1091:魔術師の杖。
談話室に赴くため、案内役の方が先頭を歩いている。副団長さまと猫背さんは最後尾を歩いており、ロゼさんは副団長さまの腕の中で大人しくしている。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちは魔術師団の隊舎に興味があるようで、私の影から出てきてきょろきょろしながら歩を進めていた。私たちも先頭を行く魔術師団団長さまを頼りに歩いているのだが、彼の背中が煤けているのは気のせいだろうか。女神さまも女神さまで魔術師団の隊舎内が気になるようで、顔を頻繁に動かしていた。
廊下には動物の骨格標本や魔術杖に鉱石や魔石が飾ってあった。確かに面白いと私もきょろきょろし始めると、私の後ろを歩いていたジークとリンが『危ない』と声を掛けてくれる。二人がいるから平気だよと答えれば、そっくり兄妹は少し呆れた顔を浮かべてそれ以上はなにも言わなかった。
「そういえば、アルバトロス王国の魔術師の方は杖を使わないですよね?」
ふいに気になったことがあるので、私は歩を進めながら副団長さまに顔を向けた。当然、副団長さまも討伐遠征に参加していた魔術師さんたちも魔術杖を持っていない。魔法が使える作品やお話の中では、よく木を削った一本の棒を杖にしていたけれど。
魔術杖が飾られてあるということは、存在しているということである。再生不可能な技術で誰も作れないと言われれば、副団長さまと猫背さんが躍起になって制作に取り掛かるだろう。そうしていないということは、なにか理由があるのだろうか。
「便利な代物ですけれど、壊れた時や使えなくなった時に困るでしょう。命を掛けている場でそのようなことがあったら大変です」
副団長さまが良く聞いてくださいましたと言いたげな顔をしながら教えてくれる。魔術杖の役割は術の発動の補助や詠唱短縮を担ってくれるらしい。でも最初から杖を持って杖の効果に慣れてしまえば、それで満足する人もいるだろうし、仮に杖を失くしたり壊れた時に困るのは術者本人と周りにいる方々である。
発動が遅くなったり、短縮詠唱に慣れきって詠唱呪文を忘れてしまうこともあると教えてくれた。なるほどなと頷きつつ、私も魔術杖ならぬ錫杖を持っている身だ。
「ということは私も錫杖を使わない方が良いのでしょうか?」
もう一度私が副団長さまに問うと、彼はゆるゆると首を横に振る。
「聖女さまは例外ですね。とても多い魔力量に頼って魔術を使用しておりますので、錫杖を媒介して威力を落としたり、倍増させたりする方が身体に負担が掛からないかと。そもそも特別製ですから、陳列されている魔術杖と比べてはなりませんよ」
ふふふと良い顔で副団長さまが教えてくれた。横に立っている女神さまが面白そうな視線を私に向けているのは気の所為だろうか。錫杖さんを持っていると魔術の発動がし易いし、一割程度威力が上がっている気がする。まあ元の威力での計算だから割合で表現するのは不適当かもしれないけれど。
「一〇〇の一割と一〇〇〇の一割では威力が随分と違いますけれどねえ」
副団長さままで私の心の内を読み始めた。心を読まれたことに、顔を元に戻そうと試みていれば女神さまが首を傾げる。
「ナイの魔術はそんなに威力があるの? 大勢に掛けてた祝福は凄いなって思ったけれど」
女神さま、どうして魔術の威力の話になるのでしょうか。こう女神さまからゴリラ女とか言われたなら、私はショックで立ち直れない気がする。
「夜空に浮かぶ双子星の片方に傷を付けられましたからねえ」
しみじみと呟いた副団長さまと、彼の隣でこくこく頷いている猫背さんの言葉を否定しようと私は即座に口を開いた。
「誤解があるかと。代表さまの背に乗って空で放ったので、地上からだと双子星に届かない可能性もあります」
地上から魔術を放っていれば双子星に着弾しなかった可能性は十分にある。試してはいないけれど、そうであって欲しいと願うばかりだ。
「星に傷を付けられる時点で、それはもう十分凄いお方ですよ」
