1077:お泊り一週間。
毛玉ちゃんたちのお試し移住と侯爵家の諜報員育成のための人員の方のアルバトロス王国への移動のため、アストライアー侯爵家一行はフソウに赴いている。ポポカさんたちが卵を産んだため、エル一家とグリフォンさんのジャドさんに卵を温めているアシュとアスタにイルとイブは子爵邸でお留守番だ。
まだ卵が孵るには時間がある――鶏で三週間かかる――らしいので、卵さんのお世話は彼らに任せておけば良い。ポポカさんが卵を産んだよというお知らせを亜人連合国の飛竜便を使い南の島に連絡を入れているので、南の島の主である大蛇のガンドさんに嬉しい報告ができると良いのだけれど。
今日で暫くお別れとなる毛玉ちゃんたち――一週間ほどフソウに滞在する――は、いつも通り元気一杯で歩いている時に鼻タッチを求めてきたり、先に走って後ろを振り返り私たちを見て、戻ってを繰り返しながら朝廷の長い廊下を歩いている。
少し寂しいけれど毛玉ちゃんたちが成長した証だろうと、暫しのお別れだと私は彼らを目を細めながら見て廊下を歩き、案内役のナガノブさまが私の数歩前を歩いていた。そして私の後ろにはいつも通り、ジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさま、その隣にヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが歩いている。肩の上にはクロがいて、影の中にはロゼさんがいる。
「ナガノブさま、狐の男の仔はどうなりました?」
ふいに気になったことがあるので、私はナガノブさまに問うてみた。彼は私にチラリと視線を向けたあと前を向いた。
「元気にしておるよ。壊された祠も元より立派なものになるようにと手配したから、嬉しいようでな。時折、朝廷とドエ城に顔を出して油揚げをくすねておる」
ナガノブさまが軽い調子で答えてくれる。どうやら祠も無事に建設中のようで、狐の男の仔はご機嫌のようである。彼のお母さまを祀っている場所だし、彼にとっても大事な場所だったようだから、問題なく物事が進んでいるようでなによりである。しかしまあ、朝廷とドエ城で悪戯をしているのは相変わらずのようだ。
「くすねているのにバレバレなのですね」
力のある狐の仔であれば人間にバレずに盗みを働けそうなのに、バレバレとはこれ一体と私は首を傾げた。
「おそらく、寂しいのではないか? 妖狐の仔だ、本気になれば我々人間に気配を悟れぬように振舞うはずだ」
ナガノブさまが短く笑う。男の仔は人化できる力を持っているのだから、弱いということはあるまい。であれば、ナガノブさまが仰った通り、男の仔は一人で寂しいから誰かに相手をして欲しいのかもしれない。そうであれば可愛いなと笑っていると、帝さまが待つ部屋の前に辿り着く。ナガノブさまが係の方に申し出て暫く待っていると、障子がすすすと開いて中に入るようにと促される。
上座の一段上がった場所にある座布団の上には誰もいないけれど、意外な方がちょこんと座ってこちらに視線を向けていた。ナガノブさまはなにも言わずに、上座の直ぐ近くに腰を下ろす。私たちも係の方の案内で、上座の近くに腰を下ろした。
「どうして君が?」
まだ帝さまは部屋にきていないし、引継ぎ式も始まっていないので私は男の仔に向けて問えば、毛玉ちゃんたちが凄く嬉しそうに彼の下へと駆けて行く。ヴァナルと雪さんたちはなにも言わないし、彼らを止めもしない。となれば男の仔がどうなるかなんて、火を見るよりも明らかである。
『お前は……って、なんや、毛玉っ! あっ、コラ、オイラをベロベロ舐めんでええ!』
毛玉ちゃんたち――主に桜ちゃんと楓ちゃんと椿ちゃん――に押された男の仔は畳の上に転がった。ばたばたと脚を動かして抵抗しているけれど、三頭掛かりなので毛玉ちゃんたちには敵わないようだ。
松風と早風も『久しぶりー!』と言わんばかりに彼の顔を舐めている。バタバタと脚を動かす男の仔は褌を履いており、前回のように丸見えではない。帝さまが履いて欲しいとお願いして、男性陣に履き方を習ったのだろう。
目のやり場に困るので有難いと私が息を吐くと、障子がまたすすすと開いて帝さまが上座へと歩いて行く。そうして座布団の上に腰を下ろす前、彼女は笑みを浮かべた。
「おや。騒がしいと思えば、楽しそうでなによりです」
帝さまがふふふと笑いながら座布団に腰を下ろす。
『婆ちゃん、止めてや! 毛玉、オイラの身体舐めまくるねん!』
男の仔が毛玉ちゃんたちのベロベロ攻撃から逃げようと、桜ちゃんの顔を両手で掴んでも、両隣から楓ちゃんと椿ちゃんが攻めてくる。松風と早風は早々に飽きたのか、彼らの側で腰を下ろして尻尾をぶんぶん振っているだけだ。
しかし帝さまと男の仔は随分と仲が良くなったみたいだ。以前の男の仔は帝さまのことを『婆ちゃん』と呼んでいなかった。私たちがアルバトロス王国で二週間生活をしていたならば、彼らもまた同じ時間を過ごしている。
そりゃ顔を合わせているならば、仲を深めていてもおかしくはない。私の背後で羨ましそうな視線を向けている方がいるのを感じつつ、私は時間に追われているわけでもないので、暫くやり取りを見守ろうと口を閉じる。
『止めーや! オイラの身体がべちょべちょになるやん!』
