1089:とある男。
ユルゲンの実家、ジータス侯爵家にお邪魔して男三人で作業をしていた。そうして出来上がった栞に目を向ける。教えて貰ったユルゲンほど上手い出来ではないが、慣れれば仕上がりはもっとマシになるだろう。エーリヒが作った栞も俺と同じ程度の仕上がりだから、俺が特段不器用だということはあるまいと小さく息を吐く。
「これなら一人でも作業できそうだ。ありがとう、ユルゲン。あと付き合って貰って済まない、エーリヒ」
あとは試行錯誤しながら慣れていくしかないのだろう。専門的な道具は必要ないが、上級者は押し花で栞を作ったりしてアレンジを楽しむとユルゲンから聞いた。奥深い世界ですよと小さく笑いながら告げた彼は細かい作業が得意な様子だった。
「いえいえ。こんな趣味があると知られれば女々しいと言われてしまいますが、ジークフリードとエーリヒなら大丈夫と判断しました。それに趣味仲間が増えた気がして嬉しいです」
ユルゲンが苦笑いを浮かべる。彼の瞳の奥には安堵の色が灯っているような気がした。確かに他の貴族男性に栞作りが趣味だと伝えれば、男らしくないと断言されてしまう。
俺は他人の趣味を笑い飛ばすなんてできないし、そもそも趣味と言えるものがない気がするから、こうして自分の趣味を誰かに教えていることは羨ましい。
「確かに意外だけれど人の趣味に文句を言えないし、俺だって料理を作るのが趣味だから貴族としては異端だな。そういえばジークフリードの趣味はなんだ?」
確かにエーリヒも変わった趣味を持っていると言えよう。前世では男が料理をするのはなんらおかしくないことだそうだが、今の世界、アルバトロス王国では女性と料理人以外が食事作りを担うことは殆どない。
作っても肉を焼くくらいで、野性味が強いことしかしないのだ。ナイ曰く、焼くだけが料理と言えるのかと首を傾げていたけれど……まあ、アルバトロス王国では普通のことなのだ。しかし誰かに胸を張れるような俺の趣味はなんだろうと頭を捻る。特に出てこないが、日々続けているものが趣味と置き換えても良いのではないかと口を開いた。
「……む。鍛錬か?」
正直、誰かに誇るものでも自慢できるものでもないと口元が硬くなるのが自分で分かった。俺の趣味を聞いたエーリヒとユルゲンが少しだけ目を見開いている。
「仕事の範疇じゃない?」
「ですねえ。ジークフリードらしいですけれど」
肩を竦めるエーリヒと苦笑いを浮かべているユルゲンに俺は反論することもなく、ただ彼らの言葉を受け入れるだけだ。やはりなにか趣味と言えるものを見つけた方が良いのだろうかと首を捻るものの、今の環境に満足しているし暇な時間も少ない。ナイと幼馴染の側で過ごす時間が俺にとって一番大切なものであり、彼らと過ごす中で会話がなくとも静かに流れる時間が好きだと改める。
「あ、そうでした」
ユルゲンが唐突に声を上げて席から立ち上がり、書棚の前に立ち右手人差し指を本棚に向かって指していた。なにかを探しているようだとエーリヒと視線を合わせて、黙って彼が戻ってくるのを待つ。
「こちらは僕が以前読んでいたものですが必要のないものなのでお二人に。読まないまま書棚に置いておくよりも、必要な方に目を通して貰える方が本も幸せでしょう」
ユルゲンが遠慮なく受け取ってくださればと続けた。俺とエーリヒはありがとうと目の前の男に告げると、嬉しそうに笑っている。本の表紙に目を向ければ、初心者用に栞作りを手引きしたものだった。有難いと素直に受け取る。ふふと笑っている彼にいつか礼をできると良いのだが。
「仕事の話で申し訳ないが、聖王国はどうなっている?」
俺はユルゲンから受け取った本を膝の上に置いて話を切り替えた。休日に仕事の話を持ち出すのは無礼かもしれないが、現地にいた二人の情報は重要度が高いだろうと判断して口にしたのだ。ユルゲンとエーリヒは俺の言葉を聞いて、背を真っ直ぐに伸ばす。嫌な顔をひとつも浮かべず真面目な態度になってくれるのは彼らの性格なのだろう。
「ああ。まあ……西の女神さまがアストライアー侯爵家で過ごしていると噂が流れているな」
エーリヒが言い辛そうに教えてくれた。これは想定の範囲内だし、ナイも知っていることである。緘口令を敷いているものの、誰かが噂を流すだろうと予想はできていたのだ。ただ緘口令のお陰で爆発的な速度で噂が広まっていない。今現在ミナーヴァ子爵邸に人が押しかけていない理由がそこにあった。あとはアルバトロス王国やナイを敵に回したくない者が大半なのだろう。
