1083:噂の流出。
大聖堂の外で行っているお務めを終え聖女の皆さまが集まっている部屋で、私とアリサとウルスラは世間話をしていた。
一応、聖王国上層部は私を頼ることを止め、右往左往しながら各国との取引や連絡に聖王国内の政を執り行っている。諸外国から監視員の方がいらっしゃっているため、やり難そうにしているけれど、気を抜けば直ぐに斜めに進む、どころか後退しかねないから監視の目は己に甘い方々には丁度良いのだろう。
ヴァンディリア王国の元第四王子殿下もゲーム三期のヒーローも上層部が忙し過ぎて、私たちに関わってくることもない。
私は私で西の女神さまとお目通りしたからなのか、魔力量が上がっており以前よりも多くの方に治癒を施せるようになっていた。アリサとウルスラもナイさまのお屋敷で西の女神さまと顔合わせをしたため、聖王国上層部での評価が上がっている。
西の女神さまが現界していることは西大陸の各国上層部しか知らず、平民の皆さまには伏せられていた……でも、人の口に戸は立てられぬと諺があるように状況が少しづつ変化している。
現在、聖王国内の平民の皆さまの間では、アルバトロス王国のアストライアー侯爵が現在住んでいるミナーヴァ子爵邸には西の女神さまが滞在しており、聖王国の立場が危ういのでは……という噂が流れ始めているようだ。
そして流れている噂に尾ひれが付いて、アストライアー侯爵が西の女神さまからご神託を頂き、新たな宗教を設立するのではという不安の声もあると、私の目の前に座るアリサとウルスラが心配そうな顔で口にした。
「ぶっ!」
「だ、大丈夫ですか、フィーネお姉さま!?」
「あ、え、えっと。ハンカチです。どうぞ」
私は慌てて椅子から立ち上がったアリサに大丈夫と伝え、ウルスラから差し出されたハンカチを受け取って礼を伝える。ナイさまは宗教に興味はないので信仰心も凄く薄い。西の女神さまや創星神であるグイーさまを前にしても普通に接しているので、神さまとか人間とか亜人という枠組みにも興味が薄いようであった。
彼女は相手を個として見ているのだろう。だからこそ偏見や恐れが少ないし、敵対した方には割と容赦ない対応を取っていた。だから噂で流れているような心配は必要ないけれど、聖王国上層部は肝を冷やしているかもしれない。
「ごめんなさい、二人供、みっともない所を見せてしまったわ。ウルスラ、ハンカチは洗って返しますね」
私がふうと息を吐けば、アリサとウルスラもふうと息を吐いて気を取り直した。
「い、いえ! お姉さまが驚いても仕方ないかと」
「あまりお気になさらないでください。でも、アストライアー侯爵さまは噂通り新しい信仰を謳われるようになるのでしょうか?」
アリサが席に腰を下ろし、ウルスラが小さく首を傾げる。ナイさまとの付き合いが短いウルスラは、まだ彼女の性格を掴みかねているようだった。
「それはないはずよ。ナイさまは宗教というものに興味を示していないし、組織のトップに立つ気もないはずだもの」
だから私は心配していない。していないけれど、西の女神さまがミナーヴァ子爵邸に滞在しているのは事実で、西大陸のいろいろな所を見て回りたいと仰っていたから、なにかトラブルが起きそうな予感がしている。
そしてナイさまが西の女神さまに同行していたならば、トラブルが倍に増えたり、更に大事に発展するのではという心配はしているけれど。でもまあ……ナイさまであればトラブルを上手く収めてくれるはず、という根拠のない安心感も抱いているけれど。
「けれど、アルバトロス王国の国王陛下にお願いされれば、アストライアー侯爵さまは引き受けてしまうのではないでしょうか?」
ウルスラが心配そうに声を上げる。彼女は頑張って沢山のことを学び、スポンジのように学んだことを吸収していた。頭の回転が速い子で知識が身に付き、一つのことから、二つ、三つとパターンを考えているようだった。
褒めてあげたいけれど、話題が話題だけに話を逸らす行為は止めておこう。あと、ウルスラの心配は無用で終わるはず。今、ナイさまに命を下せる人物は凄く限られているし、ナイさまが嫌がることをアルバトロス王が命じるはずがないのだから。
「あ、確かに」
アリサはウルスラの心配を聞いて、ぽんと手を叩いた。どうやらアリサはそこまで考えていなかった様で、ウルスラに感心の視線を向けていた。彼女に取ってウルスラは後輩だろうに、ライバル心のようなものは抱いていない。少しアリサは抜けているけれど、そこがまた彼女の良い所なのだろうなと私は小さく笑みを浮かべて目の前の二人と視線を合わせる。
「ナイさまが新しい宗教や宗派を立てるよりも、西の女神さまから聖王国は不要だと言われる方が心配かしら」
私の言葉にアリサとウルスラがぎょっとして、部屋の回りを見渡した。他の聖女さまは自宅や自室に戻っているので問題ないのだが、二人は女神さまから一番頂きたくない言葉を考えていなかったようである。ナイさまが新しく宗教を起こすより、女神さまから聖王国を失くせと言われる可能性の方が高そうだった。
「そ、そんな! それならどうして女神さまはお姉さまとウルスラに聖痕をお与えになったのですか!? そんな身勝手なことを言われても……聖王国に住まう方々が困ってしまいます!!」
