1114:不思議な乗り物。
アガレス帝国にある銅鉱山に移動するため飛空艇で移動している。落ちやしないかと少し心配になるけれど、クロが大きくなってみんなを墜落から助けてくれると言い切ってくれた。それなら安心だと息を吐いて、ちょっとした空の旅を楽しんでいる。
一緒にこられなかったウーノさま方は残念そうにしていたけれど、銅鉱山から戻れば食事会があるので待っているとのこと。女神さまたちがいらっしゃるので緊張するが、聞きたいこともあるから準備を万全に整えておきますと仰っていた。
「竜の皆さまの背に乗っている時とはまた違う感じがして、ちょっと不思議な感じ」
飛空艇の座席に腰掛けて窓から下を覗き込む。雲の上まで飛ぶことはできないけれど、結構な高さを維持して飛空艇はアガレスの空を飛んでいる。帝都を出発して一時間、結構な距離を移動しているので眼下には小さな町や村があった。
帝都より規模は小さいが、結構立派な感じがしておりアルバトロス王国の小さな領地の町や村より大きかった。それに竜のお方の背に乗っていると風を受けたり、鳥さんが並走したりして面白いけれど、飛空艇は空気の流れはないし鳥さんが一緒にいることはない。それよりもプロペラに鳥さんを巻き込まないかが心配であった。
『ディアンたちが拗ねるから、飛空艇が良いなんて言わないでね、ナイ。ボクも拗ねるよ?』
クロが私の肩の上で小さく愚痴を零した。飛空艇が良いとは言っていないけれど、クロにはそう聞こえたようである。私の背中を長い尻尾でてしてし叩きながら、身体を左右に揺らしていた。
「それは困るし、竜の皆さまの背に乗ってお出掛けするのは楽しいよ」
飛空艇に乗れる機会はアガレス限定だし、そうそう乗ることはない。それに共食い整備をしているようだから、いつかは飛べなくなるのだろう。それはそれで寂しいが致し方ない。クロは私の言葉を聞いて顔をおもいっきり捻った。
『本当?』
心配そうなクロに私はどうして疑うかなと苦笑いを浮かべて口を開く。
「本当」
『なんじゃ、いちゃいちゃしおって。ワシ、動けんからつまらんぞ、ナイ』
私の膝の上にちょこんと鎮座しているクマのぬいぐるみ――グイーさまの意識入り――が声を上げる。周りに聞こえるとアガレス帝国側の方々が驚くので声は抑えてくれていた。
「いちゃいちゃはしていませんが、グイーさまが人の形を保つには凄く大量の魔力を消費するので仕方ないではないですか」
動けないと仰ったのでクマのぬいぐるみの両手を掴んで適当に動かしてみた。少し動かし続けていると『視界が揺れる』と抗議が入ったためクマのぬいぐるみで遊ぶのは止めておく。私の隣に座っている南の女神さまが呆れた視線をクマのぬいぐるみに向け、東と北の女神さまが後ろの座席から顔を出す。
「そもそも言い出したのは親父殿だろ……」
「ですわねえ」
「ですね。お嬢ちゃんを悪く言うのは筋違いでは」
南の女神さまが呆れ声を上げると、北と東の女神さまが相槌を打つ。グイーさまの抗議から助け出された形となるのだが、西の女神さまは私より前の座席――一番窓が大きい席――に腰を下ろして下界を見下ろしている。ご自身の父親が妹さんたちに悪く言われているのに全く気にしていなかった。彼女はグイーさまより外の世界を楽しむ方が良いようである。
『…………最近、ワシの威厳がどんどんなくなっておらんか?』
気の所為ですと言いたいけれど、気の所為ではないようなのでなにも言えなかった。三女神さまも沈黙を守っているので、なんだか微妙な雰囲気である。私の席の近くに座っているジークとリンはなにをしているのやらという雰囲気で、周囲を警戒している。
ソフィーアさまは私がグイーさまに失礼な態度を取らないか少々心配しているようだ。セレスティアさまは何故か銀髪くんとの再会に期待に胸を膨らませていた。どうやらご意見番さまの最後の願いを叶えられなかったことが、彼女には凄く不服であるらしい。
三年前はあまり関われなかったから、今回機会があれば一発くらいシバキ倒したいと言っていた。銀髪くんは彼女の拳で十メートルくらい吹っ飛びそうだと、アガレスへと旅立つ前に幼馴染組で話していたのだが果たしてどうなるやら。
『誰か答えて?』
