1107:いつものとばっちり。
亜人連合国、エルフの街すぐ側にある畑の妖精さんは今日も元気に働いている。グイーさま一家のとんでもない事情が聞こえた気がするけれど、西の女神さまもなにも言わないしきっと私の気の所為だ。畑への魔力ブッパは回避され、畑の妖精さんたちは畑をせっせと耕している。ダリア姉さんとアイリス姉さんはふうと息を吐いて、これからのことを口にした。
「美味しいお芋は諦めるか、ナイちゃんの所から種芋を貰いましょう」
「仕方ないかあ。ナイちゃんの魔力でどうにかなる予定だったけれど~」
小さく息を吐いて片手を腰に当てるダリア姉さんと、アイリス姉さんは両手を頭の後ろに回して畑の改善を諦めている。女神さまにより私が魔力ドバーすることを提案されたけれど、どうやら私の魔力量が多過ぎたらしい。
私の魔力で妖精さんたちにどんな影響があるのか分からないし、空に放って正解だったのだろう。畑の妖精さんが増え過ぎればまた移住地を探さなければいけない。畑の妖精さんを受け入れてくれる方がどれだけいるのかも謎だし、消えた時に困ってしまう。
「あ、そうだ。亜人連合国にも天馬が居着いてくれたの」
「恥ずかしがり屋だから、今日は隠れちゃったけれどねー。いつか紹介できると良いな~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんが嬉しそうに教えてくれた。それならエルとジョセとルカとジアと一緒に赴けば良かったと一瞬浮かんで、でも恥ずかしがり屋さんだと同族の急な訪問は耐えられないかもしれないと考える。雌雄は分からないけれど、ルカとジアの番候補に入っていれば良いのだけれど。なににせよ、エル一家に事情を伝えて天馬さまたちが数を増やせるように頑張らなければ。
「竜も増え、他の魔獣や幻獣が増えているのは良いことだ」
「ええ。以前の様に戻ると良いのですけれど」
ディアンさまとベリルさまが微笑みながら言葉を口にする。竜の方たちは増えているので彼らは嬉しいのだろう。珍しい表情だった。
「以前と比べれば随分と減っているね。ナイのお屋敷にいると感覚が麻痺してしまうけれど」
女神さま、私のお屋敷が異常みたいに言わないでください。確かに幻獣や魔獣が居着いている貴族のお屋敷なんて中々見ないけれど、同じようなお屋敷が世界のどこかに存在しても良いはずだ。女神さまと亜人連合国の方たちの話によると、昔はもっと幻獣と魔獣の数が多かったそうだ。人間が討伐してしまったことも原因に上がるけれど、それでも減って行くスピードが早いとか。
「大陸の魔素が薄れているためかな。前より確実に減っているし」
女神さまは特に気にした様子もなく言い切った。西大陸の大気中の魔素は確実に減っているようで、亜人連合国の方もなんとなく察しているらしい。由々しき事態だが、解決する方法ってあるのだろうか。
「うーん……悩ましい問題だけれど私が手を出す訳にはいかない」
女神さま的には自然の流れに任せたいようである。彼女がそう言い切ってしまえば私たちは女神さまの言に従う他ない。魔素が回復する方法があれば実践していくのだが、なにかないのだろうか。
「緑を植える、とかでは駄目ですか?」
「効果はあるけれど微々たるものかな。なにもしないより全然良いけれど」
私が女神さまを見上げながら問えば、彼女は言葉を選びながら教えてくれる。私たちが住んでいる大地が魔素を産み出す力が弱くなってきているのか、それとも地上で生きている者たちが魔素を吸収し過ぎているのか。
なににせよ、魔素が無くなって困るのは竜やエルフやドワーフさんたちだし、魔術を扱っている私たち人間も困る。なんとかならないかと考えながら、畑の妖精さんの所からエルフの街へと戻って行く。
「この度はお招き頂きありがとうございました。レダとカストルの点検も助かりましたし、沢山のお土産もありがとうございます」
「ご意見番の話ができて良かった。ありがとう」
私と女神さまが亜人連合国の皆さまにお礼を伝えると、小型の竜の方たちがワラワラと寄ってきて『帰っちゃうの~?』『やだー』『もっと居ようよ』と口々に零している。私は彼らにごめんと謝ればと、仕方ないなあという顔をして『またきてね』と口を揃えた。クロとアズとネルも小型の竜の方たちと挨拶をしているようで、時折声を漏らしている。アズとネルの可愛い声にときめいている方がいるが、見て見ぬふりをしておいた。
