1094:魔力を放出しよう。
魔術師団の隊舎近くにある訓練場へと移動した。なにもない広いグラウンドなのだが、四隅に柱が立つ場所には魔術陣が描かれているので障壁を張れるようである。多少の無茶は利くようだけれど、障壁はどれくらいの威力まで耐えられるのだろう。
興味本位で魔術をブッパすれば賠償を要求されそうなので、私は大人しくしておこうと女神さまと副団長さまと猫背さんと数名の魔術師さんを見る。副団長さまと猫背さんはいつも通りの様子だが、魔術師さん数名はド緊張していた。
「とりあえず、みんなの魔力量がどれくらいあるのか知りたいから魔力を放出して欲しいかな。できない人は大丈夫」
西の女神さまが一番最初に声を出した。どうやら講師役を担うということで、一番最初に口を開くのは女神さまだと自覚があるようだ。話が早く進むだろうし、副団長さまと猫背さんと魔術師さん数名は特に問題にしておらず、誰から放出するかと相談している。
「みんな一緒で良いよ。個々で魔力の感じが違うから、一人一人やらなくても平気」
彼女の声に副団長さまたちが『凄い』と声を上げる。主に魔術師の数名の方だけれど、副団長さまと猫背さんも感心はしていた。私は幾人も同時に魔力放出をしても、感知できることはないだろう。そもそも複数名が同時に魔力を放出する機会なんてないから、もしかすると感じることができるのかもしれないが。
「では」
「ん」
「……」
「…………」
「………………」
副団長さまと猫背さんの用意は整ったようだが、魔術師さん数名は凄く緊張した様子である。魔力放出は魔術を使うための基礎中の基礎だから、アルバトロス王国の魔術師団に所属している方が失敗したとなれば笑い者にされそうである。
きっと大丈夫だし、いつも通りにやれば問題ないと私は彼らに視線を向けた。すると何故か彼らは肩をびくりと跳ねさせたのだが、私が怖いのだろうか……。もしそうであればショックだなあと目を細め、身内に嫌われなければ良いかと短く息を吐く。
「ナイは彼らとは別で放出してみようね。あとソフィーアとセレスティアもかな。魔術使えるんだよね?」
女神さまの声に私は素直に頷き、ソフィーアさまとセレスティアさまは彼女の言葉の意味を咀嚼するのに時間が掛かっていた。
「よろしいのですか?」
「ええ。わたくしたちは女神さまから手解きを受けられるなら光栄ですけれど」
意味を理解できたお二人が女神さまに問い直す。彼女たちに女神さまはほんの少し片眉を上げて笑った。
「構わないよ。さっきナイが他の人も話を聞いても良いかと問うていたでしょ? 私は構わないって言ったし、聞いているだけより実地で試した方がきっと面白い……かな?」
女神さまにソフィーアさまとセレスティアさまはカーテシーをして礼を執り、よろしくお願い致しますと伝えた。恐らく貴族令嬢の最上礼なので敬意を表したのだろう。
お二人は高位貴族のご令嬢さまだから身を守る術を既に身に着けているが、さらに強くなっても問題はない……あ、マルクスさま、大丈夫かな。セレスティアさまは夫婦漫才で頻繁に彼の背を叩いていたが、そのうち成層圏まで飛んで行くのではなかろうか。まあ、マルクスさまなら死にはしないし、セレスティアさまも加減はするだろうと、お二人が女神さまから魔術を習うことに納得する。
「ジークフリードとジークリンデはあとでね。魔術を使える人と使えない人だと教え方が違うから」
「感謝致します」
「ありがとうございます」
女神さまにジークとリンも礼を執る。女神さまの教えを騎士団と軍の方たちに広めれば肉体強化をもっと強くできるのだろうか。とはいえ知識は女神さまのものだから、勝手に広めることはできない。それにジークとリンが先だなと私は二人の顔を見上げる。
「良かったね、ジーク、リン」
「ああ。ナイを守る術が増えると良いんだが」
「うん。強くなってナイとナイの大切なものを守らなきゃ」
