1074:グリフォンさんのお名前。
――ミナーヴァ子爵邸、サンルーム。
時刻はお昼過ぎ、ご飯を食べて眠たくなる時間だけれど今日はやるべきこと、決めるべきことがある。毛玉ちゃんたちのお試し宿泊が五日後となっているので少し予定を詰め込んでいるかもしれないが、女神さまに突っ込まれた以上、そしてグイーさまに文句を言えない状態は解消しておきたい。
そんなことなので、今日はグリフォンさんとグリ坊さん四頭とポポカさん五羽の名前を決めようとなった。先延ばしにしていたこともあるし、今日でみんなの名前を決めるとも伝えてある。
「えっと、どうして私はナイさまのお屋敷に招待を受けたのでしょうか……?」
フィーネさまが凄く不思議そうな顔で困っているが、私は彼女も巻き込むと決めたのだから当然だ。彼女の前には侍女の方が用意してくれたティーカップから湯気が仄かに立っていた。鼻をくすぐる微かな匂いは私のお気に入りの茶葉のものである。ミズガルズ神聖大帝国の第一皇女殿下が贈ってくれた茶葉であり、最近好んで飲んでいるから侍女の方が気を使ってくれたようだ。
「いえ。理由は知っていますが、ナイさまにはグリフォンさんたちの名前の候補を書いた紙をお渡ししたのに、どうしてこんなことになっているのでしょう?」
彼女は片眉を上げ隣に腰掛けている、アリサさまとウルスラさまに視線を向けた。タイミング的に丁度良いから、私はアリサさまとウルスラさまもご招待したのだ。無理強いはしないとお二人には招待状に記しておいたので、アリサさまとウルスラさまはご自身の意思でミナーヴァ子爵邸を訪れている。
ちなみに彼女たちには『最近の聖王国の状況を教えてください』と記したので、グリフォンさんたちの件については寝耳に水だっただろう。聖王国の状況はアストライアー侯爵家が差し向けた密偵の方がいるので、情報は手に入れているし、アルバトロス上層部からも逐一連絡が入っている。
大体は把握してあるため、聖王国の近況を知るためにというのは方便であり、本命はグリフォンさんたちの名前である。巻き込んでしまったアリサさまとウルスラさまには申し訳ないが、私と私的な関わりがあると知ったならば普通の方は彼女たちに手を出さないだろうという目論見もあるけれど。
「直接名付けて貰った方が良いかな、と」
ちなみにお三方の隣にはアリアさまとロザリンデさまも同席している。アリアさまは喜んで参加してくれているけれど、ロザリンデさまは自身が考えた名が選ばれたらどうしましょうと悩んでいるようである。彼女の胃が痛くなりそうならポポカさんたちの名前候補かなと頭の片隅に置く。そしてお二人の更に隣には、ソフィーアさまとセレスティアさまも参加していた。
ソフィーアさまは私も一緒に考えても良いのかと軽く問われて、私が問題ないですと伝えればあっさりと参加を決めてくれている。セレスティアさまは言わずもがな、私の手を握り込んで無言で勢い良く首を縦に何度も振って参加を決めてくれたのだ。
私の後ろにはジークとリンが控え、それぞれの皆さまの後ろにも護衛の方が立っている。サンルームの窓から顔を出しているグリフォンさんに驚き、サンルームの中で日向ぼっこをしているポポカさんとグリ坊さんたちにも驚きの視線を向けていた。
ジークとリンと私の肩の上にいる、アズとネルとクロにもチラチラを視線を向け、足元で寝転がっているヴァナルと雪さんと夜さんと華さんにも目を向けている。サンルームの中で動き回っている毛玉ちゃんたちにも視線を向けているが、彼らは西の女神さまにだけは視線を向けない。