「副団長さまもできるとおっしゃっていませんでしたか?」
副団長さまも星に傷を付けられると思うと仰っていたので、女神さまに副団長さまを凄い人認定して欲しいものだが。
「僕は一度なら可能ですが、連発するには魔力量が足りません。なので聖女さまの方が凄いですね。本当に教会に保護されたことが悔やまれます」
彼が残念そうな顔をして、魔術師団団長さまがこちらに振り返りぎょっとした顔になっていた。なんだろう、私が聖女ではなく魔術師になった所を想像したのだろうか。私がもし副団長さまに保護されて魔術師になっていれば、今よりもっと凄いことをやってのけた可能性もありそうだ。でも、副団長さまは幼馴染四人を助けて欲しいと私が願い出たら、助けてくれるのか微妙だなと目を細める。
「どう致しました、聖女さま?」
「ナイ、変な顔をしてどうしたの?」
副団長さまと女神さまが不思議そうな顔を浮かべて私を見下ろしている。副団長さまに保護されていた場合を考えても仕方ないと、気持ちを切り替え私は前を向いた。
「なんでもありません。先を急ぎましょう」
私の言葉に二人が変な顔を浮かべ、隣で様子を見ていた猫背さんが早く行こうと副団長さまを促している。妙に背中が煤けている魔術師団団長さまの背を追って、部屋の中へと案内された。
中は割と普通の部屋で、応接室という感じがアリアリと醸し出されている。女神さまが上座に腰を下ろし私が彼女の左隣に座る。そして女神さまの対面ににこにこ顔の副団長さまが座して腕の中にいたロゼさんを机の上に降ろし、彼の左隣に猫背さんが、真逆の位置に魔術師団団長さまが腰を下ろす。
私の後ろにはジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさま、ヴァナルと雪さんたちが床の上にちょこんと座り、毛玉ちゃんたち三頭は私と女神さまの間に無理矢理身体を割り込ませた。ロゼさんは机の上をうねうねとスライムボディーを動かして、私の膝の上に乗った。そうして副団長さまが女神さまと私に視線を向ける。
「では本日の用件を果たしましょうか」
副団長さまが紫色の外套の中に手を突っ込んで一〇センチ四方の箱と三センチ四方の箱を取り出した。外装は至ってシンプルな黒色で、部屋の灯りで光沢を出している。その箱を順番に副団長さまが開けて、私たちの方へと差し出した。
片方は腕輪、もう片方は指輪だった。二つも発注を掛けた覚えはないのだが、一体どういうことだろう。一先ずは副団長さまの話を聞こうと私は黙ったまま様子を見守る。
「腕輪の方が女神さま用となります。流石に指輪に強力な術式を施すのは難しく、腕輪となってしまったことはお許し頂きたいです。ですが素材は亜人連合国の方にお願いして用意して頂きました」
副団長さまが申し訳なさそうな顔で女神さまへと片方の箱を差し出した。女神さまに指輪を渡されるのかと思いきや、腕輪になってしまったようである。
しかし副団長さまはいつの間に亜人連合国の代表さまたちを頼ったのだろう。女神さまが絡んでいるから喜んで協力してくれそうだけれど、依頼者は私だからお礼をした方が良さそうだ。でも素材がなにか聞くのが怖い。
「派手じゃないから大丈夫。着けても?」
「もちろんです。どれほど効果があるのか楽しみですねえ」
女神さまの言葉に副団長さまがふふふと笑っている。女神さまを相手にしているのに緊張していないのは流石副団長さまだ。猫背さんも興味津々で、腕輪と女神さまの間に視線を行ったり来たりさせている。副団長さまの言葉に小さく頷いた女神さまは、私が着けて欲しいとお願いしていた魔術具を指から外す。そうして手の平の上に丁寧に置いて、私の前に差し出した。
「ナイ。借りていた魔術具、ありがとう」
「いえ」
女神さまの手の平の上にある指輪を摘まんで、以前着けていた指に嵌め直した。なんとなく身体の中に流れる魔力が穏やかになったような気がする。私が指に魔術具を嵌めているところを凝視していたのか、女神さまと副団長さまと猫背さんがこちらに顔が向いていた。
