1123:広いわねえ。
御降臨なされたテラさまを引き連れて屋敷の中へと入る。廊下には誰もいないので、家宰さまと侍女頭さまから屋敷で働く皆さまに部屋の中にいろと命が行き渡ったのだろう。倒れる人が出なさそうで良かったと一安心しているのだが、ジークとリンは微妙な雰囲気で歩いている。
クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは特に気にした様子はないし、毛玉ちゃんたち三頭は早く女神さまたちと遊べないかなという雰囲気である。彼らを見たテラさまは目を細めていたけれど、なにも言わなかった。
あまり好きではないのかもしれないと私は深堀しなかったので、もし嫌いなら少し遠ざかって貰えば良いだろうか。しかし彼らが苦手となればロゼさんはどうなるのだろう。ぎゃーっと悲鳴を上げたらロゼさんはしょげてしまうだろうか。
「グイーの屋敷も広いけれど、ここも中々広いわねえ」
廊下を歩いているテラさまがきょろきょろと周りを見ながら声を上げた。彼女の声に西の女神さまは小さく首を傾げ、南の女神さまが息を吐き口を開く。
「どこと比べてんだ」
呆れているような声を出した南の女神さまにテラさまは視線を合わせるために腰を折る。本当に身長差が凄いけれど、私とテラさまの場合も似たり寄ったりなのだろう。南の女神さまの方が私より身長が低いけれど、あまり変わらないのだから。
「あたしの家。人間の世界が面白いから、今は借家借りて住んでるの」
テラさまはどうやら人間の世界で暮らしているようだ。しかし神さまが家を借りているとはこれ如何に。もしかして人間の中に紛れて生活しており、お金を払って家を借りているのかもしれない。妙に生臭い神さまだと目を細めていると、応接室の前に辿り着いていた。部屋の扉を開けてどうぞと私が声を上げると、テラさまが面白そうな顔をして一番先に中へと入って行く。
「面白い! 凄い部屋! 私が借りている部屋がすっぽり入るわ!」
テラさまが天井や壁に視線を向けながら声を上げる。応接室にすっぽり入る家って狭小住宅ではと考えてしまうが、部屋と言っているのでアパートかマンションを借りているようである。本当に生活臭が凄い神さまだと苦笑いを浮かべていると、応接椅子に座って良いかとテラさまが私に問うた。
「どうぞお掛けください」
私が彼女に示した席は上座であるが、テラさまは三人掛けの椅子へと腰を下ろす。
「うわ! 凄くお尻が沈む! 面白い!」
ばふんばふんと椅子にお尻を付けたり上げたりしながら、テラさまは座り心地を確かめていた。本当に四柱のお母さまなのかと疑っていると、私の隣に呆れた顔をしている南の女神さまが並ぶ。
「悪いな、ナイ。母上殿に悪気はねえんだ。暫くすりゃ、満足して会話が成り立つようになる」
南の女神さまが深い溜息を吐きながら後ろ手で頭を掻いている。まあテラさまに他意はないようなので問題はないけれど、ご自身の母親が子供じみた行動をしていれば子供として恥ずかしいのかもしれない。西の女神さまは特になにも感じていないようで、テラさまだからみたいな雰囲気である。ジークとリンは本当に神さまなのだろうかと疑い始めているようだ。クロたちも忙しない方だと言いたげである。
「いえ。一先ず、お茶を用意して貰います」
とりあえず落ち着いて話ができるように、誰かにお茶を用意して貰おう。しかし誰を呼ぶのが適切だろうか。部屋の外でお茶を淹れて貰って私が運び入れるのが一番良さそうだった。
「頼む」
「ナイ、お茶菓子は出る?」
南の女神さまが神妙な顔で返事をくれ、西の女神さまは私の服の袖を引っ張った。どうやらお菓子が食べたいようで、子供のような仕草に私は苦笑いが零れてしまう。
「出して貰うつもりですが、なにか希望はありますか?」
最初からなにかお茶請けに用意して頂くつもりなので問題はないし、なにか望みの品はあるのだろうか。一応、いろいろと取り揃えているので、西の女神さまが好きな品があると良いけれど。
