1098:かちんこちん。
――亜人連合国の領事館から戻った次の日。
何故か女神さまと一緒に亜人連合国へと赴くことになった。私の予定があるので少し調整待ちとなるけれど、近々あちらに赴く予定である。家宰さまとソフィーアさまが『マジか……』みたいな顔をしていたけれど、どうにか時間を捻出してくれるようだ。
午前中、執務を捌いて昼食を取り、そのあと西の女神さまは私が今まで子爵邸の中で案内を躊躇っていた屋敷裏の家庭菜園へと赴いていた。女神さまは、せっせと野菜を育てている畑の妖精さんを見て目を細めている。
畑の妖精さんの数は増えていないのだが、それぞれ担当場所を決めており妖精さんが育てることに得意な野菜を選んで作業をしているようである。偶に珍しい種や苗を渡せば、顎に手を当てて悩んでみたり、頭を抱えてどう育てれば良いのだと絶望する妖精さんもいた。個性が出ているよねと、クロとジークとリンと話していたのだが、クレイグとサフィールは個性で済ませるなよと突っ込みを入れてくれた。確か、西の女神さまが子爵邸に訪れる少し前だった気がする。
「まだ彼らがいたんだね」
西の女神さまがポツリと呟いて腰を屈めた。畑の妖精さんは人がくるといつも『タネクレ』『シゴトクレ』と合唱を始めるのだが、相手が西の女神さまと理解しているのか黙々と作業を続けている。珍しいと感心するも、私は女神さまの言葉の意味が掴めない。
「どういうことですか?」
「昔は大変だったから、妖精に食物を育てて欲しいってお願いしたんだ」
女神さま曰く、火を熾すにも一苦労だったし、男性陣は狩りに赴いて人手が足りていなかった。畑を耕すのは女性の仕事となっていたが、女性では重労働だし子供の面倒も見なければならない。そんな古代人たちの苦労を見た西の女神さまは畑の妖精さんを生み出したとか。
「でも、こんなに働き者じゃあなかった気がする。ここは魔素が多いから、彼らが元気なのかもしれないね?」
「私に疑問を投げられましても……畑の妖精さんが産まれてから今の状態が維持されていますし……」
女神さまが地面にしゃがみ込んだまま、振り向いて私の顔を見上げる。なんだか新鮮だと感じていると、畑の隅っこに生えていたマンドラゴラもどきが地面からスポンと抜けて、明後日の方向へと走り出す。
『びゃあああああああああああああああああああああ!!』
けたたましい叫び声を上げるマンドラゴラもどきが根っこの部分を器用に動かして、葉っぱの部分を揺らしながら凄い勢いで走り去っていく。マンドラゴラもどきが抜けたことによって、畑にできた小さな穴は妖精さんの手により直ぐに均され、次の種をぽいと植えている。同じ場所に同じ野菜を育てるのは止めた方が良いという農家さんの知識をガン無視して、妖精さんはマンドラゴラもどきの種を植えていた。
「凄い声量だ。捕まえなくて良いの? 騒ぎになるよ?」
地面から立ち上がった女神さまが遠くに走り去っているマンドラゴラもどきを目を細めながら見ている。彼女の視線の先にはマンドラゴラもどきしか映っていないようである。
「あっちはエルたちがいるので大丈夫かと」
畑に植えられているマンドラゴラもどきが脱走することは多々あり人の手で捕まえるのは大変なので、エルたちに抜けたマンドラゴラもどきの捕獲をお願いしていた。エルたちも魔素を多く含んでいるお野菜と認識しているので快く引き受けてくれた。
エルフのお姉さんズからマンドラゴラもどきの入荷依頼がくれば、食べるのは控えてねとお願いして根の部分を綺麗な状態で確保して貰っている。それ以外は食べても良いよということにしているので、彼らにとって美味しい仕事となっている。
「複雑」
西の女神さまが裏事情を聞いて微妙な表情になる。まああの声量で叫ばれるのはご近所迷惑なのでエルたちにさっくりと捕まえて貰うのが一番だ。最近はグリフォンさんも加わっているようで、マンドラゴラもどきを食べる順番を決めているとかいないとか。
