1064:食事について。
ジークとリンと私は合流したあと、元の土俵のある場所へと戻っていた。そこには既に人影はまばらとなっているのだが、アストライアー侯爵家一行とナガノブさまと帝さまが残っており、どうやら私を待っていてくれたようだ。私の姿を確認するなり、帝さまとナガノブさまが手招きをして呼んでいる。なんだろうと首を傾げ、後ろに控えているジークとリンにお二人の下へ行くねと告げた。
「おーい、ナイ。食事について相談だ!」
まだ少し距離がある所でナガノブさまが声を上げる。帝さまは彼の行動に少し困った様子を見せているけれど、ナガノブさまを咎めることはなかった。
「どうなさいましたか?」
「フソウの食事はお主は平気なのは十分に知っているが、鍋は大丈夫か?」
ナガノブさまに私は鍋がどんなものなのか一応聞いておく。どうやら相撲部屋の方々の賄の方たちが腕を振るってくれるとのこと。そしてメインはちゃんこ鍋となるのだが、食べれるのかと彼は私を気に掛けてくれたようだ。直箸をする訳でもないし、むしろお鍋を食べたいとお願いしたいくらいだと私は笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ」
「そうか、そうか。では朝廷の賄の者たちと相撲部屋の者たちに準備を進めるように伝えておく。宴まで少し時間があるから部屋を用意した。疲れているなら休んで良いし、城を散策しても問題ないからな!」
ナガノブさまが良い顔を浮かべて私たちの下を去って行った。案内役の方に休憩部屋へ案内されて、時間まではゆっくりと過ごすことになり、それからドエ城から朝廷に移動して宴に参加しお泊りしてアルバトロス王国に戻る予定である。まさかお鍋が食べられるなんてと私が笑みを浮かべているれば、アストライアー侯爵家一行の中にいた女神さまがこてんと首を傾げる。
「お鍋ってなに?」
「お鍋の中に出汁を入れて、あとはお肉やお野菜を詰め込んで熱を掛けた料理といえば良いでしょうか。フソウ特有のお料理で、今回はちゃんこ鍋ですが、ちゃんこにも種類があるので味の説明は難しいですね。簡単に表現するなら、凄く具材の多いスープと言ったところでしょうか?」
女神さまの疑問に私はいつもより少し早い口調で伝えた。私よりもエーリヒさまの方が説明役に向いているけれど、いないのだから私が説明しないといけなかった。エーリヒさまの有難みをこんな所でも感じてしまうとは意外である。ちゃんこ鍋ならつくねさんに白ねぎさんに白菜さんにしらたきさん、ほかにもいろいろと具材があるだろうし、アルバトロス王国の腸詰めを入れても美味しそうだと、私の顔に勝手に笑みが浮かぶ。
「詳しいお話は客室に戻ってからしましょうか」
私たちに声を掛けるタイミングを見計らっているフソウの方が困り顔で待っていたので、話を切り上げるために少々強制的に中断させて貰う。人気が少なくなった土俵をエルとジョセとルカとジアとグリフォンさんが興味深そうな顔を覗き込ませていた。
私は少し彼らと話して、数時間後に移動するよと伝えておく。緊急時でもないので転移は使わないし、彼らには外を歩いて貰う他ない。構いませんよと気軽に答えてくれる彼らに私は感謝して、一旦客室へと戻ることになった。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも一緒で、彼らは畳の上にごろんと身体を寝かせてくつろぎ始めた。
「畳の部屋は久しぶりだなあ」
客室へ案内されたアストライアー侯爵家一行は広い畳の部屋でそれぞれ腰を下ろす。私は畳の感触を楽しみたくて、座布団の上には座らずそのまま腰を下ろして手で畳に触れる。イグサの良い匂いが懐かしい気持ちを誘うけれど、真新しい畳の匂いを嗅いだ機会なんてかなり限られていたはず。それなのに懐かしいと感じるのも変だなあと私は苦笑いを零しそうになる。