「ちょこれーとが良いな」
どうやら甘い物が食べたかったのか共和国の激甘チョコレートを所望される。チョコレート自体が日持ちするため結構な量をストックをしている。一応、ジークの名義を借りて購入しているのだが、どうも共和国政府には私が彼の後ろにいるとバレているようで最高級の品を紛れ込ませてくれるのだ。
凄く甘いけれどたまに食べたくなるのが凄く不思議で、私が偶に食べているとジークとリンとクレイグとサフィールが良く食べれるなという視線を向けてくる。大量の砂糖が入っていても、慣れると美味しいのだ。とはいえ健康上宜しくないので偶に食す程度にしている。私が西の女神さまに分りましたと伝えれば、嬉しいと微笑んだ。それは良かったと私が小さく笑えば、南の女神さまがまた息を吐く。
「ナイは姉御に甘くねえか?」
「そうでしょうか?」
「多分な。まあ姉御が楽しそうだから良いけどよ」
肩を竦める南の女神さまに私はなにか食べたい茶請けがあるのか聞いてみる。特に誰かを贔屓している――幼馴染組と小さい子は別――つもりはないのだが、南の女神さまには私が西の女神さまを優遇しているように見えるようだ。私たちのやり取りを見ていたテラさまが『仲が良いわねえ』と呟いた。すると南の女神さまが『そんなんじゃねえよ、母上殿……』と目を細めつつ私の疑問に答えるべく視線を合わせる。
「あたしはヨウカンだったか。あれ美味い」
南の女神さまは羊羹がお気に入りのようである。私が西の女神さまへの対応が甘いかどうかは別として、それぞれ用意して頂こうと呼び鈴を鳴らして、ジークに外で侍女の方に伝えて欲しいとお願いした。ジークは分かったと頷いてくれ、応接室の外に出る。暫く待てば侍女の方がお茶を淹れてくれるだろう。そしてテラさまが御降臨されたことも彼からみんなに伝わるはずである。
本当に何故、神さまがこんなに集まるのかと問い質したいが、今回は西の女神さまが呼び出したので問題は少ないはずだ。あとは報告書を読んだアルバトロス上層部の皆さまがどう考えるのだろう。そして周辺国の動向も気になる。
暫く待っていると扉の向こうからノックの音が二度鳴る。この音はジークが鳴らした音だと私が入室を促せば、彼が扉を開けて一歩部屋の中へと踏み入れた。
「ナイ。用意ができたそうだ」
「ありがとう、ジーク」
私たちのやり取りを見ていた西の女神さまが首を傾げる。
「どうして部屋にこないの?」
「申し訳ないのですが、また倒れる方が出るのは避けたいので」
西の女神さまの疑問に正直に答えると、彼女はあれという顔になった。口を開こうとした西の女神さまにテラさまが先を切る。
「西の娘は圧の制御が下手だから。仕方ないわ」
「ナイは私じゃなくて母さんのことを差している」
テラさまに向かって西の女神さまはドヤという顔になった。おそらく魔術具で圧を抑えられていることと、屋敷で働く皆さまが西の女神さまの滞在日数が長くなるにつれ慣れてきているからだろう。
「へ?」
目をぱちくりさせているテラさまに私はどう説明したものかと考えている。
「そういえば駄々洩れだった貴女の圧をあまり感じない……前に会った時も駄々洩れで下手糞ねって笑っていたのに……!」
テラさまが続けて、南の娘は前から圧を制御できているのは知っているから今更だけれど本当に驚きだわと声を零した。どうやら西の女神さまはご自身の力の制御が下手糞なようである。確かに南の女神さまより圧は凄かったし、侍女の方も驚いて気絶していた。魔術具を身に着けたことにより随分とマシになったのだが、テラさまは凄く驚いている。
「魔術具のお陰」
「いや、そんな自慢げな顔をされても。自分で制御できなきゃ駄目じゃない」
「…………」
キリっとした顔で言い切った西の女神さまにテラさまから鋭い突っ込みが入る。私が南の女神さまに視線を向けると、いつものことだから放っておいて茶を用意しようとなった。
