1112:ジャドさんヤーバン王国へ。
――ヤーバン王国へと辿り着きました。
ふと、感じたことですが以前より空を翔ける速度が速くなっているような。もしかすればナイさんのお屋敷に住まわせて貰っていることで影響を受けているのかもしれません。敷地内は魔素で満たされております。何故と考えたのですが、特殊な障壁が張られているので魔素の逃げ道がなくなっているのかもしれません。ナイさんは気付いていないようですが、おそらく障壁を解けば魔素の濃度は薄くなるはず。
おそらくユキさんとヨルさんとハナさんにエルさんとジョセさん、お猫さん辺りは気付いているのではないでしょうか。ナイさんは知らない方が幸せなのかもしれないので黙っておきましょう。解除されてお屋敷の魔素が薄くなっても困ります。
ヤーバン王国の王都の空を旋回しているのですが、地上の皆さまが私の姿に気付いたようです。そして城の中庭から一頭のグリフォンが私の方へと飛んできました。
雄同士の喧嘩の末に隻眼となったグリフォンで、ヤーバン城で暮らしている個体です。そういえば私の旦那さまとなるので、卵から孵った仔を見せるべきでしょうか。少し考えながら飛んでいると、雄グリフォンが私の隣に並びます。
発情期を迎えていないので、彼も私に攻寄ることはありません。なにやらピョピョエ私に語り掛けておりますが、とりあえずバルコニーに出ているヤーバン王を見つけたので、そちらへ向かいましょう。まだピョエピョエ鳴いている雄グリフォンを放って、私は下降していきます。
『ピョエェェェエエエエエエエ!』
はいはい。無視はしますが、最低限の扱いは致しますよと私は後ろを飛ぶ雄グリフォンに視線を向けます。私の背中に乗っているイルとイヴは父親のことを良く分かっていないようで、首を傾げておりました。
イルとイヴが父親である雄グリフォンと戦えば、どちらが勝つでしょうか。今は成長中の彼女たちなので難しいかもしれませんが、一年程時間が経てば勝てそうです。その頃にはイルとイヴもアシュとアスターも成獣として誇らしい姿となっているはず。楽しみですねと目を細めれば、ヤーバン王の顔が随分とはっきり見える位置になっています。
「おーい! おーーーい!!」
バルコニーで私と雄グリフォンを見上げるヤーバン王が大声を上げて、私と雄グリフォンを呼び止めています。しかしバルコニーにグリフォンが二頭も降りれば狭くなるのは必至です。
一先ず彼女に挨拶をして庭に出ましょうと誘うのが一番良いでしょうと、バルコニーのヤーバン王の前で私は滞空飛行をしています。キラキラと目を輝かせているヤーバン王の側に護衛が何名か就いているのですが、上半身裸の人間の男性を見るのはなんだか気恥しいです。
以前はなんとも感じていませんでしたが、ナイさんのお屋敷で生活を送るようになり人間の男性は服を纏って身形をきちんとしております。女性も肌をなるべく肌を隠す格好をしているのですが、ヤーバン王国は肌の露出が多いと小さく息を吐きました。
『お久しぶりです、ヤーバン王。アレクサンドラさんと呼んだ方が良いでしょうか?』
私から口を開けば、ヤーバン王が顔を赤く染めます。雌同士なので顔を赤らめる理由が分りませんが、なにか意味があるのでしょう。相変わらず目の前の子はグリフォンに物凄い憧れを持ったままのようです。他の者も私を見て驚いているのですが、少し視線の質が違いました。ナイさんたちは最初こそ驚いていたものの、対等に接してくれるようになりました。ヤーバンの者たちが普通の態度になってくれるのはいつの日になるのか。
「名で呼んで頂けるのであれば、この上なき幸せです!」
彼女が凄く嬉しそうに願い出ました。これは次に彼女をヤーバン王と呼んでしまえば、目の前の子は凄く落ち込みそうです。私の隣を飛んでいた雄グリフォンは一回り小柄故、バルコニーに降りてアレクサンドラさんの隣に並びます。どうやら真正面から彼の姿を私に見て欲しいようです。器用なことをしておりますねと目を細めて嘴を開きました。