何故、と気になるものの今は女神さまの圧力が抑えられるかが問題である。案の定、指輪を外した女神さまから放たれる圧が高くなり、魔術師団団長さまがカチカチと歯を鳴らしていた。大丈夫かなと心配になるけれど、副団長さまと猫背さん合作の魔術具であれば効果はあるだろうと女神さまに視線を向ける。彼女はおもむろに副団長さまが差し出した腕輪を手に取って
「どうなっているの……?」
女神さまが腕輪の機構が分からず頭の上に疑問符を浮かべていた。継ぎ目がほとんど分からないのだが、横の位置に仕掛けが付いている。女神さまは気付いておらず困った顔で私を見た。
「ナイ、着けて」
「えっと、失礼します」
女神さまから渡された腕輪を受け取って、横の位置にある仕掛けに指を押し込めばぱかっと腕輪の継ぎ目が離れていく。少しだけ女神さまが目を見開きながら私に左腕を差し出した。どうやら左腕の方に付けて欲しいようで私は腕輪を彼女の手首に回して、かちりと閉じる。
「あ……なんだか力が抜けていくような? 変な感じ」
不思議そうな顔を浮かべた女神さまがポツリと呟いた。どうやら効果があったようだけれど、効き過ぎていないか少し心配になる。彼女は目を何度か開けたり閉じたりしてなにかを確かめていた。
「うん。直ぐに慣れるね、大丈夫だけれど……効果はあるのか自分では分からない」
女神さまが首を傾げているけれど、カチカチと歯を鳴らしていた魔術師団団長さまがふうと息を吐いて落ち着きを取り戻しているから効果はあったようである。良かったと安堵していると私の肩の上でクロがこてんと首を傾げて口を開いた。
『ハインツもヴォルフガングも凄いねえ』
「クロさまお褒めの言葉、嬉しいです」
「へへ、褒められた」
クロの言葉に副団長さまと猫背さんが嬉しそうな顔になる。クロ曰く、女神さまの圧が変わったとのこと。私はイマイチ分からないのだがどうしてだろう。そもそも最初に西の女神さまと顔を合わせた時に凄いなあと感心して、六節の魔術を詠唱したあとは特になにも彼女に対して圧を感じていない。
私の魔力量が上がった証拠だろうかと目を細めていると、女神さまが右手で腕輪を覆ってふうと息を吐いた。
「これで街を歩いても大丈夫かな?」
女神さまが王都の街を歩けば騒ぎになるのではないだろうか。確実に神力を隠すのは難しそうだけれども。
「我々は総じて魔力量が多いので判断が難しいですね。平民出身の官僚の方でも見つかれば良いのですが、勝手に実験台にすれば皆さまからお叱りの言葉を頂いてしまいます」
副団長さまが無茶を言っているけれど、自制する心は持っているようだった。平民出身の官僚の方の心の平穏が守られたことに安堵していると、猫背さんが首を傾げる。
「軍の隊舎なら魔力量が少ない人が多いかも?」
「ああ、そうですねえ。ですが、ハイゼンベルグ公爵閣下が怖いので止めておきましょう」
猫背さんの声に副団長さまが答え、研究費を頂けなくなりそうですと言葉を付け加えた。どこまでも正直な方々だと笑っていると、女神さまが右手でもう一つの箱を指差した。
「もう一つは?」
「聖女さま用ですね。素材が余ったので丁度良いかと作ってみました。あ、お代などはおきになさらず。僕たちの知的探究心を満たすためなので」
にっこりと笑っている副団長さまと、猫背さんが早く着けろと言わんばかりにゆらゆらと左右に身体を揺らしている。
「私用ですか?」
「また魔力量が上がったでしょう。今まで身に着けていた魔術具では貴女さまの魔力を御せない可能性がありますからねえ」
副団長さまの言葉は有難いけれど頂いて良いのだろうかと、指輪を手に取るのを躊躇ってしまう。
「ナイ」
女神さまがあっさりと指輪を手に取り私の右手の指に嵌めてくれる。ふっと魔力が減る感覚に襲われるのだが、魔力制御の指輪がまた増えてしまったと右手に嵌っている指輪を見下ろす。もしかしてまた魔力が上がれば増えるのだろうかと苦笑いを浮かべるものの、深く考えるのは止めて一先ず女神さまの神力が収まったことを喜ぶのだった。






