1118:帝都ぶらり旅。
東の女神さまがアガレス帝国をウロウロしたいとウーノさまに伝えると、アガレスのトップを務めるお方が白目を剥きそうになっていた。まだ先の話だし、予定は未定の状況だと私が伝えてその場を収めたけれど……ウーノさまには申し訳ないが耐えて頂くほかないのだろう。
――一夜明け。
アガレス帝国に渡航前、女神さま方の警備はどうしようかと悩んでいたら西の女神さまの一言により一蹴されていた。曰く、人間が私に敵うわけがないと仰って、私たちも確かにと納得したのだ。
しかしながら護衛がゼロという訳にもいかず、最低限の警備の者は付けると彼女に伝えている。警備が付くことに文句はなく、アガレス帝国の街をウロウロできる方が西の女神さまは嬉しかったようである。
今からアガレス帝国の帝都に繰り出すのだが、東と北の女神さまは皇宮でお留守番をするとのこと。南の女神さまは西の女神さまがフラフラとどこかに消えてしまう可能性があるので、グイーさまから監視役を賜っていた。グイーさまもクマのぬいぐるみを介してアガレス帝国の街並みを見て回る。その際、クマのぬいぐるみは私が抱えることになっていた。
亜人連合国の皆さまも亜人が外に出れば目立つとのことで皇宮に残っている。またウーノさまと話し合いの場を設けて新たな取引を始めるようだ。販路拡大になるだろうし、亜人連合国にもアガレス帝国にとっても悪い話ではないので是非お互いに納得できる取引ができると良いのだが。
早朝、朝陽が昇って直ぐ。アガレス帝国皇宮の馬車回りにお出掛けする方たちと、お見送りの面子が集まっていた。おはようございますと私が声を掛ければ返事がくる。
アストライアー侯爵家一行には調子の悪そうな方はいなさそうだと頷いていれば、ウーノさまアガレス側のお偉いさんたちがやってきた。ウーノさま方は少し遅れてしまったことを開口一番に謝罪をくれ、いえいえと言葉を返しておく。
「帝都をお騒がせすることになって申し訳ありません」
私は黒髪黒目なので東大陸だと信仰対象なので目立って騒ぎになるのだが、女神さまとなればもっと騒がしくなるのだろう。一度、帝都を大騒ぎにしているので私が言えることではないが伝えておかねばならない。
「構いません。女神さまがいらっしゃったとあれば、帝都の者たちは喜びましょう」
ウーノさまが笑みを携えて構わないと仰ってくれた。確かに女神さまを一目見たとなれば幸運が訪れそうだが、アルバトロス王国民より魔力が低いので女神さまの圧を受けやすいのではないかと心配である。
一応、魔術具を身に着けて貰っているので大丈夫だと思いたいが、帝都民の方の前に姿を見せてはいないので果たしてどうなるのか。なるようになるさと腹を決めるしかないとウーノさまに私は一つ頷いて、西の女神さまと南の女神さまを見る。
「驚かせるつもりはないのに」
「仕方ねえよ、姉御。昔より人間が持つ魔力量が低くなってんだ。そりゃあたしらに敏感になるさ。だから力を抑えろって親父殿に言われたろ」
西の女神さまがぼやくと南の女神さまが彼女を見上げてフォローを入れている。物理的にも精神面を比較しても、どちらが姉なのか分からなくなる光景だ。
「でも父さんも君も具体的な抑え方、教えてくれなかった……」
しょぼんと顔を変えた西の女神さまに南の女神さまがやばいという雰囲気を放つ。
「そ、それは……悪りぃな、あたしも親父殿も説明苦手なんだよ。こう下腹にぎゅっと力込めてたら収まらねえか?」
「やってみる」
南の女神さまがガリガリと後ろ手で頭を掻きながら、凄く大雑把に神力操作について語っている。私も同じことをすれば魔力の漏れがマシになるのだろうか。放出ではなく抑える方法なので、私も西の女神さま同様に少し試してみた。大丈夫かという心配そうな表情の南の女神さまは西の女神さまを真剣な眼差しで見ながら、ごくりと喉を動かした。
「……変わんねえな。ま、まあナイに魔術具作って貰ったんだろ? 良いじゃねえか」
ふうと息を吐いた南の女神さまは私に視線を向けた。肩の上のクロが私に『同じことしたでしょ。ナイも変わらないねえ』としみじみと呟く。西の女神さま同様に下腹を締めるだけでは魔力漏れは防げないようだった。
