1080:変なお屋敷。
――変なお屋敷……。
ナイは変わった子だ。神である私に普通に接して、普通の人間と同じ扱いをしてくれる。ご飯の時間になれば、ご飯を食べましょうと誘ってくれ、どこかに出掛ける時は一緒に行きますかと誘ってくれる。
以前、人間と深く関わっていた頃は崇められ頼られるばかりだったが、ナイは私を一切頼らない。確かに昔と比べれば凄く便利な時代になっているけれど、母さんから聞いた地球という星の文化レベルには到底追いついていない。
地球では神を崇めているけれど、崇め過ぎて争いを起こす人間がいるそうだ。その話を聞いて私は母さんに止めないのと聞いたことがある。母さんから返ってきた言葉は私を崇めているわけではないし、人間が勝手に作った偶像を信じて争いを起こしているだけだから放置と愉快そうに笑っていた。母さんのあっけらかんとした性格に驚き、横で微妙な顔で無言を貫いていた父さんは母さんに尻に敷かれているんだなと私は理解した。
母さんから話を聞いていたから、力を持っている人間が神を利用して大陸を掌握するために動いても良さそうなのに。
ナイはそれを行わない。今、彼女が従えている魔物や魔獣を利用すれば可能だ。彼女自身も異常な力を備えているから本気を出せばできるだろうに……そういえば何故ナイは人間を超える魔力を有している。本来、あんな魔力量を持ち得ていれば人間という器が持たない。
私はナイのような人間が誕生することを望んではいないし誕生させる気もなかった。でも彼女がいなければ白銀の竜がクロとして生まれ変わることはなかったから、私はナイに感謝しているし、いつかクロにきちんとした名前を教えて欲しいと願っている。大陸の一つを司る女神だけれど、私の想像の範疇を超えることもあるのだなと驚いた。
そして、この屋敷も例外ではない。
夕飯前、ミナーヴァ子爵邸の図書室で私は本を読んでいる。図書室というにはこじんまりとしているけれど、雑多に種類が取り揃えられていた。魔獣や幻獣が住んでいるお屋敷だから、彼らについて記された本が多くあるのが特徴なのかもしれない。
他にも恋愛小説に活劇譚、様々な国の歴史書に領地経営の本がある。見ない方が無難と言われた場所があるけれど、見る見ないは私の判断に任せると言われたので確認すると官能的な本だった。ナイが私に忠告した意味が分からず、図書室で鉢合わせした子に聞いてみると、女の人は読まない本だったそうだ。本に罪はないけれど、今はそういう風に捉えているらしい。
ふいに目の前がぱっと光って、小さな子供の姿が現れる。背中には羽が生えており人間ではないと一目でわかる。
『女神さま、これ読んで!』
「ありがとう」
妖精がどこかの家から取ってきた本を私に与えてくれる。私に渡された物は、本というよりも黒革の手帳ではないだろうか。一体どこから持ち出してきたのだろうと、得意気な様子をしている妖精と視線を合わせた。
妖精の悪戯だから、誰かの家から本が消えていても特に問題はない。それなのにナイのお屋敷で過ごしている妖精は私が読むと元の場所に戻しに行くという、信じられない行動を取っていた。
妖精曰く、戻さないとナイが怖いそうだ。人の物を勝手に盗んでは駄目だと何度も妖精に注意をして、妖精もナイの言葉を素直に飲んで返しに行っているとか。きちんと元の場所に本を返せばナイが褒めてくれて、魔力を少し分けてくれるらしい。
『直ぐ近くにあるお城の鍵が掛かっている部屋!』
お屋敷から直ぐ近くというと、アルバトロス城だろう。ナイが所属している国の王さまが住んでいる場所だ。妖精であれば簡単に侵入できるものの、人気の多い場所に忍び込むのは珍しい。
「それは取ってきても良いの?」
