1085:早めの巣立ち。
帝さまと一緒に私たち一行は朝廷の大広間に入る。松風と早風は男の仔と一緒に並び、楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんは人間の形に化けているのだが、脚元がおぼつかず見ているだけで危なっかしい。
とはいえサラサラの長い銀糸の髪と、その髪の間からぴょこんと出ている大きな犬耳とお尻から出ている尻尾は凄く可愛い。モフってみたいけれど流石に勝手はできないし、彼女たちが嫌がる可能性もあるので我慢している所だ。
帝さまが上座に座り、雪さんと夜さんと華さんも彼女の隣に腰を下ろす。ナガノブさまは上座の一番近くにどっかりと座り、私は帝さまを正面に見据える位置を案内されて腰を下ろした。ヴァナルは私の横に、ジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまは私の後ろに控え、西の女神さまも彼らの隣に座っている。正座は苦手なようで、女性陣はお姉さん座りだけれど。
男の仔も雪さんたちと同様に上座に腰を下ろして胡坐を組んでいる。松風と早風も男の仔の隣に伏せをして目を閉じて寝始めた。楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんは帝さまの所へ歩いて行ったと思いきや、ナガノブさまの下へと行き、大広間をぐるりと回って最終的に私の隣に座る。
寝転がって手を使い私の足やお腹や顔を触っているのだけれど、彼女たちは楽しいのだろうか。毛玉ちゃんたちであればフソウの神獣さまの仔だから、ある程度自由にしていても怒られはすまいと、私は帝さまと視線を合わせた。
そうして挨拶を簡単に終えれば、帝さまが微笑みを携えながら口を開く。
「やはりナイに一番懐いていますねえ」
「本当に、何故こんなに慕われているのか不思議です」
くすくすと小さく笑い帝さまに私が苦笑いを向けると、空気を読めたのか楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんがもぞもぞと動き始めた。尻尾をぶんぶん振っているし、犬耳もピコピコ動かしている。桜ちゃんが私の背中にべっとりと引っ付き、楓ちゃんが膝の上に乗り、椿ちゃんが私の腕をぎゅっと抱き込む。幼い仔だから体温が私より高く、じんわりと熱が服越しに伝わってきた。
『にゃぃ』
『にゃー』
『にゃい~』
彼女たちは私の名前を呼んでいるようだが、微妙に言えていない。一番マシなのは桜ちゃんで、私の背中に多い被さって首筋の匂いをすんすん嗅いでいる。臭かったらごめんと心の中で謝っていると、ぺろっと舌で桜ちゃんが首筋を舐めた。
「桜ちゃん、私を舐めても美味しくないでしょう?」
私は桜ちゃんの行動に驚いて彼女と視線を合わせると、美味しくないと言いたげに小さな舌を少しだけ出していた。学習したようでなによりと息を吐けば、むっとした顔の楓ちゃんと椿ちゃんが体重を私へ更にかける。尻尾を畳にべしべし叩きつけているので、桜ちゃんの行動が気に入らなかったようだ。でも私が桜ちゃんを窘めたと理解できているようで、桜ちゃんと同じ行動は取らない。
「ふふふ。松風と早風は凄く権太に懐きましたし、楓と椿と桜は変化を教えて貰って人の形を模せるようになりました。可愛いですよねえ。松風と早風の姿もみたくありますが、彼らは変化にあまり興味がないようで少々残念です」
帝さまが毛玉ちゃんたちの近況を教えてくれた。どうやらヴァナルと雪さんたちを恋しがる様子もなく、妖狐の男の仔とフソウで遊び回っていたようだ。人間に手を出しては駄目だとヴァナルと雪さんたちから厳命されているので、フソウの方たちに迷惑を掛けることもなかったとのこと。
