1088:野郎の休日。
リンと一緒に子爵邸内をウロウロしている。毛玉ちゃんたちも一緒なのでわちゃわちゃしていて割と楽しい。
お昼前に裏庭に向かったので、今度は邸の正面にある庭へ足を向けようとなり庭を目指している。廊下を歩いて玄関から庭へ移るとルカが激走しており、エルとジョセは微笑ましそうに見守っているのだが、ジアは我が兄はなにをやっているのだという視線を向けていた。エルとジョセという凄く温和で賢い夫婦からルカという個体が産まれたのも不思議だよねとリンと言葉を交わしていると、エルとジョセとジアが私たちに近づいてくる。
そして毛玉ちゃんたち楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんはぴゅーと走り出してルカと合流し、競争を始めたようで更に速度が加速していた。放っておいても庭を駄目にすることはないだろうと私は前を向く。
「こんにちは、エル、ジョセ、ジア」
私たちの二、三歩手前で彼らは止まり首を上下に軽く動かす。そうして顔を近づけて撫でて欲しいと無言で訴えてきた。リンにはジアが顔を近づけており、私の腕が二本しかないことを理解しているようだった。
『こんにちは、聖女さま』
『聖女さま、良いお天気ですね』
エルとジョセを右腕と左腕を駆使して撫でていると、私の横でジアがリンの手から顔を離して顔を軽く捻っていた。どうしたのかと見ていればエルとジョセが『ああ』と頷いて、エルがぐりぐりと私の肩に顔を置く。
『ジアがジークフリードさんはいらっしゃらないのかと不思議がっております』
エルの言葉にジアは私たちがいつも三人で行動していることが当たり前になっていて、ジークが不在だからなにかあったのではと心配してくれているようだ。本当に賢い仔だなと感心してジアに視線を向ければ、私も撫でて欲しいと控えめに訴えてくる。
「ジークは友達と遊びに出掛けたよ。夜には戻ってくるから大丈夫」
私はジアの顔を撫でながらジークは遊びに出掛けたと伝えるとジアは良かったと安心しているようだった。ジアは人間の言葉をきっちりと理解しているから、彼女と一緒にお喋りできる日は近いだろうか。ぷっくりと膨れているジアの頬を指で搔いていると、今度はクロが顔を擦り付けてきた。忙しいなと苦笑いを浮かべながら、私はエルとジョセに顔を向ける。
「エルたちは子爵邸で暮らすことに不便はない? グリフォンさんたちが大きくなっているから手狭になったからね」
まあ一個の卵から四頭産まれるという奇跡が起こってしまったことが原因だけれど。エル一家とグリフォンさんのジャドさんは体躯が大きいので外で暮らして貰っている。どうしてもお屋敷の中で暮らしているヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちとお猫さまより目が行き届いていない。
困ったことがあれば声を掛けてくれるようになっているけれど、エル一家もジャドさんたちも声を上げたことはなかった。本当に不便はないのだろうかと聞いてみると
『大丈夫です。聖女さまの側にいれば力が湧いてきますし、ルカとジアも元気一杯に育っております』
『ええ、不便などありません。頂いているお野菜も新鮮ですし、魔素も豊富ですから』
エルとジョセが目を細めながら穏やかな声色で教えてくれた。
「そっか。狭くないのかなっていう疑問はずっと残っているから、侯爵邸に移り住めば少しはマシになると良いな」
満足してくれているなら深くは聞くまいと話題を変える。そういえば子爵邸には妖精さんの家庭菜園があるけれど、侯爵邸には妖精さんの畑はないからエルたちのご飯をどうしようかと別の悩みができた。それに私が子爵邸から侯爵邸に移れば、必然的に子爵邸内に満ちている魔素は減っていくはず。時間が経てば妖精さんの家庭菜園は消えてしまうのではという疑問も生まれた。