ふっと笑ったジークとリンに私も笑みを返せば、側にいたヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭がちょんちょんと私をつつく。どうしたのかと一先ず私はヴァナルに顔を向けた。
『ヴァナルも強くなりたい。群れのみんな守る。それに次の仔たちも守らないと。女神さまにお願いして良い?』
どうやらヴァナルも強くなりたいようで、自分でお願いに行きたいようだ。私は問題ないので女神さまの答え次第だと告げる。
『ナイさんの側であれば安心ですけれど』
『ナイさんがいないこともありましょう』
『強いことに越したことはありません』
雪さんと夜さんと華さんたちも強くなりたいようだ。今以上に強くなってどうするのかと聞きたいけれど、単独行動することもあるだろうし強い方が良いのだろう。もしかすればクロとヴァナルと雪さんたち以上に強い魔物や魔獣がいるかもしれない。悪いことではないと雪さんたちにも問題ないと伝えると、毛玉ちゃんたち三頭も一鳴きする。女神さまの許可があれば構わないよと伝えれば、彼ら一家は女神さまの下へと歩いていった。
『女神さま』
「ヴァナル、どうしたの?」
ヴァナルたちは女神さまの下へ行き地面に伏せをした。どうやらみんなが礼を執っていた所を確りと彼らは見ていたようで、私たちの真似をしているようだった。女神さまはヴァナルたちを見下ろしてこてんと小さく首を傾げる。
『ヴァナルたちにも強くなる方法を教えて?』
「強くなれるかは分からないかな。それに人に教えるのと魔獣の君たちに教えるのとは勝手が違う気がする……でも、そうだね」
女神さまはヴァナルたちにお屋敷で特別授業となるらしい。それならばと私はお屋敷で過ごしている他の魔獣の皆さまが興味を持ったら、彼らにも教えて欲しいとお願いしてみた。
女神さま的には問題ないようで、私の屋敷で寝泊りしている恩だと仰ってくれる。割と律儀な所があるのだなと感心していると、女神さまがヴァナルたちを撫でながら『失礼だよ、ナイ』と小さく声を零している。
どうして西の女神さままで私の心の中を読んでしまうのでしょうかと渋い顔を浮かべれば、なんとなく分かり易いと彼女から返事がきた。解せないと一人で唸っていれば、副団長さまが待ち切れなくなったようだ。
「そろそろ始めませんか? 女神さまから魔術の手解きを受けられると聞いて昨日はほとんど眠れなかったのです!」
「僕もなかなか寝れなかった」
副団長さまと猫背さんが遠足前の子供のようなことを告げると、西の女神さまがふっと笑う。彼らに対して面白おかしい感情を抱いているのか、誰かに物事を教えるのが楽しいのかは分からないけれど。
「じゃあ始めよう。魔術師組とロゼは魔力を放出して」
西の女神さまの言葉に副団長さまを始めとした皆さまが魔力を外へ放出する。魔術を行使していないので、なにか現象が形になるということはない。放たれた魔力は時間が経てば魔素になって大地に還るか空気に溶け込む。
不思議だよなあと考えていると、私の足元でロゼさんがぷうーと膨らんでいた。ロゼさん、魔力を放出すると身体が大きくなるようだ。副団長さまと猫背さんと魔術師の方数名も気合を入れて魔力放出を行っている。
やはり副団長さまの魔力量が一番多くて、勢いが良い気がする。そうして魔術師の方数名も多い部類に入るのではなかろうか。猫背さんは魔術師団の方たちより勢いがないのだが、それでも平民と比べると多い方だろう。まあ猫背さんは術式開発の方に力を入れているので、魔力量の多い少ないは気にしていないかもしれない。
「ん。そろそろ良いよ」
女神さまが一声上げると皆さまは魔力放出を止める。
「体の中で魔力が作られる場所があるんだけれど知っている?」
「魔力生成器官があると言われていますが、場所の特定までは至っておりません」
女神さまの声に副団長さまが答えた。人間の身体を解剖しても見つからないらしい。検体は魔力生成器官を探して欲しいと遺書で残した方がいるそうで、魔術師の方たちが解剖を行ったが見つからなかったとのことだ。