男の仔が若干涙目になりながら毛玉ちゃんたちに必死に訴えている。彼の抗議は毛玉ちゃんたちには効果が薄いようで、部屋に虚しく男の仔の声が響くだけ。フソウの皆さまは微笑ましい表情をしているだけで誰も止めようとはしなかった。
誰も止める方がいないと悟った雪さんたちがよっこいせと立ち上がり、男の仔と毛玉ちゃんたちの下へと歩いて行く。雪さんたちは桜ちゃんと楓ちゃんと椿ちゃんにぬっと顔を近づけた。
『坊の言う通りに』
『流石にやり過ぎですねえ』
『そろそろ落ち着きというものを身に着けても良いのかもしれません』
雪さんたちの言葉に桜ちゃんと楓ちゃんと椿ちゃんは『怒られた~』と男の仔から離れて、彼の回りをクルクル回っている。松風と早風は彼らの側にちょこんと座ったままだった。
『毛玉は忙しないなあ』
男の仔は毛玉ちゃんたちのおよだを袖口で拭い小さく息を吐いている。男の仔の顔の拭い方が猫が顔を洗うような仕草なのだが、狐ってイヌ科だったようなと私は首を捻る。まあ、些末な事かと前を向き上座にいる毛玉ちゃんと雪さんたちに視線を向けた。これから一週間は子爵邸に毛玉ちゃんたちがいなくなるので、寂しくなるなと目を細めた。
「では、そろそろ始めましょうか」
「はい、よろしくお願い致します」
帝さまの声に私が答える。凄く簡単だけれども、帝さまは雪さんたちとヴァナルが番になって仔ができたことに感謝を述べられ、私はフソウ国とアルバトロス王国とアストライアー侯爵家の縁がずっと続きますようにと声を上げた。
ナガノブさまを始め、フソウの皆さまはうんうんと頷きながら毛玉ちゃんたちを見ている。フソウ国内向けのパフォーマンスなので、引き渡し式は直ぐに終わりを告げた。
「では、一週間、彼らをフソウでお預かりいたします」
「はい。よろしくお願い致します」
帝さまに私は頭を下げると毛玉ちゃんたちが静かにしてなくても良いと判断したようで、畳に付けていたお尻を上げてまた男の仔の側に寄って行く。
「良かったですね、権太。遊び相手がいますよ」
『こんな仔供と遊んでもなあ。楽しゅうないで?』
帝さまが微笑みながら男の仔の名を呼ぶと、彼は尻尾をパタパタと振りながら腕を組んで帝さまから視線を逸らした。それも束の間。
『まあ、ええわ。毛玉、オイラがこの屋敷を案内するで! 一緒にきーや!』
男の仔が畳から立ち上がると毛玉ちゃんたちがぶんぶんと尻尾を振りながら彼と一緒に部屋の外へと出る。そうして廊下を走る軽快な足音がどんどんと遠くなっていった。
「少し心配でしたが、狐の彼が一緒なら毛玉ちゃんたちは退屈しそうにないですね」
私が前を見ながら小さく肩を竦めると、帝さまも肩を竦めた。
「そのようですね。権太も母を失い寂しかったでしょうから、丁度良い遊び相手となってくれましょう」
狐の男の仔の遊び相手ができるのに百年以上掛かったのは致し方ないのだろうか。でもまあ、毛玉ちゃんたちなら男の仔の寂しさを埋めてくれるだろう。私が考えごとをしていると帝さまがふいに真面目な、いや、凄く緊張した面持ちになっていた。
「あの、ナイ?」
「はい」
緊張している雰囲気を醸し出す帝さまは珍しい。そういえばナガノブさまも若干緊張しているご様子。なんだと私が首を傾げると、おそるおそる帝さまが口を開いた。
「西の女神さまは常に貴女とご一緒なされるのですか?」
「えっと、フソウに行きますが、女神さまはどうしますかと問えばくるとおっしゃられたので」
尤もな質問かもしれない。西の女神さまは特別な扱いは必要ないと仰るので、私の隣ではなくソフィーアさまとセレスティアさまの隣に座っている。女神さまが隣にいるお二方が若干緊張しているような気もするが、フソウの面々ほどではない。
今回、お出掛けするから一緒にくるか屋敷で過ごすか西の女神さまに聞いてみると、一緒にお出掛けするとなったのである。私が後ろに振り返り、西の女神さまへ視線を向けると経緯を聞いていた彼女は仕方ないといった面持ちで言葉を紡ぐ。
「いろいろな所を見て回りたいだけだから、私のことは気にしなくて良いよ。ナイの側にいると移動が楽だから」
彼女の言葉に帝さまとナガノブさまとフソウの皆さまが本当に良いのだろうかと、心の中でセルフ突っ込みを入れているようだった。まあ、西の女神さまは西の大陸や他の大陸が今、どうなっているのか自分の目で直接確かめたいらしい。
なので私と一緒にいれば、飛び回ることができるだろうと仰っていた。それって私がトラブルに巻き込まれる前提ではないですかと問えば、西の女神さまは私と合わせていた視線をすっと逸らしたし。
「そういうことなので、私と一緒に西の女神さまは行動しております。特に問題はないはずなので、ご許可を頂けると嬉しいです」
「駄目というわけではありません。ただ我々が驚いていただけですから。女神さまがフソウを気に入って頂けたとあれば栄誉なことですもの」
オホホと笑っている帝さまであるが、珍しく彼女が引いている気がする。空気を察した西の女神さまが、更に言葉を紡いだ。
「それなら北の妹を連れてきた方が良いかな。フソウはあの子の管轄だし」
西の女神さまの言葉にフソウの皆さまは目を真ん丸にする。おそらく西の女神さまに他意はないのだろう。ただ地上に住まう人間にとって女神さまとの邂逅は奇跡に近いものだから、ポカンとしている彼らの驚きは当然だった。フソウがお祭り騒ぎ、どころか一世一代の大騒ぎになるのは一体いつになるのやらと、私は遠い目になるのだった。






