1065:お鍋を囲もう。
竈で炊いたお米さまはとても美味しいし、アジの塩焼きも塩の加減と焼き具合に炭火で焼いているからとても美味しい。ほかにも沢庵とほうれんそうのお浸しも揃っていて、ザ・日本食というメニューだった。
食べている途中で配膳係の方から私は赤い漆が塗られているお椀――金細工も凄い――を受け取り、中身を確認すれば、ちゃんこ鍋をよそってくれたものだった。お野菜さんたっぷりで、つくねが三つ入っている。ナガノブさまが食べ比べをしてみるのも面白いと教えてくれたので、他のちゃんこも楽しみである。クロは用意された果物を美味しそうに咀嚼している。
私はお椀から湯気が立っているので熱いだろうなと、ふうふうと何度も息を吹きつけて最初にお汁の味を確かめた。
「美味しい」
熱いと分かっているので、舐める程度に留めておいたが、醤油ベースにお出汁が効いて味が凄くはっきりしていて凄く美味しい。お出汁を吸い込んだお野菜さんとつくねさんもきっと美味しいぞと、お箸で具を掬う。
また、ふうふうと息を掛けて味がしみ込んでいそうな白菜さんを口の中へと放り込んだ。ぐつぐつ煮込んでいた鍋から取り分けて時間が余り経っていないのか、白菜さんは凄く熱い。はふはふと口から湯気を出しながら、早く冷めてと肺から空気を絞り出す。口の中の熱さが随分とマシになり何度も咀嚼して、お出汁と白菜さんそのものの味を楽しんでから飲み込んだ。食道を通っていく白菜さんはまだ温かく、下へ下へと流れて私の胃へと収まっていった。
「?」
ふいに視線を感じて、そちらの方へと私は顔を向けてみる。西の女神さまが私の視界に映って、彼女はいつもの感情が分かり辛い表情のまま口を開いた。
「凄く、美味しそうに食べるね」
西の女神さまの表情が乏しくて、少し言葉の意図を掴みかねる。笑みでも携えていてくれれば、私が間抜けな顔を晒していて面白かったと推測できるのだが。
「変な所を見せてしまって、すみません」
一先ず無難に西の女神さまに返事をするべきだろうと、小さく頭を下げておく。お椀とお箸を持ったままなのでお行儀が悪いけれど、食事中なので致し方ない。
「ううん。食べることは大事だから気にしなくて良い。ナイみたいに私も感情が顔に出易ければ良かったんだけど……」
「確かに普段は表情は乏しいですが、クロたちと話している時の女神さまは嬉しそうですよ」
ご本人が気にするほどではないような気もする。確かに普段の表情は感情を読み取り辛い。今も気持ち眉尻が下がっているし、心なしか普段より声も小さい気もする。クロとヴァナルと雪さんたちに、エル一家とグリフォンさんたちと言葉を交わしている時の女神さまは穏やかな雰囲気で彼らと一緒にいるのだが。私は手に持っているお箸とお椀を置いて、女神さまと確りと視線を合わせた。
「そうなの? 父さんにも妹たちにも私の感情が分かり辛いって言われてたから」
あまり自信はないなと女神さまがぽつりと零す。グイーさまと南の女神さまは豪快な方なので、相手の方がかなり分かり易くなければ感情を読み取るのが苦手そうである……私以外はという注釈がつきそうだが。
西の女神さまよりも北と東の女神さまの方が私は感情が読み取り辛いのだけれど、どうしてこうも評価が違うのか。まあ自分のことは良く分からないと言われているし、西の女神さまもご自身のことは掴みかねているのかもしれない。
「気にしすぎかと。きっと大丈夫です」
「そうだと良いな」
私が片眉を上げながら笑えば、西の女神さまも微かに笑う。やはり、きちんと女神さまを見ていれば、ある程度の感情は読み取れるはず。時々分からないこともあるけれど、それは先ほどのような話す直前とかである。女神さまと相対して言葉を交わしていれば問題はない、はず。私が肩を竦めていると、頂いた果物を食べきったクロがこちらへ戻ってきた。
