1102:ご意見番さまのねぐら。
ディアンさまの背中に乗って空を飛んでいる。三年前に同じ所を通ったのだが、随分と懐かしい気がする。女神さまも興味深そうに下の景色を眺めているのだけれど、落ちそうで危なっかしい。
彼女曰く落ちても死なないらしいのだが、人の形をしているので落ちるとぺちゃんこになっている姿をどうしても想像してしまうのだ。死なないことを証明するため飛び降りても良いよと彼女は言っていたけれど、怖いので止めて下さいと私がお願いした所である。
「三年前と変わらないね」
私の視界に流れる景色は三年前と変わらない。変わったことと言えば、一緒に過ごす方が増えたこと、背負っている物が増えたことだろうか。忙しいけれど充実しているので問題ないし、お腹一杯食べることができて温かい寝床があるのだから十分だ。
少し贅沢を言って良いのであれば、もう少し日本食をきっちりと再現したい。チキン南蛮とか牛丼とかかつ丼とかジャンクな品を食べたいし、ファストフードのハンバーガーも再現してみたいと考えている。
『そうみたいだねえ。ボクの記憶にある景色と同じだ』
クロが私の肩の上で呟いて、女神さまの下へと飛んで行った。おそらく落ちてしまわないように注意してくれるのだろう。ふと近くに気配を感じたのでそちらに視線を向けると、ダリア姉さんとアイリス姉さんがいた。
「ドワーフの村とエルフの街は変わっているけれど、竜は自然の中で生きるから環境は変わらないというか、彼らにとって変わらない方が良いのでしょうね」
「過酷な環境を好む仔もいるし、いろいろだよねえ~」
苦笑いを浮かべるダリア姉さんと、アイリス姉さんがいつもの緩い表情で緩いことを呟く。他の皆さまはお二人の言葉になるほどなと頷いていた。竜の皆さまは魔素が多い場所と自然が豊かな場所を好むそうだ。アイリス姉さんが仰った通り、凄い環境を好む竜のお方もいるようだけれど。
『少し手狭になってしまったことだけが悔やまれるか』
『南の島やフソウに移住できたので、まだマシでしょう』
ディアンさまとベリルさまの声が届いた。私たちの会話が良く聞こえているなあと感心していると、数が増えたのは嬉しいけれど土地が狭いことがお二人の最近の悩みらしい。ご意見番さまのテリトリーだったので離れる決心を付けてくれる竜の方たちの数は少なく、人気の移住先は辺境伯領の大木なのだとか。ディアンさまとベリルさまは竜の未来についていろいろと悩んでいるようだった。
「辺境伯領の方たちは元気ですか?」
人気の移住先を聞き、ふと気になって私は声を上げる。セレスティアさまから状況を聞いているものの、最近は忙しくて余り気を掛ける余裕はなかった。
『彼女に聞いた方が早いな』
『ええ。頻繁に様子を見にきてくださいますから。有難いものです』
ディアンさまとベリルさまに不意を突かれた形で声を掛けられたセレスティアさまはぎょっと驚いたものの、直ぐに鉄扇をばっと広げて口元に当てる。どうやら説明ならば任せておけと言いたいようだ。ならば彼女の話を聞こうと、セレスティアさまを見る。
「以前は中型の竜のお方が卵を産み仔竜の世話をしておりましたが、ここ最近、小型の竜の方が多くいらっしゃっておりますわ。それはもう愛らしいのですが……休日にしか様子を伺えないのが最近の悩みです」
セレスティアさまは辺境伯さまにお願いして、休みの日に辺境伯領の大木の下へと足繁く出掛けているようだ。一応、軽くは聞いていたものの休みの度に赴いているのは初耳だった。
私に告げれば魔術師の方に払う転移費用とか気にし始めるので、詳しく伝えるのは止めていたと。確かにセレスティアさまから話を聞けば、私は真っ先に魔術師の方に払う転移代を気にするだろう。
割と高い金額なのでおいそれとは使えない。庶民感覚が残り過ぎている私なので、辺境伯家やセレスティアさまにとっては少額なのかもしれないが。私が渋い顔をしていると、セレスティアさまがやはりという顔を浮かべる。