「ナイ、変な顔をしてる。どうしたの?」
「私たちは来年の春に子爵邸から侯爵邸に移るよね……」
リンが私が悩み始めたことに気付いて声を掛けてくれた。相変わらず私のことを良く見ているなと苦笑いを浮かべながら悩みを打ち明ける。ふむと静かに私の悩みを聞いたリンが真面目な顔になった。
「侯爵邸に魔素が溜まればできるんじゃないの? そもそも畑ができた頃よりナイの魔力量は増えているから、直ぐにできそうだけれど」
彼女の言葉は尤もだ。私が口をへの字にしているとリンがくすくすと小さく笑っている。しかし侯爵邸にも妖精さんの畑ができるとは限らない。
「畑を作って良いかが問題じゃない?」
アストライアー侯爵家で働く方たちに反対されれば、侯爵邸で畑は作らない予定である。
「ナイが当主だから好きにすれば良い。ナイのお屋敷だよ」
「確かにそうだけれど……むぅ」
子爵邸の妖精さんの畑で採れた品は、お屋敷で働いている方々にもお裾分けをしていた。子爵邸の賄いや私たちに提供されている料理にも出されているのだが、畑の妖精さんの力が凄くて次々にお野菜さんが収穫されて『タベロ』と差し出してくれ、お野菜を切らしたことがない。
本当に不思議な環境なのだが、西の女神さまに子爵邸の裏庭を見せればふざけていると言われそうなので紹介していない。うわ、とドン引きされても困るし、白い目を向けられても妖精さんが誕生してしまったのだから仕方ない。
「他の人の顔色を伺わなくても良いよ。ナイのやりたいことを邪魔する人がいるならぶっ飛ばしてあげる」
「物騒だねえ」
リンが頼もしい言葉を私に伝えてくれるけれど、本当に実行はすまいと彼女の顔を見上げる。そもそも竜殺しの英雄の一人と敵対しようと考える方なんていないだろうし、リンに辿り着く前に護衛の皆さまから排除されそうである。
「物騒かな?」
「まあ、私も物騒なことをしているからリンのことを悪く言えないね」
こてんと首を傾げるリンにネルが彼女の肩の上に戻った。私は私で物騒なことを沢山やらかしているので、彼女のことは責められないと苦笑いを浮かべる。エル一家と少し話して、次はどこに行こうかと首を傾げながら、ポポカさんたちの卵を見に行こうとなった。
サンルームに入ると、ポポカさんたちが産み落とした卵さんをアシュとアスターが抱いていた。ポポカさんたちは彼ら二頭の側でポエポエと寝言を口ずさみながらお昼寝をしている。彼らの側でジャドさんとイルとイヴが遊んでおり、サンルームは自由気ままな空間だった。
◇
王都の高級商業区画に辿り着く。俺はエーリヒとユルゲンと以前の約束を果たすため、待ち合わせ場所に立っていた。貴族位を持ちながら護衛も付けずなにをやっているのかと言われそうだが、ナイの信用を勝ち得ているのか俺に護衛は付けられていない。自惚れなのかもしれないが、ナイは俺の実力を認めてくれエーリヒとユルゲンの護衛を務められると信じてくれているのだろう。
「少し早かったか」
待ち合わせ場所に二人の姿はなく周りを見渡しても、金髪のエーリヒと緑髪のユルゲンを確認できない。なら大人しく今いる場所で待機しておくのが賢明だろうと、道行く人を眺めることにした。
今、俺がいる場所は商業地区の中でも金持ちの者しか立ち入らない区域である。時折、派手な馬車が通り大勢の護衛を引き連れているので、車の中には貴族が乗っているのだろう。余り好きになれなかった貴族位を自分が賜ることになったのは不思議なことだが、将来を考えると丁度良いのだろう。
それに功績を上げて貴族位を賜ったから、代々続く純粋な貴族とは少し立ち位置が違うので身軽なものだ。でもナイのことを考えれば、領地運営について知っている方が良いとラウ男爵を頼っているが、果たして俺はきちんと知識は身に付いているのだろうか。
