1096:孵ったぁ。
私たちが駆け付けた時はテーブルの上の卵さんには皹が入り小さな穴ができていた。時間が経って小さな穴が大きくなって、卵さんの中にいるポポカさんの嘴が顔を覗かせている。大人のポポカさんたちより淡い色の嘴は一生懸命に硬い殻を割ろうと必死になっていた。
グリフォンさんは頭を左右に揺らしながらソワソワしている。アシュとアスターも卵さんを固唾を飲んで見守っているのに、ポポカさんたちは『ポエ~』『ポエー』といつも通りの鳴き声を出していた。もしかすると卵さんを応援している声なのかもしれないが、間抜けな身体と顔が卵さんを心配しているように見えないのだ。
「頑張れ」
西の女神さまは立ったまま卵さんを見下ろして言葉を紡いでいる。卵さんに空いた穴から嘴の先が出くると、誰かが『おお』と声を上げた。無事に産まれますようにと願っていると、卵の中の雛が『ピョエ』と短く鳴いたような気がする。
そうして殻の穴が大きくなって、中の雛が卵さんから出ようと藻掻いている。まだ毛が生え揃えていないので地肌が見えているけれど、まさしくポポカさんたちの仔だと分かる姿をしている。退化した小さい翼に真ん丸ボディーはまさしくポポカさんのシルエットだった。
暫く見ていると、卵さんがころんとテーブルを転がった。アシュとアスターが卵さんが落ちないようにと身体を動かすのだが、テーブルから落下することはなかった。ただ空いた穴が下になって卵さんの中の雛が出易い状況になっている。ずるずると身体を捩らせて雛が卵の中から出てくる。『ピョエ、ピョエ』と短く鳴いて、なにかを求めていた。
『孵りました! ポポカの仔たちが孵りましたよ、ナイさん!』
ジャドさんが目を細めながら私の頭の上に顔を置いてぐりぐりしている。ジャドさんの体高的に丁度良い位置に私の頭があるようである。ジャドさんのぐりぐり攻撃によって私の身体がゆらゆらと左右に揺れるけれど、不思議と気分が悪くなったりはしない。
「孵りましたね。餌を用意しようと思うのですが、数日は与えなくても大丈夫でしたっけ?」
確か孵ったばかりの雛は数日間はご飯を食べなくても良かったような記憶がある。私の質問にジャドさんが肩を落とし、答えられないことにショックを受けている。ジャドさんは子育てをしたことがないのに、どうしてこうポポカさんたちの卵さんをとても気にしてくれるのか。
まあ、優しいグリフォンさんなのだろうと自分を納得させて、脚がまだ弱くて立てない雛に視線を細めた。弱弱しい雛が大きくなるとポポカさんたちの姿になるのが不思議だが、自然は凄いことを引き起こすので、これもまた自然の偉大さなのだろう。
一つの卵さんから一羽が孵ったことに私は安堵して、二個目、三個目の卵さんの中の雛が孵るのを眺める。
「確か、鳥類は親鳥が乳のような液を与えると聞いたことがあるな。だがポポカに当てはまるのかは分からん」
「種類で随分と世話の仕方が違いますからね。食べたがらない時は無理に給餌をしなくても良いとなにかの本で読んだことがありますわ。それにしてもまた増えましたわね、ナイ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが困っているジャドさんと私に助言をくれる。なにかの本に記されていたようで、きっちりと彼女たちは覚えていたようだ。他にもインコの雛の餌やり方法なども教えて貰う。針のついていない注射器、シリンジがあると便利そうだけれどソレに相当する品はアルバトロス王国の商店で扱っているのか。少し探してみようと私は雛たちの餌やら、過ごす場所やらを頭の片隅で考え始めた。
