1072:戻ったあとは。
出島の越後屋さんでお土産を沢山買い込んで、フソウからアルバトロス王国へ戻ってきた。特に問題なく日程を終えたのは久しぶりではなかろうか。いつもなにも起こらずに日々を過ごしたいなあと願いつつ、少し溜まっていた事務仕事を捌いて皆さまにお土産を渡しユーリの部屋へと赴いていた。
ちなみに女神さまは図書室に行って本を漁っている。どうやら彼女は妖精さんに頼み込んで、読みたい本を得ているようだ。妖精さんが持ち出して消えた本の行方を捜している方がいるだろうし、女神さまには妖精さんに必ず元の持ち主に返すようにとお願いしているが……果たして大丈夫だろうか。
「ユーリは回せるかなー?」
フソウの出島で売っていた土産の中にでんでん太鼓があったので、ユーリが興味を示してくれるかもしれないと買っていた。私はでんでん太鼓の音を鳴らしながら、ユーリに見せてみるけれど等の本人は良く分かっていない様子である。
腕を伸ばしてでんでん太鼓を手に取っているのだが、流石に正しい遊び方は分からないようである。でんでん太鼓の紐が切れれば、小さい方を飲み込みそうなので『ごめんね、ユーリ』と言ってでんでん太鼓を取り上げる。
「ユーリにはまだ早かったか」
「見せて、楽しんで貰う方が良いみたいだね」
私の後ろでユーリの様子を眺めていたジークとリンが苦笑を浮かべている。私は二人に同意の言葉を伝えて、両腕を伸ばしてユーリの脇に差し込んで彼女を抱き上げた。ユーリの重みで私が後ろにひっくり返らないように気を付けて、肩に彼女の身体を乗せて片方の腕をお尻の下に差し伸べた。途中でクロが邪魔になると私の肩からジークの頭の上に移ったのはご愛敬だ。
ユーリは身体が安定したのが分かったのか、それともいつもより視線が高いのが新鮮なのか、きょろきょろと周りを見渡している。そんなユーリを毛玉ちゃんたちが私の足元で興味深そうに見上げているし、直ぐ近くではヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが微笑ましい視線をこちらへ向けていた。
「重くなったなあ。本当に小さい子の成長は早いねえ」
お仕事で留守の時以外はユーリの部屋を毎日訪れて、抱っこをしているけれど本当に彼女は日々重くなっているし、身長も伸びている。アンファンも出会った頃より背が伸びて、ユーリを軽々と抱き上げているのが少々不満ではあるが。
ユーリのほっぺに私が口を付けても特に嫌がる様子はない。でもあまりしつこくすれば彼女は手を伸ばして、止めろと意思を示す。まだ綺麗に喋れないけれど、単語は口にするようになっているし、ご飯は確実に言えるようになっている。
ユーリが最初に口にした言葉は、ジークとリンとクロにヴァナルと雪さんと夜さんと華さんによれば確実に私の影響ではないかと零していた。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまに屋敷で働く方々まで、納得しているのだから反論できる余地がない。
「一杯食べて、大きくなるんだよ~」
私がユーリの背を撫でながら声を上げる。ふいにリンが側に近寄って彼女が腕を差し出した。
「ナイ、抱かせて?」
「うん」
特に断る理由もないし、ユーリもリンには慣れている。はいとユーリを差し出せば、リンはひょいと軽そうにユーリを抱き上げた。すっぽりとリンの腕に収まったユーリは更に視線が高くなって、きゃっきゃと騒いでいる。
「可愛い。暖かいね」
ふふとリンが目を細めながらユーリをぎゅっと抱きしめた。彼女の肩の上に乗っていたネルが驚いて、私の肩の上に移動してくる。リンがユーリを堪能しているとジークも腕を伸ばして、抱かせてくれと伝えていた。リンはジークに気付いてユーリを受け渡せば、彼女の視線が更に上がりきょろきょろとまた部屋を見渡している。
「人気者だねえ、ユーリは」
私はジークの腕の中にいるユーリに目を細める。彼女を胸板で受け止めて片腕で抱き上げられるのは男性の特権なのだろう。クレイグとサフィールもユーリをひょいと抱き上げて、片腕で支え反対側の腕は添えるだけだ。私は両手で確りとユーリを抱きしめないと、落っことしそうで怖い。
「小さい子は可愛いよ」
「そうだな」
ジークとリンが微笑んでユーリを下に降ろせば、毛玉ちゃんたちが彼女へと一斉に群がってくる。ユーリは桜ちゃんの鼻先を手で押して、舐めるなーと訴えていた。
