろに並んだ。ジークとリンはカストルとレダを佩いて私の横に控えている。なんだか変な感じと目を細めながら、子爵家のご当主さまと私は相対した。時刻は夕方。私は陽の光を背に受けながら小さく礼を執る。
「この度はお招きくださり、感謝いたします」
癖で深々と頭を下げそうになるのを我慢して私が謝辞を送れば、目の前の小太りな子爵家のご当主さまが深々と礼をした。彼に倣ってご家族の方も一同に頭を下げるのを見てしまい、苦笑いを浮かべるしかない。慣れないなとぼやいていると、頭を上げた子爵家のご当主さまが口を開く。
「いえいえ、お気になさらず。アストライアー侯爵閣下。わたくしめの要請を受けて頂き感謝いたします」
本来であれば断るつもりだったけれど、お貴族さまとして成人したなら私はアルバトロス王国国内の人脈を広げていかなければならない。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さま調べによれば、目の前の子爵家のご当主さまは特に問題を抱えてはおらず、普通の子爵家のご当主さまなのだとか。
裏がある可能性は低いと判断されて、私は目の前の彼の要望を受け入れた。言い方は悪いけれど、練習台になってくれると有難いのだ。でもまあ、女神さまを引き連れてやることではないが、今回のような移動の機会は滅多にないだろう。
「ささ、皆さま。屋敷の中へお入りください。少し早い晩餐となりますが、美味しい料理の数々を用意しておりますよ」
にこりと笑う子爵家のご当主さまはヴァルトルーデさまとジルケさまの正体に気付いていないようである。凄いなと振り返れば『圧の制御頑張った』『姉御は一人で悩んでいたからなあ』とソフィーアさまとセレスティアさまに零していた。
子爵家の皆さまには聞こえないので問題なかろうと前を向き、子爵家のお屋敷の中へ足を踏み入れる。元々のミナーヴァ子爵領にあった元男爵家のお屋敷と比べると広く、ミナーヴァ子爵領に新たに建てたお屋敷より狭い。公爵領の領主邸と比べると更に狭いので面白いというか、階級社会はこういう所にはっきりと差がでていた。
「移動でお疲れでしょうから、さっそくご用意を始めさせて頂きます」
一先ず賓客用の部屋に案内されて、ゆっくり過ごすようにと子爵家のご当主さまが告げる。私がお礼を述べると丁寧な礼を執った子爵家のご当主さまはそそくさと部屋を出て行った。
「私たちに気付いていない。頑張った」
「ま、良かったな。姉御」
にへらと笑うヴァルトルーデさまと片眉を上げながら笑っているジルケさまに苦笑いを零してしまう。微笑ましい姉妹のやり取りにジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまも小さく笑っていた。
「流石に全員は子爵邸に泊れないから、主だった面子だけ残る」
「他の皆さまは子爵領内にある宿屋で待機いたしますわ」
流石に侯爵家規模の護衛の方を子爵邸に納めることはできないようだった。まあ子爵領の経済が回るだろうし、大丈夫だろうと判断してソフィーアさまとセレスティアさまに頷くのだった。