『ナイもぉ、君もぉ、真面目な顔をしてぇどうしたの~?』
いつもより間延びしているクロの声に違和感を覚える。クロの歩容が千鳥足になっており、四本脚で歩いているというのに凄く危なっかしい。
「クロ?」
「フラフラしてる。大丈夫?」
私がクロの名を呼び、女神さまは平気か問えば、クロは私の前でぱたりと畳に身体を付けて、へなへなと翼を伸ばした。こんな状態は初めてだから熱でもあるのだろうかと、クロに右手を延ばす。
『大丈夫ぅ。貰った果物がねぇ~凄く美味しかったからぁ~、一杯食べちゃったぁ~えへへぇ~』
クロが続けてナイの手は冷たくて気持ち良いと、若干呂律が回っていない声を上げる。クロの身体はいつもより熱を持っていた。ひんやりと冷たいのが特徴なのに、今はほんのり温かい。鱗が身体の熱を遮って竜の表面はひんやりしていると、ディアンさまから聞いたことがある。それから導かれる答えは熱かと私が唸ったところで、西の女神さまが声を上げる。
「酔ってる?」
女神さまが私の顔を見て、首を軽く捻りながら原因をぽつりと呟いた。クロの様子に気が付いた帝さまとナガノブさまもこちらに視線を向けて心配そうに見ている。ヴァナルと雪さんたちも気が付いて、クロが心配だったのかこちらに歩いてきた。
「酔っているんですか、これ?」
確かに酩酊状態に似ているけれど、竜ってアルコールに弱いのだろうか。それに果物を食べていただけで、クロがこんなになるとは信じがたい。その証拠に帝さまがクロが食べていた果物をフソウの方に調べて貰うように命を下し、ナガノブさまも真面目な顔で帝さまとなにか話していた。
『おや、まあ』
『これはまさか……』
『坊の仕業でしょうかねえ』
雪さんと夜さんと華さんがクロの状態を見て、誰かが起こしたことだと口走る。クロは畳に付けていた顔を上げて私を見た。
『ボクは平気だよぉ~』
全然平気じゃないと声を大にして言いたくなるが、全然大丈夫そうでないクロを私は膝の上に移動させる。そういえばクロと一緒に果物を頂いていた仔たちは大丈夫だろうか。
「アズとネルはっ!?」
私は声に出しながらジークとリンの方を見る。ジークの腕の中にアズが、リンの腕の中にネルがいて、クロ程ではないけれど目を回している様子だった。
『申し訳ありません、ナイさん』
『悪戯好きの狐の仔の仕業でございます』
『あの仔が竜を酔わせるほどの力を持つだなんて信じられませんが……』
雪さんと夜さんと華さんが申し訳なさそうに謝ってくれた。どうやら化け狐の仔がフソウの賄い部屋で悪戯を施していたようである。竜に影響を与える力があるようだから、きっと強い魔物か幻獣かの類いなのだろう。
一先ずクロとアズとネルには酔い覚ましの魔術を施しておく。なんでも教わっておくものだなと、術を習ったシスター・ジルに感謝する。酔い覚ましの魔術はお金持ちの方が頼ることが多いそうで、お小遣い稼ぎに丁度良いですよと彼女が私に教えてくれていたのだ。シスター・リズからも便利な魔術を教わったものの、彼女の魔術は私にとってかなり繊細な部類に入るため少々苦手だ。
私の膝の上で目を回していたクロとジークとリンの腕の中にいるアズとネルは、すやすやと寝息を立て始めた。術が効いて良かったと安堵していれば、ジークとリンも小さく息を吐いている。女神さまもクロが心配で私の膝の上で寝息を立てているクロを覗き込んでいるから、彼女にクロを預ける。クロを膝の上に寝かせた女神さまは、愛おしそうに目を細めてクロの背を撫でていた。
「すまない、ナイ」
「ご迷惑をお掛けしてしまいましたね。フソウの生きる伝説だった化け狐の仔の仕業故に我々人間では対処できませんでした」