「気にしないでください。またのお越しをお待ちしております」
「次もお話を沢山できると良いですね~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんが女神さまに礼を執り、私にはまたきて頂戴と言い残す。
「我々は殆ど暇です。いつでもお越しください」
「ご連絡を頂ければ、迎えを寄越します」
ディアンさまとベリルさまも女神さまに伝えて、私には視線を寄越して一度頷いた。お土産を沢山いただいているし、またドワーフの職人さんに鍛えて欲しい物があるからお願いしようと決めて、アルバトロス王国まで送ってくれる緑竜さんの背に乗った。亜人連合国の空を飛び地上にいる皆さまの姿が見えなくなるまで手を振って、子爵邸への帰路へ就くのだった。
◇
――ミナーヴァ子爵邸、調理場。
この場所は料理人である私にとって聖域だ。手入れの行き届いた数々の調理器具は綺麗に並べられており、アストライアー侯爵閣下に提供する数々の料理を作り出している、言わば同志のような存在だ。雑に扱う料理人がいれば、道具を粗末に扱う奴は料理を作る資格はないと言い切るくらいには大事にしている。
まあ、この調理場に集まる料理人は道具を粗末に扱う者など一人もいないのだが、心構えのできていない若い者や、料理を作るのが上手いと勘違いしている者には顕著に表れる。驕れば足元を掬われるのが世の常だ。決してそうならぬようにと自戒しながら料理人としての道を極めていきたいと、調理場に集まっている者たちの顔を見る。
「料理長、今夜のメニューはなにになさるので? ご当主さまと西の女神さまが亜人連合国から戻ってこられますし、気合を入れないと」
私の同僚兼部下が少し心配そうな表情で声を上げた。お屋敷の主であるナイ・アストライアー侯爵閣下は本日の昼過ぎに、亜人連合国からアルバトロス王国に戻ってきている。ここ最近は西の女神さまも食事を召されるようになり、子爵邸の調理場は毎日メニューの組み立てに悩んでいた。
とはいえ、ご当主さまが東西南北の各大陸から料理のレシピを入手し、我ら料理人に惜しげもなくレシピを公開してくれることは本当に有難い。少し難儀な点は、アルバトロス人の口に合わないレシピもあることだ。口に合わなければ、合うように仕向けるのだが、元の料理の味を生かしつつアレンジするのは割と難しかった。
「亜人連合国で豪華な食事を摂られている場合もあるからな。あっさりとした品の方が良いこともある」
私が料理長として言葉を告げれば、なるほどと頷いている者が数名いる。下拵えは殆ど済ませているので、あとは方向性を決めれば最後の仕上げに取り掛かるだけだ。
「では、野菜メインの料理で攻めますか?」
「しかしご当主さまは肉料理も喜ばれる。幸せそうな顔で食べている姿は料理人冥利につきるからな」
ご当主さまは生い立ち故なのか、出された料理を残したことはない。例外は体調が優れない時だけだ。私たちが丹精込めて作った品々を喜んでくださっているか気になって、こっそり食堂を覗き込むことがある。ご当主さまは本当に幸せそうな顔をして美味しい美味しいと幼馴染の皆さまと一緒に召しあがっている。
ご当主さまの姿は料理人を務めていることに満足感を満たしてくれ、また明日も頑張ろうという気力もくれる。食べている姿はお可愛らしいし、ジークフリードさんに出した食後のデザートをご当主さまがジークリンデさんと分け合っている姿も密かにポイントが高かった。
「ふむ。やはりいつも通りで良いのではないだろうか。皆はどう考える?」
他国から戻ってきたばかりなのだ。それならオーソドックスなアルバトロス料理で良いのではなかろうか。前菜をいくつか提供して、メインに肉料理を据える。あとはデザートとなるのだが、なにが良いだろうか。美味しそうに食べている皆さまの顔を想像しながら料理を作るのはやはり楽しい。
「ご当主さまは基本美味しいと食べてくださいますからねえ」
「でも、口に合わない時は苦手だと教えてくれるな」
