1070:一方で。
唐突に男の仔の名前が判明して驚いたものの、事件が解決の方向に向かっているようでほっとする。フソウ国のドエの都から西にある領地――出島は更に西の位置にある――がどんな場所か気にはなるけれど、赴くなら問題が解決して落ち着いた頃の方が得策だろう。
話し合いは終わり各々自分のお仕事のために向かっている。帝さまは雪さんと夜さんと華さんと男の仔と一緒に上座におり、ナガノブさまは指示を出すためにドエ城に戻っていった。そして私たちアストライアー侯爵家一行は帝さまと個人的な話をするために部屋に残っている。毛玉ちゃんたちは話し合いが終わったと理解して、上座にいる男の仔の側に寄って行った。どうやら寂しくないようにと男の仔を気遣っているようだった。
『権太はオイラの母ちゃんが付けてくれたんや』
男の仔がドヤ顔で帝さまと私に告げると、毛玉ちゃんたちもスカーフを巻いている胸元を強調して顔を天井の方へと上げている。私はなにをしているのかと笑いたくなるのを我慢していれば、男の仔が不思議そうな顔を浮かべた。
『なんでこいつら、オイラの側におるんやろ?』
こてんと首を傾げて男の仔が不思議そうに毛玉ちゃんたちを見ていた。毛玉ちゃんたちは男の仔に更に近づこうと試みたけれど、少し前にペロペロ攻撃をし過ぎて嫌がられたことを学んだようで適度な距離感を守っている。
松風と早風が男の仔の側を離れようとしない。男の仔同士、なにか感じたものでもあるのだろうか。それにしても成長したなと私は感じていると、雪さんたちが目を細めて男の仔を見た。
『松風と早風は坊に懐きましたねえ』
『異種族ですが、良いことです』
『これは将来が楽しみですね』
ふふふと笑う雪さんたちに毛玉ちゃんたち、特に松風と早風がドヤ顔を披露している。男の仔は仕方ないなという様子で毛玉ちゃんたちが側に居ることを許している。
毛玉ちゃんたちはフソウに移り住む予定だから、仲良くなるのは良いことなのだろう。彼らの相手を務めるのが人間だけというのも寂しい気がするから、魔獣仲間がいて良かった。百歳程、年齢が離れているけれど、おそらく問題にはならないはずである。
「毛玉ちゃんたちはフソウに移り住む予定なので、もしよければ仲良くして頂けると嬉しいです」
私の言葉に隣に座っている女神さまがうんうんと頷いていた。
『し、仕方あらへんな! 人間に化けることもできへん奴の面倒なんかみとうないけど、アンタらが言うならしゃーないから面倒みたる!』
男の仔は二本の尻尾を振りながら腕を組んで、ふんと鼻を鳴らし明後日の方向へと顔を向ける。どうやら照れているようで、顔も少し赤くなっていた。なんだろうツンデレのような態度はと苦笑いを浮かべると、男の仔が『笑わんでええやん!』と突っ込みを入れてくれる。やはり彼は関西的なノリだよなあと懐かしさを感じながら、フソウを去る時間が刻一刻と近づいている。
「ナイ、この度は雪と夜と華とヴァナルさんの仔たちの話し合いの場に参加頂き感謝致します」
帝さまが笑みを浮かべて私に言葉を掛けた。彼女はフソウから出れない身だから、アルバトロス王国に訪れることはない。おそらくナガノブさまも就いている役職によって、彼もアルバトロス王国や侯爵家にくることはないだろう。
他国に高い関心を持っている方というのに、少々勿体ない気もするがフソウ国の文化や風習を考えると無理な話だ。でも私であれば身軽にどこでも移動できる。竜の皆さまのご厄介になるか、ロゼさんの転移におまかせすることになるけれど、移動手段があるので助かっている。
「いえ。まだ先の話となりますが、彼らを宜しくお願い致します」
毛玉ちゃんたちの最終的な移住は来年の春からなので、それまでに何度かフソウにお試し泊まりするので慣れてくれると良いのだが。今回で新たな友人ができそうだし心配は必要なさそうだ。あとは男の仔のお母さまが祀られた神社の件が無事に解決することを祈るばかりである。
「承知しております。我が国の神獣の仔たちです。フソウの名に誓い、決して粗雑な扱いなど致しません」
帝さまが胸に手を当て誓いを立ててくれる。私は彼女に確りと頷くと、雪さんたちもゆっくりと頷いて目を閉じている。ふと、神社という文言が頭を過り、気になったことを聞いてみようと私は口を開く。
「祠で思い出したのですが、敷地にあった神社はどうなったのですか?」
朝廷、帝さまが住む御所にあった例の刀を祀った神社のことである。私が浄化を担った例のアレはどうなったのだろうか。幽霊として夜な夜な出てきていなければ良いけれどと私は帝さまを見た。
「呪いは解けましたからね。境内に太刀を納めて毎日祝詞を捧げておりますよ。特に変わったことはないので、もう心配は必要ないかと」
帝さまはその節はお世話になりましたと言いながら、今の状況を教えてくれた。屋敷に入る最中、鳥居の横を通ったけれど聞くタイミングを逃していたのだ。なにも起きていないなら良かったと安堵して、男の仔の件や今後のことを伝える。
そうして、また二週間後に会いましょうと告げフソウからアルバトロス王国へと戻るのだった。
◇
――俺とユルゲンは聖王国へと戻っていた。
数日前、外務卿であるシャッテン卿とハイゼンベルグ公爵閣下から、ナイさまに同行するか、聖王国の状況を見守るかと問われて俺が選んだ結果だから後悔はしていない。
「エーリヒ、アストライアー侯爵閣下の随行はしなくて良かったのですか?」