俺の知識が満足に身に付いているのか疑問を感じてラウ男爵に問えば、学んだ部分をきっちりと覚えているし急ぐ必要はないと言われてしまった。他にも彼らからは、夜会での礼儀作法に踊り方に妙な輩から逃れるための話術も習っている。
「まだ早いか」
ナイは婚姻に対して急ぐ素振りを見せていない。貴族令嬢であれば十八歳を迎えて婚約者がいないのは致命的な状況だ。ナイの置かれた環境が特殊過ぎて貴族令嬢の常識や普通が適用されるのか怪しい状況だが、アルバトロス王国はナイに直系の次代を産んで欲しいのが本音だろう。
ただアルバトロス王も公爵閣下も急いでいないのは、彼女の前世では三十歳近くで結婚する者もいるという事実を知っているからかもしれない。ナイの前世がどんなものだったのか気になるが俺が問うても仕方ないことだし、今を生きているのだから、真っ当に生き抜かなければ。
でなければ貧民街時代で失った仲間たちに顔向けできないと前を向けば、俺の前でアルバトロス王国の官僚用に使用される馬車が停まった。御者の手で扉が開かれると、エーリヒとユルゲンがゆっくりと降りてくる。
「久しぶり、ジークフリード」
「お久しぶりです。ジークフリード」
エーリヒとユルゲンが馬車から降り、御者と一言二言会話を交わして馬車が去って行く。
「エーリヒ、ユルゲン、久しぶりだ。体調は大丈夫か? 帰国したばかりだから、無理はするなよ?」
二人は聖王国から一昨日に戻ったばかりだ。一日の休息を挟み今日となっているのだが、慣れない他国で活動しなければならないのは凄く大変だと知っている。無理や無茶はして欲しくないとユルゲンとエーリヒに聞いてみたのだが、愚問と言わんばかりに彼らは良い表情を浮かべた。
「もちろん、無理はしていない」
「ええ。久しぶりの母国ですから、遊び倒したいですね」
くつくつと笑いながら二人は肩を竦める。俺を心配させないためだろうなと片眉を上げれば、目的の店に行こうとなった。今日は以前エーリヒとユルゲンと交わした約束を果たす日だ。俺のために付き合ってくれるのだから気のいい奴らである。店に入りユルゲンが店員と挨拶を済ませて、店の中を見て回ることになる。いろいろと材料があって、どれを買えば良いのかときょろきょろと周りを見渡しているとユルゲンが俺の隣に立つ。
「彼女の好みはどのようなものでしょうか。例えば好みの色や好きな花とか分かると有難いですね」
ユルゲンはナイと店の者に分からないようにと配慮してくれていた。エーリヒも興味深そうに目の前に並ぶ多くの材料を見渡しながら、ふむと顎に手を当ててなにか考えている。
「貴族の令嬢が好みそうな色はあまり。落ち着いた色や暗色系が好みか」
ナイはピンクや赤や黄色は好んでいないようだ。身の回りにある品も服装も落ち着いた色合いの物が多い。その割には俺とリンに、似合うと言って派手な色を勧めてくるのは何故だろうか。
「では、この辺りから選ぶのが無難かと」
いろいろと取り揃えられている型紙に目を向けた。今日はユルゲンに栞の作り方を学ぼうとなり、材料を取り扱っている店を紹介して貰ったのだ。材料を買い付ければユルゲンの屋敷に足を運ぶ予定である。
ただユルゲンはいきなり手作りの品を渡されても困惑するから、仲を深めてからの方が良いだろうとアドバイスをくれている。確かに俺もいきなりナイから手作りの品を渡されれば、嬉しい反面なにがあったと悩みそうだ。だから今日は作り方を学んで自力で作れるようにしておくだけ。
「な、なんだよ、二人とも」
俺より先にエーリヒがいくつかの型紙を手に取っていた。彼は赤や黄色の明るい色を選んでいる。少し顔が赤くなっているエーリヒに俺とユルゲンは目を細めた。
「いや、順調そうでなによりだ」
「ええ。本当に」
どうか友二人にも、そして幼馴染のクレイグとサフィールにも良い縁があるようにと願わずにはいられなかった。