私が楓ちゃんと椿ちゃんと桜ちゃんに『一週間、楽しかった?』と聞けば、嬉しそうに八重歯を見せながら三頭……いや、今は三人がへらりと笑う。
『早風と松風はオイラの仔分やねん!』
男の仔が帝さまと私の会話に入り込むチャンスとばかりに、胡坐を組んだまま腕も組み、二本の尻尾をゆらゆらさせながらドヤ顔で言い切った。彼の声に松風と早風は微妙な顔になりゆっくりと首を傾げ、えいやと男の仔に覆い被さる。松風と早風にごろんと畳の上へと倒された男の仔は手脚をジタバタと動かして、二頭のもふもふから逃れようと試みる。
『ぬおっ! やめーや! 早風と松風は力が強過ぎや!』
男の仔は松風と早風の脚の力に敵わないようで、抵抗虚しく畳の上に寝転がったままである。帝さまと私は放置しても大丈夫だと判断して、次の話題へ移った。
「風魔と服部の者は大丈夫ですか? きっちりと任を果たせているのか少々心配です」
『うわっ! ベロベロ舐めんなー! 乾いたらカピカピになるやろ!』
帝さまが八の字に眉を下げる。風魔と服部のご老体二人は子爵邸のお屋敷で、諜報に興味がある方と騎士の方で諜報にも力を入れたい方に教えを説いている。教え子の皆さまの評価は、厳しい方たちだが実力は十分に備わっていることを知っているので文句はないとのこと。
これからご老体二人が教え子の皆さまをどう導いていくのか、将来が楽しみである。ただ忍者の格好をして手裏剣を投げるような教育はしないで欲しいとお願いした。流石に黒装束でも西大陸では目立つし、手裏剣よりも短剣に毒を塗って投げてと頼んだ。
「心配は必要ないかと。慣れない環境であるはずなのに既に屋敷の者と馴染み始めています。彼らの実力は十分ですし、これからに期待しております」
『わ、腋の下は舐めたらアカンて! あ、脚の裏もアカンー! ひー!』
私の言葉に頷いた帝さまが、直ぐ近くでじゃれ合っている彼らへと視線を向けた。
「松風、早風。その辺で」
彼女が声を上げると、松風と早風の耳と尻尾がぴっと縦に立ち男の仔と戯れるのを止めた。私が流石帝さまと感心していると、ナガノブさまが羨ましそうな顔をしていた。
どうしたのだろうと彼に私が視線を向けると、ナガノブさまは私の視線に気が付いてなんでもないと首を振る。松風と早風と一緒に遊びたいのかもしれないなと前を向けば、私の背後でもナガノブさまと同じ雰囲気を醸し出している方がいることに気付く。
決して後ろを振り向いてはならないと私は前を向いたままなのだが、羨ましそうな雰囲気を醸し出している方がいつもより多い気がする。まさか女神さまがと首を傾げたくなるけれど、謁見中に失礼な態度は取れないと私は前を向いたままだった。
『えらい』
私の横にいるヴァナルが松風と早風を褒める。それが気になったのか椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんが私からヴァナルに乗り移ってもぞもぞし始めた。ヴァナルは仕方ないなという雰囲気で、三人の相手をし始めた。
爪と牙で彼女たちを傷付けてしまわないようにと気遣っているのが手に取るように分かる。偶にヴァナルが甘噛みをすると『にゃいー』と椿ちゃんたちが言っているのだが、語彙が少ないようで『嫌だ――本気では言っていない――』が『にゃいー』となるようである。
ヴァナルと椿ちゃんたちは尻尾を動かしながら遊んでいるが、上座にいる雪さんたちがヴァナルと椿ちゃんたちをじーっと見ていた。羨ましいなら混ざれば良いのにと一瞬頭の中に過ったけれど、フソウの神獣さまとして我慢しているのだろう。子爵邸に戻ったら沢山遊ぼうと私は前を向けば、再度帝さまが言葉を紡ぐ。
「権太の話によると松風と早風はフソウに残りたいとのことです」
「そうなの、松風、早風?」
帝さまと私の声にピンと耳を立ててエジプトのスフィンクス像のような格好で二頭は舌を出している。なにも分からないと目を細めていると、雪さんたちが空気を読んでくれた。