私は良いのかなと気にしつつ、淹れて貰ったお茶が冷えると美味しくないので廊下に出てワゴンを応接室に引き込んだ。紅茶の良い匂いが立ち込めてくると、西の女神さまがへにゃりと笑う。彼女はチョコレートを見て美味しそうと呟き、テラさまがこっちの世界にもチョコレートがあるのねと感心していた。そうして親子のやり取りは一旦止まり、お茶タイムへと突入することになる。
「あの、失礼と承知でお聞きします」
「どうしたの。なんでも聞いて貰って良いわよ」
紅茶を嚥下したテラさまがティーカップをソーサーの上に置いて私を見た。聞きたいことはいろいろとあるけれど、私が一番聞きたいことは……。
「テラさまと西の女神さまは通信すると聞いていたのですが、どうしてこちらに?」
本当に何故子爵邸の庭にドンピシャで御降臨なされるのだろうか。そりゃ西の女神さまと通信していたのだから、こちらにきやすい状況になっていたのかもしれない。でも赴くならば神さまの島が正解ではなかろうか。庭師の小父さまにはまた庭の修繕費を臨時で出さないといけなくなったのだから。
「なんとなく。今回、凄く簡単にグイーの星にこれそうだったから。というか貴女は人間よね? どうして西の娘と南の娘が側にいるの?」
「人間です。いろいろとご縁があり、暫くの間一緒に生活することになりました」
テラさまは一度の質問が多いのは癖だろうか。答えられるから良いけれど、答えられない時は困りそうだった。
「あ、あたしは一週間だけな。この屋敷の飯が美味いんだ」
南の女神さまの声にテラさまが目を輝かせた。滞在するならおもてなしをしなくてはならないので、食事を提供するけれど地球の女神さまにこちらの世界の料理が口に合うのか謎である。
テラさまの見目は凄く綺麗な西洋人なので、日本食は食べ慣れていなさそうだし大丈夫だろうか。テラさまは紅茶からチョコレートへと興味を移して、お皿の上の黒い物体に手を伸ばしてひょいと一口食べた。
「確かにお茶請けは美味し……甘っ! このチョコレート甘過ぎない!?」
「美味しいよ?」
「貴方、少し味覚音痴な所も相変わらずなのね……まあ、良いわ。ナイには悪いけれど、少し娘と話をさせて頂戴。で、どうして私に話しかけてきたの?」
数千年もの間音沙汰がなかったのにとテラさまが西の女神さまに向かって顔を膨らませていた。どうやら親子仲は悪くなさそうだった。
「この人が竜の最後を邪魔したの。母さんなら無限の責め苦を与えられるかなって」
西の女神さまが右手を前に出して丸い珠を浮かべた。その中には小さくなった銀髪くんが出せと言わんばかりに、珠の膜を力一杯叩いている。
「貴女ねえ。一応、大陸を司る女神なのだから自分で考えなさいな……と言いたいけれど、竜の最期を奪ったの?」
テラさまが真面目な顔になって、西の女神さまが口を開く。
「ナイ、ヨウカン美味いぞ。口開けろ」
「? はい」
南の女神さまに名前を呼ばれた私は言葉通りに口を開くと、羊羹が勝手にお皿から浮かんで口の中へと入った。程よい歯応えと控えめな甘い小豆の味を堪能していると、南の女神さまがまた口を開く。テラさまと西の女神さまも会話を続けているようだが何故か内容が耳に届き辛い。
「ほれ、もう一口」
南の女神さまの声と同時に私の口の前に羊羹が浮かんでいる。二柱さまの話が気になるけれど、差し出されたものを断るのは失礼だと私は口を開ける。また口の中に広がる羊羹の味を堪能していると、テラさまと西の女神さまの話が終わったようで銀髪くんがどこかに消えていた。私が彼はどこに行ったのかときょろきょろと周囲を見回していると、テラさまが凄く良い顔になって視線を合わせた。
「ねえ、ナイ。ふと思ったんだけれど、貴女は私の世界の人間じゃない?」
急な話の展開に驚いて、呑み込もうとした羊羹が私の喉に詰まりそうになるのだった。