1066:狐の仔
雪さんと夜さんと華さんが外に出てから一時間ほど経っていた。ただ待っているだけでは暇だし、クロたちの様子を見守りながら出されたフソウ料理を堪能している。朝廷の豪華なお料理は美味しいし、相撲取りの方が作ったちゃんこ鍋もいろいろな出汁がベースとなっていたので、少量ずつ堪能させて頂いた。
中に入れている具材も微妙に違うので飽きることはなかったし、周りの方々が私に対してよく食べるという視線を向けていたのはご愛敬である。お相撲さんのように短時間で大量を食べることはできないけれど、時間を掛けて量を食べるのは私の得意技なのだろう。
ゆっくりと食事を楽しめるのは良いことだと、最後の一口となったつくねさんを私の口の中に放り込んだ。何度か噛めばお肉と薬味の味がバランスよく口の中に広がってごくんと嚥下する。まだ少しお腹に空きはあるけれど、これ以上食べると動けなくなるので箸をお膳の上に置く。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて頭を下げると、西の女神さまと帝さまとナガノブさまが私を見ながら笑っていた。
「凄く食べてた。よく収まったね」
西の女神さまが怪訝な顔で私のお腹に視線を向けていた。普段より私のお腹はぽっこりと出ているけれど、聖女の衣装はゆったりしているので分からないはずである。私がお腹を押さえると、西の女神さまは面白そうに笑っている。クロは彼女の膝の上で寝息を立てており、時々翼がぱたりと動いたり脚が動いている。クロが夢を見ているなら、幸せで楽しい内容でありますようにと願いながら私は言葉を紡ぐ。
「フソウのお料理は美味しいですから」
「確かに変わっているけれど、美味しかったね。ナイの屋敷で食べたことある品も出てた」
私が沢山お料理を頂くのはひとえに、料理人さんたちが作った品が美味しいからである。不味ければ完食はするけれど、おかわりをお願いしない。女神さまはフソウ料理を珍しいと捉えているようだった。
西大陸ではフソウのような日本食ではなく洋食がメインだから、西の女神さまはアルバトロス王国と各国で提供されるお料理の方が馴染み深いようである。それでも今日、出されたお料理は綺麗に食べきっていたし、ちゃんこ鍋も物珍しそうにふーふーしながら食べていた。
クロが酔ってダウンしてから、膝の上のクロを愛でるのに忙しかったようで食事を中断していたが。西の女神さま的に美味しかったフソウ料理は茶わん蒸しだったとのこと。私も茶わん蒸しは大好きなので、エーリヒさまかフソウの料理人さんにレシピを聞いて子爵邸の料理人さんに作って貰おうと彼女に伝えれば『嬉しい』と小さく声を零していた。
女神さまと私が話し終えるのを待っていた帝さまが、こちらへと顔を向けた。私は西の女神さまと一緒に帝さまへと視線を向ける。彼女の隣にはナガノブさまも並んでいた。
「お粗末さまでした。ご満足頂けたようでなによりです」
帝さまが背筋を伸ばした綺麗な正座で目礼を執る。私も頭を下げて返礼し口を開いた。
「いつも美味しいお料理をありがとうございます。賄い方の皆さまにもお礼をお伝えください」
フソウに立ち寄る度に帝さまとナガノブさまからお誘いを受けて、美味しいお料理を頂いている。宴を開けば公費を使っているのだから、厳しい方は開催し過ぎですと帝さまとナガノブさまに苦言を呈していそうだ。
大丈夫か心配になるけれど、その分は私が出島やドエの都でお買い物を頑張れば良いだろう。単衣や浮世絵を持って帰れば、物珍しさでお貴族さまに人気が出そうだし、日本刀やフソウのお金も物珍しい品になるのではなかろうか。
王都の子爵邸から侯爵邸に引っ越しを済ませたら、引っ越し祝いのパーティーを催して私の社交界デビューを済ませようとなっている。デビュタントをどうすれば良いのかさっぱりだけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまに任せておけば大丈夫。