可愛らしいクマのぬいぐるみから、厳つい男性の情けない声が聞こえてくる。とりあえずクマのぬいぐるみを私の膝上から窓際に置くと『おお!』と感嘆の声が漏れた。オーロラを妙な方法で生み出している方なのに、飛空艇から見下ろす世界が面白いようだった。
西の女神さまと同様にクマのぬいぐるみから声が聞こえることは無くなり少しの時間が流れると、飛空艇が高度を下げていく。そうして地面へと降り立つのだが、この飛空艇は垂直離着陸が可能であったようだ。若干、麦畑の恨みが蘇りそうになるけれどアガレスの政権は交代しているのだから、過去を遡るべきではないと大きく息を吐く。
「皆さま、到着いたしました。場所柄故、足元が悪うございます。十分にお気を付けください」
恭しくアガレスの高官の方が礼を執った。私は座席のベルトを外して立ち上がる。周りはなにもないはげ山に飛空艇が降りられる場所を整備しているのは、銀髪くんのような懲罰者を運ぶためだろうか。
飛空艇のタラップをゆっくり降りて地面に立つ。少し離れた場所にはレールが敷設されていてトロッコがさらに遠くに見えた。おそらく掘り出した銅鉱石を砕く場所に移動させ、そこから溶炉に放り込むのだろう。質が高ければ良い銅のインゴットが作れるのだろうと目を細めていれば、表情の薄い西の女神さまがキリっとした顔で立っている。
「行こう、ナイ」
西の女神さまは何故私の名前を直接指名するのでしょうか。一緒に行くのは北か東か南の女神さまで良いのでは。不思議に感じていると南の女神さまが一緒に行ってやれと目線で訴えてくる。仕方ないかと諦めて私は彼女の隣に立てば、アガレスの高官の方が近寄ってくる。
「奥に行けば行くほど崩落の危険が高まるため、安全を確保できている場所まで件の者を連れ出しています。申し訳ありませんが、そこまで徒歩でお願い致します」
確かに鉱山なんてものは、崩落の危険性が高く事故も多い。技術の確立も未熟な世界なので余計に起こり得る事故だろう。
「無茶を言ったのは私。問題ない」
「私も問題ありません。あの、崩落に巻き込まれて事故を起こせば双方の国に多大な影響を及ぼしてしまいます。私が障壁を張って移動しても良いでしょうか?」
西の女神さまは問題ないだろうけれど、崩落に巻き込まれたり事故が起こればアガレス帝国もアルバトロス王国も迷惑を被る。それならと私は小さく右手を上げながら言葉を紡いだ。グイーさまが圧死は嫌だなあと小さな声でぼやいているけれど、神さまって死ぬのか謎である。頭と胴体を切り離しても復活しそうだ。
「そ、それはもちろんでございます。流石、黒髪黒目のお方!」
アガレスの高官の方に感謝されながら、鉱山の入り口に辿り着く。鉄扉が張られている入口は、中からの脱走者を防ぐためのものらしい。入口は灯りが灯っており、空気が少しひんやりしていた。
アガレス帝国の季節はアルバトロス王国と同じ晩秋の頃である。それより低い気温なので、奥に入ればもっと下がってしまうのだろうか。一先ず、先程の申し出を実行するために障壁を張る。私が動けば障壁も一緒に動く代物なので大きな問題はない。
女神さま方がいらっしゃるので術の行使に違和感を受けるけれど、障壁を張れなくなるほどのものではない。多分私の魔力と女神さま方の魔力が干渉しているようであった。
障壁を張ってトロッコのレールに沿いながら歩いていると、時折ガラの悪い方と鉱山職員の方――おそらく警備員――が道の端に寄って礼を執っていた。ガラの悪い方たちの手足には枷が嵌められているので、犯罪者が多く鉱山に送り込まれているようだった。
「こちらの部屋となります」
鉱山に入って十五分ほど歩いた道の脇に部屋が作られていた。扉を潜れば普通の部屋があり奥には鉄格子が設置されていた。
「あまり良い部屋ではありませんし、鉄格子越しの面会になることをご了承ください」
アガレスの高官の方が鉄格子の前から端に寄れば、牢の中にいる銀髪くんの姿が見えた。地面に座り込んで下に向けている視線を上げた彼は特に変わった様子はないけれど、以前より煤けているような気がする。
「あ? 糞餓鬼じゃねえか!」
にっと笑った銀髪くんは相変わらず口が悪い。人様の容姿を馬鹿にしないで欲しいと私は口元を引き攣らせる。
「お久しぶりです。お尻の調子は如何でしょうか?」
口元を歪に歪めていたためか、つい彼を追い詰める言葉を吐いてしまった。私の言葉にソフィーアさまが貴族の台詞ではないなと言いたそうな雰囲気を醸し出し、セレスティアさまは遠慮は必要ないのでもっと言ってくださいませという雰囲気である。