しかしまあ本当に子爵邸で過ごしている幻獣や魔獣に鳥さんたちが増えたものである。どうしてこうなったのか……いや、私がホイホイ彼らの言うまま受け入れているのが悪いのか。
でもきっぱりと断れば、彼らはショボンと肩を落として情けない顔をしながら私の下を去るだろう。そんな姿を見た日には気になって眠れなくなりそうだ。いろいろと手間は増えてしまうけれど、彼らの悲しい顔は見たくない。でも、気を付けなければならぬことがある。
「悪いことではないのですが、多頭飼育崩壊にならないように気を付けないと」
流石にこれ以上増えると子爵邸は手狭に――今も別館と託児所が併設されている護衛の方々の宿舎で手狭と言われている――なってしまう。来春に侯爵邸に移動するのだが、侯爵邸でも増えたらどうしようかという悩みは尽きないし、また数が増えたら問題だなとも考えている。
「そうならないようにヴァイセンベルク辺境伯家が支援いたしますわ。父からも許可を得ております」
「ハイゼンベルグ公爵家もだ。なにか手伝えることがあれば教えてくれ。可能な限り対処すると祖父から言いつけられている」
お二人のお言葉は有難いけれど迷惑を掛ける訳にはいかない……既にいろいろ迷惑を掛けているので今更か。くつくつと苦笑いを浮かべる二人を見上げると、アシュとアスターが『ピョエー!』『ピョエ~!』と鳴き始めた。
どうやら産まれた卵さんから全ての仔が孵り、喜びの雄叫びを上げたようである。私はアシュとアスターとジャドさんに良かったねと告げると、彼らは嬉しそうにしていた。当事者であるポポカさんたちは相変わらず間抜けな顔をしながら、アシュとアスターの側で卵さんから孵った雛を不思議そうに見ている。
『ピョエ』
『ピョエ』
『ピョエ』
孵った雛たちは元気に鳴いているのだが、ポポカさんの鳴き方というよりはジャドさんたちグリフォンさんの鳴き方に近い声を上げている。でも最初に雛たちが認識したのはポポカさんたちのようで、ポポとココとララの側に寄って行き大きく口を開けた。
微動だにせず口だけを開けている姿は細身のポポカさんと言った具合である。彼らが大きくなれば真ん丸鳥さんとなるので、美味しそうと誰かに狙われなければ良いけれど。妙なことを考えていると屋敷側の出入り口からジルヴァラさんがお猫さまを抱えてこちらにくる。産まれてくるタイミングを見計らっていたのか、凄いドンピシャな登場だ。
「お猫さま、ジルヴァラさん。ポポカさんたちの卵が孵りましたよ」
『美味そうだが、今の妾は飯を貰えておるからな』
私はポポカさんの最大の敵はお猫さまかなと一瞬身構える。でも流石お猫さま。一瞬にして野生はどこかに去っていた。ジルヴァラさんの腕の中でドヤ顔を披露して、猫の矜持というものは全くないらしい。
「念のために言っておきますが、食べちゃ駄目ですよ?」
お猫さまならポポカさんたちの雛を食べることはないだろうが、念のために伝えておく。
『無論じゃ。腹が極限に減らぬ限り食べはせん。餌を貰えておるしな。それよりお主、少し前にフソウに赴いていただろう? カツオブシはないのか?』
ジルヴァラさんの腕の中でお猫さまは目を細めた。しかし本当にお猫さまは目敏い。少し前にフソウに赴いた時、子爵邸で足りなくなっているフソウの調味料を買い足しておいたのだ。
もちろんその中にはお猫さまが言った鰹節も含まれている。料理人の方々がフソウの出汁文化の良さに気付いて、調理場でいろいろと試しているから消費量が上がっていた。
「買っていますが、お猫さまは限度を知らないじゃないですか。大量に食べるのは控えてください。いろいろな品を適度な回数と量を食すのが一番です」