ナガノブさまと帝さまが私に頭を下げてくれる。命に関わる状態ではないし問題にする気はないけれど、軽い抗議は入れておいた方が良いのだろう。内々で済ませるから大事にはならないが、次があっては困る。魔物か魔獣の仕業であれば防げないかもしれないが体裁は大事だ。
「いえ、次はなきようにお願い致します」
私が帝さまとナガノブさまに伝えると、お二人は確りと頷いてくれる。しかし帝さまが仰った『生きる伝説だった化け狐』ということは、もう生きてはいないのか。でも仔を成して次代を残しているようだ。
その仔狐さまがこっそりと賄い方に忍び込んで、悪戯を敢行したようである。確かに仔供がやりそうな悪戯だ。私の横でクロとアズとネルを気にしてくれていた雪さんたちが畳から立ち上がる。ふうと息を吐いた雪さんたちが私を見た。
『少し、悪戯が過ぎましたねえ。クロさんとアズさんとネルさんを酔わせるとは』
『あの仔に母親はいませんから、我らが諫め謝罪をさせねば』
『少し失礼しますね。直ぐに戻りますので、皆は宴を楽しみなさい』
雪さんがやれやれと、夜さんが狐の仔に少しばかりの怒りを、そして華さんが外に出ると言い、彼女たち以外は宴を楽しめば良いと告げた。
『ヴァナルも行く?』
こてんと首を傾げたヴァナルが雪さんたちに問う。ヴァナルは雪さんたちのことが心配で、一緒に行くと申し出たようだ。ヴァナルは優しいねえと感心していれば、雪さんたちがテレテレとした表情で彼と視線を合わせている。
『番さまは、ナイさんの側に』
『必ず無事に戻ります故に』
『番さまのご心配、凄く嬉しいです』
嬉しそうに笑っている雪さんたちに、ヴァナルが鼻先を近づけて顔と顔を合わせてスキンシップを取っていた。お互いにお互いの匂いを刷り込んでいるような行動に、私が目を細めていると近くで『ぶふっ!』と妙な声が漏れたが気にしてはいけないと、音が聞こえた方向へ顔を向けるのを我慢する。ひとしきり撫で付ければヴァナルと雪さんたちは満足したようで顔と顔を離した。
『分かった。気を付けて』
ヴァナルの声に雪さんたちが『心配は無用です』『この地は我らの庭』『無法者に容赦はしません。いえ仔の悪戯なのでもちろん加減を致します』とそれぞれが告げれば、係の方が障子をすぱん、と開く。
開かれた障子を抜けた雪さんたちが大きく跳躍して、二歩、三歩と朝廷の庭を進む。彼女の姿が見えなくなれば、すすすと静かに障子が閉まった。私はふうと息を吐き、クロとアズとネルの方を見る。特に問題はないようだと息を吐いていれば、帝さまとナガノブさまが私の真ん前に腰を落とす。
「申し訳ありません、ナイ」
「我々の落ち度だ」
お二人が頭を下げると、宴に参加していたフソウの面々も丁寧に頭を下げた。
「先ほども言いましたが、魔物か魔獣の類いの悪戯ですし気になさらないでください。雪さんたちが解決に動いてくれるようなので、少し待ちましょう。しかし生ける伝説だった化け狐というのは?」
私は気になっていたことを帝さまとナガノブさまに問うた。私の言葉を聞いた帝さまによれば、何千年も生きていた妖狐がいて少しばかり前に力尽きたそうだ。その妖狐が残した仔がフソウで頻繁に悪戯をしているらしい。
母狐が亡くなり人間に対する悪戯や嫌がらせは殆どなくなっていたが、どうやら仔狐が力を付けてきたようだ、と。仔狐があと百年、千年と生きれば母狐と同じように妖狐となってフソウで恐れられる存在になるだろうと。母狐による被害が大きく出なかったのは、対抗できる存在だった雪さんたちがいたからだそうだ。
雪さんたちが仔狐を捕まえてくる気なので、できれば悪戯をしないようにと願い出たいと帝さまが仰った。
大体の事情は把握できたので、ちゃんこ鍋と出された食事を確りと食べて仔狐との面会に立ち会おうと、お箸を握り込むのだった。