「……大樹の妖精さんは?」
私はとある方が気になって彼女に様子を聞いてみる。少し迷ったけれど、聞いておいた方が良い気がしたのだ。
「お元気ですわ。ただ毎回、ナイに会いたいと仰られていますので会いに行ってあげてくださいまし。わたくしもナイが赴けば一緒に向かうことができるので嬉しいですわ!」
セレスティアさまが大樹の妖精さんがなにをしているのか教えてくれた。竜の方たちと触れ合いながら、私がこないかなとぼやいているらしい。竜の方たちも私に会いたいらしいが、王都の空を頻繁に飛べば騒ぎになるし、卵さん爆撃をディアンさまから止められていたので我慢していたとか。
足が遠ざかっていたので、申し訳ないことをしてしまったなと反省する。そして反省するだけなら簡単なので、辺境伯領の大木の下へ出掛ける提案をソフィーアさまとセレスティアさまに伝えておく。ソフィーアさまは片眉を上げながら『分かった』と仰ってくれ、セレスティアさまはドリル髪をぶわりと広げて良い顔になる。予定がいつになるのか分からないけれど、近いうちに赴けると良いのだが。
『危ないよ。落ちるよー!』
もうすぐご意見番さまのねぐらに着く頃に、クロの声が辺りに響く。珍しくクロは大きな声を出していたので、何事かとクロと女神さまの方を向く。下を覗いている女神さまが更に下を覗こうとして、ディアンさまの背中から落ちそうになっていた。
クロは一生懸命に女神さまのお召し物を食んで落ちないようにと、飛びながら引っ張っているのだが効果が薄い。落ちても死なないとはいえ、落下すれば痛いだろうと私は彼女の下へと歩いて行く。
「女神さま、そろそろご意見番さまのねぐらに着きますよ」
「……う、ん」
私が女神さまに声を掛けても反応が薄かった。クロはまだ一生懸命に女神さまの服を食んで引っ張っており、私はこりゃ駄目だと小さく息を吐いて女神さまの腕に触れる。
「あれ、ナイ。どうしたの?」
女神さまは私が腕に触れて、ようやく周りに人がいることに気付いたようだ。ダリア姉さんとアイリス姉さんは苦笑しているし、他の方は見てはならないものを見てしまったというような雰囲気を醸し出している。
『ボクの声、聞こえていなかったの? 酷いよー』
クロが女神さまの服から口を離して私の肩の上に乗る。何気に女神さまに気付いて貰えなかったことがクロはショックを受けていた。
「そろそろご意見番さまのねぐらに着きます。あと代表さまの背中から落ちそうなので、見ているとヒヤヒヤします」
「ごめん」
私の声で女神さまは立ち上がり、端から真ん中の方へと移動した。これで女神さまが落ちる心配がなくなると安堵していると、高度が下がり始める。なにもない岩肌が露出した山の斜面に辿り着けば、小型の竜のお方がわらわらと寄ってきて『早く降りてきて』と私たちを急かしていた。
女神さまはディアンさまの身体の出っ張りを利用して、ひょいひょいと軽い足取りで地面に降りた。続いてダリア姉さんとアイリス姉さんもひらひらと地面に降りる。そうしてソフィーアさまとセレスティアさまも『先に降りるぞ』『先に行きますわね』と言い残して地面に降りていた。
「運動神経も良いのか……」
私は女神さまが難なく高い位置から降りれた事実を知って衝撃を受けていた。女神さまと言えど完璧ではないはずなのに、運動神経が良いとは羨ましい限りである。私はディアンさまの背中から一人で降りることはできない。
ジークとリンの手を借りながらようやく降りることができるのである。エル一家の誰かがいたならば、背中に乗せて貰って降りることができるけれど、それでも危なっかしいと言われてリンが後ろに控えるのだから。
「女神さまだからな」
「欠点、ない?」