お猫さま、優しそうな方の足元で身体を擦り付けて『鰹節~』『魚~』『鶏肉~』と言い始めることがあるようだ。お猫さまの策に陥落した方はおやつとしてあげてしまっていたようである。
現在、お猫さまに間食をあげては駄目だと注意喚起しているので、ぽっちゃりとしているお猫さまのお腹がこれ以上弛むことはないはず。流石にずっと間食禁止は辛いので、解禁日があるけれど。
『最近、皆からいろいろ貰えないのはお主の所為か!?』
お猫さまがジルヴァラさんの腕の中で三本の尻尾を器用に立てた。お猫さまが怒っても怖くないと口にすると、更にお猫さまが怒りそうなので黙っておく。
「はい、そうです」
『なんじゃ、酷いではないか!!』
酷くはない。だってきちんとしたお猫さまのご飯はあるのだから。間食が駄目だと主張しているだけなのだが、お猫さまは元野生の猫である。食べられる時に胃に詰め込んでおく癖があるようだ。でも子爵邸で暮らし始めて二年以上経っているし、そろそろ慣れて貰わなければ。お猫さまの健康にも良くない。
「お猫さま、そのダルダルのお腹を見てから文句を言いましょう。もしくは運動してください! 聖女として言わせて頂きますが、お猫さまの間食は間食ではありませんよ?」
お猫さまの一番の問題は運動しないことである。猫は夜行性と言われているので日中は寝ていても問題ないけれど、お猫さまは夜も確実に寝息を立てている。寒い冬には私のベッドに潜り込んで一緒に寝ているのだから、本当に妖怪食っちゃ寝になりそうな勢いだった。
『うぬぅ……しかしここより上手い飯が食べれるところなど妾は知らぬし……』
お猫さまの声がトーンダウンする。どうやら私から運動という台詞がでてきたことで、これ以上の抗議は悪手になると考えたらしい。そうしてお猫さまはジルヴァラさんの腕の中で顔を埋めて丸くなった。立っていた三本の尻尾はだらんと下がり、時々ぴくりと動いているだけ。本当にお猫さまは調子が良いなと苦笑いを浮かべると、ポポカさんが嘴を開けて雛のお世話を始めていた。
「良かった。これで人間が雛の世話をしなくて済む」
『ポポカたちが雛を育ててくれないと困るよねえ』
私の声に肩の上でクロが返事をくれる。ポポカさんたちがお世話をしなければアシュとアスターが困りながらお世話をしていた可能性もあるし、ジャドさんも参加しそうだった。流石にポポカさんをグリフォンさんが育てるのは間違っているような気がするので、ポポカさんが自分たちの仔を世話する姿は微笑ましい。
「もう目を離しても大丈夫かな?」
『ポポカたちが仔にあらぬことをすれば、直ぐに私が止めましょう。そしてナイさんをお呼びしますのでご心配なく』
どうやらジャドさんがポポカさんたちと雛に目を向けてくれるようだ。ポポカさんは初めて卵を産んだのだろうし、この先育児放棄をしてもおかしくはない。念のために雛の餌やらを取り揃えているので、無駄になることを願うばかりだ。
「ジャドさん、助かるよ」
『ナイさんにはお世話になっていますし、ポポカもポポカの仔たちも我が仔も可愛いですからね。なにも問題なく大きく育って欲しいですね』
ジャドさんがまた私の頭に顎を置いてぐりぐりを敢行する。少し前から始まったジャドさんの行為だけれど、彼女はこのぐりぐりを甚く気に入っている様子だった。ぐりぐりされながら私はジャドさんの首を撫でる。
「うん。大蛇のガンドさまにも孵ったよって伝えないと」
『はい。彼も喜びましょう』
ジャドさんは頭を離して、今度は私の頬に顔を擦り付ける。今日は夜ご飯を食べたら亜人連合国経由で大蛇さまに連絡をお願いすることと、ヤーバンの女王陛下にグリフォンさんたちの近況報告を送って、フィーネさまとアガレスのウーノさまにも手紙を送ろうと決めるのだった。