「アルバトロス王国だと床に座る習慣がないから、私たちからすると不思議な感覚だ」
「靴を脱ぐので汚れない、という一点では理に適っていますけれど……正座が慣れませんもの」
ソフィーアさまとセレスティアさまは座布団の上に腰を下ろしているのだが、足を崩している。特に問題はないし、お二人は人前に出る際は正座をしていた。短期間で慣れていることは凄いので、今のような時間に咎めるような無粋はしない。
ジークとリンは障子の側で立ったまま護衛を務めていた。家宰さまは正座に難儀していて、どうにか足が痺れない方法を探しているが、男性であれば胡坐で良いのではと伝えておく。女神さまは畳と座布団の感触を不思議そうに味わっている。そうしているとお茶とお茶請けが用意されて、女神さまは目を細めている。お茶菓子は羊羹で苦手な方と平気な方に綺麗に分かれるかもしれない。
私は好きだけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまと西の女神さまはどんな反応を見せてくれるだろうか。お茶の渋さが苦手な方用にお砂糖が用意されているので、お茶は個人の好みに合わせられる。
「美味しい」
ちょっと甘過ぎるような気がするけれど、美味しいことには変わりない。もしかしたらお砂糖は高級品だから、ドエ城への献上品として甘めに作られているのだろうか。
ジークが食べれば絶対に渋い顔をするなと笑みを零しながら、他の方に視線を向けてみる。ソフィーアさまは普通の顔、セレスティアさまも普通、家宰さまは片眉を上げているので少々甘いようである。西の女神さまはいつの間にか全て平らげて、少し物足りないような顔をしているような。私がちびちびと食べていた羊羹に女神さまが熱い視線を向けている気がする。
私が食べかけの羊羹を差し出せば、女神さまは良いの? と確認を取った。羊羹は越後屋さんで買えばまた食べられるので問題ないと私が頷けば、嬉しそうに羊羹を竹の串で差し、ひょいと口元に運びぱくりと女神さまの口に収まった。
女神さまは何度か羊羹を噛めば喉が動いたので、嚥下したようである。少しばかり目を細めて機嫌が良さそうにしているから、相当に気に入ったようである。
そうして時間は流れて、朝廷で催される宴に参加するために移動を開始した。相変わらずヴァナル一家とエル一家とグリフォンさんたちは目立つようで、一目見ようとドエの都から人が集まっていた。サービス精神の良いルカは前脚を起用に上げて大きな嘶きをすれば、フソウの皆さまが『おお!』と感嘆の声を漏らしていた。グリフォンさんもルカに釣られて『ピョエェェェエエエ!』と鳴くと、またフソウの皆さまが『凄い!』『耳が痛い!』『貴重なお声を聞かせて頂いた!』と湧いている。
怖がられるより全然良いし、ヴァナルたちとエルたちとグリフォンさんが望むなら、フソウの方々と仲良くなるのは全然問題ない。直ぐには無理だろうけれど、彼らは長命種だからいつか叶うと良いなと籠の簾の隙間からドエの街並みを眺めていると、朝廷の滅茶苦茶広いお屋敷に着いた。
立派な門を向けて中に入り、籠の外へと出る。何度か訪れているけれど、平屋なのに重厚さのある雰囲気だ。庭も日本庭園だし池には赤い橋が何本も掛かっている。丸々と太い錦鯉も泳いでいるから、元居た世界の日本三大庭園の一つを訪れているようだった。まあ、一度も行ったことがないので、規模とか分からないけれど。
「さあ、ナイ。会場に参りましょう。ナガノブも付いてきなさい」