ジークとリンは銀髪くんに思う所があるものの、私に危害を加えられないことを理解しているし、私よりあとの方が凄いことになるはずと考えてなにも言わない。ただ手出しできない状況下でも気を抜いていないのは護衛として信頼できる二人であった。
「てめえ……!」
「貴方に用があるのはわたくしではありません。失礼のないように質疑応答してくださることを願います」
「ん」
西の女神さまが短く言葉を零して私の後ろから前に移動する際に、彼女からとある品を渡された。それは西の女神さまの力を抑える魔道具の腕輪だった。片手にぽんと置かれてすぐ、西の女神さまの神力がぶわりと溢れ出す。
私は不味いと判断して五節の魔術詠唱を行って新たな障壁を張った。女神さまが鉄格子の一番近くに立っており、怒りの先が銀髪くんに向いているので以前のような圧は感じないけれど、アガレス帝国の皆さまは無防備だ。
私が障壁を張っても腰を抜かして地面に尻餅を付いている。ジークをチラリと見て彼らをお願いと無言で頼めば、意を汲んでくれた彼がアガレス帝国の皆さまに声を掛けてくれた。アガレスの方々はジークに任せておけば大丈夫として、銀髪くんは西の女神さまの圧に耐えられるだろうか。
「本気で怒っていらっしゃいませんか、お姉さまは」
「本気のようですね。珍しい」
「やべえな。勢いで殺しかねねぇ……東と北の姉御。不味い状況なら西の姉御を止めよう」
その証拠に、北と東と南の女神さまが少々気を張って西の女神さまの背を眺めている。私も私で惨殺死体など見たくはないので西の女神さまの動向に注視するのだった。
◇
――アガレス帝国帝都・皇宮・迎賓館。
アガレス帝国の建築職人が贅と技術をつぎ込んだ立派な部屋ではあるものの、大陸を司る女神さま四柱を迎え入れる場所に相応しいのだろうか。わたくしの疑問が氷解することはないが、ナイさまも戻ってくればご一緒に食事を摂る手筈となっている。
私は料理人や使用人、アガレス帝国の高官の皆を巻き込んで今夜の食事会の指示に精を出していた。失敗は許されない状況なので、皆真剣な表情で取り組んでいた。わたくしの側で控えていた五番目の末妹が不意に呼び止める。どうしたのかとわたくしが背の低い彼女を見下ろせば小さく首を傾げた。
「姉上、アストライアー侯爵さまが抱えていたクマのぬいぐるみですが……職人に作って頂きませんか?」
そういえばナイさまは何故か腕の中にぬいぐるみを大事そうに抱えていた。アルバトロス王国の職人が作ったものなのか、帝国にあるクマのぬいぐるみとは少々趣が違う。確かに可愛らしいものだったし、末妹がわたくしに提案を申し出るのも致し方ないことだろう。
「……! ナイさまとお揃いになるわね!! 今、職人を呼ぶのは憚られるので今回の件が終わり次第制作に取り掛かって頂きましょう! ナイさまの滞在中にお願いすれば、ぬいぐるみをお借りできるかもしれません。画家も呼んでおきましょう!」
黒髪黒目のナイさまとお揃い。それだけで胸が躍る響きだ。流石わたくしの末妹と褒めれば、他の妹たちも良い提案だと頷いて自分たちも欲しいと申し出た。ぬいぐるみであれば私財から捻出すれば問題ない。
あとはどれだけナイさまが抱えているぬいぐるみを高レベルで再現できるかどうかにかかる。できれば寸分の狂いもなく作って欲しいが、口頭で伝えれば齟齬が出てくるはずだとわたくしは絵師を用意しようと妹たちに提案した。
「ウーノお姉さま、流石です!」
「しかし南の女神さまも黒髪黒目でいらっしゃるのですね」
妹たちの言葉に私はふいに南の女神さまのご容姿を頭に思い浮かべる。なんだかナイさまと似ておられましたが、ナイさまが南の女神さまに似ていらっしゃるのでしょう。
とてもお可愛らしい方なので是非ともお話をしたい所ですが、お相手は人ではなく神という特別な存在だ。私のような者が安易に話しかけては駄目だと必死に言い聞かせた。妹たちも私と同じ気持ちのようで、話しかけたいけれど話せない葛藤があるようだった。
「さあ、一先ずは今夜のためにもうひと踏ん張り致しましょう!」
とにもかくにも妹たちに今夜の失敗は許されないと伝えて気合を入れ直すのだった。嗚呼、ナイさま。早く戻ってきて可愛らしいご尊顔を見せてください。