またアリサが椅子から立ち上がった。聖王国は不要と言われる可能性は十分にある。今後、また聖王国が失敗すれば凄く高い確率で言われてしまいそうだ。それまでは猶予はあるだろうと私は踏んでいる。
「アリサ、落ち着いて。可能性の話というだけだから。でも貴女の言った通り、女神さまはどうして私たちに聖痕を与えたのかしら?」
私が首を傾げると、立ち上がったままのアリサがウルスラと視線を合わせて少し呆れた表情を浮かべながら椅子へと腰を下ろした。ウルスラもほんの少しだけ呆れた表情を見せている。
だって仕方ないではないか。西の女神さまと邂逅できるなんて全く全然考えていなかったし、二度目があったなんて未だに信じられないのだから。アリサとウルスラだって、ナイさまのお屋敷で呆けた顔を披露していたのに。
そんなことだったから女神さまから聖痕を贈られたことなんて、綺麗さっぱり頭の外に追いやられていたのだ。今、言われて気付いたからもう少し早く思い出しても良いのではと問われれば、全くその通りでございますと頭を下げなきゃいけないけれど。
「わ、分かりません。アストライアー侯爵さまのお屋敷で女神さまとお会いした時は、グリフォンのジャドさまとジャドさまの仔たちの名前を決めるためでしたから」
ウルスラはナイさまのお屋敷に赴いた理由がグリフォンさんたちの名付けのためだったから、西の女神さまに聞きたくても我慢していたようである。謎を謎のままで置いておくべきか、西の女神さまにきちんと話を聞くべきか迷ってしまう。西の女神さまが私とウルスラに付与されたというならば、聖痕を消すことも可能ではないだろうか。
「確かにナイさまからみんなでグリフォンさんたちの名前を付けようとお誘いを受けたから、西の女神さまから聞き出すのは控えた方が良かったでしょうね」
私の言葉にウルスラが少し照れ臭そうに笑った。何故、彼女がそんな反応をするのかイマイチ分からないが、アリサが彼女の横でむっと口を伸ばしていた。これまたアリサが妙な表情になる理由が分らないけれど、まあ今は聖痕についてである。
「西の女神さまが来年の南の島に遊びにきてくださるなら、その時に聞いてみれば良いかしらと考えているけれど……きて下さるかは未知数だものね」
私はアリサとウルスラと視線を合わせる。西の女神さまよりもグイーさまの方がウキウキで南の島を訪れそうである。でもグイーさまは神さまの島から出られないと聞いているから、以前の様に分身体でこられるでしょうけれど。
「はい。どうして私に聖痕を与えてくださったのか気になりますし、もしお役目があるならば女神さまの期待に応えなければいけません」
ウルスラがはっきりと言い切った。でも私とアリサはウルスラほどの信仰心は持ち合わせていないので、彼女は真面目過ぎるという気持ちが真っ先に立つ。
「ウルスラ。覚悟は良いけれど、思いつめると倒れてしまうわ」
「そうですよ。ウルスラは真面目だから、自分を追い込み過ぎる気があります」
私とアリサがウルスラに言葉を贈れば、彼女は良く分かっていないのか小さく首を傾げていた。まあ私も聖痕を頂いている身だ。もし聖痕持ちとして役割があるならば、お務めを果たしたいとは考えている。無茶さえ言われなければだけれども。
「ナイさまの様に女神さまと接しろなんて言いませんが、ウルスラはもう少し肩の力を抜きましょう」
彼女に肩の力を抜こうと伝えるのは何度目だろう。根っこが真面目な性格だからなかなか抜けないのは仕方ない。まあ、ウルスラは黒衣の男の下にいた時よりも、今の方が笑う回数が増えたし顔色も良い。それに以前よりも信徒の皆さまからの評判も上がっている。奇跡を起こしていたけれど、奇跡を起こせば魔力をかなり消費してしまうため、治癒を施せる人数はかなり限られていた。
ウルスラには教えていないけれど、彼女の下に重病者や重症者をなるべく回さないようにと手配している。前の彼女は随分と危うい存在だったが、今も困っている人がいれば己の身を省みず治癒を施そうとするはずだ。
毎日、一度の術で大量に魔力を消費すればウルスラの身が危なくなる。その点は女神さまに少しばかり文句を言いたい点だった。真面目な子に力を与えれば、本人が自滅する可能性があると分からなかったのだろうか。伝えても詮無いことかもしれないが、いつかは西の女神さまに問うてみたいことである。
「とにかく、西の女神さまに聖王国は不要と言われてしまわないように、上層部だけではなく私たち聖女も地道な活動で頑張って行きましょう!」
私はアリサとウルスラの顔を見る。聖王国上層部が潰れてしまっても、大聖堂というシンボルがあれば信仰は失われないはずだ。そのためには聖女や神職者の信頼を市民の皆さまから勝ち取らなければならない。凄く地味だし時間の掛かるものだけれど、大聖女という聖痕があるので私とウルスラの声を市民の皆さまに届けやすい。
「また明日も頑張りましょう。お姉さま、ウルスラ」
「はい。いつか女神さまから聖痕が贈られた意味が分かると良いのですが……それまでは、いえ、それからも信徒の皆さまが笑顔になれるように頑張ります!」
アリサもウルスラも前向きで可愛いなあと自然と笑みが零れ、また明日と約束を交わしてそれぞれの部屋へと戻るのだった。