集まっている方たちで雑談を交わしていると出発の準備が整ったようである。大丈夫かなという心配と美味しい食べ物はあるかなという期待が入り混じっている今回のアガレス帝国帝都探検は果たしてどうなるのやら。
とりあえず美味しい食べ物と女神さまを襲う方がいなければ良いなと願うしかない。女神さまを襲う方がいればアガレス帝国の立場が凄く危うくなるだろうし、共和国政府はここぞとばかりに『なにしとんじゃワレぇ!』と抗議の書簡を送ってきそうである。
「では西の女神さま、南の女神さま、ナイさま、皆さま、いってらっしゃいませ」
「うん」
「おう」
「はい。ウーノさま手配ありがとうございます」
ウーノさまの穏やかな声に西の女神さまと南の女神さまが答え、最後に私が言葉を返す。いそいそと馬車に乗り込めば、南の女神さまが対面に一人で座り、西の女神さまが私の横に座した。クマのぬいぐるみは私の膝の上である。
外ではジークとリンが警備に就いて、後ろの馬車にはソフィーアさまとセレスティアさまが乗っている。他にもアストライアー侯爵家が雇った書記官の方がいるので、アルバトロス王国に出す報告書の提出が少しだけ楽になった。彼が作成した書類に目を通して問題がなければ、アルバトロス王国へ報告書として提出して良いよとなったのだ。毎度報告書を記すのは大変だったから凄く有難い変化だった。
皇宮を出て貴族街を抜け、商業地区へ馬車が入る。
高級店が並ぶ地区のため、開店準備をしているお店が多かった。今の時間ならば中央広場の出店が並んでいる場所の方が活気があるだろう。西の女神さまはいろいろなお店が開いて人が沢山いるところを想像していたのか、少し残念そうにしていた。南の女神さまは姉上さまを見ながら苦笑いを浮かべている。やれやれと言った様子なので、お店が開いていないことを分かっていたようだ。
「どこか興味のあるお店はありますか?」
私は馬車の中で女神さま二柱に行きたい場所がないか問うてみた。どこか入りたいお店があるなら冷やかし――お店の方には申し訳ないが――で入って時間を潰すこともできる。
「ナイ、ナイたちが身に着けている魔石や天然石のお店はどこ」
西の女神さまが外へと向けていた視線を私へと変えて行きたい場所を答えてくれた。
「おそらく今の時間だと開いていないので、行きたいのであればもう少し時間が経ってからですね」
確か天然石を取り扱っている商店が開く時間はお昼前だったはず。なので数時間は他の所で時間を潰さなければならないのだが、高級店はどこも同じような時間に開く。早い時間に開いている店舗は高級な食材を扱っているお店である。もう少し場所を移動すればお金持ちの方に開かれているパン屋さんがあるそうだ。私の説明を聞いて西の女神さまが渋い表情になる。
「む。ここ、人が少ない……」
口のへの字にした彼女に南の女神さまが溜息を吐く。
「姉御、仕方ねえよ。こっち側は金持ちの人間がくる場所なんだから」
「じゃあ、どうするの?」
こてんと首を傾げる西の女神さまから南の女神さまは視線を外して私に向けた。さて、どうするか。
「出発の時間が早過ぎましたからね。馬車の中でなら帝都の各所を見れるかと。かなり広い都なのでアルバトロス王都より面白い所があるかもしれません」
本当は中央広場に立ち寄って、いろいろなお店を見て回る方が西の女神さまは楽しいだろう。でも、そうなると腰を抜かす人が続出するのは目に見えているので、興味の方向を逸らせないかと私は無理矢理な話題を上げた。
「……行く」
西の女神さまは少し納得していないようだけれど、仕方のないこともあると分かっているようだ。私は無茶を言われずに済んだことに安堵して、小窓から顔を覗かせてジークに状況を伝える。
分かったと短く彼から言葉が返ってきて前へと足を向ける。おそらく御者の方に話を通してくれるようだ。ジークは次に後ろに待機している御者の方へと連絡を入れて、周りの護衛の皆さまにも状況を伝えている。