『そうなのですか、松風、早風』
『……どうやらフソウが気に入ったとのこと』
『寂しがり屋の坊を一頭だけにできないとも言っております。優しい仔たちですねえ』
雪さんたちが松風と早風の気持ちを代弁してくれる。男の仔が腕を組んで鼻から大きく息を吐いて満足気な顔から、最後に『え? 余計なことまで言わんでええわ……』と呟いた。
どうやら寂しがり屋と雪さんたちから言われたことが嫌だったようである。松風と早風が決めたことならばなにも問題はないし、男の仔にも遊び相手ができて丁度良いのだろう。私は帝さまに視線を向けて軽く頷いた。
「そっか。急な話となりますが、フソウの皆さまが問題ないのであれば、松風と早風をよろしくお願い致します」
アルバトロス王国上層部には相談していないけれど、毛玉ちゃんたちの件はフソウとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちと私が納得しているならば、自由にして良いと許可――というのも変だけれど――を頂いている。ヴァナルと雪さんたちも松風と早風の移住は構わないようなので、私は帝さま方に頭を下げた。
「もちろんです。我々朝廷も幕府も一同になり幼い仔たちを守ります。ナガノブもよろしいですね?」
「承知!」
胡坐を組んでいるナガノブさまが畳に両腕を突いて頭を深く下げた。彼は私にも頭を下げて、ヴァナルと雪さんたちにも礼を執っている。
「椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんはどうするの?」
私の横でヴァナルと戯れている彼女たちに問えば、三人は頭の上に疑問符を浮かべながらへにゃりと笑った。笑った口元に見える八重歯が可愛いが、噛まれたら痛そうだった。
『にゃえるー』
『いしょー』
『いるー』
ヴァナルの上から彼女たちは身体を起こして私の方へこようと試みるが、楓ちゃんが畳の上にべちんと倒れ込むと、釣られて椿ちゃんと桜ちゃんもべちんと畳の上に倒れ込んだ。
ヴァナルと雪さんたちは少し呆れた雰囲気で、帝さまとナガノブさまは『!?』と驚き、私の背後にいる皆さまは『大丈夫か』と心配している。約一名があわあわと慌てふためいているようだが、横にいる方に窘められて平常心を取り戻していた。表面上だけだろうけれど。
西の女神さまは慌てるでもなく、落ち着いた様子である。私も、本気でヤバければもっと不味い音が立つし、畳の上に倒れただけなら酷いことにはならないと知っている。自分で立てるかなと黙って見守っていると、脚と手をどうにか動かして彼女たち三人は立ち上がった。受け身を上手く取れなかったのか鼻の頭が少し赤いけれど、へらりと笑いながら私に飛びついた。
『こけー』
『たー』
『にゃいー』
はいはいとどうにか三人を受け止める。流石に三人抱えると面積が足りなくて、クロが私の肩の上から飛び立って女神さまの下へと逃げて行った。嬉しそうな顔でクロを迎え入れる女神さまと、女神さまの胸の辺りにダイブしているクロを目の端で見てしまう。凄く突っ込みをいれたいけれど虚しくなるので、楓ちゃんたちの気崩れた着物をどうにか直しながらぽんぽんと彼女たちの背を軽く叩く。
『どうやらまだ我らと一緒にいたいようです』
『親離れできるのはいつになるやら』
『松風と早風の巣立ちは早かったですねえ。楓たちもいなくなれば寂しいですが、慣れなければなりませんねえ』
雪さんたちがしみじみと告げれば、記念だと帝さまが声を上げて宴会が始まる。女神さまに一応参加するか聞いてみるともちろんと返事がきた。フソウの料理に慣れていないのか、興味深そうに食べている女神さまを見たフソウの皆さまはほっと息を撫で下ろして夜が更けるまで宴会が続くのだった。