「会いたいと躍起になっている方もいますが、どうにか教皇猊下と諸外国の監視員が抑えてくれておりますね。あと大聖女フィーネさまと、大聖女ウルスラさまに聖女アリサさまがミナーヴァ子爵邸に訪れたことも噂で流れ始めております」
どうやらナイと三人が仲が良いことを知っている者たちは、西の女神さまと出会ったのではと勘繰っているようだ。確かに三人は西の女神さまと顔合わせをしているが、グリフォンとポポカたちの名前を付けるために子爵邸に訪れただけである。事情を知らない者たちが想像を掻きたててあることないことを言い始めるのは、何処でも一緒なのだろう。
「妙な連中が三人に絡まなければ良いが……」
「三人の警備は強化しているから大丈夫と信じたい」
俺が声色をいつもより落すと、エーリヒも神妙な顔を浮かべている。もちろんユルゲンも聖王国の聖女三人に対して心配をしていた。これから先、聖王国はどうなるのだろうかと息を吐けば、俺の側にいた二人が苦笑いを浮かべるのだった。
◇
――ヴァンディリア王国・とある領地の冒険者ギルドにて。
西大陸に点在している冒険者ギルド支部の内装はどこも似たような趣だ。扉を入ってすぐに受付があり隣には依頼が掲示され、更に隣には併設されている食堂で冒険者たちが一仕事を終えてエールを美味そうに飲んでいる。
依頼で相手をした魔物は凄く強かったが、パーティーメンバーと協力をしながら苦労して倒したと大声で話をし、他の冒険者が話をしている本人に野次を入れたり揶揄ったりと騒がしかった。喧騒響く建屋内を好きになれないという者もいるが、俺は自慢気に話している冒険者たちの顔を見るのは好きだし、また面白おかしく囃し立てている者の表情を見るのも楽しかった。ヤーバン王国で第一王子の座に就いている時よりも、放逐されて冒険者となった今の方が一日一日が充実していた。
ヤーバン王国を去り、俺は隣国のギルドで冒険者登録を済ませたが、ヤーバンの衣装は諸外国の者にとって奇抜な物だったようである。服を着るということに慣れた今は、以前の自分の姿を恥じるばかりだ。ヤーバン王国は諸外国と関係を持たず閉じ籠り、文化と技術の発展が遅れていたこと。魔術に関してもヤーバン王国内にいる魔術師よりも、外の方が優れた魔術師が多い。
世間を知らない俺は冒険者として雑用から始め、他の冒険者が嫌がる仕事を積極的に受けていれば昇進の機会は多く訪れた。力と強さが全てのヤーバン王国で育ってきたためか、身体を鍛えて剣技に優れていたから手強いと言われている魔物を倒せたし、俺の噂を聞きつけてパーティーを組まないかと誘ってくれる奇特な者がいたのだ。
今日の一仕事を終えて、冒険者ギルドに併設されている食堂で肉料理を食べていた。牛肉は高価だから豚肉を焼いたものを食している。一度、茹でてから焼いているため脂の量が抑えられている。
茹でてから焼くことを勿体ないと愚痴を呟く者がいるものの、脂が多いのは苦手なので俺には丁度良い焼き方だ。塩胡椒ブロック肉をナイフで豪快に切り分けて、フォークで突き刺して口へと運ぶ。胡椒を使用しているので値段が少々張ってしまうが、今日の依頼報酬は数日贅沢しても問題ない金額を貰っている。偶には贅沢しても良いだろうと豚肉を頬張っていれば、顔見知りが俺の目の前に立つ。
「シルヴェストルさん、Bランク冒険者への昇進おめでとうございます。冒険者として少しは慣れてきましたか?」
立派な武具に身を包んたSランク冒険者パーティーのリーダーが俺に声を掛けてくれた。今すぐ返事をしたいのだが、流石に口の中に物を入れている状態で喋るのは好ましくない。口元を抑えて少し待って欲しいという身振り手振りで伝えると、彼は笑い、そして同じ冒険者パーティメンバーも『ゆっくりで良いですよ!』『リーダーが声を掛けるタイミングが悪い』『ええ、そうね』と自分たちの長を揶揄っていた。
「……んぐ、失礼」
口の中の物を飲み込んで、俺は席から立ち上がる。彼らは気にしなくて良いのにと言うが、冒険者として先達になる者に失礼な態度は取れない。それに目の前に立つ冒険者リーダーは美丈夫で細身でありながらも、実力はかなり凄いものだと俺は知っている。
ここに辿り着く前に受けた依頼で運悪く強い魔物と相対し自分の実力では倒せないと、諦めて逃げようとしていた所に彼らが加勢してくれたのだ。あっさりと強い魔物を倒したリーダーの実力に目を奪われてしまったことは一生の秘密である。