「決して俺らが作った料理を卑下しないですよね」
私以外の料理人が口々にご当主さまについて告げる。確かにご当主さまは不味いとは言わず、ご自身の口に合わなかったと伝えてくれるし、他の方は美味しいと言っていたから好みの問題だと言ってくれるのだ。横暴な貴族であれば殴られてもおかしくはない状況なのだが、本当にご当主さまはお若いのにできた人物である。
「本題からズレているぞ。ご当主さまたちの夕食の時間に間に合わなくなる。さっそく取り掛かろう」
私は無駄話をしている暇はないとパンと一度手を叩いて合図を送れば、皆がそれぞれの持ち場へと散って行く。ご当主さまの食事を用意しながら、屋敷で働く皆への料理も作っているので時間を無駄にはできない。ご当主さまは屋敷で働いている皆に提供する食事をケチることはないので、食材や費用に頭を悩ませることはないので有難い限りだ。
「女神さまも食べてくれますしね。気合を入れないと!」
「顔は似ていませんが、なんとなく雰囲気がご当主さまに似ていませんか?」
「黙々と食べている姿は似ていらっしゃる気がする」
持ち場に行きながら喋っている三人の背を見る。女神さまが滞在している貴族の屋敷とは……と真面目に考えていた時期もあったが、二度目となれば慣れてしまっていた。最初は南大陸を司る女神さまがお姿を現して、一週間ほど滞在していた。
その時、女神さまに料理を提供すると知って恐れ戦いたのだが、美味い美味いと言って食べてくれ『作ってくれてありがとな』と伝えるために調理場に訪れた南の女神さまには驚いた。ご当主さまと一緒の黒髪黒目であったこと、背丈も似通っており、姉妹だと言われれば信じてしまいそうなほどに似ている部分が多かった。でも、なんとなく南の女神さまの方が幼い気がしたのは……まあ深く考えまい。
今は今夜提供する料理のことを考えるべきだ。
前菜のソースを作ろうと壁際に並べられた調理器具を手に取る。ドワーフの職人が鍛えた品々は本当に使い勝手が良く、料理を作る身としては有難いことだ。少し、調理器具が多過ぎやしないかと突っ込みを入れたくなるのだが、ご当主さまが亜人連合国に赴いて戻ってきた際にはお土産として頂くのだ。
私たちの料理の腕前を認めて頂いている証拠なのだが、少々恐れ多いというか……なんというか。王城の料理人でさえ所持していないのではと考えるが、割とマメなご当主さまが陛下に献上しないわけはないはずだ。きっと城の料理人たちも使っているはずと、無理矢理に言い聞かせたのは子爵邸の料理長として赴任し暫く経った頃だった。本当に今の環境は恵まれていると感謝しながら、料理を作り上げていく。
そうして我々料理人が作った料理がご当主さまたちに運び出され、綺麗に平らげている皿が戻ってきた。今日も残さず食べてくれたようで嬉しいのだが、少しばかり残してくれても良いような。
まあ、彼らの事情を知っているので強くは言えないし、この後提供する賄が残るから問題はないか。そうして賄の提供も終えて、一息つける時間がやってきた。ふいに侍女頭の方と侍女が数名調理場に姿を現す。
「ご当主さまから差し入れです。亜人連合国のエルフの方々から野菜を沢山頂いたので、使って欲しいとのことでした」
侍女の方たちが抱えている野菜を受け取って中身を確認する。アルバトロス王国では馴染みのない野菜もあり、どう使えば良いのかと頭を悩ませた。
「料理の手引きも渡すようにと仰せつかっております。期待していますよ?」
侍女頭の方から薄い冊子を差し出され、私は丁寧に受け取った。レシピを頂けるのは有難いが、料理場の皆で頭を捻りながら亜人連合国の料理研究をする日がしばらく続きそうだ。ご当主さまがどこかの国へ赴くたびにレシピが増えている。ある意味、事件に巻き込まれたご当主さまのとばっちりに巻き込まれた形といえるのだが、料理人としては最高の環境だろう。でもまあ……もう胃が持ちそうにないので、神さま方に料理を提供することになるのは避けたいところだ。
「はい。頑張ります」
私が侍女頭の方に答えると、私の背後に控えていた料理人たちが微妙な空気を醸し出している。アルバトロス王国の美食家と言われている貴族よりも、ご当主さまは食に関心が強いと苦笑いを零して侍女頭の方たちを見送るのだった。