良く分かっていない桜ちゃんは疑問符を浮かべるも直ぐに遊んでくれていると明後日の方向に勘違いして、ペロペロ攻撃を再開しようと試みていた。でも桜ちゃんも楓ちゃんも椿ちゃんも松風と早風もユーリはまだ小さいから、全力で遊ぶことはできないと理解している。桜ちゃんがユーリにさらに突っ込むと、顎の下に反対側の手を差しこまれてタジタジになっていた。桜ちゃんが勢いで誰かに負けた所を初めて見たと感心していると、アンファンが部屋に顔をだした。
「ご当主さま、おかえりなさいませ」
私たちがいると知ったアンファンは丁寧に礼を執る。彼女をユーリと一緒に預かった初期の頃を考えれば、アンファンもまた凄く成長している。彼女の心の内では私を信用していない可能性もあるが、利用できるなら利用すれば良いと考えている。
「ただいま戻りました。アンファン、勉強は進んでいますか?」
「はい。今、頑張ってる」
時折、彼女の敬語は崩れてしまい妙な言い回しになっているけれど、それも味があるというか。経験を積めば問題なく扱えるようになるだろう。アンファンに勉強を教えているサフィールによれば、頭の回転は速いとのこと。
今はユーリの側仕えを目指しているが、時が過ぎれば新たな夢を抱くかもしれない。その時に困ることがないように確りと勉学には励んで貰いたい。サフィールも時間が空けば子供たちに関すること以外にも学んでいるようだから、そっちも応援しなければ。
アンファンが部屋に訪れたことで毛玉ちゃんたちの興味がユーリから彼女へと移った。アンファンの下に移動して、すんすんと鼻を鳴らし匂いを嗅いでいる。いつものことなので彼女は気にしていないが、私は毛玉ちゃんたちに匂いを嗅ぎまくるのは止めようねと伝える。
二週間後にはフソウに赴くのだから、誰彼の匂いを嗅いでは駄目だよと伝える。毛玉ちゃんたちは理解してくれているのか、いないのか、つぶらな瞳を私に向けて五頭揃ってこてんと首を傾げた。
「え?」
「アンファン?」
アンファンがふいに声を上げたので、どうしたのかと私は彼女の名を呼ぶ。アンファンははっとした顔になるけれど、もう誤魔化しは効かないと理解しているようで真面目な表情になる。
「いなくなるのですか?」
「まだ、いなくなりはしませんが、彼らはフソウ国に移住するのでお試しで少しの間、向こうで過ごします」
彼女が毛玉ちゃんたちに懐いているとは露知らず、私は普通に言葉を返してしまった。もう少し毛玉ちゃんたちの移住話を柔らかく伝えても良かったかと反省をしていると、アンファンがしゃがみ込んで毛玉ちゃんたちの頭を撫で始めた。
いつの間に仲良くなっていたのか不思議だが、毛玉ちゃんたちは心が落ち込んでいる人を見つければ『どうしたのー?』と無邪気に駆けよっている。そうしていつの間にか落ち込んでいる方は毛玉ちゃんたちの押しの強さに負けて、笑っているのだ。その光景を見れなくなるのは寂しいけれど、彼らが大人になるための必要なことだと割り切らないと。
「アンファンが毛玉ちゃんたちに会いたいなら、フソウへ行きましょう。その頃にはユーリも大きくなっているでしょうし、みんなで一緒に。ね?」
私がアンファンに近づいて背を屈めて伝えれば、彼女は言葉の意味を噛みしめている。
「……はい」
アンファンは毛玉ちゃんたちを撫でながら、はにかんでいた。お屋敷の中だけでは経験できないこともあるだろうし、アンファンがフソウに赴いてなにか感じることがあるかもしれない。
『アンファン、一緒に行こうね。フソウ以外にも沢山行ける場所があるから、ユーリがおっきくなった時が楽しみだよ』
クロがいつの間にか私の肩の上に乗って、ご機嫌でアンファンに語り掛けている。ジークとリンも静かに頷いているので、特に問題はないようだ。ユーリの部屋に長居をしても乳母さんが困るだろうと、私は部屋を出ようとそっくり兄妹に顔を向ける。
「では、ユーリをお願いします」
「承知致しました」
「はい」
私の声に乳母さんとアンファンが答えてくれて部屋を後にする。次はポポカさんとグリ坊さんの様子を見に行こうとなった。彼らは神さまの島に赴いていないし、日々をどう過ごしていたのだろう。一応、子爵邸で働いている皆さまにお世話をお願いしているので飢える心配はない。突然、何倍にも大きくなっていたら驚くなあと、子爵邸の庭にある東屋へとジークとリンと私は移動する。
「あれ、いない。どこに行ったんだろう?」
私がポポカさんとグリフォンさんがいないことに声を上げる。いつもであれば彼らは東屋の近くで、幸せそうな顔をして日向ぼっこをしているのに姿が見当たらない。きょろきょろと周りを見渡しても彼らの姿がない。
「いないな。いつもならこの辺りにいるのに」
「どこに行ったんだろうね」