私は悪戯目的だったかもしれないと、直接妖精にこちらに持ち込んで良いものなのかと聞いてみた。妖精のことだから無許可の可能性が高いけれど。
『知らない! でも面白そうな匂いがした!』
妖精の言葉にやはりと苦笑いを浮かべて、なんとなく手帳の表側を見た。そこには紙が貼られ『聖女・ナイを主にした教会聖女の貯めた金を横領した証拠物』と記されている。何故、ナイの名前が書かれているのという疑問より、横領という文字に怒りを覚える。
「どういうこと?」
『んっとね、えっとね! ちょっと前にね、教会の男の人が聖女のお金を盗っちゃった!』
意味が分からずに私の口から勝手に漏れた声を妖精が拾っていたようだった。そうして妖精は妖精なりの言葉で三年前に起こったことを教えてくれる。一先ずアルバトロス王国にある教会の神職者が欲を出して、聖女が稼ぎ教会で預かっていた金を奪ったことは理解できた。
『ナイが怒って、竜も怒って、街の人たちも怒って大騒ぎっ!』
妖精が私の回りをクルクル回りながら、要領の得ない短い言葉で説明をしてくれた。大体の事態は掴めたけれど細かな所が説明されていなかった。妖精も妖精の間や人間の間で噂されていたことを拾っただけで、関わっていないから鵜呑みにしない方が良いかもしれない。
「……意味が分からないよ」
『…………』
クルクルと回っていた妖精が飛ぶのを止めて床の上に降りた。私はどうも誰かの心の機微に疎いらしい。申し訳ないことをしたなと私も床にしゃがみ込んで妖精と視線を合わせた。
「ああ、ごめん。君を責めている訳じゃないんだ。詳しい内容が掴めていないし、ナイが怒ったのは理解できるけれど、どうして竜と都に住む人たちも一緒に怒ったのかな?」
今を生きる人間は金がなければ生活がままならない。だからナイがお金を盗られたことで怒るのは理解できるし、しかもお金を盗った人間は神職者である。それに、神職者は女神の私に仕える者なのに、どうして金を盗ったのかも不思議だった。
『ナイ、隣の竜にお願いした! 王都の人間に恐怖を植えるために! 恐怖で煽られた人間、一人の人間に影響を受けてお城に詰めた!』
妖精の言葉は不器用だけれど一生懸命に私に伝えてくれようとしている。どうもナイはキレて黒い竜と白い竜にお願いして、アルバトロス王都に住む人間を脅してもらい、恐怖心を利用して人間を王城に差し向けたようだ。扇動者を仕向けたようだし、その扇動者はナイと協力関係にあったようである。
「なにをしているんだろう、あの子……」
ナイは本当になにをしているのだろう。彼女が怒るのは理解できるけれど、普通そこまでやるのだろうか。でも私を讃えておきながら、誰かのお金を勝手に盗る人間なんて必要ない。もう、解決したことだし私がナイたちのお金を盗った神職者になにかする気はないけれど、会ってしまったら厳しい感情を向けてしまうかもしれないと妖精と視線を合わせる。
「ありがとう。面白いことが聞けて良かったよ。これは元の場所にちゃんと返してくれるかな?」
『うん!』
私の手から妖精が自身の身体の三分の一程ある手帳を受け取り、ふっと消えた。さて、次はなにを読もうかと天井までみっちり詰まっている棚に並ぶ本を見上げる。知識を吸収するのは楽しい。
女神の私でさえ知らないことがあるし、人間が記した創作話も面白いし、人間が引き起こした過去の出来事を知るのも楽しかった。人間が人間同士で醜い争いを始めて呆れて引き籠もってしまったけれど、私が引き籠もっていた数千年の間に本当にいろいろな進化を経ていた。
私が人間に施した魔術は独自の進化を遂げているし、亜人たちも魔法という形態で利用している。私が人間に魔力を施したのは、あまりにも弱過ぎる存在だったから。今の人間を見ていると必要なかったかもしれないけれど、今更だ。