帝さまがお屋敷の入り口前で私たち一行を案内してくれる。私の視界の端には奉納相撲に参加していた力士の方がいて、凄く緊張した様子で固まっている。彼らにとって、ナガノブさまの前に立つのも緊張するだろうけれど、帝さまの前だと更に緊張するようだ。取り組み中は御前試合とか普通にあるけれど、こうした宴の参加は初めて受けたようである。
「はい。ご相伴に預かります」
「承知」
私とナガノブさまの声を聞き、帝さまが直接会場まで案内してくれた。私は恐れ多いなあと感じているけれど、西の女神さまはフソウ式のお屋敷が珍しいのかドエ城と同様に、きょろきょろと周りを見回している。
女神さまがそんな調子なので歩くスピードが少し遅い気もする。長い板張りの廊下を歩いていると、帝さまがとある部屋の前で止まる。するとお付きの方が膝を突いて、障子をすーと開けてくれた。
「さあ、既に準備は整っておりますから、あとは乾杯の音頭を取るだけです」
帝さまの言葉通り、部屋の準備は既に整っている。座布団とお膳が並べられ、火鉢の上には鍋が置かれていた。どうやらその鍋がちゃんこ鍋のようで、部屋にはお鍋の良い匂いが満ちていた。
私は帝さまの右隣に座り、帝さまの左隣にナガノブさまが座す。女神さまは私の右隣だった。そして私たち四人の目の前にはアストライアー侯爵家一家の面々とフソウの面々が。さらに奥には今日奉納相撲で活躍した方々が腰を下ろしていた。奥だけ密度が凄く高い気がするので、少し吹きそうになる。ジークと対戦した方にはお世話になりましたと、一言でも会話を交わしたいけれど私が行けば迷惑になるかもしれない。
一先ず、ある程度時間が経って、帝さまとナガノブさまに相談してみようと決め、お膳に視線を落とす。どうやら私が好みのフソウ食を把握しているようで、前回おかわりさせて頂いたお料理と新しいお料理が鎮座していた。
アルバトロス王国もいろいろな料理があるけれど、フソウも種類が多いしお野菜と海産物が豊富だなあと感心していると、飲み物が全員に行き届いたようだ。
帝さまが杯を掲げると会場の皆さまも杯を手に取る。私は湯呑で締まらないけれど、アルコールは無理と伝えてあるので問題はないはず。二十歳になったら最初の一杯はアルコールを飲めるようにしないとなと苦笑いを浮かべた時だった。
「皆、本日はお疲れさまでした。関取の皆もご苦労でした。長い口上など不要でしょう。――フソウ国とアストライアー侯爵家とアルバトロス王国に弥栄!」
帝さまがフソウと侯爵家とアルバトロス王国の繁栄を願い杯を掲げる。そして会場の皆さまは良い顔で帝さまに真剣な眼差しを向けていた。
「弥栄」
「弥栄」
「弥栄」
タイミングを見計らい私も「弥栄!」と声を上げれば、楽しい宴の時間が始まる。いただきます、と手を合わせようとした時に右隣から視線を感じる。
「ナイ、沢山食べてくださいね。ちゃんこ鍋は各相撲部屋の特色が出ていますので、食べ比べができますよ」
「遠慮しなくて良いからな。食べ尽くす勢いで構わんぞ!」
帝さまとナガノブさまが笑みを浮かべながら、沢山食べろと伝えてくれた。主催者の方がこうして進めてくれるのは有難い。
「はい。女神さまも食事を楽しみましょうね」
「うん。西と全然違うから面白い」
私はお二方に言葉を返したあと、私の右隣に座る女神さまに声を掛ける。女神さまはフソウのご飯に興味があるようで、表情は乏しいけれどなんとなく楽しんでいるなと察することができた。
クロとアズとネルにはフソウの果物が用意されている。桃が時期的に出ていないのが残念だけれど、果物の種類もフソウは豊富だ。エル一家とグリフォンさんにも用意してくれており、彼らは外でフソウの味覚を楽しむ。クロたちにも楽しい時間になりますようにと、私は手を合わせて頂きますと声を上げるのだった。