視線を向けられないご本人は優雅に紅茶をシバきながら、目の前のお茶菓子に手を伸ばしてひょいと口の中に放り込んでいる。彼女のその仕草は南の女神さまに似ているような気がした。ちなみに西の女神さまはお茶菓子が食べれることと、グリフォンさんたちの名前が気になるとのことで同席している。好き嫌いはないようだし、子爵邸では出されたものに対して文句を一度も告げたことはない。
綺麗に平らげているので、料理長さんを始めとした料理人の皆さまは胸を撫で下ろしているとか。ご本人も『美味しい』と短く告げて、満足そうな顔をしている。女神さまの子爵邸滞在が長くなっているので、屋敷で働く方たちとも声を交わしている姿を見ている。問題なく馴染んでいるようでなによりだ。
フィーネさまが一口紅茶を含んで、ティーカップをソーサーの上に置き私と視線を合わせた。彼女の視線は困惑から真面目なものに変わっていた。
「聖王国の近況報告かと思えば、こちらが本命だったのですね……でも、良いです。凄く素敵な名前をみんなで考えてグリフォンさんたちに贈りましょう!」
彼女はぐっと手を握り込んで、隣にいるアリサさまとウルスラさまに顔を向けて『頑張りましょう!』と告げている。アリサさまとウルスラさまも驚いてはいるものの、グリフォンさんたちの名前を考えることはやぶさかではないようだ。
けれどお二人はなにか迷っているような表情を浮かべて私と視線を合わせた。聞き辛いことのようで、言葉を躊躇っているようである。
「アリサさま、ウルスラさま、どうなさいましたか?」
「あの、ナイさまの隣にいらっしゃる方をご紹介頂けると嬉しいのですが」
私の声にアリサさまがおずおずと声を上げ、フィーネさまが困ったような顔になり、ウルスラさまは若干オロオロしている。そういえばお二人は西の女神さまとお会いするのは初めてか。
ウルスラさまはグイーさまと北と東と南の女神さまと顔合わせをしているので、西の女神さまを紹介しても驚きはしないだろう。アリサさまはタイミングが悪く、神さま方と面会したことがない。まあ、大丈夫だろうと私は西の女神さまに視線を向けて許可を取る。
「西の女神さまです」
私が軽く女神さまだと紹介すれば、アリサさまとウルスラさまが椅子を後ろに倒しそうな勢いで立ち上がる。周りの皆さまは『普通はそうなるよな』という表情で、驚きまくっているお二人に同情の視線を向けていた。そうしてアリサさまとウルスラさまが名乗りを上げて礼を執れば、西の女神さまが椅子から立ち上がる。
「よろしくね。ナイのお屋敷でお世話になっているから、普通の人として扱ってくれると嬉しい」
頭を下げることはないけれど、お二人を見つめながら座ろうと女神さまが促す。アリサさまとウルスラさまが力なく椅子にお尻を落とせば、西の女神さまも椅子に腰を下ろしてまた紅茶をシバいている。
お菓子を食べる手が止まらないなと彼女の手元を見つつ、私は子爵邸の図書室から持ち出していた本を手に取った。アルバトロス王国における命名事典であり、名前の意味も記されているので意外と重宝している。
名前について詳しくはないので、こういうものは便利である。纏めてくれた方には感謝しなければならないが、子爵邸の図書室には魔獣と幻獣関係の本が増えていたし、魔術関連の本も異様に増えていた。持ち出し自由だし、本を棚に入れるのも自由だから犯人を問い詰める気はないけれど、なんとなく分かってしまうのは何故だろう。
サンルームの窓からグリフォンさんがタイミングを見計らい、翼をばさりと広げた。
『私と仔たちとポポカたちの名前が決まるのですね』
ふふふと嬉しそうにしているのだが、もしかしてずっと待っていたのだろうか。決して彼女の名前を付けるのが面倒で引き延ばしにしていたわけではないのだが、少々罪悪感が湧いてくる。よし、前にフィーネさまから頂いた名前の候補と命名事典から見つけた名前から、彼女に似合いそうなものを選ぼうとなる。