そういえばあまりに弱いので私の力を強く引く人間をランダムで生み出す機構を西大陸に施し、身体の一部に模様が出るようになっているのだが……どこかに存在しているだろうか。西大陸の魔素が薄くなっているから、存在していないかもしれない。もし痣持ちがいるのなら会ってみたいのだがナイは知っているだろうか。ふうと息を吐いて座っていた椅子に背を預けると、ナイが図書室の扉を開けて姿を現した。
彼女の後ろには赤毛の双子がぴったりくっついているし、クロもナイの肩の上でぷらぷらと尻尾を動かしてご機嫌そうだった。あの白銀の竜が人間に懐いているのは驚きだけど、経緯を聞いたらクロがナイを気に入るのも仕方ない。
「女神さま、夕食の準備ができたそうです。食されますか?」
ナイが私と視線を合わせた。普通の人間は私を直視できなくて、視線をずらしていることが多いけれどナイは確りと視線を合わす。その分彼女の背の低さが目立つのだが、こんなに魔力を有しているのに背が伸びないのは不思議な状況だ。
彼女には南大陸の血が少し入っているし、黒髪黒目は南の妹の特徴でもある。南の女神の因子を色濃く受けたのかとも考えるが、まあ……運命の悪戯なのだろう。不思議な雰囲気を持つ子だし、母さんの名前を出した時に特に気に掛ける様子を見せなかったから、母さんが管理している星に関わっているのだろうか。なににしても用意されたご飯はキチンと食さなくてはと、ナイと目を合わせる。
「ん、食べる。せっかく作ってくれたんだから、食べないなんてあり得ない」
子爵邸で出されるご飯は美味しいし、食材に含まれている魔素も多いから神の島に戻らなくても疲れない。本当に子爵邸は不思議な環境だ。
「では、行きましょうか」
ナイが嬉しそうに笑っているのだがどうしてだろう。良く分からないけれど、今の私は彼女に聞きたいことがあると椅子から立ち上がった。
「うん。ねえ、ナイ」
「はい?」
不思議そうに私を見上げるナイの黒い瞳には私の姿が綺麗に映り込んでいる。本当に物怖じしない子だ。まあ、だからこそクロや魔獣の仔たちがナイを気に入っているんだろうけれど。
「妖精が黒革の手帳を持ってきてくれたんだけれど、ナイに関わることが記載されていたみたい。でも妖精の話だと少し要領を得ないからナイの知っていることを聞きたい」
私が聞きたいことを口にすればナイが私の言葉を咀嚼するように、なにか考えていた。
「黒革の手……ぶっ!」
黒革の手帳に思い当たることがあり、そしてなにがあったのかを理解したようである。でも、女の子が口から息を吹きだすのはどうだろうか。
「お行儀が悪いよナイ。父さんみたいだ」
父さんも驚いたことがあったり、都合が悪いことがあると口から息を吐きだす癖がある。私たち四人は父さんに汚いと散々注意を促しているのに治してくれる気配はない。ナイは治してくれるかなと期待しつつ、彼女が語る三年前のことをはっきりと理解した。
「聖王国……なにをしているの?」
全ての人間が悪いわけではないけれど、悪事を止めない、諫めない人間もどうなのだろう。私が目を細めると、怒っているとナイが悟ったのか苦笑いを浮かべて口を開いた。
「偶々、悪事を働く方が巣食っていただけで現在は立て直しの最中です。聖王国としてきちんと立てるかまだ分かりませんが、今は見守るべきかと」
「ナイは怒っていないの?」
「怒りはもう過ぎましたし、聖王国には友人もいますから」
当事者であるナイが言うなら私が出る幕ではないのだろう。でも、一言くらいはあった方が良いのかなあと悩みながら食堂へ足を向ける。相変わらず子爵邸のご飯は美味しいと満足して食べ終わる。そういえばマトモにご飯を食べたのはナイのお屋敷で食べたのが初めてだ。やはりこの場所は……――変なお屋敷なのかもしれない。