そこからは少しづつ夜会に参加する予定である。とはいえ一般的なお貴族さまよりも、かなり参加回数は少なくするらしい。私の知名度と交友関係が凄いので、今以上広げても意味は薄いから縁を深めていこうという寸法らしい。
しかしまあ、帝さまもナガノブさまも宴を開けば楽しそうにしている。問題は少ないはずだと帝さまを再度見た。
「ふふふ。ナイが喜んでいたと知れば、皆、喜びましょう」
帝さまが綺麗に笑うと西の女神さまが私の側に少しだけ寄る。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
どうにも西の女神さまは私の言葉を真似をしていた。ごちそうさまという言葉はフソウの方々と私たち幼馴染組しか使わない。女神さまは子爵邸で数日過ごしたお陰なのか、私たち幼馴染組の習性が移ったようである。西の女神さまに目を真ん丸に見開いて驚いている帝さまは、はっとした表情になって頭を下げる。
「女神さまにまで認められようとは。我々一堂、精一杯のおもてなしを務めさせて頂きましたが、不手際はございませんでしたか?」
帝さまやナガノブさまやフソウ国の方々は八百万の神の精神が染みついているはずである。私も八百万の神さまはいると信じている口だけれど、生まれた時代が違うためか感覚が彼らとは違うようだった。
私の神さま方に対する態度が軽すぎるのかと悩み始めるも、今更彼らを敬えば『気持ち悪い』とグイーさまに言われそうである。私の女神さま方に対する態度を責められたことはないので大丈夫と自分自身に言い聞かせた。
「大丈夫。私は西大陸以外の場所がどんな所か気になってナイと一緒にきただけ。なにも問題ないし、普通に受け入れてくれてありがとう」
西の女神さまが小さく笑う。もしかして西の女神さまは、地上に光臨したら集まった人間に悩みを打ち明けられたり問題解決をして欲しいと請われていたのだろうか。普通の人として受け入れられることに憧れでもあったのかもしれない。
女神さまも大変だと肩を竦めれば、西の女神さまの膝の上で寝ているクロが一度目を開け、ふすーと深い息を吐いて目をまた閉じる。クロの酔いは少しでも醒めただろうか。雪さんたちは戻ってこないなと他所事を考え始めると、帝さまとナガノブさまが頭を下げる。
「小さな国ではありますが、いつでもお越しくださいませ」
「我々のできうる範囲で歓迎いたします」
帝さまとナガノブさまが今度は小さく頭を下げると、女神さまが『よろしくね』と声を上げた丁度その時だった。
『障子を開けてくださいな』
雪さんの声が唐突に響く。係の方が言われるまま急いで障子を開ければ、宴会場の前には元の姿に戻っている大きな雪さんと夜さんと華さんの姿があった。
そして夜さんの口からだらんと幼子が下がっている。五歳くらいの男の子だろうか。単衣一枚で寒くないのか心配になってくるものの、半分見えているお尻の所から立派な尻尾が二本出ていた。雪さんたちに怒られたのか、ぷらんと下がったままだし、彼の尻尾も同様にぷらんと下がったままである。
『クロさんとアズさんとネルさんは?』
『おや、まだ目が覚めておりませんか。では、先程の続きをしましょう』
夜さんと華さんが目を細めながら宴会場に視線を向けている。クロたちの現状を理解して、今から謝罪をするのは無理だと悟ったようである。毛玉ちゃんたちは雪さんたちが戻ってきたことが嬉しいのか、宴会場からぴゅーっと走り出して彼女たちの下へと走って行く。
まあ、雪さんたちの口からぶら下がっている男の仔――多分妖狐の仔供――が気になるだけかもしれないが。華さんの言葉で男の仔の頭から生えている狐耳がぴくりと動く。
『は? なに言うとんのや! 説教は終わった言うたやんか! ばば…………』