「あ……」
「どうしました、ナイさま?」
私が漏らした声にフィーネさまが気付いて顔を上げる。他の方も『どうしたんだ?』というような表情で私を見ている。唯一、西の女神さまだけがお茶菓子を美味しそうに食べていた。
「いえ、ヤーバン王もこの場に呼んだ方が良かったかなと」
開きかけていた命名事典を一度閉じ、私は苦笑いを浮かべた。ヤーバン王を招待していれば、きっと気合を入れて名前を考えてくれたはず。いや、逆もあり得そうだから、名前を不服として抗議される可能性もあるだろうか。竹を割ったような性格のヤーバン王なので大丈夫だと信じたいが、彼女を招待しなかったことを今更後悔しても遅い。
「確かグリフォンを国獣と定めている国ですよね。グリ坊さんたちを見にきていたと聞きましたけれど」
フィーネさまがヤーバン国の事情を軽く説明すると、ウルスラさまが真面目な顔で聞き耳を立てていた。どうやらヤーバンという国の名を耳にするのは初めてのようで、なにか考え込んでいるようである。彼女は真面目だなあと感心していると、グリフォンさんが嘴を開いた。
『では、名前が決まれば私が直接彼女に伝えに行きましょう。きっと喜んでくれます』
それなら何故呼んでくれなかったと悲壮な手紙が届くことはないだろう。どうにも魔獣好きな方や魔術が大好きな方々は己の欲望に忠実で、手紙にも欲望が駄々洩れだから返事に困ることがある。グリフォンさんの機転に私が助かると伝えれば『いえいえ、お安い御用です』とドヤ顔を披露している。
「さて、なにか良い案があればどんどん出してください。候補に入れて、決まらなければ多数決でも良いかなと」
一先ず私が指揮を取らなければ先に進まないと声を上げる。護衛の皆さまとお付きの侍女の方たちにも遠慮なく、名前の候補をくださいと申し出ておく。命名事典をペラペラと捲っていれば、良さげな名前の候補がいくつか目に付くので、紙に書きだして忘れないようにメモを取った。
ぽつぽつと書き出していると、良さげな名前が増えていく。他の方もメモを取っているし、お隣の方と相談しながら名前を書きだしてくれている。強制的に皆さまをお誘いしたけれど、協力してくれるので本当に助かった。私だけでグリフォンさんとグリ坊さん四頭とポポカさん五羽の名前を決めるとなれば、逃げていたに違いない。
「えっと、良さげな名前から決めようと考えていましたが、皆さまが上げてくれた名前を先ずはグリフォンさんに見て貰って選んで貰おうかな、と」
「問題ないです!」
「はい」
「私も大丈夫です」
「私も構わない」
「わたくしもですわ」
「一番良い方法かと!」
「気に入ってくださる名前があると良いのですが」
私が声を上げれば、フィーネさまアリサさま、ウルスラさまに、ソフィーアさまとセレスティアさまとアリアさまとロザリンデさまと声が続いた。グリフォンさんにサンルームの中に入るようにお願いすれば、大きな身体を扉に通してこちらにやってきてくれる。
丁度エルたちも顔を出して、グリフォンさんの名前が決まる瞬間に立ち会ってくれるようだ。机に並べた紙をグリフォンさんは見下ろして渋い顔になる。
『文字が読めません』
「あ、そっか。ごめんね。読み上げる」
しょぼんと項垂れたグリフォンさんに私は苦笑いを浮かべて紙を取る。そうして読み上げた二十個上がった中から、グリフォンさんが一つ気に入った名前を選んで貰う。
「ジャドさんか。翡翠を指す言葉だし、グリフォンさん……ジャドさんの瞳と同じ色だから似合ってるかな」
『翡翠と聞き、好きな色でしたので素敵だなと』
へらりと嬉しそうにしているグリフォンさんの名前が決まり、次はグリ坊さんとポポカさんたちかと小さく息を吐くのだった。