「ありがとうございます。無事にBランク冒険者と名乗ることができるようになりました。貴方方から受けたアドバイスのお陰です!」
俺は彼らに向かって頭を深く下げる。魔物を倒して貰ったこともあるが、彼らは物を知らない俺にいろいろと冒険者として役立つ話を沢山聞かせてくれた。俺の実力は十分備わっているから速くAランク冒険者となって、彼らのパーティーの一員になって欲しいという誘いも受けている。
「そのように謙遜する必要はないかと」
苦笑いを浮かべるパーティーリーダーの少し後ろで仲間たちが俺に視線を向けて苦笑いを浮かべた。
「相変わらず声がデケえな……」
「あはは。元気だねえ」
「本当に元王子さまなのかしら」
どうにもヤーバンの者は諸外国の者より声が大きいようである。遠くの仲間に連絡を取る方法が大声を出すという基本的なものだったし、呼吸をコントロールして肺に吸い込む空気の量を増やしていたからなのかもしれない。
そういえば妹も凄く声が大きいなと今更ながらに実感する。妹はヤーバンで父を玉座から引きずり下ろして女王陛下となり、ヤーバンの治世を行うことになった。どうやら国外に出る機会を増やしているようで、アルバトロス王国のミナーヴァ子爵邸によく顔を出しているとか。
妹のことだからグリフォンに会いたいという気持ちが強いのだろう。彼女はグリフォンのことになると周りが見えなくなる性質のため、ミナーヴァ子爵、もといアストライアー侯爵に迷惑を掛けていなければ良いのだが。
筋肉隆々な男が俺に呆れの声を上げ、治癒師の女性がフォローを入れて、魔術師の女性が不思議そうな顔になっていた。
「俺が元王子というのは本当です。妹の方が優秀でしたので国を追われました」
元王子だという事実を特に隠す必要はない。俺の名誉などないし、ヤーバン王国の評判が落ちなければそれで良い。最近、ヤーバン王国より聖王国の方が不味い状況だと聞くが、あまり宗教に詳しくないため聖王国がどんな立ち位置なのかイマイチ理解できていない。
「ああ、そうだ。前に君に伝えた話は覚えているかな?」
彼が問うたのは以前に誘われたパーティーを組もうという話のことだろう。
「誘いは有難いです。しかし俺はパーティーで行動する前にミナーヴァ子爵……アストライアー侯爵に礼を伝えたい」
パーティーで行動するようになれば、今の様に自分の意思で考えて国を渡ることは難しくなるだろう。その前に侯爵閣下にはいろいろと世話になったことと不躾な態度を取ってしまったことを謝りたかった。
これは俺の自己満足で門前払いを受ける可能性が高いが、アルバトロス王国の王都に向かえば少しくらいの機会に恵まれるだろう。一番良い方法は彼女が住まう邸まで赴いて、門兵に手紙を渡すことだと考えている。
「え? 侯爵閣下と面会したいの?」
目の前の彼がぎょっとして、他のメンバーもぎょっとした顔になる。
「面会というよりは、お礼を伝えたいだけなので手紙でもと」
「侯爵閣下と以前なにか縁があったのなら可能かもしれないけれど……かなり難しいと思う」
俺の言葉にパーティーリーダーが真剣な面持ちとなった。俺が得ている情報はミナーヴァ子爵からアストライアー侯爵へと陞爵したことである。Sランクパーティーリーダーともなれば、耳に入る情報は俺よりも多いようで、ヤーバン王国の一件からあとに彼女はいろいろと功績を上げたようである。
そして最新の噂だとミナーヴァ子爵邸に西の女神さまが滞在しているとか。本当になにをやっているのかと言ってしまいたくなるが、グリフォンを従える彼女であれば当然のことかもしれないと俺は笑みを浮かべる。
「ははは、凄いお方だ。しかし、やっとヴァンディリア王国まで赴くことができたので、アルバトロス王国の王都に向かってみようかと」
もしかすればなにか情報を得られるかもしれないし、聖女を務める彼女だから教会の方に手紙を預けるのもアリかもしれない。
「でもアルバトロス王国の王都に冒険者ギルド支部はないよ。だから路銀は多めに用意しておいて。君のやりたいことが叶えば、また誘ってみるよ」
パーティーリーダーがまた俺にアドバイスをくれた。どうしてアルバトロス王国の王都に冒険者ギルド支部が存在していないのだろうか。彼を質問攻めにするわけにはいかないし、他のメンバーも渋い顔を浮かべている。聞かない方が良いだろうと判断すれば『食事中に邪魔をしてごめんね』とパーティーリーダーが俺に謝って、この場を去って行った。――さて、アルバトロス王国までもう少し。