ジークとリンが私の声に反応して答えてくれる。リンの疑問に私は答えるべきか迷ったが、女神さまは真面目故に悩んでしまうこともあるようだ。だからこそ引き籠もりを敢行していたのだろう。
部屋から出てきてくれたので、ノーカウントと言われてしまいそうだが。
「行こう。他の方たちを待たせるのは不味い」
ジークが腕を伸ばして私の前に差し出す。私も彼の言葉に納得できるので素直に手を重ねた。ふいに触れたジークの右手指にある剣ダコに触れる。ジークと同じ位置にリンの手にも剣ダコがあるのを私は知っていた。
以前、私がそっくり兄妹に痛くないのかと聞いたことがあるのだが、痛みを気にしている暇はなかったし、気付いた時には慣れていたと答えてくれた。私が微妙な顔で彼らの言葉を聞いていたら『気にし過ぎ』とも言われてしまった。
そっくり兄妹は私も無茶をしているからお互いさまだろうとのこと。私の魔力が底を尽いて倒れそうになっていると、かなり二人に心配をさせていたから、何度も口にするのは野暮だろうと彼の手にある剣ダコに気付かないフリをする。
「兄さん、次、私」
リンが口をへの字にしてジークを見ていた。
「分かった」
ジークはジークで片眉を上げて仕方ないと小さく息を吐いている。そうしてディアンさまの身体の出っ張りを伝って地面に降りた。硬い土を踏みしめて三年前と変わらない光景に目を細めれば、ディアンさまとベリルさまが空へと飛び立つ。
おそらく人化するために一旦この場所から離れたようだ。その証拠にジークがダリア姉さんとアイリス姉さんに呼び止められて、ディアンさまとベリルさまの服を彼が受け取っている。ジークは私に断りを入れてディアンさまとベリルさまが飛んで行った方向へ走って行った。男性が少ないからジークが選ばれるのは仕方ない。
女神さまは目を細めて、ご意見番さまのねぐらから見える亜人連合国の森をじっと眺めている。彼女は懐かしい記憶に思いを馳せているのだろうか。それならば、と私はクロと視線を合わせる。
「ねえ、クロはこの景色を見て懐かしいってなる?」
『景色は知っているけれど、懐かしいって気持ちはあまりないかも。でも良い場所だねえ』
クロはご意見番さまの記憶を持っているだけで、ご意見番さまの気持ちを持っている訳ではないから懐かしさという部分は薄いようだ。私は三年前にお邪魔したので少し懐かしい気分になっている。
ご意見番さまのねぐらは以前はもっと殺風景だったきもするが、所々にご意見番さまがお気に入りだった白い花が咲いていたり、大きな石ころが転がっている。他にも大きな木の幹が転がっていて、三年前にはなかった代物だ。
「そうだね。でも本当に今までディアンさまとベリルさまは掃除していたみたいだね」
『みたいだねえ。端っこに木が転がっているから、若い仔たちが爪研ぎにでも使っていたのかも』
私とクロはお二人がこの場所を掃除している姿を想像して少し笑ってしまった。おそらく散らかした本人、ならぬ本竜さんたちもお掃除をしていただろうけれど、即戦力はお二人のはず。おかしくてクロと一緒に笑っていると、小型の竜の方たちが顔を出しこちらに走ってきた。
『聖女さま! 聖女さま! 女神さまがいる!!』
「うん。西の女神さまだから、みんな失礼のないようにね?」
わらわらと集まった小型の竜の方たちに囲まれていると、中型の竜の方に大型竜の方も姿を現した。赤竜さんと青竜さんと緑竜さんはどこにいるのだろうか。
『シツレイ?』
『噛んだり、蹴ったりしちゃ駄目だよって。あと沢山女神さまとお話してあげて~』
私の代わりにクロが答えると、小型の竜の方たちが一斉に女神さまの下へと走り出す。
『わかったー!』
最後に残った竜の方が返事をくれたあと走り去って行った。そうして赤竜さんと青竜さんと緑竜さんも姿を現して、女神さまとご意見番さまの話をしようとなるのだった。






