1122:名乗りを上げよう。
庭が騒がしくなったので子爵邸の自室の窓から外を見れば、西の女神さまの前に立つ女性と少し離れた場所で膝を突いて顔を引き攣らせている庭師の小父さまが見えた。女性が立っている場所は花壇の中であり足元にはクレーターができ、庭師の小父さまが膝から崩れ落ちる理由もわかる。
私とクロが誰だろうと首を捻っていると、ベッドから歩いてきた南の女神さまが窓の外を覗いて息を吐いた。
「……母上殿、きちまったのか」
彼女が後ろ手で頭を掻きながら、庭に突然現れた女性が誰なのか教えてくれた。本当にグイーさまの伴侶であり、女神さまたちのお母さまであるテラさまのようだ。遠いのでまだご尊顔ははっきりと見えないけれど、西の女神さまに負けず劣らずの覇気を醸し出している。
一先ず、屋敷の皆さまには庭に行かないようにお願いして、私が彼女に挨拶をするしかないのだろう。ジークとリンは訓練中だけれど、騒ぎを聞きつけて件の場所に赴くはず。急いだ方が良いけれど、南の女神さまから情報を引き出しておかないと。
「そういえば西の女神さまは通信すると言っていたのに……というかあの女性は本当にテラさまなのですか?」
私が念のためにもう一度聞いてみる。南の女神さまには失礼な問いになるかもしれないが、私は彼女がぼやいた台詞を耳にしただけだ。これで魔王さまが訪れたとかであれば、また違う対処をしなくてはいけない。
「ん。子爵邸に施している魔術を突破できる人間なんてほとんどいねえし。あと、あたしが言ってるんだぞ、間違いねえよ」
南の女神さまがつーか分かってて聞いたよなと言葉を続ける。私が申し訳ないと謝れば、彼女は良いけれどと言葉を返してくれた。確かに子爵邸に施している特殊障壁を抜けられる人はなかなかいないはず。
この三年間、鉄壁の守りだったのだから。まあ上空からの侵入には超絶弱くて、竜のお方が卵を投げ入れたり、妖精さんたちには全く関係のない代物だったが。妙なことを考えていると私の肩の上でクロが口を開いた。
『凄い魔力量だねえ。西の女神さまより多いんじゃないかなあ』
「怒れば親父殿より多いかもしれねえな」
クロの声に南の女神さまが答えてくれる。やはりグイーさまよりテラさまの方が力が強いようだ。時々聞く、テラさまの話題はグイーさまより尊重されていたのだから。しかしテラさまがどんなお方なのか知れない以上、西の女神さまとの会話を聞き逃す可能性がある。話を聞き逃すのは不味いと、私は南の女神さまに視線を向けた。
「悠長に話していると、変な方向に話がいきそうなので庭に出ます」
「西の姉御と母上殿だからな……ねえよって言えないのがなあ」
私の言葉に南の女神さまが溜息を吐いて一つ頷くと、部屋の片隅でまったりしていたヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭が私たちの前にちょこんと座った。緊急事態なのにちょっと可愛いと思ってしまったのは内緒である。
『ヴァナルたちも行って良い?』
「構わないけれど、なにが起こるか分からないから気を付けてね。危ないって思ったら私の後ろに隠れて」
私はヴァナルたちと視線を合わせると、こくりと確りと彼らは頷いてくれた。私の隣で心配し過ぎと苦笑いしている南の女神さまには申し訳ないが、なにかでテラさまの怒りを買うこともあるだろう。
気を付けようと腹を括って部屋の外へと出る。廊下を歩いていた侍女の方に私は庭に出ないでくださいという言葉とこれは命令ですという言葉も付け加えておく。侍女のお方は先程の大きな音を聞いているので、真面目な顔で承知致しましたと答えてくれた。
そして侍女長さまや家宰さまに伝えるようにとお願いして、屋敷から庭へ辿り着く。ジークとリンはいるかなとキョロキョロと視線を彷徨わせていると、いつもよりラフな格好をしているそっくり兄妹がこちらへ走ってきた。
「ジーク、リン」
声を上げた私を見るなり、ジークとリンは安堵の表情へと変わる。二人は私の前に立って南の女神さまに礼を執れば、気にしなくて良いと首を振る。
「ナイ、怪我はしていないな?」
「大丈夫?」
ジークとリンが私に視線を向けて問い掛ける。怪我はしていないし、なにも問題はないので素直に答えた。クロとヴァナルたちは早く目的の場所に行かなくて良いのかなと、気を揉んでいるようだった。
「うん」
「南の女神さまは?」
私の答えを聞いたジークが南の女神さまへと視線を変える。私と彼女が一緒にいるので、聞かなければ失礼だとジークは考えたようである。
「あたしは平気だが、庭師のおやっさんがな……」
「……先程の音ですか」
南の女神さまとジークのやり取りに耳を傾ける。庭師の小父さまは膝から崩れていたけれど大丈夫だろうか。あまりにも庭師の小父さまが不憫なので、子爵邸は畑の妖精さんより花壇の妖精さんが必要なのかもしれない。
「ああ。悪いな、また迷惑を掛けちまいそうだ」
「……」
「……」
南の女神さまの言葉に一同なにも言えずにいた。とりあえず。
「行こう。庭師の小父さまも気になるから」
私が声を上げるとみんなが頷き音の鳴った場所を目指す。暫く歩いていると目的の場所が見えてきた。近くには噴水があるため水の音が耳に届いている。西の女神さまが私たちに気付いて、テラさまから視線を変えた。