ジークとリンも周りを見渡してもいないなら、この辺りにいないのは確実である。クロもロゼさんとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちもきょろきょろと周りを見渡して心配そうにしていた。
『どうしたのかな。誰か知っている人がいれば良いけれど』
クロが声を上げた時、パカパカと蹄の音が耳に届けばエル一家が顔を出した。
「エル、みんな、ポポカさんたちとグリ坊さんたちを知らない?」
私がエルたちに問えば、彼らはゆっくりとこちらに近づいて顔を差し出す。撫でろという無言の要求に答えて、私とジークとリンは腕を伸ばして彼らの顔を撫でていく。気持ち良さそうに目を細めながら、エルとジョセが口を開いた。
『彼らなら、裏庭におりますよ』
『餌を獲る練習を皆でしているようです』
エルとジョセにポポカさんとグリ坊さんの居場所を聞き出して、裏庭に行こうと歩き始めるのだが、ルカが変顔を披露しながら地面にしゃがみ込んで乗れと主張している。
乗らなければ乗らないでルカはしょぼんとして最後尾をゆっくりと歩く。仕方ないと私がゆっくりとルカに跨れば、ひょいと地面から立ち上がり嘶きを上げた。ルカ、ルカの嘶きが響くと某ご令嬢さまが飛んできそうなので控えてくださいと、私は手を伸ばして彼の身体を撫でる。
「ルカ、ゆっくり移動してね。ルカから落ちる自信が九割くらいあるよ」
ルカがぴゅーと走れば私は振り落とされる確信がある。なのでゆっくりと移動して欲しいと願い出るのだが、ルカは聞き耳を持ってくれているだろうか。
「後ろ、支えようか?」
リンがルカの側に近づいて、私を見上げている。リンを見下ろすのは新鮮だなと感心している場合ではない。私の身の安全のためにリンには後ろに乗って貰おうとルカに聞いてみた。特に問題はないようで、ルカはぶるると短く鼻を鳴らした。
エルとジョセは微笑ましそうに、ジアは少し呆れているような雰囲気を出して私たちを見守ってくれている。そうしてリンがひょいとルカの背に飛び乗って、私の後ろに回り手が伸びてくる。身体をぴったりと密着していれば私が振り落とされることはないはず。でもジークは心配なのかルカの横に付いて歩き始めた。
「リンがいれば心配はいらないが、ナイが落ちたら大騒ぎになる」
ジークは私の視線に気付いたのか、私に視線を数秒だけ向けて前を向く。少し照れているような雰囲気がジークにあるようなと首を傾げると、リンが後ろで小さく笑っていた。
なんだと頭の上に疑問符を浮かべていると裏庭に辿り着く。畑の妖精さんが元気にお野菜さんたちのお世話をしている側で、グリフォンさんとポポカさんとグリ坊さんたちがなにかしている。リンがルカの背からひょいと飛び降りて、私がルカの背から降りる補助を担ってくれた。リンの行動は小さな子供を高い所から降ろす仕草に似ているけれど、気にしたら負けだと自分に言い聞かせた。
『おや、ナイさん』
「エルたちにグリフォンさんたちが裏庭にいるって聞いて様子を見にきたよ。グリ坊さんたちは?」
『自前で餌を獲れるようにと、ポポカたちが教え込んでくれています。私では無理なので有難いですね』
グリフォンさんが私たちに気付いて、こちらへと脚を向けた。ポポカさんとグリ坊さんたちは家庭菜園の中に入って、地面をじーっと見つめていたり、生えているお野菜に視線を向けていた。
凄い絵面だけれど、時折嘴を動かしてもごもごとさせているから小さい虫を獲って食べているようだ。母グリフォンさんの狩猟方法は『ピョエ―!』と一鳴きすれば、相手が驚いて気絶している間に捕まえるとのこと。確かに声帯が発達していないグリ坊さんたちには無理な方法だ。暫くポポカさんとグリ坊さんたちの餌取り姿を見ていると、地面からマンドラゴラもどきが勝手に走り出す。
『びょえぇぇぇえええええええ!!』
とマンドラゴラもどきが叫び声をあげた側から、グリ坊さんがマンドラゴラもどきを脚で押さえつけ嘴で突っついている。虫もお野菜も食べることができるのねと私が感心していると、グリ坊さんがマンドラゴラもどきの二股に分かれた根っこの部分がじたばたと暴れているのに、嘴の中へと放り込む。幸せそうに食べているなら良いかとジークとリンに視線を向ければ、今見た光景に彼らも少し引いていた。
『羨ましいですね』
『マンドラゴラもどきは地面から生え出た瞬間が一番美味しいですから。グリ坊たちが躍起になるのも分かります』
マンドラゴラもどきたちは彼ら魔獣の好物なのねと息を吐き、グリ坊さんたちも日々成長しているようでなによりと裏庭を後にするのだった。