『ではアレクサンドラさんと呼ばせて頂きますね。あとナイさんに名前を頂いて、今はジャドと名乗っております』
私が名乗ると彼女が一瞬残念そうな顔をしました。もしかして名前を私に付けたかったのでしょうか。
「良い名です。私も貴女のことを名前で呼んでも宜しいでしょうか?」
彼女はすぐさま鳴りを潜めて小さく笑います。また卵を産めば次の仔には彼女に名前を付けて頂きましょう。ナイさんの下で付けて貰えば魔力を仔に譲渡できるでしょうから特に問題が見当たりません。
『はい。せっかく頂いたものですし、名前で呼んでくれる方が嬉しいので』
私は未来を考えながら、ふふふと笑うと彼女ももう一度笑ってくれました。
「アストライアー侯爵から話を聞き及んでおりましたが、仔の方までご一緒なのですか?」
『ナイさんは仔たちが向かうことまでは記していなかったのですね。まあ急な話でしたので許してください』
私がヤーバン王国へ挨拶に赴くことをナイさんはアレクサンドラさんに伝えてくれたのですが、仔たちまで赴く可能性があったことは記していなかったようです。最初は私がヤーバンに行く予定だったので、報告漏れは致し方ありません。でもナイさんであれば可能性として記しそうなものですが忘れていたようですね。
「いえ、驚いただけで全く問題ありません」
『お話をしたいので庭に出て頂いても良いですか? 流石にこのままの状態は辛いので』
仔たちも私の背から降ろしてあげたいですし広い地面が恋しいのですと冗談めかして伝えれば、アレクサンドラさんは急いで庭に出るようにと皆に伝えるのでした。私は指定された場所に降り立つと、隻眼の雄グリフォンも一緒に並び立ちます。
何故、私についてくるのか分からないので一睨みすれば、ピョエと短く情けない声を出して地面に伏せをします。この姿は敵意はないという印なのですが、もう少し堂々と振舞っても良いのではないでしょうか。しかし雌の方が強いグリフォンの世界です。雄が小さくなるのは仕方ないのでしょう。
「すみません、お待たせをしてしまいました」
少し息を切らせながらアレクサンドラさんたちが庭に姿を現しました。彼女たちの姿を見るなり、隻眼の雄グリフォンが地面から立ち上がりました。どうやらヤーバンの者には情けない姿を見せたくないようです。
『仔が産まれ、名も頂いたのでヤーバン王国の皆さまにご挨拶をしようと思い立ちまして。ヤーバンが雄のグリフォンを守ってくれなければ、仔が増えることはなかったでしょう』
私が続けてありがとうございますと伝えれば、アレクサンドラさんが片足を地面に叩きつけてぴしりと背筋を伸ばしました。おそらくヤーバン式の敬礼とやらでしょう。
ナイさんのお屋敷でも護衛の方が彼女に用があるときに敬礼を執って確認をしたり、どこかへ行ったり、今回のように礼を執っています。人間社会で暮らしていなければ、知らないままでいたのでしょうねえと感慨深くなりました。
「光栄の極み!」
『仔たちも卵から孵ったので、雄の二頭はヤーバン王国でお世話になるかと。その時がきたらよろしくお願い致します。あと背中の二頭が雌になりイルとイヴです。ご挨拶を』
私の背中からイルとイヴが顔を覗かせると、アレクサンドラさんとヤーバン王国の者たちが『おお!』と声を上げ顔を緩ませました。彼らが顔を緩くするのは仕方ありません。
仔たちは凄く可愛らしくピョエピョエと鳴き、少したどたどしい脚取りですもの。ナイさんも可愛いと仰ってくれましたが直ぐに興味を失ってしまったようです。ずっと可愛いと私と一緒に仰ってくれるのはセレスティアさんでした。よちよちと歩くイルとイヴの姿を見てそれはもう蕩けた顔をしているので、私は彼女の隣に並んで『可愛いでしょう』と言うのが癖になってしまいました。
「まだ幼いですね。ヤーバンにくるグリフォンは成獣なので、お目見えできて本当に嬉しいです!」
アレクサンドラさんがぱっと顔を輝かせながらイルとイヴに視線を向けています。私が挨拶をと二頭にお願いしたためか、イルとイヴはヤーバンの者たちに頭を下げておりました。