長い緑色の髪を揺らしながら俺に問うているユルゲンには申し訳ないけれど、俺は今の聖王国がきっちりと将来の道筋をつけられるのか心配だった。といっても他国の人間でしかない俺が聖王国にできることなんて凄く限られている。だが。
「閣下がフソウに赴くなら問題は少ないはずだし、聖王国の状況の方が気になるから……」
公私混同をするわけではないと言いたいが、周りの方たちは俺が口に出したところで信じてくれそうにない。ならば行動や実績で示すべきだし、ナイさまからおこぼれの功績を頂いても仕方ない。本当に俺の隣を歩いているユルゲンには申し訳ない選択をしたと思っているけれど、俺が謝ったところで彼は困るだけ。言わぬが花という諺があるように、俺自身の態度で示すしかない。
「確かに侯爵閣下より、聖王国の方が気になりますね。猊下が立ち上がったことで体裁は保てていますが、聖王国内部は大変な状況です」
ユルゲンの言葉通り聖王国内部は右往左往している状況だ。どうにも覚悟のない方が多いことと、保身に走る方が多いために外部からの監視員の受け入れを渋っている節がある。
教皇猊下の一声によって不満は握りつぶされているものの、将来禍根を残しそうな状況だった。不満が爆発しなければ良いけれど、そうなればとナイさまが『フィーネさまと教皇猊下と彼らを支えた方の意思を無下にする気か』と怒ってしまう。
そうならないためにも聖王国行きを決めたのだが、果たしてどうなるのやら。俺たちはフィーネさまの後見人である、先々々代の教皇猊下の下へと向かうため、官邸の長い廊下を歩いている最中だ。
時折、不躾な視線が聖王国の方から飛んでくるけれど、ふふふと笑い返している。視線を飛ばしてる相手には俺たちの笑う姿は不気味に見えていることだろう。それで多少は彼らの悪い所が抑えられるならば、監視員役として派遣された意味はあるはず。
「彼らも懲りませんね」
「ちゃんと意志を改めて頑張ろうとしている方もいるけれど……今みたいな方が悪目立ちしているからな」
ユルゲンが肩を竦めながら呆れている。本当はまともな方の方が多いのに、どうしても今俺たちにガンを飛ばしてきた方が目立っているのだ。他国の者に視線を飛ばすよりも、自国のことを気に掛けて欲しい。
他の国の監視員にも同じことをやっていないか気になるから、折を見て他国の方と接触できると良いのだけれど……他国の方も聖王国の現状に呆れているのではないだろうか。
フィーネさまは寝起きをしていた官邸から大聖堂に生活の場を移しているので、俺と接触することはない。ナイさまお抱えの諜報員の方がフィーネさまの状況をこっそり俺に伝えてくれている。
彼女とイクスプロード嬢と大聖女ウルスラと聖王国の聖女さま方は大聖堂で治癒活動を行わず、聖女を頼って大聖堂に訪れた方々に外で行っていた。そして聖王国がきちんと持ち直せば、フィーネさまを始めとした聖女さま方は大聖堂に戻って治癒活動を再開すると公言している。
「聖王国の聖女さま方は演技が上手いですねえ。どこで習ったのやら」
「そうだな」
ユルゲンの声に俺は女性は演技が上手いぞとは言えなかった。細かい顔の仕草の作り方は男より女性の方が上手い気がする。聖女さま方の演技が上手くて、聖王国の市井の方たちは自国の上層部が腐敗していることに気付いたようだ。
三年前のナイさまの件もきっちりと皆さまに伝えているようで、聖王国の市井の皆さまが感じていた彼女の評価が少々変わりつつあるそうだ。まあ、これについてはナイさまの諜報員の方がここぞとばかりに真実を流していることもあるのだろう。
聖王国の大聖堂近くでは吟遊詩人がナイさまのこれまでの活躍を語っているらしいし。ナイさまの知らない所で彼女の偉業が褒め称えられている状況を見て、ナイさまが『どうしてこうなった!?』と頭を抱えている姿がアリアリと想像できた。
「そろそろ部屋に辿り着きますよ」
「ちゃんとしなきゃな」
ユルゲンと俺は顔を見合わせて背筋を伸ばした。今から会うのは先々々代の教皇を務めた方である。歳を召した方ではあるものの雰囲気が凄い方なのだ。粗相はできないと胸を張り、警備に就いている方に俺が声を掛けると、暫くして部屋の中へと案内された。
すると部屋には意外な人物が居合わせていた。教皇猊下が部屋にいるのは理解できる。先々々代の教皇さまと現教皇猊下なのだから、相談くらいするだろう。しかし……何故、乙女ゲームのファーストIP二期のヒーローの一人と三期のヒーローの一人が俺たちの前に立っているのだろうか。
俺の頭が混乱に陥りそうになるのを、どうにか感情を御して平静を務める。今、ゲームとは全然違う状況になっているのだから、過剰にゲームのシナリオを気にする必要はないし、目の前にあることに対してきちんと立ち向かい結果を出すべきだ。気持ちをどうにか切り替えた俺は誰にも悟られないように、深く長い息を吐いた。
「失礼致します。教皇猊下、シュヴァインシュタイガー卿」
俺とユルゲンが礼を執れば、目の前のお二人がやんわりと笑みを浮かべた。ちなみにシュヴァインシュタイガー卿とは先々々代の教皇猊下の家名である。教皇猊下の座を退いて、男爵程度の神職位を得ているそうだ。
「そう畏まらないでくれ。非公式な場だからね」
「忙しい君たちを呼び出したのは我々だ。すまないね」
さて、彼らからどんな言葉が飛び出るのかと俺とユルゲンは気を引き締めるのだった。