揉め事を起こさず子爵邸の中で過ごしてくれているので有難い限りだと、マンドラゴラもどきが走り去った方を見れば、黒天馬のルカが器用に葉の部分を脚で踏んずけて嘶きを上げている。
「賢い仔」
女神さまがまたポツリと呟くのだが、ルカの隣にジアが並びマンドラゴラもどきの根の部分を齧り始めた。マンドラゴラもどきの断末魔が耳に届き微妙な雰囲気に包まれるけれど、自然の摂理、自然の摂理と無心で唱える。そうして断末魔が聞こえなくなった頃、女神さまが私を見下ろす。
「ねえ、私も妖精に種を渡して良い?」
「お野菜限定なら構いませんよ」
女神さまは畑の妖精さんに育てて欲しいものがあるようだ。妖精さんは種か苗を渡せばなんでも育ててくれる。以前ケシで失敗したことがあるので、お野菜限定でとお願いをしておいた。これ以上騒ぎを起こしてまたアルバトロス城で勤務する薬師の方を呼ぶ訳にはいかない。ケシもケシで薬師の方には使い道はあるからと喜んでくれたのだが、素人が手を出して良い代物ではない。
「ナイはどんな野菜が好き?」
「美味しければなんでも食べますが……あ、苺はどうでしょうか?」
私は基本、美味しければなんでも食べるので育ってくれるならばどんな野菜でも嬉しい。ただ問われたことに答えないのは失礼だと、ぱっと思い浮かんだ品を言葉にする。苺は果物と勘違いされそうだけれど、分類上は野菜である。
果物は木になる実、野菜は地面から生えるものという認識が強い。だからメロンでもお野菜なので、共和国から頂いたメロンの種を畑の妖精さんに育てて貰ったことがある。最初に収穫されて食べたメロンの味は少々薄く、畑の妖精さんに報告すると『おかのした!』と言わんばかりに食べたメロンの種を要求され、代を経るごとに甘みが増していた。
「イチゴってどんなもの?」
「赤い果実ですね。子爵邸の食後のデザートで何度か目にしているかと」
女神さまは子爵邸のデザートで出されている品の中で苺があったと気付いていない様子だ。クレープ――日本のクレープとは少々違う――だったりケーキだったりで出されており、凄く美味しかったのだが酸味が強かった。
あれ、私……日本にいた頃の味に慣れ過ぎていて甘みを強化しようと無意識で行っていたようだ。でも甘い苺も需要があるだろうし、酸っぱい苺も需要がある。適材適所だと頭を切り替えて、白い苺が誕生しても面白そうだなと考えた。
「あ、種が歯に引っ掛かるヤツだね」
「そうですね」
女神さまの歯に衣着せぬ物言いに苦笑いを浮かべるけれど、確かに苺の種は歯に挟まると難敵と化す。歯磨きをしても奥へと入っていくことがあり、自分の歯の磨き方の下手糞さに絶望したこともある。胡麻より微妙に小さい種だから本当に歯の間に引っ掛かると、あとが大変だった。
「じゃあ、今度イチゴ? がでたら種を取っておこう」
「美味しく育つと良いですねえ」
女神さまが目を細めながら私に声を掛ける。お野菜さんなので畑の妖精さんに育成を任せてもトンデモ進化はしないだろう。私も苺を植える日が楽しみだと女神さまに告げ、ジークとリンにも楽しみだと伝える。とりあえず畑の妖精さんの所からお屋敷の中へと戻る。そのあとポポカさんとグリフォンさんたちの様子を確認して、ユーリの所へと向かった。そういえば西の女神さまがユーリと会う機会は少なかった。
ユーリの部屋の前に立って扉をノックする。乳母さんの返事が聞こえたので、ユーリはお眠ではないようだ。彼女が寝ている時は乳母さんが扉を開けて、直接私たちを出迎えてくれるようになっているのだから。
「失礼します」
「ご当主さま、お疲れさまで……す。西の女神さまもごきげんよう」
私がユーリの部屋へと一番に入り、女神さまが入ればジークとリンが続く。いつものメンバーだと安心しきっていた乳母さんは目を見開いて驚きながらも、どうにか平静を保つ。
木でできた積み木やでんでん太鼓が床の上にちらかっており、ユーリは床の上でハイハイをしながら玩具で一人遊びをしていたようだ。そうして彼女は私たちが部屋へやってきたことを認識して、ぽてんとお尻を付けてこちらを見る。一瞬ユーリは私の姿を見て笑ったものの、女神さまを視界に入れた瞬間に顔をぐしゃぐしゃにした。