銀糸の長い髪と綺麗な顔をした子供、フソウ風に表現すれば童が顔を上げて雪さんたちに抗議した。少し不味い言葉を最後まで言わなかったが、雪さんたちは青筋を立てている。
『まだまだ小童でございます』
『口の悪さは今からでも直せましょう』
『時間はいくらでもありますわ。貴方の母上の代わりに躾と教育を施さねば』
バフバフ尻尾を振りながら夜さんが男の仔を口から離せば地面に尻餅を付いいて、お尻を抑えている。その様子を見ていた毛玉ちゃんたちがわーっと駆け出して『大丈夫?』『誰?』『匂う~』『狼じゃない』『小さい』と言いたげに男の仔の回りを回っている。
『うわっ! なんや、コイツら!? オイラに絡むな!』
クンクンクン、更にクンと毛玉ちゃんたちが男の仔の匂いを嗅いでいるのが嫌なのか、もふもふの二本の尻尾を逆毛立て男の仔は警戒していた。片方だけへにょんと耳が下がっているので、毛玉ちゃんたちが怖いのだろうか。
しかし、男の仔の言葉使いは関西弁そのもののような気がする。大阪が存在しているなら、前の世界だと『天下の台所』と呼ばれていたので是非とも訪れてみたい。蟹さんが沢山食べれそうだし、関西特有の食べ物がありそうだ。
『私たちと番さまの仔です』
『仲良くしてくださいまし』
『ああ、番さまも坊に紹介せねばなりませんねえ』
雪さんたちがヴァナルを呼んだので、宴会場からヴァナルがゆっくりと出て行って彼女たちの下へ行く。ヴァナルは雪さんたちの横に腰を下ろして、首を下げながら男の仔を見下ろしている。
毛玉ちゃんたちは未だに男の仔の匂いを嗅いでいるので、凄く気になっている様子だ。あ、桜ちゃん、男の仔のお尻の匂いを嗅いじゃ駄目だよ。いや、生き物だし狼だからお互いのお尻の匂いを嗅ぐのは習性としてあるけれど、後年、その話が出れば桜ちゃんは恥ずかし過ぎて憤死するのではなかろうか。
『小さい。よろしく』
ヴァナルが男の仔に挨拶をすれば、
『ぬわっ! 犬や! 犬やのにすげー雰囲気や!』
『犬じゃない。ヴァナル、狼のフェンリル』
男の仔がヴァナルを犬だと勘違いしているようだった。確かに今のヴァナルは狼サイズなので、元の姿を比べれば凄く小さいけれど……なんだかこの後の展開が読めた気がする。
『そんな小さいのが狼なわけあらへんやろっ!』
へん、っと鼻を鳴らした男の仔にヴァナルが微妙な顔をして元の姿に戻ろうとしている。朝廷の庭が凄く広くて助かったと私が安堵していると、ヴァナルが元の大きさに完全に戻った。一〇メートルくらい体長があるので本当に大きいなあと感心していれば、男の仔が涙を目尻に溜め込んでいた。
『ふえ……』
男の仔はヴァナルが想定外の大きさになったことで驚きを隠せず、ついに漏らしてしまった。地面に世界地図を描いているのだが、毛玉ちゃんたちは綺麗に描かれた世界地図を踏んではならないと少し距離を取っている。
『あらあら、まあまあ』
『番さまの本当の姿は、坊には刺激が強すぎましたねえ』
『ああ、ほら。濡れたままでは風邪を引いてしまいます。誰か、代わりの召し物を』
雪さんと夜さんと華さんが状況に少しだけ驚きつつも、着替えを用意して欲しいとフソウの方に伝えた。そうして係の方がぱたぱたと早足で廊下を去って行く姿を私は横目で見ていた。
『驚かせて、ごめんなさい』
するするとヴァナルが狼サイズへと戻って、しょぼんと少し煤けていた。ヴァナルは男の仔を脅かすつもりはなく、単にフェンリルとしての威厳を見せたかったようだ。
毛玉ちゃんたちが落ち込んでいるヴァナルの回りを走り回り始めた。どうやら五頭はヴァナルに元気を出して欲しいようである。そして落ち込んでいるヴァナルに雪さんたちも『気になさらないでください』『力の差は致し方ありません』『単純な仔なので明日には忘れております』とヴァナルを慰める。割と男の仔に辛辣だけれど雪さんたちはまた男の仔の単衣を器用に口に挟み、宴会場へと脚を進めるのだった。