私は魔力を練る時に鳩尾辺りを意識する。他の方は心臓の辺りを意識すると聞いたことがあるし、臍辺りを意識すると聞いたこともあるから個人で器官の位置が凄く違いそうだ。
「特定はできないかもね。目で見える物じゃないから。でも、意識はしている? なんとなく温かい場所があるというか……」
女神さまの言葉は少し曖昧だけれど、仰っている意味は理解できる。私の場合は鳩尾辺りに魔力生成器官があるようだった。副団長さまは心臓の辺りを手で押さえ、猫背さんは両脇腹を手で触れている。もしかして腎臓の位置かなと考えるが、本人に聞いてみないと分からない。
魔術師の方数名も魔力を練った時に温かくなる場所に手を触れていた。同じ場所を指している方もいれば、全然別の場所を指している方もいた。面白いと眺めているれば、また女神さまが口を開く。
「今度は、自分の温かくなる場所を意識しながら、その中で円を描くように魔力をグルグル回して、身体の先へと魔力を放出してみて」
女神さまの声を聞きながらなるほどなーと考えていた。
『ナイ。真似しない方が良いんじゃない?』
ふいに私の肩に乗っているクロが声を上げる。
「え?」
『無意識かなあ。魔力がちょっと上がってた』
あれと私が短い声を上げると、クロは苦笑いをしながら状況を教えてくれた。どうやら無意識下で魔力を練ってしまったようである。確かに鳩尾の辺りが少しだけ温かくなっていた。
「クロ、教えてくれてありがとう。話を聞いているとどうしても興味が沸いちゃうから……」
『仕方ないなあ、ナイは』
私がクロに謝ると、すりすりと顔を撫で付ける。ヴァナルと雪さんたちは苦笑いをしているし、ソフィーアさまとセレスティアさまはやれやれと肩を竦めていた。ジークとリンも少し落ち着こうと言いたげなので、私が魔力を練っていたことに気付いていたようである。唯一、毛玉ちゃんたち三頭がイマイチ状況を理解していないようで、首をこてんと傾げながら私を見上げていた。恥ずかしい所を見せて申し訳ないと心の中で謝っていると、女神さまが私に顔を向けた。
「ナイ。ちゃんとあとで教えてあげるから。もう少し待ってて」
女神さまから待てと言われた気がするのだが勘違いだろうか。副団長さまたちは女神さまの指示通りに魔力生成器官を意識しながら魔力を練っているようだ。そうして外に放出されるタイミングになる。
「さっきより放出量が上がってる?」
「確かに多くなっているな」
「意識を変えるだけで魔力量が増えるとは、驚きですわ」
私と近くで様子を見ていたソフィーアさまとセレスティアさまが感嘆の声を上げた。確かに一度のアドバイスで目に見える変化があるのは凄いことだ。ロゼさんはさっきよりぷーっと身体を膨らませて、いつもより身体が赤いような……嫌な予感。
「ロゼさん、魔力を練るのを止めて! ストップ!!」
私はロゼさんを止めるべく声を上げた。私が声を荒げるのが珍しいのか副団長さまたちも魔力を練ることを中断している。ロゼさんにも私の声がちゃんと届いているようで、ふっと魔力を練るのを止めた。
『ん? どうしたのマスター?』
ロゼさんがいつものサイズ、いつもの色で身体の一部を凹ませた。私がふうと息を吐くと、女神さまがロゼさんについて教えてくれる。
「ナイの魔力を共有しているから自分の限界が分かっていないのかな? なににせよ、大きくなると危ないみたいだから、みんな気を付けてあげて」
ロゼさんはアストライアー侯爵家の一員なのだから失うわけにはいかない。私はロゼさんの下にしゃがみ込んで『ロゼさんがいなくなると悲しいから、無茶をしないで』と伝える。ロゼさんは『マスターを悲しませたりなんてしない』と言っているけれど、私が危ない目に合えば身体を張って守ってくれそうである。ロゼさんボディーを撫でながら、無茶をしてしまうことをどうにかならないかなと悩み始めるのだった。