「び、びゃあああああああ!!」
何故かユーリの鳴き声はマンドラゴラもどきの叫び声とそっくりだと苦笑いを浮かべるも、西の女神さまの人並外れたオーラに驚いたようで凄い勢いで泣き出した。乳母さんは女神さまの圧にユーリが負けてしまったことを察して、どうしようかと悩んでいる。
確かに失礼な態度は取れないだろうし乳母さんがユーリに手を出さない理由は理解できた。だから私が動くべきだろうと泣いているユーリを両手で抱えて抱き上げる。クロはユーリと私の邪魔になるだろうと、女神さまの肩の上に移動した。
「ああ、ユーリ、驚いたねえ。大丈夫だよ~ほら、西の女神さまは怖くないよ~ちょっと圧が強いだけだから心配いらないよ」
女神さまには失礼になるかもしれないけれど、私の腕の中で泣きじゃくっているユーリをなだめすかしながら女神さまの方へと向ける。すると女神さまは渋い表情を浮かべながら言葉を紡ぐ。
「…………やっぱり赤子は苦手。いつもこうして泣かれてしまう」
渋い顔からしょぼんとした表情に変わった女神さまは肩を落としながら部屋を出ようとしていた。そりゃ女神さまなのだから赤子には刺激が強すぎるだろう。以前は魔術具も身に着けていなかったから、神圧が駄々洩れだっただろうし。
なんとなく小さい子が女神さまを見て泣いてしまった理由を察してしまう。乳母さんとジークとリンも意外だという視線を女神さまに向けていた。
「あ、少し待ってください。突然の出来事だったから驚いただけで、環境に慣れてしまえば問題ないかと」
私は私で魔力量が多いユーリなら女神さまと直ぐに打ち解けることができるだろうと、部屋を退出しようとした女神さまを引き留めた。女神さまは動かしていた足を止めて、ユーリと私を見て本当かな、大丈夫かなと不安そうな顔になっている。
『大丈夫だよ。ボクが鼻先でユーリをツンツンしても泣かないからねえ。だから君のことも直ぐに慣れるはずだよ』
クロも女神さまを励ますように大丈夫だと伝えてくれている。ユーリはクロのツンツン攻撃も毛玉ちゃんたちのペロペロ攻撃も耐え凌いできた猛者だ。きっと女神さまの圧にも直ぐに慣れて、じゃれつくようになるのではなかろうか。
まだ幼い子で女神さまがどんな存在なのか全く理解できないだろう。彼女が成長して物心が付いた時が少々心配だけれども、説けば問題ないだろうし……多分。
「…………」
緊張して無言になった女神さまと泣き止んでヒクヒク言っているユーリの間でなにかしらの電流が流れている。それは良く分からないものだけれど、多分二人が仲良くなるために必要なもののはず。
ユーリが鼻水を垂らしているので乳母さんに綺麗な布を用意して貰う。私はユーリの鼻から垂れている鼻水を拭き取って、息ができているか念のため確認をする。どうやら鼻は詰まっていないようで、キチンと鼻呼吸ができているようだ。
「………………嫌われた?」
「結論が早いです」
女神さまがユーリから視線を外し、凄く困った顔で私に問う。私が速攻で否定すると女神さまがまた肩を落とす。これでユーリが慣れてくれないなら、女神さまとユーリを毎日引き合わせる必要があるかもしれないと考え始めた時だった。
目尻に涙が残っているユーリがきょろきょろと周りを見始めて、私の腕の中でジタバタを暴れ始めた。どうやら抱っこが飽きたようなので、床の上にユーリを優しく下ろして彼女の好きにさせてみる。そうしてユーリはぽかんとした表情で床にお尻を付けて、おもむろに手を床に差し出してハイハイを始めた。
「あー! あうー」
なにを言っているのかさっぱり分からないけれど、先程まで泣いていたとは思えないほどユーリは元気だった。そうして部屋の中をぐるぐると回ったユーリは最終的に女神さまの足下で玩具遊びを始める。
ユーリが彼女の足下で遊んでいることで直立不動になっている西の女神さまに私が苦笑いを浮かべる。そうすると女神さまが『助けて』と消え入りそうな声で訴えるのだった。