西の女神さまに釣られてテラさまも私たちに視線を向けた。ふふふと笑みを浮かべているように見えるのだが、気の所為だろうか。西の女神さま同様に彼女の圧は凄いけれど、怖いと感じることはない。なんだか不思議な感覚だけれど、挨拶をしなければと私は前に出る。南の女神さまは私を止めるでもなく、様子を見守ることに徹するようである。そして気になっていた庭師の小父さまは少し離れた場所でぼーっと膝を突いている。大丈夫か気になるけれど、先ず挨拶だ。
「あら、変な子がきたわ」
「母さん、ナイって呼んであげて。確かに変な子だけれど」
テラさまが目をぱちくりさせながら私を見て、何故か西の女神さまが突っ込みを入れている。しかし変な子と呼ばれるようなことはしていないのに、私は彼女たちからそう呼称されているのだろうか。謎である。
「……ぶっ!」
そして隣に立っている南の女神さまが勢い良く咽込むが、私は彼女の命に別状はないとスルーを決め込んだ。
「お初にお目に掛かります。ナイ・アストライアーと申します。アルバトロス王国にて侯爵位を賜っております」
一先ず私はテラさまへと名乗りを上げた。
「本当に貴族がいるのねえ。でも、末娘ちゃんくらいの子だから、ナイはまだ十代でしょう? 当主になるのが早過ぎない?」
私の挨拶を華麗にスルーしたテラさまが西の女神さまに問い掛けた。確かに私はまだ十代で侯爵位を賜っているのは異例の事態といえよう。普通は歳を取って、ようやく親から代を譲り受ける形が殆どである。アルバトロス王国の歴史を調べたところ、一代で成り上がって侯爵位を得た方はいなかった。一代で功績を叩きだしても子爵位程度の方が、数百年の間に数名いただけである。
「ナイはいろいろとやらかしているから」
「なにを?」
西の女神さまが少しドヤ顔になると、テラさまが首を傾げた。あれ、私のやらかしを西の女神さまに語った覚えはないのだけれど……情報源はどこだと顔を動かせば、クロが私と目が合った途端に顔を明後日の方向へと向けた。
個人情報が駄々洩れではないかなと目を細めるのだが、調べればわかることである。おそらくアルバトロス城の書庫には私が上げた報告書が保管されているので、閲覧許可さえ出れば読めるだろうし。
「えっと……竜を大地に還らせた。庭から妖精が出てきて畑のお世話をしているし、スライムも懐いている。あとは……魔力量が尋常じゃないし、今は珍しい黒髪黒目の子だし……あと、私と普通にお話してくれる人間だ」
西の女神さまが指を折りながら私のやらかしを口にすると、ロゼさんが私の影からひゅばっと出てきて、ぷーと自慢げに膨れた。確かにやらかしているけれど、まだまだ語っていないような。でもまあ詳しい話をされると、恥ずかしい過去を開陳しなければならないので突っ込むのは止めておこう。
西の女神さまの話を聞いたテラさまが腰を折って、私の顔を覗き込む。四人の娘さんがいるというのに随分と若い方だった。西の女神さま同様、高身長で顔が凄く整った胸の大きい方である。そりゃグイーさまが惚れ込んでも仕方ないと、神さまの島の方角へと視線を向ける。
「変わり者の貴女と普通に話ができるって凄いわね」
「うん。でも最近、いろいろな人間と話をしているかも。ナイのお陰かな?」
テラさまと西の女神さまが話し込んでいるので、なかなか状況を掴めない。西の女神さまはテラさまと通信をすると言っていたのに、どうしてテラさまはグイーさまの星に降臨なされたのか聞きたいのに。
どうしようかとクロに視線を向ければ、ふるふると顔を横に振り、ジークとリンを見上げてもクロと同じ反応で返される。ヴァナルは困った顔で私を見て、雪さんたちもふるふると顔を横に振り、毛玉ちゃんたち三頭はいつになったら女神さまと遊べるかなと尻尾をばふばふ振っている。困ったなあと私が目を細めると、救世主がいた。
「母上殿、姉御、ここはナイの屋敷だ。ナイと話をしてやってくれ」
南の女神さまが二柱さまを見上げて声を上げてくれた。彼女の声にあらあらとテラさまが私を見て、西の女神さまがごめんと言いたそうな顔になる。
「ごめんなさいね。久方ぶりに娘と会ったものだから話に盛り上がっちゃった。とある星で神さまを務めているテラよ。よろしくね」
ぱちんと片目を瞑ってウインクをするテラさまに私はよろしくお願い致しますと言って頭を下げる。
「うん? さっきも娘と話していた時に感じたけれど……ナイからは妙な感じを受けるのよねえ。なにかしら……?」
テラさまが眉間に皺を寄せながら目を細めて私に顔を寄せた。彼女が言いたいことは私が地球という星からの転生者だからだろう。確信には至っていないが、なにか感じるものがあるらしい。私が転生者であることを伝えても問題はないが、果たして彼女は私の言葉を信じてくれるか分からない。
「テラさまが私からなにを感じているのかは存じかねますが、屋敷の中に入って話をしませんか?」
流石にこの場所で話し込むのは不味いだろうと私は部屋で話そうと誘ってみる。私の声を聞いたテラさまはおっと表情を変えて、私と視線を合わせるために腰を折った。
「美味しいお茶とお菓子はあるかしら?」
テラさまは私と視線を合わせながらこてんと首を傾げる。彼女が好むものがどんな品なのか分からないが、基本子爵邸で出されるお茶菓子は美味しい物ばかりである。
「女神さまの口に合うかは分かりませんが、精一杯もてなしをさせて頂きます」
「あ、母さん。後で私の話も聞いて」
私と西の女神さまの声にオッケーと軽い調子でテラさまが答えてくれると、南の女神さまがやれやれと肩を竦めていた。とりあえず、話が通じそうな神さまで良かったと私は安堵するのだった。