少し予定が変わってしまったけれど、西の女神さまに興味がないのであればお店に入っても仕方ない。暫く待っていると馬車がゆっくりと動きだして、高級商店が立ち並ぶエリアから一般の帝都の皆さまが利用している店がある地区へと移動する。
「活気があるね」
「そりゃ、店が開いてんだから当然じゃん」
西の女神さまがポツリと漏らした言葉に南の女神さまが突っ込みを入れた。西の女神さまは南の女神さまの少し棘のある返しに無反応だった。どうやら眼前に見えている光景の方に興味が移っているようである。
私が南の女神さまに視線を向けると、彼女は肩を竦めて小さく笑っていた。お互いにお互いの態度を気にしていないから、仲が良いようでなによりである。窓から見える景色は生鮮食品店が多く見えていた。少し離れた場所に目線を移せば、服屋さんに金物屋さん、珍しい所は床屋さんもあって髪を切って貰っていた。外には出られないけれど、人の営みを直に感じられる場所を通っている。
帝都の街の皆さまは超高級な馬車が朝の早くから通っているので、なんだなんだと驚きの視線を向けているものの、関わると大変なことになると弁えている人が多いようだ。
流石に無茶ぶりくんのように行く手を阻むようなことをする無謀な方はいないと知って、帝都の皆さまの良識ある行動に一安心している。そして私は膝の上に乗っているクマのぬいぐるみに視線を向けた。
「そういえば、グイーさまが大人しいのですが……大丈夫でしょうか」
私の声に皆さまの視線がクマのぬいぐるみに集まるのだが、反応していれば『恥ずかしいのう』とでも声が上がりそうなのに。クマのぬいぐるみは無言を貫き通している。アガレス帝国の皆さまにクマのぬいぐるみが喋ることが露呈してから、割と頻繁に声を上げていたグイーさまが朝から黙ったままなのだ。
「寝てんじゃねえか?」
「気が向けば、父さんは勝手に喋り始める」
南の女神さまと西の女神さまから呆れたような声が上がった。そうして西の女神さまがクマのぬいぐるみの頭を手で掴んで、ぐりぐりと撫でまわす。
「ん。寝てる」
西の女神さまがクマのぬいぐるみの頭をひとしきりぐりぐりすると、彼女はグイーさまが寝ていると判断したようで私の膝の上から馬車の座席へと移した。
「反応がねえ……昨晩、酒を飲み過ぎたのかもな」
本当に親父殿は酒が好きだなと呆れ声を上げた南の女神さまは小さく息を吐いていた。そうして中央広場へと移動した馬車は少し遠巻きに、出店している沢山の屋台が見える位置に停まった。
どうやら朝ご飯を提供しているお店があるようで、馬車の中に良い匂いが漂ってきた。既に食事は済ませているのに、西の女神さまは平民の皆さまがどんな品を食べているのか気になるようだ。
彼女は窓に顔を近づけて匂いの元を探している。外には出られないという縛りがあるけれど……食べることはできるなと私はまた窓からジークとリンに視線を向けると、嬉しそうな表情でリンがこちらへとやってきた。
リンには誰かに屋台から食べ物を買ってきて欲しいとお願いする。その際、簡単に食べられる品が良いというお願いも出しておく。そうしてウーノさまから預かっている小銭を出してお願いと伝えれば、リンが嬉しそうに走って行った。
西の女神さまと南の女神さまは私の行動を見て首を傾げていた。暫く待っていると扉からノックの音が響いてリンが顔を出す。私は彼女にありがとうとお礼を告げればぱたんと扉が閉まる。私はなにを買ってきてくれたのだろうと、受け取った食べ物を覗く。
「私の好みの物を選んだか」
串焼きにパンとチーズにハム等いろいろだった。味が濃い目の品を選んでいるので、完全に私好みの品である。
「懐いてるよなあ。あたしらに遠慮してっから咎めてやるなよ」
「ナイ、ありがとうって伝えておいて」
南の女神さまが呆れた声を出しながら、私が持っているお肉の串焼きに手を伸ばす。西の女神さまも嬉しそうにお肉の串焼きに手を伸ばした。私の分のお肉の串焼きがないと気付いたのだが、致し方ないとお野菜さんの串焼きを手に取った。二柱の女神さまはリンと私が凄く仲が良いことを知ってくれているのだから、お肉の件については我慢すべきだと笑い、買ってきてくれた品を暫くの間楽しむのだった。