二頭は賢いですねえと感心していると、アレクサンドラさんも『まだ幼いのに、このようなことを。きっと賢い仔に育ちます!』と良い顔をしてくれます。そうでしょう、そうでしょうと彼女と一緒に頷いていると、イルとイヴがアレクサンドラさんの顔を見上げました。
『ピョエ!』
『ピョエ?』
嘴を大きく開けてアレクサンドラさんに訴えています。内容は……これは伝えても良いのか悩みます。どうしようかと私が首を傾げると、アレクサンドラさんが私に通訳してくれという必死の視線が飛んできました。致し方ないですね。私の言葉ではなく仔の言葉なので大丈夫でしょう。時に幼い仔の言葉は鋭い牙や爪と同じになりますが。
『どうして裸なのかと言っておりますねえ』
「…………も、申し訳ない! ヤーバンの男は上半身裸が正装なのです! 女も他国の者と比べると肌の露出が多いのやもしれません……!!」
アレクサンドラさんがイルとイヴの下にしゃがみ込んで語り掛けました。一応、子爵邸で人間の言葉を覚えているのでイルとイヴには伝わったでしょう。
『ピョエー……』
『ピョエ~~』
イルとイヴはもの凄く恐縮しているアレクサンドラさんにまた語りかけました。
『どうやら雌として恥ずかしいようです』
「な、なんと! まさかグリフォンの雌があまり寄り付いてくれないのは我々の衣装っ!!?」
ガンとなにかで叩かれたように衝撃を受けているアレクサンドラさんの姿は年齢相応のものでした。彼女についている護衛の方々はどうしたものかと頭を抱えているようです。そしてイルとイヴが器用に翼を動かして目元を覆ってしまいました。
ヤーバンに雌が寄り付いてくれないのは、単純に雌が産まれ辛く生息数が少ないからではないでしょうか。アレクサンドラさんは周りの方々の顔を見て、右腕を前に突き出し、ご自身が纏っていた外套を逆の手で掴みます。
「っ! 皆、仮で良い。外套で身体を隠せ! グリフォン殿に失礼な姿は見せられん!」
そうしてアレクサンドラさんも外套で肌を隠してくれました。やはり肌が出過ぎているのは目のやり場に困るので今の状態の方が良いです。イルとイヴも目元を覆っていた翼を元に戻して一鳴きしていました。
「ぬう。これは我々の失態……衣装の改善を試みねば」
アレクサンドラさんと護衛の方たちが唸りながら、今後どうしようかと悩んでおります。流石に上半身裸で他国をウロウロするのは不味いですし、服を着てくれるならば協力致しますよと彼女に伝えます。
『おや。イルとイヴも手伝ってくれるそうです。まあ、なにができるのか全く分かりませんが』
「ジャドさまが私の隣で服を着て欲しいと言ってくれれば、皆は納得してくれます! そうしてくださるなら、凄く助かります!!」
私の声にアレクサンドラさんが身体を前のめりにしながら声を上げました。どうやらヤーバン王国ではグリフォンの言葉は凄く意味を持つようです。彼女が悩まずに済むなら良いかと私は快諾して、ふと思い出したことがありました。
『ああ、そうそう。貴女の兄君にお会いしましたよ。冒険者として頑張っているようです』
「ジャドさまはあの者にお会いしたのですか。しかし、どうして?」
アレクサンドラさんはお兄さんのことを兄とは言えないようでした。いろいろとあったと聞いているので、突っ込まない方が良いだろうと話を続けます。
『偶然ですね。こちらへ参る途中にアルバトロス王都の教会で姿をお見かけしました。ナイさんにお礼を伝えたいと言っていましたねえ』
「アストライアー侯爵に? しかし冒険者でしかないあの者が会えるわけが……」
『会うのは難しいかもしれませんが、彼は運を持っているようですねえ』
なにせアリアさんと一緒にいらしたのです。彼女であればきっとナイさんに事の次第を伝えてくれるでしょう。アルバトロス王国の教会で話したことをアレクサンドラさんに伝えて、私はグリフォンを祀っている霊廟へと赴き祈りを捧げ、ヤーバン王国をあとにするのでした。